6-b へ

 ゴーグルの暗視機能が見せる薄闇の中、3分ほど階段を登ったところでハラキリが立ち止まった。彼の頭の上には丸い扉があった。それを回し開けると、ニトロの前に明るい出口が現れた。地図には『東の庭・池』と示されていた。
 東の庭といえば、王城を特集した番組などでは一番地味な扱いを受けている庭だ。強固な城壁と、そびえる城の壁に囲まれた日も射さぬ暗い庭。しかし反面、人目のつきにくい場所にあることから様々な密会が行われたとも噂されている。
 階段は、その庭の池の脇にある植え込みの中に続いていた。隠し通路の出入り口だけあって、植物は人が立ち上がっても十分姿を隠せるように植えられていた。
「ふう」
 地上に出たニトロはダイバーマスクを外し、戦闘服の機能を使って濡れた全身を乾かしながら、閉所の中で溜まっていた緊張を息と共に吐き出した。
 一生入ることはないと思っていた城の中は、思った通り不思議な雰囲気に包まれていた。権威の重厚さか、歴史の荘厳さかは判らないが、漂う霊気のようなものが肌に触れてくる。
 右方、先の窓に明かりがついている。壁に大きな換気扇があるところを見ると、そこは厨房らしい。もう、食事の仕込みに入っているのだ。
「人は動いているみたいだね」
「24時間営業ですから。さてニトロ君?」
「ん?」
 振り返ると、イヤホンをつけたハラキリがニトロにまた小型コンピューターを渡した。
「イヤアアア! 悪魔ガ出タアアアアア!」
 ハラキリの耳に、絶叫が響き渡った。もしコンピューターのステレオをオンにしていたら、厨房にいる人間の耳に届いてしまっただろう。
 ハラキリは悪魔と化したニトロを眺めながら、イヤホンにつながるミニマイクを口元に近づけた。
「やあ、メルトン君。おかげで楽させてもらってますよ」
「コッチハ死ヌホド大変ダ! セキュリティノ『りっちゃん』ヲドレダケゴマカシテルト思ッテルンダヨ!」
「君はこっちの動きトレースできてますね? 行く先の監視カメラを偽造映像に差し替えてください」
「勘弁シテクレェェェェ」
「ニトロ君。メルトン君が死ね、だって」
 ニトロ・ポルカト、悪魔から八面六臂の大魔王にアップグレード。
「コココココココッコッコオ殺サレチャウウウウウウウ!!」
「嫌ならちゃんとして下さいねー。で、確認したいんですけど、おひいさん、ちゃんと寝室にいますか」
「イナイィィ」
 ハラキリは顔をしかめた。最悪の状況とその対策を頭に描きながら、訊く。
「どこにいますか?」
「玉座ノ間ダ」
「玉座の間?」
 ハラキリは城を見上げた。玉座の間といえば、ちょうどこの上にある15mほど上、分厚いカーテンに閉ざされている大窓には、確かに、わずかに光が漏れて見えた。
(やってくれる)
 忌々しくも、呆れる。だがハラキリはすぐに気を取り直し、確認した。
「本当ですね? 違ったら殺しますよ」
「本当ダッテ。サッキ、恋人ト何カ『プレイ』スルトカナントカ」
 玉座の間といえば、王城の中でも最も神聖なる場所とされている所だ。
「……お姫さんらしいと言えば、らしいですか。じゃあメルトン君、何があってもセキュリティの相手、引き続きお願いします」
 言って、ハラキリはメルトンの返事を聞かずに接続を切った。
「何だって? バカ姫らしい?」
 人間に戻ったニトロの問いに、ハラキリは笑った。
「一応、プカマペ様の御加護があるようです」
「プカマペ? ……ああ、君の自作の神はいいから」
「つれないなぁ。ツッコンで下さいよ」
「この期に及んで何を言うか。さっさと教えろよ」
「……言いにくいんですが、お姫さん、玉座の間で恋人と何か『プレイ』しているとかなんとか」
 ニトロ、再び変身。
「なぁにぃぃ?」
「ああ、だから先にツッコンでストレス発散して欲しかったのにぃぃ」
 顔面を鉄の爪アイアンクロウで締めつけられながら、ハラキリはうめいた。持ち上げられ宙に浮いた足をばたつかせ、顔面を掴むニトロの手を引き剥がそうと試みるが、脱出できない。
 何だこのツッコミの馬鹿力! 正直、死んじゃいそうです……!
 ハラキリが泡を吹いてぐったりしたところで、ニトロは我に返った。こんなことをしている場合ではない。今すぐにでも玉座の間に向かい、あのクソ女に鉄拳をぶち込まねば。
「おい、寝ている場合か、ハラキリ。こんなところでもたつくのは時間の無駄だ」
「ニトロ君、なかなかヒドーイ」
 冷たい地面で痙攣しながら、ハラキリはザックから何かを取り出そうとして、ふと手を止めた。目当てのものを掴んだ様子ではなく、考えを改め、目当てを変更したようだ。そして取り出されたのは、ソフトボールほどの大きさの機械だった。メタリックな鈍光を持つそれは、にこやかな女の顔に八本の足を持っていた。金属製の人面蜘蛛という表現が、最も適切であろう。
「何これ」
「『爆砕君チョメド』です。奇抜さが人目を引いて意外に大ヒット」
「じゃなくて。一体どういうものなんだ?」
「これはセットした目標に自動的に行って自爆してくれるんです。威力が集中する構造で作られている爆薬は、例え対核兵器仕様の強化セラミック100mmでも貫けるほどの破壊力! もちろん、あの有名な玉座の間の超強化ガラスにだって穴が開くっ。そうなれば超強化ガラスもヒビだらけ、蹴り破れるほどボロボロになります」
 と、そこまで説明したハラキリの手が、ぽろりと『爆砕君チョメド』を取り落とした。
「――――っ!?」
 ニトロは声にならない悲鳴を上げた。こんな所で爆発されたら、警備兵に絶対見つかってしまう。というかその前に死ぬ。なんだか走馬灯のようなものが彼の脳裏を駆け巡った。が、
「あれ?」
 ニトロの足元に落ちた『爆砕君チョメド』は見事に着地するとモーター音もなく歩き出した。
「玉座の間はあそこです」
 ハラキリはボーガンを組み立てながら、ニトロにその場所を指し示した。そこに向けて『爆砕君チョメド』が垂直の壁も苦にせず登っていく。
「……爆発って、そんな派手なことして大丈夫なのか?」
「おひいさんは派手好きのようですから」
 その言葉が、何を示しているのかニトロには解らなかった。ハラキリの真意を探ろうと振り向くと、ちょうどそこへ問いを投げかけられた。
「覚悟はできていますか?」
「何の覚悟だよ」
「おひいさんとのデート」
 ハラキリはボーガンを構えた。『爆砕君チョメド』が向かう、ライトアップされた城壁の中にぽっかりと存在する大窓の上に、鋭利なやじりを向けている。
「できているのなら、拙者に掴まって下さい」
 ニトロはハラキリの背に回った。何も言わず、彼の腰に手を回す。
「作戦は?」
「爆弾で脆くなった窓を蹴り破って突入。その後は、君の思うように」
 ぐっと、緊張が増した。
「……おう」
「では、行きますよ」
 その時、『爆砕君チョメド』が大窓に貼りついた。刹那、凄まじい爆音と共に大地が揺れた。
 痺れる鼓膜がニトロに、ハラキリが何かを叫んだことを伝えるが、その内容までは脳に届かなかった。
「っうわあ!?」
 ぐんと上に体を引っ張られて、不意をつかれたニトロは悲鳴を上げた。その間にも、凄まじい勢いで体が空に運ばれていく。ボーガンはこのためのものだったのだ。スパイ映画さながらに、矢につけたロープを巻き取って壁を登る。ニトロは剥がれそうになる腕に力を込め、必死に振り落とされないように堪えた。
 もうもうと立ち昇る煙の中に、全身が吸い込まれる。その一瞬後、彼の耳元でガラスが砕け散る音が鳴り響いた。

「飛びます!」
 ハラキリの声。それと同時にニトロは、彼の腰から腕を離した。
 砕け散るガラスからむき出しの顔を腕で守り、そして固い床に身を打ちつけないよう、格闘プログラムに刷り込まれた技術が彼の体を動かした。何度か床の上を転がり、ニトロは腰のホルスターからレーザーガンを引き抜きながら身構えると、煙が入り込んで薄くもやがかった広間を見回した。
 玉座の間。
 この場所を、ニトロは知っている。いや、アデムメデスの民ならば誰でも知っている。国賓が招かれ、時に多大な貢献をした国民が招かれる、この城の中で最も威厳があり最も聖なる空間。無駄な調度品は一切なく、王と王妃の玉座、そして大扉から玉座へと伸びる一筋の赤い絨毯だけが圧倒的な存在感を示す広間。
 だが今、シャンデリアの煌びやかな灯が照らすこの場所、その中心に、靄の中にも黒々とそびえ立つ怪しげな物体があった。
 まさか罠かと緊張したが、一向に何事も起こらない。ではよもや突入先を誤ったかと背後を見れば、破られた大窓の前には王と王妃の玉座が間違いなくある。それなのにどんな警報音一つ鳴り響いていない。この王城で、とんでもない爆発があったというのに、たった一度も。
 やはり罠なのか。
 ニトロの胸に、緊張と当惑が大きな不安を産み落とす。
「ハラキリ?」
「後ろです」
 肩越しに一瞥し確認すると、左手首をストレッチするように触りながらハラキリが油断無く身構えている。その仕草は彼が戦闘服の『録画機能』を起動しているのだと、ニトロは理解していた。
 出際にハラキリが「一応」と前置きして告げたこと。ティディアの『証言』を取るということ。
 ニトロには証言は聞くだけで十分だったから、ハラキリの意図を掴みかねた。それを元に司法にかけようと提案されるのかと思い、そうであればティディアに法は通用しないと『確信』しているから、即座に却下の言を返そうと用意もした。
 だが、ハラキリはニトロの意などとうに汲んでいるとばかりに、「決着後に使います」と言った。どんな結果の後であれ、と。
 それがあまりに素っ気なかったため、思わず証言を取ったら逃げるんじゃないのかと訊ねると、ハラキリはニトロにそうするかと逆に訊いてきた。
 質問しておきながら答えあぐねる依頼人に、ハラキリは笑って「共倒れは御免です」とだけ言った。
 打算的な言葉だと思った。暗にハラキリは、ニトロがどんな選択を取っても構わないと突き放し、自身の勝率が少しでも高い策を選んでいくと示していた。倫理や道徳からすれば殺し合いを止めるのが本来の筋だとニトロは思う。だがハラキリにはそれをして勝率が下がるなら、さらりと切り捨てるという態度があった。
 数日前なら、ハラキリの選択に説教でもしていたかもしれない。それは違うだろうと。いや、きっと選んでしまう道は本来間違いだと言う自分が、今も少し離れた場所でかすれた声を上げようとしている。
 それなのにニトロはハラキリの対応が嬉しくて、不思議な感じがしていた。
 自分が死ぬかもしれない選択に対して冷静に、その後の対処を考えている味方がいることは心強く、同時に、命奪われても願いは叶うだろうと予感すら与えてくれた。
「何も仕掛けてきませんね」
 と、ハラキリが半笑いを浮かべた。少し呆れるように、少し、こうなると感づいていたように。その眼は広間の中央に向いている。
「どうしてです?」
 換気が進み靄が晴れてきていた。広間の大気が澄み、全貌がはっきりと目に入ってくる。
 ニトロは、気になっていた広間の中心にある物体を目にして――膝から崩れ落ちた。
「なんだよ、それ」
 それは祭壇であった。星間に名立たるラミラス星の黒透岩ドニストで作られ、そのガラス質の光沢の中をゆっくりと進む光の粒子を弄ぶように輝く様は、まるで祭壇を巨大な宝玉から削り出されたもののように思わせる。また至る所に施された彫刻は実に細かく、金や銀が施され、職人の魂が込められていることは容易に知れた。
 美しい。
 美しいがしかし、しかし!
 祀られている像は、女装したニトロだった。セーラー服を着た彼は、風でめくれそうになるスカートを押さえていた。『見ちゃだめだぞ、H』みたいな顔をして! ひるがえった上着の下に亡者の顔を無数に貼りつかせ、救いを求める餓鬼の群れを踏み潰している。
「なんなんだそれは!」
 ニトロは、祭壇の前で男と共に、一心不乱に頭を振っている女に叫んだ。
 二人は、そこでようやっと、こちらに気づいた様子だった。
 黒装束の男が先に振り返る。彼はシェルリントン・タワーでティディアがマスメディアに紹介した、恋人のヂョニーであった。
 そして、少し遅れて女が振り返った。
 純白の、ウエディングドレスにも似た装束の裾をひるがえし、女は汗に輝く笑顔を見せた。
「プカマペ様の御使い、モラニョヘ大天使様よ」
「悪夢みてぇな大天使を捏造するなド阿呆! 勝手に人の姿を使いやがって」
「おお! それではこの広間が、プカマペ様が第三の降誕の地としてアリンガナエモン大司祭に約束された場所なのですか!?」
 ニトロは眉間の皺を指で叩いた。
「では貴女様が予言された御使い羊を率いる山羊使い様でございますね!?」
「その通りじゃ。そなたは?」
「私は魂の名を『…パ』と申します愚か者。プカマペ様の愛波動を受けて揮発した脳味噌の化身でございます」
「お前もノるな」
「ぐええええ」
 ニトロは首吊り締めネックハンギングツリーでハラキリを持ち上げ、揮発した脳味噌が入っている骨よ砕けろとばかりに床に叩きつけた。それから一度深呼吸して気を整え、改めて言う。
「なるほど『祈りプレイ』ってことか」
「メルトンちゃんが、ちゃんとこっちに呼んでくれたみたいね」
 今度はティディアも、ふざけた答えを返してこなかった。ニトロの殺意に満ちた眼光に身を震わせて、立ち居振る舞いも優雅に、彼に向き合っていた。
「……知ってたのか。メルトンが乗っ取られたこと」
「いいえ。それぐらい報告を受けなくても分かるわ」
「何?」
「だって、あなた、私の失言に気づいたんでしょう? 警察のデータバンクにハッキングの跡があったって報告は、受けたもの」
「……そうか。あれはわざとか」
 ティディアの顔は恍惚としていた。ニトロの言葉に歓喜の表情に輝いていた。
「なぜそんな回りくどいことをするんです」
 床に寝転んだまま、ハラキリが言った。
「警察から報告があったようですが、うちの撫子のハッキングの形跡は、よほど警戒した上で探さなきゃ見つかりません。警察のサイトなんて、はっきり言ってザルですし。……報告があったんじゃなくて、聞いたんじゃないんですか? ハッキングの跡がなかったか、ちゃんと調べに来てくれたかを確認するために」
 ハラキリはニトロを一瞥した。
「あなたは、まるで彼をどこかに導こうとしているかのようだ」
 ティディアはハラキリを見つめた後、ニトロに目を移した。
「生まれながらに全てを持っていると、退屈なのよ」
 彼女は、微笑んだ。
「本気で、それこそ最後は喧嘩になるくらい本気で遊んでくれる相手もいなくてね。私を満たしてくれる娯楽もスリルもどこにもなくて、つまんなくってさ」
「なるほど」
 よいしょとハラキリは起き上がると、ため息をついた。
「まったく、あなたを殺したい者など他にごまんといるでしょうに」
 その傍らで、ニトロは過去の『言葉』が脳裏に溢れるのを聞いていた。意識が少しぼんやりとする。思考の糸が網のように絡み合い、記憶の洪水、その中から明確な結論が掴み出されていた。
「……俺も解ったよ」
 彼は、言った。
「全部、お前が、俺がこう出ることを期待して計画したことだったんだな」
 うつむき、肩を怒らせ、拳を握り、歯を噛み締めて、声を震わせる。
「お前は……お前を殺しに来る俺と遊びたかっただけか」
「ええ、そうよ」
 ニトロは絶叫した。
そのためだけに殺したのか!
「大当たり〜」
 ニトロはレーザーガンの銃口をティディアに向け、躊躇なく引き金を引いた。
 だが、放たれた赤い光線は、標的の寸前で霧散して消えた。対光学兵器バリアだ。ティディアが得意げに白装束の裾をつまんで広げてみせる。それが自分の着るものと同等なのだと、そして同時に、こちらの装備を彼女が承知していることを、ニトロは悟った。
「どう? どっちのバッテリーが先に切れるか試してみる? それとも古典的に剣で決闘と洒落込んでみる?」
 ティディアに言われるが早いかニトロは歩き出していた。目を血走らせ、犬歯をむきだし。レーザーガンを捨てた手には、光り閃くナイフが握られていた。
「その道を選びますか……」
 少し嘆息混じりに、ハラキリはつぶやいた。背負っていたザックを下ろして中から手榴弾を取り出し、走る。
「ヂョニー、あなたはハラキリを止めなさい」
「承知しました」
 ヂョニーはうなずくと、
「おっ?」
 ニトロとすれ違い、一息で10m近く開いていた間を詰めてきた黒装束の男に、ハラキリは感嘆にも似た吐息をついた。それと同時に力を抜き、腰を深く落として足を止める。彼の頭上を、ヂョニーの拳がかすめていった。
 それは恐ろしく速いパンチだった。
 追撃を避け大きく後退したハラキリは、対峙し構えるヂョニーからよく覚えのある機械的な印象を受けて驚いた。
 技術の粋に感嘆する。そこにいるのは『人』そのものだ。生体機械ゴーレム技術でも併用しているのだろうか、外見はもはや見分けがつかない。
「これはこれは」
 ハラキリは手榴弾の安全装置を外し、即座にティディアの後方、この広間と城内を唯一つなぐ大扉に投げつけた。手榴弾は緩やかな軌跡を描き、大扉の足元に落ちた。その瞬間、それは爆裂した。ピンク色のゲルが手榴弾の進行方向へ飛散し、大扉に付着すると瞬時に硬化する。
 念のため、簡単に援軍を入らせない細工だ。
「アンドロイドを恋人にするとはいい趣味している」
 襲いかかってきたヂョニーの、正確で速射砲のような攻撃を見事にかわしながら毒づいたハラキリの言葉に、耳ざとくティディアが笑った。
「人間を殺せる戦闘用よ、死なないでね」
「そうしましょう」
 つぶやき、敵のに囚われぬようたいさばきながら左手の小さな動きで腰の鞘から毀刃きじんのナイフを抜く。
 ハラキリはニトロを一瞥した。
 彼は、ゆっくりと、鬼気迫るオーラを歩にまとわせ、愉しげな笑みを絶やさぬティディアに迫っていた。
「ニトロ君も、できれば死なないで」
 『録画』は成功している。後は自分が生き残り結末を得るだけだと、ハラキリは意識を目前の敵に集中した。
 ヂョニーはハラキリの小さな予備動作も見逃さず、そのデータ解析から次の動作を予測し、的確な攻撃を仕掛けていた。
 ハラキリは行動を先読みしてくるアンドロイドの特性を逆手にその先を読み、拳や蹴り足を避けていたが、徐々に追い詰められつつあった。
 と、ふいにヂョニーの行動予測プログラムに異常が起きた。まるで腕を上げる兆候もなかったハラキリの右手が視覚センサーの目の前にあった。
「?」
 その手に並ぶ爪先つめさきが人工眼球の角膜をぎ払った。行動予測プログラムに不測のデータが流れ、視覚センサーへ予想外のダメージを受け、既定されていた攻防コマンドにエラーが生じる。
 ヂョニーの制御システムが、怯んだ
 その瞬間、ハラキリの手の白き刃が、アンドロイドの胸元に吸い込まれていた。
 ヂョニーの顔が驚きに歪んだ。
「『君達』の強さにも脆さにも慣れていまして」
 行動中枢の基幹に自動修復不可のダメージを受け、動きが止まったヂョニーからナイフを引き抜き、ハラキリはその足を払った。アンドロイドは無様に倒れ、口と傷口から血色のオイルを噴き出した。
 ハラキリは躊躇なくヂョニーの残る主要機関全てに毀刃ナイフを突き立て、その機能を完全に破壊した。
「残念でしたね」
 アンドロイドは、ただ残骸と横たわる。
 ハラキリは息をつき、見届けようと、彼に目を向けた。
 ちょうどその時だった。
 ニトロが絶叫したのは。

 手榴弾が起こした風に、ティディアの白い衣と黒紫の髪が揺れている。彼女が誰かに声をかけたが何も聞こえない。ニトロは胸の奥から湧き上がってくる様々な感情に瞳を震わせながら、彼女の元へ歩んでいた。
 殺意に、眩暈めまいがしていた。一歩一歩進むごとに明瞭に晴れ渡っていく思考に、眩暈がしていた。
「……」
 彼は、ナイフで指を切った。鋭い痛みに眩暈が吹き飛ぶ。彼の視界は、薄ら笑う女の顔をはっきりととらえていた。
 ティディアまで数歩というところで、ニトロは止まった。自分より少し背の高い王女を睨みつけ、息を大きく吸った。
「!」
 刹那、ニトロはティディアに切りかかった。彼が首を狙って薙いできたナイフをかわし、彼女は祭壇に駆けた。そこに仕込んでいた黒色の至鉄鋼アルタイトの小剣を手に取り、切っ先を歩み寄ってくる敵に向ける。
「そんな目で見つめられると、私、どきどきしちゃうわ」
 あくまで平静を崩さずティディアは言った。彼女には余裕が満ち溢れていた。その根拠は、ニトロも知っていた。王女は、身体能力も抜群に高い。軍内で開催された剣術の試合で優勝を飾っているほどだ。
 だが、ニトロは切り込んだ。
 彼に躊躇いはなかった。
「うああ!」
 ニトロが雄叫びを上げた。その『力』に、ティディアはされた。リーチに劣るニトロの攻撃を後ろに下がって避ける。追って来た彼を剣の先で牽制しながら、彼女は舌なめずりをした。
「これよ」
 快感が体に走り、頬が紅潮する。
「これを味わいたかった!」
 ティディアが袈裟けさ斬りに剣を振るう。それをかわしたところへ、深く踏み込んで足を払ってきた彼女の第二撃を、ニトロは『刷り込まれた反応』に身に任せて靴に仕込まれた至鉄鋼アルタイトの板で受けた。
 甲高い音と火花がぜるが同時、彼はナイフを王女の脳天に振り下ろし――
「!」
 その時、ニトロは開いた脇に迫る怖気おぞけを感じた。
 思うより速く、ニトロの背を潜在意識に宿る格闘プログラムの手が引いた。思い切り後ろに跳んだ彼を追って、その右腕があったくうを、黒い刃が切り裂いていく。
 ティディアの切り返しであった。
「うふふふ」
 笑って、ティディアが刃を指でなでる。皮膚が裂け、赤い血が刀身を滑り、白色の石床に数滴落ちてまだらを描いた。
「気をつけてね? よく切れるから」
 ニトロは、微笑みを塗り潰す狂気さえも美しい姫をめながら、深呼吸をした。実力の差を痛烈に感じ、『勝てない』という理解が身に染み渡る。だが、ペースを取られてはいけない。
 自分より明らかに強い相手に勝つ方法を訊いた時、苦笑いしながらも、ハラキリが言ってくれた。
 例え実力が離れていても、気が勝れば万が一もあり得ると。
 そして相手が強いが故に余裕を油断に、油断を隙に変える機会を待ち逃さなければ、勝つことも不可能ではないと。
 それに賭けるしかないのだ。ティディアは余裕に満ちている。それに賭けるしかないのだ。
 殺されても、仇を、討つには。
「……」
 ニトロは、ティディアを中心に円を書くように、じりじりと動きながら機を窺った。
 彼女の構えには隙がない。勝機など微塵も感じられない。
 だが、『手』までもが無いわけではない。
 彼は、ある程度動いたところで、まっすぐ間合いを詰めた。
「シ!」
 小さい吐息と共に、ナイフを不用意に突き出す。それを見逃すティディアではなかった。彼女が小さな動きで振り下ろした小剣は、ニトロのナイフを半身から切り落とした。
 彼のナイフも至鉄鋼アルタイトコーティングがなされていたが、ティディアの技が勝ったのだ。
 そこからさらに踏み込んで、ティディアは剣を切り上げた。
 それはニトロがかわせない攻撃であった。
 だが彼にかわす意志は毛頭ない。防御も命も捨てて刃へと踏み込んだ!
 ニトロの踏み込みに、ティディアの剣は必殺の威力を発揮する間合いを潰された。
 しかしそれでも至鉄鋼の剣は切れ味を発揮し、ニトロの戦闘服を切り裂き、右脇の肋骨を削った。硬い感触が剣を伝う。このまま骨に沿い引き斬れば肝を断ち、肺を割ろう。
 柄を握る彼女の手には勝利があった。
「……あ」
 だが、ティディアの口からはおののきがこぼれ出た。信じられないことに、彼女が見るニトロの顔は、苦痛に歪んではいなかった。
 見開かれたまなこ
 殺意だけが、彼にある。
 彼女は恐怖を覚えた。
 これまでの震えとは違う痺れがティディアを襲い、しなやかに動くはずの全身が硬直した。右目の視界を覆う硬い拳を、避けようとすることもできなかった。
「っっ!」
 ニトロの渾身の拳を受けて、ティディアはたたらを踏んで後退した。『背後にあった』祭壇にぶつかり、転ぶことはなかったが、
「くそ」
 ぐらつく視界の中に、毀刃きじんナイフを抜いて迫るニトロを見てティディアは歯噛んだ。
 避けられない。身をかわすこともできない。彼女は……
 剣で受けようにも、彼の手中で白光纏う刃は至鉄鋼すら断ち切る。
「……嫌」
「うわあああ!」
 その絶叫は雄叫びにあらず、悲鳴だった。魂引き裂き爆発した悲憤だった。
 ティディアの諦めにニトロの体が重なり、殺意の切っ先が、深く、泣きたくなるほど無抵抗に彼女の腹を深く切り裂き、肉を、血を、腸を   貫いた。
 少年の頬に、ため息に似た吐息がかかった。
 王女の手からこぼれた小剣が固い床に落ち、もの哀しげな音が、静寂の中にひどく甲高く響き渡った。

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