萎れた葉

 最近、姉の調子が悪い。
 仕事がうまくいかないのか、職場で嫌なことでもあるのか、毎晩難しい顔をして帰ってくると家族の誰とも会話をせずに部屋にこもり、好きな深夜番組を見ることもなく電気を消している。
 姉はとりたてておしゃべりというわけじゃないけど、話しかければ普通に誰とも話をする。だけど近頃は話しかけても返ってくるのは生返事がせいぜいで、たまに上の空に聞き逃される。
 元々お酒を飲む人じゃないのに、時々たくさん買い込んできては泥酔するようにもなった。
 外で飲むときは気を張って酔い潰れないようにしているようだが、そんな時でも帰りにコンビニに寄って酒を買い込んできて、部屋でようやく張り詰めた意識を崩壊させるように酔っ払っては明かりも消さず冷たい床で眠りこけることさえあった。
 せめて酔い荒れて悩みとか不満とかを爆発させてくれれば何か手助けもできるのに、姉は努めてそうしているように静かに暗く酔い潰れるから、私たち家族は姉の不調の原因を知ることもできない。
 私は、姉と特別に仲がいいわけじゃない。
 八つも歳が離れているから一緒に遊ぶことは少なかった。歳が離れているから可愛がられてはいたけれど、その愛情は妹というよりも小さい子どもに対するものに近かったように感じる。
 だから昔は、私はあまり姉を姉とは慕えず、ちょっとだけ苦手でもあった。
 でも十六年付き合ってきた今になっては、姉は要領良く事を進めることは得意なのに人付き合いには不器用なところがあるから、きっと私にどう接すればいいのか判らなかったのかもしれない、と、そんな風に思う。
 今夜、姉はまた酔い潰れた。いつにも増して酷く。
 帰ってくるなり部屋にこもった姉の様子を伺った時、明かりとコンポは点けられたまま、姉はスーツを着たままメイクすら落しもせずに、カラフルな缶が乱立したガラステーブルにだらしなくよだれを落していた。
 リピートのかかったコンポが延々と流す明るいメロディがとても寒々しかった。
 まったく起きる気配のない姉を何とかベッドに横たわらせてケットをかけ、できるだけメイクを拭き落してやりながら、目元を崩した涙の跡を見れば、どうにか助けになってやりたいとも思う。
 特別仲が良いわけじゃないけど、嫌いじゃない姉のこんな姿を見るのは、結構、辛い。
「……悩みくらい話せよ」
 姉は顔中を朱に染めて、しかめっ面で眠っている。
 ため息を殺して立ち上がると、ふと視界の端に観葉植物が入った。部屋の隅、古ぼけた学習机の上で、その葉からは生命力が失われつつあった。
 それは姉が「名前が面白かったから」と買ってきた『マッサン』だった。その時、姉は机に置ける小さなものを二鉢買ってきて、一鉢を私にくれた。私のものと比べれば姉の木の葉は明らかに萎れている。
 整頓された広い机の片隅に青々とあって目立つのに、世話をすることに気を回せないのだろう。
 整頓された広い机の片隅に青々とあって目立つから、余計に惨めさを感じさせる。
 私はテーブルやその下に転がったゴミを片付けた後、これ以上の痛ましさはここには必要ないから、最後に自室にあるマッサンを姉のものと交換することにした。

 翌日、姉はひどい二日酔いで会社を休んだ。
 私は学校に行っていたから朝の様子は知らないけれど、母が言うにはとても落ち込んでいたという。
 私が部活を終えて帰ったときは八時を過ぎていて、姉はもう夕飯を食べ終え部屋に戻っていた。食事をしながら話したかったのに……と姉の部屋の前を通り過ぎながら思っていると、待っていたかのように戸を開けた姉に呼び止められて驚いた。
 姉の様子がおかしくなってから姉から言葉をかけられたことはなかったから、私はちょっと戸惑ってしまって、だけど部屋から半身を乗り出した姉の目はすまなそうに伏せられていたから、私は戸惑いを見られなかったことに安堵した。
「化粧と……マッサン、ありがとね」
 何でもないと素っ気無く、いいよ、と応えると姉は少し照れくさそうに言った。
「もうちょっとだけ、預かっててくれる?」
 私はまた、いいよ、とだけ答えた。
 姉は「ありがとう」と、そう口にしながら扉を閉めた。その時の横顔がほんのり嬉しそうに見えたから、私は、嬉しくなった。
 部屋に戻った私を、机の上で萎れたマッサンが迎えてくれた。水と栄養剤を与えた今日は、昨日より少しだけ生気が戻っている。
 私は縁起を全く信じないけれど、ただじっと水を吸い上げる木に感謝を込めて、その葉を指でそっと撫でた。
 マッサンにはいくつかの名前がある。『マッサン』はこの観葉植物の通称名の一つで、広くは別の名で知られている。
「君が元気になったときには、お姉ちゃんも元気になってるかな」
 幸福の木、と。

051122-26-1126

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