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2005年08月18日
方法という道具
毎日閲覧しているblogの中に漫画家さんのものがありまして。で、その方が大学や専門学校で漫画のことを教えていらっしゃる。
これまでは『大学や専門学校で漫画・アニメを教える』というニュースや話やCMを見るたんびに、そこで学んだからとて本当に良いものが作れるのかな? と、学習内容が見えないこともあって懐疑的な印象を持ち続けていたんですが、その漫画家さんのblogを見ていて考えが変化しました。
あんまり手取り足取り教えます的なキャッチを耳にしていたもので、誤解を持っていました。
どこまでも方法論なんですね、こういうところで学べるものは。もちろん良い意味で。学問としての手法と言ってもいいか。発想や表現の仕方とか、表現をするに当たって重要なものとか。
その方法論は『基礎』ですから、作品のフォーマットにするには最適で、さらに言えば不可欠なもの。
これまでは自力で、もしくは同好の士の集まりの中で、他者の作品を分析したり研究したりするしかなかった分野だった漫画やアニメーションが、今は人に学校という環境でその基礎(と、発想方法)までは引き上げてもらえるようにまでなったと。
これまでは文学(小説)と実写映像のように『学門』という所まで方法論が発展した……こういうと語弊もありそうですが……ということでしょう。
ん? 漫画の芸術分野の学問の中での位置づけはどうなっているのかは知らないのですが、どうなっているんだろう。
あと海外も。
まぁ、いくら方法論を知っていても、その上にアイデアやストーリーを乗せるのは作者の力量しだいですけどね。そこまで先駆者に寄越せと言うのは自堕落だし、そうなると業界的な発展もないでしょう。
とかく、このような教育環境がない場合はひたすら作品を東奔西走して集めて鑑賞しまくるなり、何人かの偉大な先駆者の作品をじっくり比較分析して掴まなきゃいけなかった『基礎』を与えてもらえるということは、作品を作るうえである意味近道だろうし、何より「『基礎』を発見するための時間」がかかるはずだった時間で、他に必要な情報を補っていくことが可能になったということでしょう。
これはかなり有利なことだと思います。
成熟した業界では方法論が確立しているから、それをうまく使えば若い時分からよりローリスクで活躍することも可能ですから。
でも、これが落とし穴にもなってるとは思うんですけどね。
方法だけはしっかりしているけど、それ以外の学習を怠りがちになるというか、時間に余裕があるため貪欲さが薄れるというか。
方法論を学んだからそこでOKみたいな。
そこからさらに色んなものを自分の中で咀嚼して身に取り入れて発展させることが肝要なんですが、まぁでも、これが難しいんですけどね。
一緒に同じ指向のものを学ぶ人が多くいれば、その場所はとても居心地が良くてそこにずっと留まっていたくもなりそうだし。
方法を得たことで安心すると、どうしても地ならしが済むより早く次へ次へと思ってしまうし、自分の能力を過大評価するきらいも往々にしてありますから。
ええ。ええ、自戒と悔恨を込めて。
特にこれだけ『創作』という職業に従事する、また従事したいと思う人数が多くなると、そこでオリジナリティというものを発揮するためには、その世界にいながらそこの仲間とは違う感性も必要にもなる。
自分が安堵できる環境にいるとそれを求めるには結構な意志も必要でしょう。
自分が苦手な、あるいは嫌いな、それとも全く興味のない分野にも食指を動かして様々なものを吸収して噛み砕いてものにしていかなきゃならないこともあるでしょうから。
んで、自分の『作品』を生み出さないといけない。
その上で、プロになれるかどうかはまた別の大変さがあったりして。
大変だ。
投稿者 楽遊 : 2005年08月18日 23:59
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