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 ぼくは、しょうらい宇宙生物たんさチームに入って、だれも見たことのないしんしゅの生物を見つけたいです。きっと、すごくかんどうすると思うからです。
<ジスカルラ第9区第3幼稚園卒園文集「ニトロ・ポルカト」より>

「うわあああああ!!」
 ニトロは悲鳴を上げた。装甲飛行車を追ってきた、その『生物』を現実のものだとようやっと理解して。
 それは、トレーラーが引いていたコンテナをまとっていた。いや、正しくは、コンテナを突き破り、四肢と頭部をまるでカメのように露出している。
 姿は『異形』そのものであった。
 むき出しの筋繊維の上に触手のような体毛が生え、関節部分を油膜の張った鱗が覆っている。十字に裂けた口の奥には開閉する咽喉が覗き、不揃いに並ぶ鋭い牙は、あたかも鮫のようだ。筆舌にし難いのは、十字の口に切り分けられた顔面である。三角形の四面それぞれが、独立した顔となっている。目玉ばかりの顔。触手が蠢く顔。小さな赤子のような手が何本もあり、その手の平に鼻がある顔。肉が腐り、辛うじて分かる人間のような顔。
「ありゃなんだ!?」
 吐き気を堪えて、ニトロはハラキリに問うた。
「韋駄天?」
「全宇宙上ニアノヨウナ生物ハ確認サレテナイナ。新種ノ可能性アリ」
「てーか普通にいてたまるか、あんな生き物!」
 ニトロは今一度、背後を見た。
 『それ』は高速を走る車を追い越しあるいは踏み潰しながら、おそらくはトレーラーの反重力飛行装置アンチグラヴ・フライヤーの力も借りているのだろうが、それでも生物にはあるまじき速度で追ってきていた。時折高く跳ね、20m上空にある素子壁バリアに衝突し青い火花を散らしては悲鳴にも似た怒号を上げている。
 異変に気づいた車の間にはパニックが起き、路上では事故が多発していた。車を止めて逃げ出した人が、後続のトラックに撥ねられて宙を飛んでいる。地獄絵図だ。
 その上を飛び越えて、あちらも必死なのだろう、ティディアの乗る装甲飛行車が追いついてきた。
「ん?」
 ハラキリの疑念の声を聞きながら、ニトロは言った。
「韋駄天君、天井空けて」
「了解」
「ん?」
 再びハラキリの疑念の声を聞きながら、ニトロは立ち上がった。開いた天井から体を出して、右に並んで走る装甲飛行車に喉が裂けんばかりに叫びつける。
「おいティディア!」
 装甲飛行車の天井から、ティディアが上半身を出す。同様に叫び返してきた。
「何よ! 今忙しいんだから後にしてくれない!」
 ニトロがハラキリの手を蹴った。
「あ」
 ハラキリの声と共にハンドルが急激に切られ、車体が装甲飛行車にぶつかった。その瞬間、ニトロはハラキリの頭を土台に大きく身を乗り出した。そして、
「きゃっ!」
 衝撃を受けてバランスを崩したティディアの襟袖を引っつかみ、こちら側へと引きずり込む。
「ああ! 誘拐だ!」
 助手席の兵士が叫ぶ。
「犯罪だぞ少年!」
「黙ってろ三下!」
 ニトロの迫力に兵士は沈黙した。彼は兵士に威嚇の眼を残したまま車内までティディアを引き込むと、彼女を後部座席に正座させた。
「もう。強引なんだから」
 服装を直して頬を赤らめるティディアの言葉に、隣にどっかと腰を落としながらニトロは眉間の皺を指で叩いた。
 なんとか怒声を飲み込みながら、
「フンぎゃボロろろロろロヴぇ!」
 心胆しんたん寒からしめる咆哮をBGMに、訪ねた。
「さて、姫様?」
「姫? わたしは猫耳のメイドさんだにゃ。御主人しゃまー」
折檻せっかんパンチ!」
「ぐはっ!」
 ニトロの捻りを効かせた拳頭が容赦なくティディアの頬を抉った。
「あ・れ・は、何だ?」
「生物兵器」
 事も無い彼女の答えに彼は頭痛を感じた。
「生物兵器も全宇宙で禁止中!」
「こんなこと内緒でどこの国もやっているわよー」
「だからってやるな! お前が禁止条約を更新したんだろ!?」
「た・て・ま・え」
「ぐああ。あのな! じゃあ、この件についてはいずれ決着をつけるとしてだ!」
「先送り政策で経済破綻した星を知っていますよ?」
 ハラキリの横槍には靴底で応える。
「あれが兵器なら何で、お前も逃げてるんだよ!」
「う〜ん」
 ティディアは、ぺっと舌を出した。
「予想以上に強力すぎて、手に負えなくなっちゃった」
「そんなもんを造ろうとするな!」
「でもさっきまではちゃんと制御できてたのよ? 薬も拘束具の電撃も効いていたし」
 ニトロは半眼で後ろを見た。生物兵器は、横転したトラックの荷台から逃げ出した巨鶏デカドリを捕らえ咀嚼そしゃくしながら、なおも追ってきていた。幸いなことに生物兵器の速度は上がっていない。こちらとは常に一定の距離が保たれている。
「……自由気ままに暴れているじゃないか」
「きっと、薬にも拘束具の電撃にも『慣れちゃった』のね。おお、神よ! 私達は今、生物の進化の瞬間を目の当たりにした!」
「感動できるか! だいたい生物兵器を造ろうなんて計画を実行すること自体、その神に反してるんじゃねぇのか!?」
「だってー。安いんだもん」
「は? 安い?」
「そうよ。生物兵器って、他の兵器よりもかなり安く造れるのよ。それにあれを戦場に送り込めば兵に……国民に戦死者が出ないじゃない?」
「戦死者が出ない戦争は、世論も扱いやすいと」
「ハラキリ君、その通り。身内が痛い思いしないことには、大衆って結構無関心じゃない? やりやすくって」
 ニトロは激しい頭痛を覚えた。それを堪えるように眉間の皺を叩きながら、言う。
「というか、これからも永遠に戦争しなければいいじゃん」
「ていうか、何で未だに戦争ってなくならないと思う?」
「そりゃ色々あるだろ」
「一番の理由でいいよ?」
「……人間の闘争本能が、とか?」
「いいえ!」
 ティディアは握り拳を作った。
「戦争は一部の人間に多大な利益をもたらすから! ちなみに庶民は苦しんだり死んだりするだけ! ぶっちゃけちゃえばあの生物兵器は売り物です!」
「このクソオンナ……」
 呆然とうめいたニトロの体がかしいだ。後ろに倒れそうになるのを堪えるように、彼はティディアの両肩に手を掛けた。
「痛」
 ティディアが悲鳴を上げる。ニトロの指が肩に食い込んできた。見れば彼は笑顔であった。とてもとても暗い笑顔であった。
「え?」
 ティディアが戸惑う。ニトロがゆらりと天井へ仰向いて、笑顔が陰の中に消えていく。反り返った彼の喉仏が震えていた。首の筋肉は引き裂けんばかりに硬直していた。
「ひッ」
 ティディアは見た。
「ひいい!」
 渾身の力を溜め込んだ修羅の顔面が恐ろしい勢いで迫る刹那を!
「一度死ねぇ!」
「ぶぎっ!」
 ニトロ渾身のヘッドバットがティディアの脳天を見事にぶち抜いた!
 もんの凄い重低音が轟き、ハラキリは戦慄した。やばい。あれは食らいたくない。
「きゅぅ」
 ティディアは目を回して崩れ落ちた。あまりの衝撃に猫耳の留め具も歪み、耳は左右でちぐはぐな方向に向いていた。
「ななななななんてことをするんだ少年! そんなことして姫様の脳に何かあったら我々が責任を取らされてしまうじゃないか少年! 我々には家族だっているんだぞ少年!」
「黙ってろと言ったろ、てめえらぁぁぁぁ」
「はいぃぃぃぃ……!」
 窓を開けて抗議をしてきた装甲飛行車の兵士達を一言一睨みで引っ込ませ、ニトロはティディアを胸ぐら掴んで引き上げる。
「で? あれを止める手だてはないのか?」
「目の前にお星さまー」
「ふっざけんな起きろバカ姫!」
「ニトロお父ちゃーん、ティディアお母ちゃーん」
「ほら! あの化け物が呼んでるぞ! って、ええ!?」
 ニトロは驚愕して生物兵器に振り向いた。
「待ってよ、ニトロお父ちゃーん、ティディアお母ちゃーん」
「確かに呼んでますなあ」
 ハラキリがのんきにうなずく。ニトロは、必死でティディアを揺り起こした。
「どどどど、どういうことかな?」
 目を覚ましたティディアは、その質問に顔を赤らめた。さらにもじもじする。
「あれ、私とあなたの遺伝子を使って造ってみたの」
 ニトロは絶句した。
「で、脳にチップを埋め込んで、あなたをどこまでも追跡するように、『親』を追いかけるようにしたの。だって、私とあなたの愛の結晶じゃない?」
 ニトロは気絶した。
「……つまり、だからおひいさんも一緒に逃げていると」
「ハラキリ君、大当たり」
「バカ」
「ハラキリ君、大当たり!」
 その時ニトロは、どこまでも広がるお花畑を見ていた。
「おおかた、ニトロ君の身分証明情報アイデンティティからDNAを盗用したんでしょう」
「その通り!」
「ということは。ニトロ君、あれ、君の子どもじゃありませんよ」
 ニトロは死の淵から目覚めた。身を乗り出して運転席のハラキリに迫る。
「本当か!?」
「ええ。むしろ、クローンって言った方が近いかと」
 ニトロは再び気絶した。
「あっはっはっは。本当、飽きなくていいわー」
 倒れこんできたニトロを受け止めたティディアは、彼の頭を太腿の上に乗せ、泡を吹き眼球がひっくり返った顔を見てまた笑った。ひとしきり笑って満足すると、ハンカチで口元を拭いそっと瞼を下ろしてやる。
 その様子をルームミラーに映し見ていたハラキリは嘆息した。
「どこまでが本気なんですかね」
「それはね。女の子の秘密よ」
 鏡の中のティディアは妖しく微笑んでいる。ハラキリはもう一度嘆息する。
「先ほどの応酬、ニトロ君をわざと怒らせるようにしていたとしか思えませんね。おひいさんの言葉というより、どこかから借りてきた言葉のようだ」
 ティディアはにやついている。その手はニトロの頭を優しく撫でていた。まるで、けっして壊してはならない大切なものを愛でているかのように。
「その様子を見ていると、本当にニトロ君を殺したいのか疑問に思います」
「恨みはないもの。ただ、いなくなってもらう必要があるだけ」
 言い放ち、形崩れた猫耳を外して助手席へ放り捨てる。
 ハラキリの目尻に皺が寄った。だが彼は調子を変えずに言う。
「今、絶好の機会じゃないですか?」
「依頼人が殺されていいの? ハラキリ・ジジ君」
「実はそれが怖くて冷や冷やしています」
「ふふ。こんな状況でニトロを殺しても面白くないから大丈夫。安心なさい」
「何か別に企んでいる事がある言い方ですね」
「その質問は野暮じゃなぁい?」
「……ニトロ君には驚きました。まさかおひいさんを引きずり込むなんて」
「あら、君の予想外?」
「ええ。まったく、いざという時の度胸と大胆さは才能ですね。肝の据わりっぷりもなかなか。誰彼変わらぬツッコミはここからきてるんでしょうねぇ」
「今頃気がついたんだ」
「今頃と申されましても。依頼を受けた時が初めてまともな会話ですよ。うっすら感じてはいましたが……いやはや、確信させられるのがこんな状況とは」
「困ってる?」
「正直」
「それじゃあ、これからどうする気? 私を人質に逃げてみる?」
 人を食ったような顔をしてくる姫君に、ハラキリは苦笑した。
「お姫さんを人質に逃げるなんて、むき出しの核廃棄物を運ぶ方がマシです」
 眼下の高速道路を走る車は一台とてなくなっていた。飛行車も先にはない。何もない。はるか先に陽炎のように見える副王都に向けて、ただ、道だけがまっすぐ伸びている。
 ある境界以降、まるで図られたかのように
 ハラキリは居心地の悪さを感じながら、韋駄天に命じてオートパイロットにした。もはや不規則で強引な運転は必要ない。ハンドルから離した手を頭の後ろで組む。追いかけ続けてくる生物兵器の叫び声は、また一段と大きくなったようだ。
「それに、そんなことをしたらニトロ君を正真正銘の国家反逆者にしてしまいますから。そうなったらどこにも逃げられませんよ」
「今ならまだ逃げられるとでも言いたげね」
「そうですよ。事件にならないうちならまだ抜け道はある」
「もう大事おおごとだと思うけど」
大事おおごとも、お姫さんの『遊び』ならどこまでも事件にはなりませんでしょう」
 ティディアは答えない。その沈黙に、彼女からは見えないハラキリの顔は不敵な笑いに歪んでいた。
「とりあえず、取引しませんか」
「聞くだけ聞きましょ」
「貴女を人質にしない代わりに、いい加減うるさいあれの処理をお願いします」
 と、肩越しに背後を指差すハラキリの提案にティディアは大きな声で笑った。
「面白い要求ね。私が人質になりたくないとでも?」
「違いますか?」
 即座に切り返す。
 ティディアはニトロの頬に指を当てながら、微笑んだ。
「いいわ。取引に応じてあげる」

 人災の後処理をする者は、大抵その被害を受けた者達か、贖罪を押しつけられた現場の者達である。
<ドキュメンタリー「弁護士:フェルナンド・ポルカロ」より>

 ニトロが目を覚ました時、一番に目に飛び込んできたものは、携行式ミサイルを構えるハラキリの姿だった。周囲には絶え間ない銃撃音と絶叫と、耳をつんざく咆哮がある。炎の揺らめき、血の臭い、油の焼ける臭気と硝煙の煙が入り混じり、大気は澱み気味悪くくすんでいた。
 どうやら、戦いが起きている。
 ニトロがようやくはっきりしてきた頭を振り、立ち上がると、目の前に火の海となった高速道路が広がった。
 無数の車が炎上し、爆発があちこちで起こっている。素子壁バリアは切られているらしい。爆発の度に大きな火の玉が、もうもうと煙がたちこめ火の粉がぎらつく空へと、地獄の底から掬い上げた黒煙を撒き散らしながら逆巻く。
 左右には新たな装甲飛行車が数台現れていた。そして何人もの兵士が、火器の集中砲火を目標に浴びせかけていた。
「あ」
 目標、生物兵器、ある意味、自分のクローンでもある……。
 ニトロは炎の中で、切なくも聞こえる叫びを上げるそれを見た。巨躯の所々から血が吹き出し、苦悶に動く度に裂けた腹部から大量の、見たこともない色の液体が溢れ出す。
 一見しただけで、今が断末魔の時だと知れた。
 ニトロの心に、奇妙な、感情が生まれる。
「……」
 ふと、ニトロは、ハラキリがこちらを見つめていることに気づいた。何かを、問うような目をしている。
「……トドメを」
 ニトロは彼の意図に触れ、言った。
 ハラキリが引き金を引く。放たれたミサイルは炎の尾を引き、狙い違わず生物兵器に命中し大きな爆発を起こした。
 それが、この戦闘の終焉となった。生物兵器はもはや叫ぶことすらできず、ただ、焼けたアスファルトに沈んだ。
 勝鬨の声が、上がった。
 兵士達が武器を捨て、仲間と肩を叩き合って健闘を称え合う。
「やったな少年!」
 ニトロの肩に腕を回して、一人の兵士が言ってくる。その男には見覚えがあった。ティディアと共に追ってきていた、装甲飛行車の助手席にいた男だ。
「これで俺達には明日がある!」
 涙を流す男の言葉の意味は、ニトロにはよく分からなかった。こちらには明日など見えもしないのだが……。もしかしたら、何か失敗をしでかして、ティディアに責任を追及でもされていたのだろうか。
「そうだ! バカ姫は!?」
 兵士の腕から抜け出して、ニトロはハラキリに問うた。
「帰りましたよ」
「帰ったぁ!?」
「仕事があるとか」
「仕事!? あれの始末を人任せにしてか!?」
 生物兵器は、ゆっくりと燃えていた。
「奴の遺伝子も入ってるんだろ!?」
「何でも、重要なお仕事らしい」
 と、これは先程の兵士。達成感と解放感に表情を輝かせている。
「あれの後始末以上に重要な仕事って何だ!」
「韋駄天」
「了解」
 韋駄天の上に宙映画面エア・モニターが現れた。そこには、見覚えのある顔が幾つか並んで映っていた。人気のある司会者と、辛口で有名なコメンテーター。
 スタジオに掲げられているスローガンを見ると、どうやらこの番組は『責任能力を育てる教育』をテーマにした討論番組らしい。そこに、特別ゲストとして、ティディアと教育大臣がいた。
「…………」
 ニトロは、口の端をひきつらせた。ティディアと教育大臣は、二人して熱弁を振るっている。
「おや。すっきりしたお顔で」
 思わし気に、ハラキリが言う。ニトロは腕を組み、頬の筋肉を痙攣させた。
「まぁ、人の性的嗜好はそれぞれだ。変態ともかく、大臣はまあいいさ」
 コメカミまで、震え始める。
「だが、ティディアが責任を語れるのか!? ってーか、いいのかこの国こんなのに任せておいて! あいつの本性、絶対暴君だぞ!」
「色々と奇行もなされるが、硬軟絡めた政治手腕はピカイチだ。嗚呼、我等が美しき姫様。あなた無しでは、この星の行く末も危うい!」
 とは、またも先程の兵士。ニトロは、悪鬼のごとき顔を彼に向けた。顔中の血管が浮き出て激しく脈打つ、鼻から蒸気を出さんばかりに怒気を噴出し、歯茎が裏返りそうなほど犬歯を剥き出す。
「バカ姫の犬は黙っとれぇぇ」
「ひえええ」
 兵士はそこに死神を見た。殺される。本気でそう感じ、悲鳴と涙を流して尻餅をつく。
 ハラキリが、おかしそうに喉を鳴らした。
「何がおかしいぃぃぃ」
「いやいや。ニトロ君、当たりですよ」
「……何が?」
「彼が、いや彼も『犬』ってこと」
 ハラキリは、へたり込んだ兵士の前に屈み込んだ。
「ねぇ、兵士さん。なんで拙者等を捕まえないんです? わざわざ後始末に付き合ってあげたのに」
 ニトロはハラキリの言葉に、周囲を見渡した。なぜか、多数の装甲飛行車が、空へと飛び去っていっている
「な……何の事だ?」
「妙な事が多過ぎるんです。そちらには、こちらを捕獲し仕留めるだけの力が充分にあったように思えるのですが」
「え?」
 ニトロの疑問に、ハラキリは笑った。
「ほら、高速ではすぐに追いついてきたし、あれを圧倒するだけの武器も人数もすぐに集まってきた。こちらとしては、量で圧倒されるのが一番困るんですけどね」
 ハラキリが指差した生物兵器の付近では多数の兵士による消火活動が始まっていた。その周りには、いつの間にか白いバイオスーツに身を包んだ者達までいる。
「あー」
 朝からの一連の出来事を思い出しながら、空を見上げる。そういえば、これだけの騒ぎにもかかわらず、上空にはマスメディアの姿すらない。
「そう言われれば……」
「結局、これはどこまでも『狩りハント』なんですよ。『猟犬』は、獲物を追い詰めても、獲物を捕らえることは決して許されない」
 ハラキリは兵士に顔を近づけた。その分、兵士が後ろに下がる。その表情は固まり、明らかに動揺を表していた。
「お陰でおひいさんの敷いたルールが確認できました。あなた方も大変ですね」
「私は何も聞いていない」
 兵士が硬直した顔をさらに引き絞る。その様子にハラキリはふと違和感を覚えた。まるでこれ以上開いてたまるかと渾身の力で閉じこもる貝のごとく、奥歯のさらに奥から歯を噛み締めている顔に。
「……もしや、他に目的でもありましたか?」
 兵士は何も答えない。
 少し兵士の鉄のような瞳を覗き込んだ後、ハラキリはため息をつくと、
「まあ、あなたにも家族がいるでしょうから、これ以上は聞きません。でも」
 と、突然、兵士の顎に拳を叩き込んだ。
「貴様!」
 一撃で兵士を気絶させたハラキリに殺気こもった怒声を浴びせたのは、周囲でこちらを取り巻いている兵士達だけであった。消火に従事する兵も、バイオスーツの者達も、こちらには何の反応も見せない。
 その様子にニトロも兵士達に明確な役割があることを知り、ハラキリの洞察に素直に感服した。
 だが、わざわざ猟犬を怒らせる彼のやり方には納得できなかった。
「ハラキリ、何やってるんだよ」
 今にも飛び掛ってきそうな兵士達にニトロは尻込んだ。ハラキリは少しも動じていない。それどころかニヤリと笑い、彼はニトロの後ろ襟を掴んで叫んだ。
「さあ、撃ってみなさい。撃てるものなら!」
「おい!」
 盾にされたニトロが悲鳴を上げ、ボディガードに非難を向ける。しかし、弾丸は飛んでこなかった。むしろ、兵士達が怯んでいる。その隙を縫って、ハラキリが韋駄天のトランクから取り出した強力なゴム弾銃で兵士達を無力化していった。
「攻めてこないとはいえ、後をつけられるのは鬱陶しいので眠っていて下さい」
 苦悶の声を上げ、あるいは気絶して地に累々と倒れる兵士達にハラキリは会釈した。そしてニトロから手を離し、そして蹴り飛ばされた。
「……なぜ?」
 ビックリまなこで訊くハラキリに、ニトロは半笑いを浮かべた。
「教えて欲しいか? じっくりと」
「遠慮しましょう」
 肩をすくめて飄々ひょうひょうと、その様にニトロはため息をついた。
「お前ねー」
「ところで、ニトロ君」
 一言言おうとしたところを遮られたニトロは、面食らって反射的にうなずいた。
「妙案があるんですけど……乗ります?」
「……妙案?」
 炎が生む熱風の中、二人は目を合わせた。ニトロの懐疑的な視線を受けるハラキリは、ただ笑みを浮かべていた。
 その表情に、ニトロはなぜか、ティディアと同じ匂いを感じた。
 だからだろうか、彼の話を詳しく聞いてみたいと心が動いたのは。
「一体……どんな?」
「折角相手が『遊んでいる』のですから、そこを利用しましょう」
「……成功する保証は?」
「君しだい」
「……」
「……さて?」
「…………」
 ニトロはハラキリを見つめたまま深く沈黙している。
 その姿から目を外して、ハラキリは車に腰掛けた。切られた素子壁バリアの隙間から紛れ込んだか、一匹のモスキートが火の粉の混じる風に頼りなく煽られて、ニトロの傍を飛び過ぎやがてハラキリへと流されていく。
 と、ハラキリが無造作に、近付いてきたモスキートを手の平の間で叩き潰した。
 その動きにニトロは息を飲んだ。
 彼は全く、蚊を叩くという意志も動作の備えも気取らせず、気がついたときにはもう手を振り上げて、理解した時には拍手を打って小さな羽虫を殺していた。
 ずっと見つめていたというのに……まるで映画で、次の場面が途中にあるコマを飛ばしながら現れたかのようだ。その鮮やかさは、難しい手品を苦もなく行う凄腕の手品師マジシャンを思わせる。
 手品師は種もなく消して見せた生命の抜け殻をぱっぱと払い落としながら、思い悩む観客へ微笑みかけた。しかし笑顔とは裏腹に、炎の光に照らされるその瞳には、未だ迷う顧客に覚悟を促す眼差しがある。
「さあ。るか、るか」
「………………」
 ニトロは深く息を吸い、答えた。

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