残り物には

 ティディアは我慢の限界だった。
 彼女はベッドの上で目覚めるなり、こう言った。
「足りない……」
 人生に、
「ニトロが足りない!」
 しかし彼と今会うことはできない。電話することもメールすることもできない。
 ここしばらく完全にツッコミ欠乏症である。
 あんまりツッコミが欲しくて堪らないからだろう、つい先ほど夢の中、私は一人でボケて一人でツッコんでいた。それがまたあんまり空しいものだから思わず目を覚ましてしまった。
 ああ、なんという……なんという哀れな私!――などと悲哀に耽溺すればこの処罰期間の本当の苦しさから逃れられるのだろうか。
 ……否。
 無理だ。
 例え悲哀で誤魔化したところで、ニトロを忘れられるわけではない。
 であれば、ニトロのことを思い出す度に私はこう思う。
 ボケたい!
 ツッコんでもらいたい!
 話したい、触れ合いたい、彼と、楽しい時間を一緒に過ごしたい!
 しかしそれは決してならない!!
 ティディアは飢えていた。渇き切っていた。
 ティディアは、我慢の限界であった。
「こんなに早く使うことになるなんて……」
 まだ二週間も経っていないのに。
 だが、彼女は決意していた。
 もう我慢の限界なのである。
「はぁ」
 気だるい息をつき、ベッドから降りる。まるで夢遊病者のようにふらふらと彼女は部屋の一角に向かう。
 そこには、普段は壁に隠されている小さな『流し』があった。シンクの横には茶葉や食器を納めた棚があり、その一番下には冷蔵庫がある。
 ティディアは冷凍室の扉を開いた。
 冷凍室には、今、箱が二つだけ入っている。
 そう、クロノウォレスに発つ際に、ニトロからもらった『手作り弁当』である!
 行程を変更したため食べることなく残っていた、たった二食の貴重品。『罰』を受けることが決まった時、この時のために残しておいたのだ。
 ティディアは一箱を、まさに歴史的な貴重品を扱う学芸員の慎重さで取り出した。おずおずと――まず失敗はないと解っているが――弁当箱をそのまま冷蔵庫の上にあるレンジに入れる。
『解凍』『お弁当』『開始』の手順で操作することに、ティディアは恐ろしいほどの神経を使った。
 ブン、と音がしてレンジが働く。この用途に適した作りの弁当箱と共に、中身を適切に解凍する。その上、ご飯類はピンポイントで温めてくれる機能付きだ。
 ピーッと完了の音がした時、ティディアの胸は高鳴った。
 レンジを開け、ちょうどよい温もりの弁当箱を手にしっかりと持つ。
 そして部屋のフランス窓の傍に据えてある小さな机に向かう。と、その折にふと時計を見てティディアは驚いた。就寝してから、まだ一時間も経っていなかった。
「……」
 空しい夢から覚めた時には、もっと時間が経っていたように感じたのだが……
「……」
 ティディアは弁当箱を机に置いた。
 椅子に座って『ニトロの手作り弁当』と向き合えば、自ずと口内が潤ってくる。
 彼女は蓋を開けた。
「!」
 大好きなニトロのエビピラフ!
 ティディアは自分が無意識に歓声を上げていたことに気づいた。そしてフォークも何も持ってきていなかったことにも気づいた。
 一瞬にして棚に戻り、一瞬にして机に戻る。
 椅子に座り直したティディアは、ポテトサラダやホウレン草とベーコンのソテーなど彩り豊かなおかずと、何よりほかほかと湯気の立つエビピラフを改めて見て、今度は目を潤ませた。
「いただきます」
 きっと夢の中にいるであろう彼に向かって感謝を投げ、真っ先にエビピラフを口にする。
「……嗚呼」
 ティディアはうっとりとため息をついた。
 彼女は、この瞬間に限界を乗り越えていた。
 ――これでまたしばらくは大丈夫。
 心のニトロ成分のメーターが針を戻す。
 ティディアは黙々とお弁当を食べた。
 黙々と夢中で食べる彼女は、満たされていた。

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