2005年12月29日
言葉単語イメージ
言葉や単語のイメージには困らされることがあります。
もちろんこのイメージは個人差のあることなんだけど、時代によっては意味が変わるのはザラだし、場合によっては誤解を生じるおそれがある。
特にその言葉を使うことで世界観まで変わることがあるので、ものによっては「気にしすぎだわ」と思うほどに悩むことがあります。
例えば最近では
『(年期契約で)住み込み先の主人に仕え勤める仕事』
を一単語で表したかったんだけど、それで困った。
『(年季)奉公』
が一番適しているんだけど、どうにもこれからは「丁稚奉公」や「滅私奉公」を連想してしまう。
そうすると続けて「江戸時代」や「公務員」や「会社一筋」とかがつながってくるなーと。
だけど「江戸時代」の、この際時代はいいとしても、特定の時代のイメージを付けるのは避けたい。「公務員」だと公僕になるし、「会社一筋」もイメージが違う。
ここに読者のイメージを持っていきたくないから、もう一番意味が当てはまる『奉公』が使えなくなってしまって。
結局は『年季契約で、住み込み先の主人に仕え勤める仕事』をイメージできるような言い回しにするか造語を造るかしかなくなって、ここでは前者を選んだんですが……。
もちろん語彙が多ければ補えるでしょうが、足りなければなかなかそうもいかず。
やっぱ『文章』だとここが難し所の一つだなぁと再実感。
面白所でもあるんですけどねー。造語好きだし。
あとあれ。
話題になった言葉は強力な外部イメージがあるので使いづらいです。ビミョーに、ビミョーにね。
まぁ、その手の(特に流行語)は一時期過ぎれば普通に使えるようにもなりますけどね。
そういえば、日本語は「ひらがな」「カタカナ」「漢字」の語感や字面や漢字の組み合わせからの意味の示唆なんかがありますが、これを他言語に翻訳する時はどうしてるんでしょ。
『細ら』みたいに、日本語独特の擬音語に絡めていたりすると、完全同意語でもない限り翻訳はできない感じがするけど。
意訳とか、あらん限りの表現でカバーするのかな。
……大変な作業だわ。
うーん。普段当たり前に読んでいる違う言語の作品を楽しめるのは、本当にありがたいことなんだなー。
2005年12月03日
何げない、は難しいな
うーん。
何げなく取った構図が絶妙に難しくて、一つの絵に三日もかかってる……。
てか、まだ完成してないし納得いってないし。ようやく様になってきたけど。
その構図、特に変わった構図というわけでもなくマンガでもよく見るようなものなんですが、「並んで歩いてる」「会話している」「上半身若干ひねってる&そのため片腕が体の裏に隠れる&さらに後頭部が少し見えるくらいの横顔」等の要素が絡んで今の自分には物凄く難しい。
下書きにアタリをとっては消し、どの線を選べばいいのか悩んで「これだ!」と思った通りに書いてみたらビックリするくらい「なんだこれは!」
くっそー。
ま、こうやって経験積んでいくしかないですやね。
2005年11月12日
見てるのに見てなかった
絵の練習中、なーんの疑問もなく和服、特に着物と道着型のものの襟の色を、全体の生地と違う色で塗ってることにふと気づいた。
( Д ) ゜ ゜ ポーン
……おや?
なんでこうなったん?
普段確認で着物や道着を観ているときは襟の色柄が生地と同じと認識していたのに、なんで絵に描くと色を分けてたん?
サイトキャラのガリの襟もそうしているし。
てか、絵にした時は襟の色を変えたほうが個人的にしっくりきてたし。
手癖?
どっかで記憶が入れ替わった?
お告げ?
……うーん?
まぁ、いいや。
この際これまではそういうデザインの創作着物ってことにして、これからは直してこ。
それにしても和服は書いててなんか楽しい。
追記(11/13 22:58)
ああ、そっか。
ハッピや半纏とごっちゃになったのか。
さらに追記
半纏って綿入りの暖かいのを考えてたんですが、そうとは限らないんですね。Googleのイメージ検索してみたら、ハッピ(法被)とほぼ同じ形のものがたくさん出てきました(→結果)。
で、綿入り半纏は『どてら(辞書・イメージ結果)』や『掻巻(かいまき・辞書)』や『丹前(たんぜん・辞書)』とも言うようで。
さらに地方によっても呼び名が違うようで。
僕は『半纏・別名どてら』と思ってたよ……。
まぁ半纏でも通じると思いますけどねー。
いちお個人的なメモとして。
2005年10月30日
線は難しい
しっばらく絵の練習をサボっていたら、おっどろくほど描き方忘れてた。
継続、大事。
リハビリがてら色んな顔を書いていて実感したのは、線の運びで絵は本当に変わる。
タッチがどうとか、色んなところで目にはしていた言葉の意味が、自分の手先で確認できたのは面白かったなー。
雑にがつがつ、この際バランス崩れるのも覚悟で線を引いてみたら意図を超えて力強い絵ができて、こういうことかと実感しました。
とりあえず今は丁寧に書いて練習を積みながら、崩した絵もかけるようにしておきたいな。
目的によって、使い分けたいし。
それにしても線は難しい。
今はシャーペンとか鉛筆でしか描いてないのですが、わずかに線の位置が変わるだけで、たった一本の影の線の有無で、あるいは線の太さ濃さで、絵の印象ががらりと変わる。
その視覚の変化には毎度驚かされてます。
で、その線を意図通りにコントロールをしようとして苦闘するばかり。
下書き部分を消したり、修正をしたりしているときに元々あった雰囲気が崩れちゃうこともあって、その雰囲気を取り戻そうとして足掻いた挙句取り返しがつかなくなったり。
そうなると別の雰囲気を持たせようとシフトすると、今度は全体のバランスが崩れて慌てふためいて。
納得できるまで修正していたら、消しゴムのかけ過ぎで紙が痛んで焦って。
まだ一つのイラスト描き終えるのに平気で一時間単位の時間がかかるので(場合によっちゃ数日かけて)、なんとか修正した時には青息吐息。
腕が上がればここらへんも意図通りにペンを進められるのかもしれないけど、今はまだ繊細な部分でペン先プルプル。
いずれ色塗りの練習に入ったら、そこでまた難しさにブチ当たるんだろうなぁ。
それはそれで楽しみだけど。
まだ自分の絵柄というものが見えないので、写実的・漫画的・アニメ的(全部僕の主観)とひたすら色んなカテゴリーの絵を描いていますが、最近それでもなんとなく方向だけは浮かんできたので嬉しい。
最終的にどこへ着地するのかも、我ながら楽しみだなー。
……そこまでの過程をコンテンツにするのもありかもしれないな。
人に見せるとなれば見せないよりも緊張感は上だし。手抜きもできないし。
スキャナがないから、やるにしてもまぁ先の話だけど。
ちなみに絵の練習のために使っている参考書はこれ。
お世話になってます。
2005年08月27日
酒由来
Wikipediaで酒に関する項目を眺めていたら、これがなかなか面白い。
それぞれの酒についての知識もさることながら、中には酒が由来になっている、なるほどとうなずく言葉や意外な言葉が。
「18世紀になるとラムはイギリス海軍の支給品となった。しかしラムは強い酒だったため、エドワード・バーノンという提督は水割りラムを支給することにした。部下たちはこの薄いラムのことを、グログラムという生地でできたコートを着ていた提督のあだ名からグロッグと呼ぶようになった。現在でも水割りラムはグロッグと呼ばれ、泥酔することはグロッギーという。日本で使われるグロッキーという言葉は、このグロッギーがなまったものである。」(Wikipedia ラム酒の項目より)
これはなるほどとうなずいたんだけど、意外だったのが「ハネムーン」。
これには蜂蜜酒が由来の中に。
「古代から中世のヨーロッパにおいて、新婚直後の新婦は住居から外出せずに1ヶ月間、蜂蜜酒を作り、新郎に飲ませて子作りに励んだ。これは蜂蜜に強壮作用があるとされたことと、ハチの多産にあやかるためではないかとされる。ここから「蜂蜜の一ヶ月」=「蜜月」(ハニームーン)という言葉が生まれた。」(Wikipedia 蜂蜜酒の項目より)
なるほど~と、感心しきりです。
しかしこれだけ酒の情報を集めていると、酒の歴史は人の歴史に寄り添っているなー、と、ちょっとしみじみ。
これは僕が酒が好きだから言うわけではなく、事実、酒は人類の営みの中で重要なアイテムだから。良きにしろ悪しきにしろ。
2005年08月18日
方法という道具
毎日閲覧しているblogの中に漫画家さんのものがありまして。で、その方が大学や専門学校で漫画のことを教えていらっしゃる。
これまでは『大学や専門学校で漫画・アニメを教える』というニュースや話やCMを見るたんびに、そこで学んだからとて本当に良いものが作れるのかな? と、学習内容が見えないこともあって懐疑的な印象を持ち続けていたんですが、その漫画家さんのblogを見ていて考えが変化しました。
あんまり手取り足取り教えます的なキャッチを耳にしていたもので、誤解を持っていました。
どこまでも方法論なんですね、こういうところで学べるものは。もちろん良い意味で。学問としての手法と言ってもいいか。発想や表現の仕方とか、表現をするに当たって重要なものとか。
その方法論は『基礎』ですから、作品のフォーマットにするには最適で、さらに言えば不可欠なもの。
これまでは自力で、もしくは同好の士の集まりの中で、他者の作品を分析したり研究したりするしかなかった分野だった漫画やアニメーションが、今は人に学校という環境でその基礎(と、発想方法)までは引き上げてもらえるようにまでなったと。
これまでは文学(小説)と実写映像のように『学門』という所まで方法論が発展した……こういうと語弊もありそうですが……ということでしょう。
ん? 漫画の芸術分野の学問の中での位置づけはどうなっているのかは知らないのですが、どうなっているんだろう。
あと海外も。
まぁ、いくら方法論を知っていても、その上にアイデアやストーリーを乗せるのは作者の力量しだいですけどね。そこまで先駆者に寄越せと言うのは自堕落だし、そうなると業界的な発展もないでしょう。
とかく、このような教育環境がない場合はひたすら作品を東奔西走して集めて鑑賞しまくるなり、何人かの偉大な先駆者の作品をじっくり比較分析して掴まなきゃいけなかった『基礎』を与えてもらえるということは、作品を作るうえである意味近道だろうし、何より「『基礎』を発見するための時間」がかかるはずだった時間で、他に必要な情報を補っていくことが可能になったということでしょう。
これはかなり有利なことだと思います。
成熟した業界では方法論が確立しているから、それをうまく使えば若い時分からよりローリスクで活躍することも可能ですから。
でも、これが落とし穴にもなってるとは思うんですけどね。
方法だけはしっかりしているけど、それ以外の学習を怠りがちになるというか、時間に余裕があるため貪欲さが薄れるというか。
方法論を学んだからそこでOKみたいな。
そこからさらに色んなものを自分の中で咀嚼して身に取り入れて発展させることが肝要なんですが、まぁでも、これが難しいんですけどね。
一緒に同じ指向のものを学ぶ人が多くいれば、その場所はとても居心地が良くてそこにずっと留まっていたくもなりそうだし。
方法を得たことで安心すると、どうしても地ならしが済むより早く次へ次へと思ってしまうし、自分の能力を過大評価するきらいも往々にしてありますから。
ええ。ええ、自戒と悔恨を込めて。
特にこれだけ『創作』という職業に従事する、また従事したいと思う人数が多くなると、そこでオリジナリティというものを発揮するためには、その世界にいながらそこの仲間とは違う感性も必要にもなる。
自分が安堵できる環境にいるとそれを求めるには結構な意志も必要でしょう。
自分が苦手な、あるいは嫌いな、それとも全く興味のない分野にも食指を動かして様々なものを吸収して噛み砕いてものにしていかなきゃならないこともあるでしょうから。
んで、自分の『作品』を生み出さないといけない。
その上で、プロになれるかどうかはまた別の大変さがあったりして。
大変だ。
2005年07月22日
誤字脱字凡ミス
ワードやテキストエディタで書いている時には気がつかないのに、サイトにアップしてから気がつく誤字脱字や文章表現の不備が結構あります。
いっくら事前に、少なくとも数回以上、ガリの書斎のテキストコンテンツにいたっては十数回数十回単位でチェックをしても、なぜか見落としてしまう。
なんでだろう。
見る媒体が変わるからかなぁ。
ワードやテキストエディタは原稿で、サイトは出力後の印刷物みたいな感覚を意識のどこかに持っているんだろうか。
だから出した後はいい感じで客観的に見られる、と。
結構、紙に印刷すると誤字脱字表現不備ってあっさり気づくこと多いしなぁ。
それとも「自分が書いた」から、その記憶が邪魔をするんかな。
「こう書いた」と脳味噌が先読みするからそのまま直す箇所を素通りして読んじゃう、と。
いい感じで細部を忘れた頃に読み返すと、あっさり気がつくしなぁ。
あ、昔に描いたものの場合、文章力が上がってれば直したくなる箇所はボロボロ見つかることは多いな。
趣向が変わって表現法も変わるし。句読点の位置とか、使う単語とか。
……全部絡んでるのかな。
うーん。
これも訓練が必要かも。
2005年06月16日
アフィリエイト(序文)
折角自分のHPを持っていて、blogもMTダウンロードしてきて自前で設置しているし、ウェブサイト運営の勉強としてもやっぱ欠かせないよなぁと思い続けている『アフィリエイト』。
それなりに情報が固まってきたのでそろそろ始めてみようかと思います。
ただ、あんまりべたべた広告を貼って、サイトの表示時間を遅くするようなことはしたくないので、適所にちょこちょこと。
とりあえずと考えているのは『バリューコマース』『Amazonアソシエイト』『楽天アフィリエイト』の三つ。
自分の使い方にあったシステムを提供しているところでやろうと思っているので、もう少し詳しく調べてから。
『Google AdSense』も考えていましたが、今のところ除外。
最大の理由は、信頼できる情報をくれるblog二箇所(そのうち一つはWebのプロ)でトラブル起こしていたことですけどね。
それに、サイトにあった広告を出してくれるシステムとかはとても魅力的だけど、広告先を自分でクリックしてリンク確認できない契約も僕にとって一番のネック。
責任持ちたいからね、自分のサイトには。
信頼できる企業からの広告提供でも、実際にリンク先に飛んで確認できないのは歯がゆいですんで。
リンクする時の記述ミスでデッドリンク起こしてる可能性もあるんだし。
そんな感じでーす。
※アフィリエイト
成果報酬型の広告。アフィリエイト・プログラム。
簡単に言ってしまえば、そのサービスに参加している企業の
「広告をうちのサイトに載せるから、うちのサイト経由で商品売れたらお小遣い頂戴」
というシステム。
利用者側にとってはちょっとしたお小遣い稼ぎになる(場合がある。現実はかなり厳しい)。
また、他にも著作権の関係で使えない画像を使うこともできる。一番よく見るのは本やCDのパッケージの画像つきで紹介するリンク。
広告主側には、消費者が勝手に情報広めてくれる利点がある。
口コミ感覚もあるので、特に支持のあるサイトで紹介されると評価が上がったり売れたりすることも。
2005年06月02日
xxx
CNN.co.jpのビジネス欄を見ていたら、
「アダルト・サイト専用ドメイン「.xxx」を認定 ICANN」(CNN.co.jp)
「ワシントン──インターネット・ドメインの管理調整を行う米非営利団体のICANNが6月1日、アダルト・サイト専用のトップレベルドメイン(TLD)「.xxx」を認可した。ICANNは今後、このドメインを申請したICMレジストリー社と使用料などについて協議し、年内にも利用可能になるとしている。」(同上)
だそうで。
「.xxx」っていうトップレベルドメインをフィクション作品の中で使っていたら、今後はアダルトサイトになっちゃうんですね、現実では。
はっはっはっ。
……使ってました orz
わお~ぃ。
イメージが違うので、泣く泣く変更。
まさか本当に出てくるとは思わなんだ。
手直し中だったから良かったけどさっ。
2005年06月01日
セリフと方言
今日の『トリビアの泉』で紹介されていた、
「劇団四季の『ライオンキング』のセリフには、東京・名古屋・大阪・福岡の方言バージョンがある」(こんな感じ)
ってのは面白かったなー。
同じ内容でも、言葉が違うと受ける印象は全く変わる。
本当にビックリして感心して。
大阪バージョンではどうしても漫才や新喜劇を思ってしまうけど、それぞれに味があってとても興味深かった。
やはり言葉と言うものも奥が深い。
演劇のみならず、言葉を用いる作品では重要な要素なんだなー、と改めて思い知らされてもみたり。
それにしても、言葉によって演技を変える役者さんの技量にほとほと感嘆。
あー、録画しておきゃよかった。
2005年05月19日
ポペティ
NHK教育テレビで放送されている、オランダ発のパペットアニメーション(でいいのかな?)。
大相撲の裏でやっていて知ったのですが、衝撃を受けました。
なんだこのリアルさ。
一体の人形を四つの手(二人?)が動かしているんですが、その動きがまさに人間そのもの。
今日の回は「海の中」を泳ぐ人間(ポペティ)がテーマだったんですが、それが一体どうやってんだってくらい人間そのもの。
この作品を作るために、演者は一体どれくらい練習したのか。
人形を動かしているのは一人以上ですからね、息の合わせ方や力の加減だって繊細以上に繊細な技術を要するでしょう。
しかもあれだけ人間のモーションを再現するには。
人形を操る四つの手がずっと映像の中にあるというのに、それが気にならない。いやそれがなくてはこの作品は成り立たないのかもしれません。
観察眼が鋭くて、ひたすら人間の動きを研究したんだろーなー。
門外漢ながら、アニメーションを作りたいと思うのであれば必見の一作だと思います。
あー、VHS/DVDは出てない模様。
勿体無い……。
2005年05月02日
蕎麦の食い方
誰のものだったか、
「蕎麦はかまずに飲んで喉越しを楽しむもの」
という言葉を聞いたことがありまして。
それを最近、同じことを言って蕎麦を食べる人物が描かれている本を読んで、ふと思い出しました。
試してみました。
蕎麦の味薄く、飲み込むの結構大変。
香りは感じますし、多少の味もしますが、あっという間に胃に落ちていくので味わっている暇がありません。
つゆをつけすぎると、蕎麦の味がする前にさようなら。
なるほど、つゆは1/3くらいまでしかつけないのはこういう理由か?
しかも噛まないから満腹感が感じられない上に、そのくせ腹はふくれるというおかしな感じが奇妙。
食べ終わって、
「そういやあ、この食い方を『文章表現として選んだんじゃないですかねぇ』と言って『やはり噛まないと味しないですもん』と笑っていた名蕎麦屋の店長のインタビューを見たことあったなー」
なんて思いだしたり。
江戸時代の人が時間を惜しんでこう食べていたと聞いたこともあるような気がしますが、やっぱちゃんと噛んで食べたほうが味わうにはよござんす。
粋な食い方がこうだというなら、僕は野暮でもいいや。
でも喉越しは当然すごかったので、ちょっと癖になりそう。
あと、噛まずに飲むって微妙に勇気が必要かも。
2005年04月30日
見てもらう勇気
最近ではイラストと音楽。
古くは字の書き取り。
新しいことを学んでいて思ったのは、何事に対してもそうだと思うんだけど、人に見てもらう(聴いてもらう)ことの大切さ。
学んでいるとき他人の目を求めないと、一人で満足しちゃいがちなんです。特に自分では気づいていない欠点を、指摘されないといつまでも引きずることになる。
それだといつまでも自分の中のレベルだけで納まっちゃうから、よほど貪欲でもなければ成長の天井がそのうち落ちてきて頭打ち。
それに、他人の目に触れるということは他の効果もあって、学ぶことに対して緊張感が生まれます。
他人の目に触れるのだから、そう手を抜いたものはできない。
その緊張感は、やはり必要だと思います。
思い出したのは昔習っていた空手。
その『型』の練習のとき、先生に「もっと背を真っ直ぐにしろ」と何度も注意された。
自分では背を真っ直ぐに姿勢を整えているつもりだったんだけど、「この位置が真っ直ぐの位置だよ」と手ずから直してもらったら、それが自分では信じられないほど前傾姿勢。
え?本当にこれで真っ直ぐ?
と、にわかには信じられず、鏡を見てみたら確かに姿勢は整い格好もよくなっている。
自分の感覚がまったく正しくないというその体験は、衝撃だったけど、やはり完全な客観っていうのは必要なんだなと。
未熟なものを人に見てもらうのは恥ずかしいし、勇気のいることだと思いますけどね。
自戒も込めて。
2005年04月17日
白い鉛筆
ネリケシ。
特になくてもよさそうなもの。
異様に伸びる。
小学校の頃、手に入れた奴が一瞬注目されていた(気がする)。
その程度にしか頭になかった練り消しゴム。
最近、使い方を知ってビックリ。
立ち読みしたデッサンの基礎本で『練り消しゴムは白い鉛筆と考えてください』とあって目から鱗でした。
なるほど!
確かに形は変幻自在。
細く伸ばして細かい箇所を消すこともできるし、黒く塗ったところに「白い線を書く」こともできる。
で、使ってみてまた目から鱗ですよ。
いーやー、ネリケシって役立つわー。
これまで細かいところはシャーペン型の消しゴムを使っていたんだけど、それより細かいところはこちらが断然便利。
それと黒鉛部分を「吸い取るように」使うのが正しいらしく、そうするとぼかしも入れやすくてなるほどなるほどと感心しきり。
むやみにネリネリしてるのも、童心がくすぐられて楽しかったり。
2005年04月12日
えんぴつ
絵の練習をしているときに、はじめはシャーペンだけを使っていたんだけど、次第にそれだけでは難しくなってきた。
そこでやはり基本に戻ろうと鉛筆を求めたんだけど、ふと思い出せば美術の授業で用意させられたのは『4B』の鉛筆だった。
『芯が柔らかいものを』ってことで言われたんだけど、今になって、この数字の詳しい意味を知らないなぁと色々調べてみた。
一口に鉛筆といっても色々おもれーなー。
とりあえず芯の硬度は、B・HB・F・Hの順で固くなっていき、数字が大きいほど柔らかく固いらしい(参考)。
用途上できるだけやらかいのが欲しかったので、最大値を調べてみたら8Bってのが一番柔らかかったけど、店頭に並んでいたのでは4Bが最柔だったので、結局それで。いやこれで十分でしたけどね。
それにしても、センター試験が『全国一斉ぬりえ大会』ってのは言いえて妙ですねぃ。
でも別名って、あまり聞き覚えが……モゴモゴ。
2005年04月04日
基礎ほど高いものはない
作曲、というより「音を組んでいる」といった感じですが。
『Music Studio Producer』を導入してから音作りに熱中中。
繰り返し聴いて流れを確認する作業とかあるので、結構時間食いますねぇ。効率も悪いので、気がついたら一時間とかはざらで、寝不足も。
最近、とりあえず作曲するに当たって何が足りないのか明確になったので、それを多少は勉強しないといけないなーと思い始めてます。
特にあれね、編曲のルールとかね。コード進行とか、和音の構成とか。
ちょっと前に『題名のない音楽会21』で即興作曲をやっていたのを見たんですが、なんか司会者とミュージシャンの会話に出てくるキーワードが「???」の連続。
ちょいとギターに触れたことがあるので、コードのメジャー・マイナーの違いくらいは解りますが、ハ長調とかロ長調がどうのと言われたら撃沈。
いや長調の方は音楽の授業で習った覚えがあるので、むしろこっちを解れ僕という感じもしますが。
あー。
もっと真面目に受けときゃよかった音楽の授業の理論分野。
イラストの練習の時は美術を勉強しておきゃよかったと思いましたが、意表をついたところで後悔くるなぁ、義務教育芸術系。
なんにしろ、イラストも音楽も、どういった部分が足りないのか分かってきました。
それは大概根っこの部分。基礎色々。
うわお~。
一から基礎を学びなおそうとしたら高い受講料が必要になるので、自力でなんとかする手を考えるのも勉強の一つかなと、それらを補うために、ところどころ学び舎で先生が言っていたことを思い出したりしつつ、参考書とか読んだり、これまでとは違う視点で先達の名作を見てみたり。
あとは、ひたすら試作習作、腕を磨くのみ。
でも楽し。
2005年03月30日
創作の境界
まぁ、何からも影響を受けずにいる人間はいませんわな、というのが前提のお話。
サイトや作品を作っているとき、ふと思うことがあります。
「あれ?これってなんかに似てないか?」
と。
そういう時、今まで見てきたあらゆる物の中から「似ていると思う対象」を思い出せずに終わることが多いし、またそもそも本当に似ているのではなく「自分が見聞きしてきたものが曖昧な記憶の中でごっちゃになって出来上がったものに『似て』いる」場合もあります。
後者の場合は「自分が想像したものに出来上がった創作物が『似ている』」と感じる妙な状態ですけど。
これは、こと表現というものにおいては、「表現」は無限であっても「表現方法」というものが限られていることに一つ起因していると思います。
デザインは形が無限にあるわけではなく、
構図は視点が無限にあるわけもなく、
配色は色の組み合わせが無限にあるわけではなく、
曲は音の組み合わせが無限にあるわけではなく、
文章は表現に使う単語が特定されることが多く、
物語だって共通の流れがあるのは必然にも近い。
色んなものが発展して、創作に必要な環境も手に入れやすくなった今、本当に数え切れない人間が色んなものを作っている。
その中には似ているものがあっても当然でしょう。
だって、組み合わせが有限なんですもの。
それに記憶の中で、無意識化した……とでもいうのかな、自分のもの(あるいは感性や感覚など自分を形成する基礎)となった情報が、その人の中で一つの形となって出てきたとき、そこに『模倣』はあっても『盗作』や『パクリ』があるかといえば、そうとは言えないと僕は考えています。
こんなことを思ったキッカケの一つは、以前、芸能人・歌手の間で盗作騒動や疑惑が頻繁に起きた時、なんかのニュースで著作権に絡んで弁護士の『知っている作品と同じ言葉や文章表現を使ったら盗作』みたいなコメントを読んだこと。
例えば、『自分が表現しようと思った感覚を言葉として最適に表現してみて、読み返してみてふと気づいたらそれは「知っている作品に出てくる言葉と同じだった」場合』もそうなのか?と、思いまして。
このコメントはむしろ著作を守るどころか、創作を縛り付けて衰退させるような気がしたんです。
それならそれ以上の表現を考えればいいという考えもあるでしょうが、それでも「表現は無限でも、表現方法は有限」であることが多い。
だから、例えば全体を見ずに一部だけを見て「ここは何に似ている」というだけで責めるのは少々違うのではなかろうかと。
もちろん、だからといって「表現や作品そのまんま使用」を許そうってわけではないです。そんなことしたら作成者が飯のくいっぱぐれですし。そうなったら、好きな作家の作品が手に入らなくなるし。それは断固拒否。ふざけんな。
なので『意図的な盗用』、『「模倣」「オマージュ」「パロディ」の意志のない転用』などは責められてしかるべきだと思いますよ。
ただ、創作活動で真似をするのは勉強の一手段でもありますから、こと「盗作」で一番問題なのは、あたかもそれを「自分の作品として」さらに「楽しもう・人に楽しんでもらおう」という高いエンターテインメント性もなく(つまり自分の作品ということや芸術性を押し出して)「金銭を得ること(だけ)を目的としている」ことなんじゃないのかなと思います。
……まあこの境界が、真なるところが本人以外には解しがたいのが難しいところなんでしょうけど。
まぁなんにしろ、誰もがなしえていない表現方法はごく稀に生まれてくるケースが多くて、それですら何かしらの影響や模倣の先にあるのでしょう。
だからその「ごく稀」のケースが「その表現方法の世界の革命」や「異端児」になるんでしょうから。
個人的には『前衛』というジャンルはよく分からないのですが、それがこういう部分に対して表現の壁を破ろうと挑んでいるジャンルなのかな?
……なーんて今思ったところで、考察仕舞い。
それにしても、最近冒頭の
「あれ?これってなんかに似てないか?」
て状態が顕著ですわ。
作曲できる音楽ソフトを導入して、ソフトへの理解深めがてら曲を作ってみてるんですが、まだシンプルな旋律しか組めない分、どうもすでに聴いたことのある曲のような気がしてならない。
一つ一つ音を拾って作り上げたものが何かの曲に似ているような気がするだけでなく、
何度も聴いているうちに「あれ?やっぱり何かに似てる?」と思い悩むものの、
結局それがその何かに本当に似ているのかと確認できることもなく、
でも似ているような気がして、
しかしその何かを意識せずに鼻歌で出したものが似ているってのもどういうことよ?
なんてループループ。
多分、特に造詣深くない分野に挑戦してるから余計に。
あったまこんがらがってきますなー(笑
2005年03月14日
左向きがち
絵心育成過程中気づいたこと知ったことメモ その2
人物画を何枚か書いているうちに、無意識的にか自然にか、人物の顔が「正面から左向き」になりやすいことに気づいた。
今は明確な意図を持たせたポーズを考えず、とりあえず思いついたポーズをひたすら描きながら「描く感覚」を掴むことを目的としていたんだけど、それだからこそ顔の向きが偏っていることに驚いた。
自分のクセみたいなものか。それとも何かの影響を受けているのか。
ちょっと考えてみて、思い当たったのは「利き腕」と「漫画」。
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「利き腕」については、むしろ腕の構造の問題かな?
僕は右手でペンを使うので、自由に線を書こうと思ったらどうしても右から左に動かしたほうがやりやすい。
これは肘と手首の可動域(関節の動く範囲)が外転より内転方向に大きく動くからってのも一つの要因だと思う。
つまり、腕を外側に捻るのは大変だけど、内側に捻るのは楽なのだ。
右手でペンを持って腕を内転させるとペン先の軌道は「右→左」となるので、これは「右から左に動かしたほうがやりやすい」ことと無関係ではないだろう。
だから、何も考えずにいたら自然と腕を動かしやすい方向に線を描きやすいんじゃないだろうか。
特に顔の向きには鼻の向きが大きくて、その鼻の曲線が利き腕の都合上「右→左」に動かしたほうが思うように描きやすいから、自ずと顔の向きが「正面から左向き」になったんじゃないのかな、と。
「正面」はペンを持った手を向こう側から手前に動かすため、外転も内転もなく描くこともできるから、あまり可動域は関係してこないように感じる。
ペンや筆の持ち方によっては腕の可動域の影響を受けにくくすることができるんだろうけど、あいにく僕はそれを知らないからなぁ。
立ち読みしたデッサンの入門書に載ってた鉛筆の持ち方を試してみたけど、机だとどうにもやりにくくて断念したし。
うーん、もっと調べてみるか。
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さて、「利き腕」が体の構造的な理由だとすると、「漫画」というのは感覚的な理由だ。
なんだろう。個人的な感覚ではあるのだが、描いているとき、顔や体が左向きの方が不思議としっくりくるし、妙に自然に感じられるのだ。
絵の中の人物に動きをつけたときも、進行方向としても左向きの方が進んでいる感じを強く受ける。
「利き腕」の理由で左向きに描きやすいから、そのためそう感じられるのだろうか。
でも待てよ。そういえば絵の関係でよく見るもので、左向きのものがあった。
「漫画」だ。
日本の漫画は右のページから左のページに進むようにできている。
これは縦書きの日本語の文章が左から右に進んで読むようにできているからなんだろうけど、この進行のルールは漫画の表現方法に一定のルールというか、規則とか制約とか定石のようなものを与えているだろう。
まず、漫画で勢いよくキャラクターが走っていく描写は、右から左に向けてキャラクターを動かしたほうが自然だと思う。
なぜなら、ページ進行の都合上、読者の目は右から左に動くからだ。
そのため、逆にキャラクターを右から左に向けて動かすと、左から動いてきた読者の目を一度止めて、また元来た方向に戻すことになる。特に走るシーンにセリフがあったりすると、文章を読むために必ず目は左から右に動く。しかしキャラクターの動きは右から左に向くため、結果として「勢いよく走りゆくキャラクター」から「勢い」を削いでしまうのではないか。
また、これと同じ理由で左から右にキャラクターを動かすと「進んでいる」感が強いのに対し、右から左に動かすとキャラクターが「向かってきている」感じが強くなると思う。
もちろん、コマ割りでこれがあまり関係しない場合もあるし、これを逆手に取った表現方法もあるだろう。
読んだことないけど、アメコミのように右から左にページが進行する場合は、ここらへんの法則とか感覚はまったく逆になっているんじゃないかな?
さらに、この『「進んでいる」・「向かっている」感覚』には、ページの作りにより目の進行方向だけではなく、物語(時間)も左に続いていることも上げられるように思う。
空間的な視点として各コマは独立していることが多いように見受けるが、物語(時間)は必ず左に流れている。これが、「進行方向は左向き」という感覚をより強めて、『「進んでいる」・「向かっている」感覚』を補強しているのではないだろうか。
そのため、キャラクターの多くは必然的に左(正面から左側)に向かう。そうすることで、目(物理)と物語の流れ(思考・心理)を左へと進ませる読者とキャラクターの感覚を、より同調させることも可能にしているのではないだろうか。
もちろんこれは「必ず」ではなく、「概ね」だ。だが「概ね」左を向きやすい以上、漫画の中で目にするキャラクター達は概ね左を向いていることが多くなる。
だから目が左(正面から左)向きの人物に慣れている。
目が慣れているから、描いているときにしっくりくる。
しっくりくるから、そう描いちゃってしまうのだ。
……ちと修正しないと人物画のポーズや描く感覚が偏っちゃうな。気をつけよう。
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これらがどこまで正しいかどうかは分からないけれど。
以上、考えをまとめるついでに。憶測論述。参考文献近くにあった漫画数冊。
2005年03月01日
ポニーテール or アップ
そういや以前、『踊るさんま御殿』で数人の女性タレントが『ポニーテールと言うのは古い、今はアップと言う』と言っていたのを聞いて、スタジオ内の男性陣(特に司会者のさんま)同様に驚いたのを覚えているんですが。
一口に『アップ』と言ってもそのスタイルは千差万別、ものすげーアレンジの量があります(参考例)。
『ポニーテール』は、特に漫画やアニメ、ライトノベルの女性キャラには頻繁に使われている髪型ですし、いつだったかTVで流れた『男性に人気の髪型』の中でも、かなり上位だった覚えもあります。
もしこの髪型が死語となったら、いや死語だったらまだいいですが、これが通じなくなったら文章で説明するのは少し面倒かもしれませんねぇ。
それにしても、ポニーテールに限ったことじゃないですが、流行り廃り、移り変わりの激しいファッション系の単語の扱いは大変です。
とりあえず『ポニーテール』は基本的な髪型のようですし(アップスタイルにするとき、これが基本になるようなので)、例え女性に通じなくなっても男衆には通じ続ける気もしますけどね。
……ま、通じなくなったらなったでその時か。
もう一つ参考、こことか髪型例豊富です。
で、ここで「ポニーテール」でサイト内検索かけて出てきたのだと、こことかこことか。
2005年02月18日
始めて発見
やりたいことの一つを実現するにはそれなりの画力が必要、ってことで絵心の育成をはじめたんですが、新しく事を始めると新しい発見がありますね。
ヌードデッサンが重要な理由がようやく分かった……
人間を形取ることはできても何か変だぞ?という絵しかかけないので、なんでだろうと体を構造別に分けて見てみたらこれが実にアンバランス。
パッと見では服でごまかせても、ちゃんと見ればやっぱ変。
いや、デッサンは重要なんだろうなーと外様ながら思っていましたが、別にヌードじゃなくてもいんでね?なんて外様ゆえに思っていたんですが、そういうわけにはいかんのね。ちゃんとした人体構造を絵にするには。
あと、格闘技経験(+格闘技・プロレス視聴)が人物画を描くことを手伝ってくれるのも面白い。
格闘技には人体構造への理解も重要なので、それが役立ってくれてるんです。
でも女性を描こうとしてもなぜか逞しくなりがちなので不思議に思っていたら、頭に叩き込まれてる人体構造(特に筋肉のつき方)が男性、それもマッチョな方々のものだからでした。
うわーお。
イラストレーターさんのWebサイトあたりを巡ってると「線」についての話題をちらほら見るんですが、例えば『線の取り方』とか『強引な線』とか、なんのこっちゃろうと思っていたものが何のことかぼんやり分かってきたのも収穫かな。
ま、お披露目できるまでにはまだまだ月日が必要ですけどねー。
2005年02月15日
Pingポータルサイト
「Ping送信」っていうシステムで、記事エントリー時に自動的にblogの宣伝をできるってんで、そのポータルサイトを数箇所巡って思ったこと。
まず、『Pingポータルサイト』がどこにあるのか知りませんわな、僕。
blogを提供しているところに情報があるだろうと『DOBLOG』にいったら『ココログ、bulkfeeds、MyBlogjapan、blogpeople等』と紹介されてました。
『ココログ』はあたりをつけていたけど、他のところは知らなんだ。『MyBlogjapan』は行ってみて「ああ、ここか」って気づいたけど。
『bulkfeeds』と『blogpeople』は初見。
で。
全部詳しく見るのは面倒なんで、ココログ・bulkfeeds・MyBlogjapanの前から三つを見てみると…。
リンク先のblogの一番詳しい情報が出るのは『bulkfeeds』、次いで『MyBlogjapan』、最後に『ココログ』ですね。
『bulkfeeds』はリンク先のblogのURLや基本情報に簡略なエントリー一覧など、ここを見るだけでリンク先の概要を掴むことができます。blog用語や英語も多用されている分、一見しただけではライトユーザーより以上のユーザー向けみたいな印象を受けるかな。
『MyBlogjapan』はリンク先のblogタイトルと、更新された最新記事の見出しが並んでいるだけです。
『ココログ』になると、新着記事のあるblogタイトルの一覧のみ(ただし『MyBlogjapan』もはじめはこれだけ)。
これだけ見てみるとアクセスアップを狙う場合、「blogタイトル」「見出し」「記事の冒頭」が重要になるようです。
「blogタイトル」は、まぁタイトルの重要性については言わずもがな。最近でいえば……例えば『世界の中心で愛を叫ぶ』が『死せる恋人の虜囚』だったらイメージ違うし重いし。もしくは『ハリー・ポッター』が『丸めがね』だったら、もはや何が何だか。
映画や漫画その他の作品にも共通して言えるように、「興味を引きつつ・覚えやすく・内容を掴みやすい」っていう三要素が、必須とはいかないまでも必要でしょう。それにセンスやユーモアが入っていればなおさら良し。
もしくはシンプルに、『ハリー・ポッター』のように主人公の名前とか。で、作品とマッチしているものですね。
まぁ、タイトルをつけるのは簡単で、深く考えれば考えるほど難しいもんですが。
特に『ココログ』みたいなタイプだと、この「blogタイトル」が興味を引くかどうかで訪問者数が変わるでしょう。リンク先への判断材料、これしかないんだし。
「見出し」と「記事の冒頭」は、エントリー記事の冒頭部分が表示されるタイプのPingポータルサイトには、blogタイトル以上に重要かな。
『MyBlogjapan』はblogタイトルが興味を引くものでなくても、記事の見出し(簡略な内容)が興味を引けば閲覧者を誘導することができます。
『bulkfeeds』はblogタイトルの一覧から選んだところの情報を出して、それで気に入ったらそのblogに行くというスタイルなので、せっかくblogタイトルでひきつけられても記事の冒頭部分(内容や文体)で引っ張れなかったら閲覧者を逃すことになってしまいます。
となると、見出しと記事の冒頭部分は、記事そのものへ興味を引き込むだけの『キャッチのある』ものにするとアクセスを向上するには最適でしょう。
よく見る例で言えば、新聞記事の見出し、ニュースサイトの記事冒頭の抜粋の仕方ですね。
アクセス数アップのためにblogを使おうと思ったら、Pingを送るサイトの仕様にあわせて、それなりの演出を加えることも必要。結構な数のエントリー記事が並んでいるのを見たら、やはりそう思いました。
まぁ、アクセス数だけを求めちゃ疲れるだけだし、記事がキャッチな(下手打てばそれだけで内容のない)ものばかりになったらリピーターもつかないだろうから、まずは内容を充実させていくことが最優先だとも思いましたけどね。
内容さえ良くてリピーター率が高ければ、アクセスアップを考えなくても自然と結果は出てくるでしょうから。


