2.クレイジー・プリンセス

 全星系連星ユニオリスタ所属メト銀河系ダウ星系第4惑星アデムメデス。
 豊富とはいえないまでも十分な地下資源と肥沃な土壌と水域を有し、一つの王朝の元で約百億人が営んでいるくに。最近では連星ユニオリスタの中でも名を知られ始めた興隆の星だ。
 この星を治めるのは王だ。王権の力は強く、そのため昔は君民の間で紛争も絶えぬ時代があった。だが国民投票で王権の強弱が決定されるようになり、王の横に民の代表議会が置かれ互いの権力行使を監視するシステムとなってからは、太平の世が長く続いている。
 現在この星にある目下の問題は政治経済関連の事案と、とあるトラブルメーカーについての諸々の件であり、
「…………」
 そしてそれらは、ここ王都・ジスカルラを中心に湧き起こり、さらには焼け焦げたり鎮火したりしているわけだが……。
「…………なにゆえおれはここにいるのだろう?」
 そんな王都の何百何千と立ち並ぶ建造物の中、特別優美な外観にスミレ色のイルミネーションでめかしこんだホテルを目の前に、ニトロは兇相きょうそう滲む面持ちで佇んでいた。
 世捨て人の眼で、彼はそこを眺めている。100階建ての、宇宙に知れ渡る有名なホテルは、まるでこちらに覆い被さってくる大波のように、歪んで見えた。
 それはきっと、涙のせいなんかじゃない。
 ニトロは目頭をおさえて、自問した。
「何故だ?」
 鉄鋲てつびょうとアスファルトが喧嘩する音を立て、兵士が一人傍らにやってきた。周囲には、警官や完全武装の兵士から装甲車までが行き交っている。
「はーい、そこの酔っ払い。柵を登らないでね〜。撃つよぉ」
「いいっじゃんかよ! 入れろヨぉ! ここにゃ酒あんだろぉ!!」
「それ以上登ると本当に撃つよー」
「何? 誰がゴミだって? 私はゴミではなくハゲなのだ!」
「じゃあ撃ちます」
「やってみんかいチキンボーイ!?」
 ニトロの瞳に一閃の光が散った。
「ご、ごめんなさい。おぢさん帰ります。お仕事頑張って下さい」
「はい、気をつけてねー」
 逃げていく中年の頭を焦がしてモヒカンを描いた筆先がニトロの横にある。銃口の中にまだ僅かに赤い光を湛える発振器が覗いて見える。光を保持しているのは緋竜結晶サラマンドライトだ。緋竜結晶サラマンドライトは電気を与えられるとエネルギーを光線の形で吐き出す。もし今のようなレーザーが最大出力で放たれたならば、少年の胴体ぐらい焼き尽くすことなど造作もない。
「……何故だ? 何故俺は『ここにいられる』んでしょう?」
 ニトロの問いに兵士は応えることなく、ただ黙って目を潤ませた。熱の残るレーザーライフルを脇に構え、ニトロの肩に手を置いて首を振る。そして、敬礼をした。
「御武運を!」
 これ以上関わりたくないとばかりに全力疾走で兵士が去っていく。
 ニトロは細めた双眸から熱いものをこぼしながら、足を、重く果てしなく重い足を、ゆっくりと動かし始めた。
 もうすぐ約束……否、強制された時間だ。
「行かねばならぬか……我が死地へと」
 つぶやく。
 その時、その場に居合わせた者全てが、彼が背負う巨大な運命を感じ取り、最敬礼をもって彼を見送った。
 その光景は、まるで、傷ついた神の騎士が光り輝く楽園ヴァルハラに帰ろうとしている絵画のようであったという。これが後に『ホテル・ベラドンナ前の勇気』と語り継がれる伝説である。

 ホテル・ベラドンナ。
 宇宙に名高い五つ星。
 玄関では徹底的に教育されたドアマンが、ガーゴイルの意匠の下で回る、直径4mもある回転ドアに客をエスコートしてくれる。
 かんと動く入り口は、勿論防弾・防レーザー加工。完全に外の世界を遮断し、さながら内で待つエグゼクティヴの世界へと誘う揺りかごのようだ。
 さぁ、4秒間の移動を終えれば、あなたは赤絨毯の大地と金銀で彩られた装飾の森に出会うだろう。常に超一流のアーティストが極上の音楽を奏で、常に超一流のサーバントが極上のサービスを提供してくれる。
 ここではあなたが王なのだ。女王なのだ。自由奔放に、優雅な一時を送ろうではないか。
<観光ガイド・『王都ジスカルラるんるん』より>

 ……とは言ったものの。
 確かに目の前には、超高級の光景が、最高の芸術と共に花開いている。
 10階まで吹き抜ける天井から人工太陽光サンライトを注ぐ、ダイアモンドのシャンデリア。ちょっとしたグラウンドほどのロビーに、その全てを埋め尽くす一枚の赤絨毯。ラウンジで心休まる曲を奏でる高名なカルテット。そして一つ一つが100万リェンを超す調度品。
 だがニトロには余裕がなかった。
 誰もが息を飲むその光景に目を奪われる余裕も、感動する心の余裕も。
 彼は怯えた目で身をすくめ、周囲を過敏に警戒しながら回転ドアを抜けた。そして余裕なくロビーの状況を把握し、余裕ない足取りでとりあえず中央に鎮座する噴水に向かった。
 さながら警察から逃げる小物の犯罪者のようだ。人間、こうはなりたくないものである。
「……いきなり十字砲火は、なかったか……」
 ガラスでできた花をかたどりながら散る水よりも冷たく吹き出る汗を拭い、ニトロは安堵の息をついた。
 吹き抜けに臨む、階上のどこにも特殊部隊の気配はない。全くもって、ここは平和そのものだった。呼吸を整えて改めて周囲を見回せば、ロビーには穏やかな空気が流れ、ドレスアップした人々が行き交っている。そして人々はたいがい、ニトロに『なんだ? この場違い野郎』的な眼差しを向けていた。
「ん?」
 ふと、ニトロはそんな人々の中に見覚えのある人達を見止めて、首を傾げた。
 今目の前を薄羽の軽やかさで通りすぎた尖耳人エルフカインドの貴婦人は、セスカニアン星の王女ではなかったか。あちらで数人の女性の手を取り口説き落そうとしている六臂人アスラインの老人は、アドルル共和星の金融業界の大物ではなかったか。向こうで談笑しながらも頭上のウサギ目の耳を油断なく周囲に向けている獣人ビースターの父娘は、確かラミラス星の大富豪だ。で、こちらを侮蔑の目で見ているあの猿孫人ヒューマンのデブは、我が星の財務大臣であろう、いや間違いなく。
「ああ……なるほど」
 これで表の厳戒体制に合点がいった。
 今日、ここで。最近のニュースの中心、王家主催のモッシェル銀河系社交界の要人を招いたパーティーが開かれているのだ。
 通常、一般人であるニトロがここに入れるものではない。いや、もし一般人がホテルに入ろうとしようものなら、テロリストと判断されて即銃殺であろう。先ほどの中年の男性が射殺されなかったのは、寛容な処置だったといえる。
「あのクソ王女、えらい時にえらい所に招いてくれたな……」
 ニトロは唾を飲みこみ、兵士等と同じく自分のことを通知されているのであろうが、それでも不安なのであちこちに立っているダークスーツ姿のSPの癇に障らぬよう、極力平静をもって受付フロントに向かおうと足を踏み出した。
 すると、ふいに一人の女性と目が合った。
「……」
「……?」
「んま〜〜〜〜〜〜〜!」
「うわわわわ?」
 女性が、なにやら恍惚とした表情と媚び媚びの声を引き連れ、驚くべきスピードで駆け寄ってきた。その背後に、カメラを持った数人が続いてくる。
「これはこれは素敵なお召し物ですわ〜!」
(テレビクルー?)
 ニトロは女性の胸に輝く『報道』のライセンスを目にし、彼女等が何者かを理解した。
「とても個性的で、ええ個性的で。まるで庶民の服のようなデザインの中にも、そこはかとなく高級な趣で……」
 かなりオーバーなリアクションと共に早口でまくし立ててくる女性はインタビュアーだ。その内容からして
(大方、ワイドショーのファッション枠の取材か)
 そして、ニトロを『招待客』の一人だと勘違いしている。
「黒に統一されてとても落ち着いた雰囲気っ。さすがはっ、セレブの方ですわ〜」
「それは『セレブ』に騙されてるよ」
「は?」
「あ」
 思わずツッコンでしまったニトロは、慌てて体裁を取り繕った。
「いや……何ていうか、この服、全部近所の安くて評判のイリウオで買ったわけで、合計5000リェン足らずだし」
「は?」
「黒で統一ってのも逃げる時に黒の方が夜闇に紛れるだろってことで」
「あ?」
「そーいうわけで他あたって」
 あんぐりと大口を開けて目を丸くするインタビュアーに手を振って、ニトロはそそくさとその場を立ち去った。
 噴水の中にそびえたつ、大理石の大時計を見る。
「……危ね」
 時刻は、4時58分だった。
 危うく定められた時間を超越してしまうところだった。もし、そうなれば……。
「っおおぅ」
 ブルッときた肩を抱き、ニトロは受付に急いだ。

 ……人は覚悟をする。だがその覚悟が及ばぬ時、人は二つの選択を強いられる。
 祈るか、諦めるか、である。
<コポコ出版・『哲学者コロンモレリの言葉』より>

「お待ちしていました」
 受付フロントに着いたニトロに声をかけてきたのは、受付で満面の笑みを浮かべる美男美女達ではなく(人間の従業員が受け付けるのは一流の証だ)、何処からか現れた初老の男であった。
「……」
 ニトロは予想外に横手からきた歓迎に面食らって、目を一・二度しばたたいた。
 男は、ロマンスグレーの毛髪をオールバックに固め、清潔感溢れる糊の効いたシャツと燕尾服をまとっていた。丈は高めで、細身。背筋は定規でも背に貼り付けているかのように真っ直ぐである。今はこちらに頭を垂れているが、その礼の仕方、腰を折る角度ときたら分度器で正確に計ったかのようだ。
 見事なまでに、『執事』イメージを体現している。
「……なるほど、『じい』といったところですか」
「いえ、『犬』と呼ばれています」
「ブッ!」
 平然と、いや、平然と言われたからこそニトロは吹き出した。
「どうなされましたか? お体の具合でも?」
「いや、失敬。何でもないです」
 ニトロは深呼吸をし、気を取り直した。
「落ち着かれましたか?」
「ええ、まぁ」
「ではニトロ様、こちらへ」
 白布に包まれた手が優雅な軌跡を描いて、ニトロの目線をエレベーターホールへと促した。
「……〜〜」
 エレベーター。建築物等の上下移動の際に使用する、便利な装置。だが今は、虎穴。入ったところで虎子を得ることすらできない、虎穴。
 魂の奥底から嫌そうな顔をしているニトロを見て、執事は気を回した。
「実力行使を許可されていますが」
「……いや、自分の足で行きますよ。え〜と?」
 ニトロは困惑顔を執事に向けた。彼は軽く頭を垂れて、応えた。
わたくしめのことは、犬とお呼び下さい」
「なんだかそう呼ぶと人として大事なものを失ってしまいそーな気がするから困ってるわけなのです」
「あなたはわたくし殺す気なのですか?」
「うあ……」
 ニトロはめまいを覚えた。ここに来るために決めていた覚悟だけでは、覚悟の範囲が足りないらしい。それでも彼は、ふっきることのできない何かを無理矢理飲み込んだ。眉間の皺を指で叩き、ふらりと足を踏み出す。
「何でもいいや。案内して……」
「かしこまりました」
 一歩一歩正確な歩幅で先導する執事に続くニトロは、千鳥足であった。

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