灰色の肌。体毛は一本もなく、肉感も骨の影も鼻も耳も起伏といったもののない華奢な体躯と、それとは不相応に大きな頭。小さな口と鼻腔の上で顔の三割は占めようかというアーモンド形の黒い双眸。
いわゆる『グレイ』と呼ばれる宇宙人が、柔らかな真砂に覆われた岩地にいそいそとゴザを敷いている光景は、なんというか……そう、シュールだった。
間違いなく目に映る現実であることは納得しているし、この現実につながる原因も覚えているが、どうにも理解が半歩遅れてしまう。
「ささ、どうぞどうぞ」
随分と上機嫌なグレイに促されるまま、俺は綺麗に整えられたゴザに靴を脱いで上がった。
追ってグレイが傍らにどこで学んできたのか正座をして、持ってきた金色の蒔絵が美しい漆塗りのケースの中から酒瓶や杯を取り出し、またいそいそと酒宴の用意をはじめた。
本当にどこで学習してきたのか。所作は茶道に通じるものが感じられる。様式美を求め洗練された動作。鉛色のレザーに包まれているように見える細い腕は、妙にたおやかで色気がある。あぐらをかいて座ると、懐石の趣がある酒肴が数品、手前に並べられた。
「本当の姿はどっちだったか、まだ聞いてなかったね」
「本当の姿とは?」
グレイが小首をかしげる。妙に可愛げを感じるのは宇宙人の造詣のためだろうか、それとも、
「昨日は綺麗な女性だったじゃないか。人間の」
唇のないただ一文字の切り込みとしてある小口が、緩やかに曲線を描いた。のっぺりとした顔は表情を掴み難いが、笑ったようだ。
「私たちの種族に『本当の姿』はありません。姿など重要ではありません。肉体は全て
野趣を押し出して作られたぐい飲みが差し出される。受け取る時に触れた宇宙人の指は柔らかく、温かかった。
「それは、あなた達の思想?」
「いえ、言葉通りの意味です」
グレイは両掌をこちらに見せた。するとその手がゆっくり、右の手は人間の手に左の手はトカゲの手に変化していった。アニメや映画では見たことのある、部分的とはいえ本物の変身を目の当たりにして俺は息を飲んだ。
怯えはしない。それは先刻グレイに連れ出された時、飽きるほど取り乱したついでに落としてきた。だけど、それでも目の前に人知を超えた存在を据えている事実は、妙に腰の座りを悪くしてくれる。
宇宙人はこちらの心情を察したのか手を『グレイの手』に戻すと、大きな瞼を浅く閉じアーモンド型の双眸を細めて見せた。
「私たちに固有の姿というものはありません。質量的な限界を除けば、いくらでも思うままに形を変えることができます。
もし私たちの本当の姿と強いて言うのであれば、あなた方地球人類が、母胎にいる時の姿に似ているかもしれません」
「胎児の姿?」
「尻尾が生えている時くらいですね。生まれてすぐに母を真似ようとするので、その姿を保つのも僅かな時間ですが」
「へえ」
「ですから私たちにとって重要なのは肉体的な構造よりも精神的なものになります。他星の生命体との接触をするときなどは、特にそうです」
「そこのところでは、地球人とあなた達は似ている?」
「今のところ、あなたと私の意志疎通はかなうようです」
「はっきりしないね」
「それを知りに来たものですから。どこまで違うのか、どこまで同じなのか。仲良くやっていけそうか、いけなさそうか」
グレイは最後に取り出した900mlの酒瓶の栓をあけた。鹿児島県で作られた芋焼酎だ。銘は、久しく会えていない友人が好きで、彼の薦めで俺も気に入ったものだった。
思えば酒肴も見るからに俺の好みに合う。
何から何までこちらに合わせてきているようだが、そのために必要な情報をどうやって知りえたのかを考えると薄ら寒い。大体予想はつくが、それが正解だとして、今は怒りよりも恐怖を覚えるだろうから訊かずにおいておく。
いずれ恐れ無くなるほど慣れたら、問いただして説教でもくれてやろう。こちらと『仲良く』はしたいようだから、それくらいは言ってやらないといけないと思う。
グレイが酒瓶の口をこちらに向け、傾けてきた。ぐい飲みを差し出すと、暗闇の中に輝く蒼い光を透き散らす酒が静かに注がれていった。
器の半分近くまで焼酎が注がれた時、ふいにグレイは瓶の口を立てた。
「お湯割りになさいますか?」
「いや、これでいいよ」
陶器の縁に口を近づけると芋の甘い香りが鼻腔をくすぐった。一口含み旨味を十分に味わってから喉に通す。久しぶりに飲む名酒に、胸が熱くなった。
「姿が自由自在だと、誰が誰だか分からなくならない?」
「私たちの目は、肉体ばかりを見ません。心はどうあっても固有のものですから……」
そこでグレイは言葉に詰まった。どのように説明したものかと考えあぐねているようだ。
「地球人は指紋で固有の存在を断定しますね」
「まぁ、そうかな」
「私たちの目は心の模様を合わせ見るのです。だからどんな姿に変わろうと、固有を断定できる」
おそらくは、その言葉は随分と意味を噛み砕いたものなのだろう。宇宙人の歯切れは妥協を孕んでいる。それは無理もない。地球人同士だって感覚的なものを確実に伝えるのは難しい。だけど、少しでも理解してもらえないよりは随分ましだ。
「なるほど、だから『肉体は仮初』なのか」
「その通りです」
「となると、あなた達には個人の美醜はないのかな」
ふとした思いつきを口にしただけだったが、宇宙人の反応は意外にも大きかった。
「とんでもない。私たちもあなた方と同じように審美的欲求を持っています。確かに外見への美意識はありませんが、そのため私たちは心の美しさを讃えます」
「外見より内面? それは俺たちも言うよ」
精神的な共通を知りに来たというのだから、その価値観は人間も持つものだと言ったつもりだった。だけどグレイは困ったようだった。眉があればその間に深い皺が刻まれていただろう。そんな様子でこちらを見つめている。
俺はこの話題をずらすことにした。これは恐ろしく感覚的な違いだ。昨日今日出会った全く違うものを見ている相手、それも宇宙人と同じ言葉を交わせるものじゃない。下手をすれば誤解ばかりが生じてしまう。
「……俺はあなたには、どう見えているのかな?」
「とても寂しそうです」
俺は酒を少し飲んだ。
「そう見える?」
「はい」
グレイは正直に答える。屈託もない。きっと、どれだけ厳しい一言を放ったか自覚していないのだろう。もしかすると、この宇宙人達には心の模様から嘘を見抜く力があるのかもしれない。そうだとすれば言葉の全ては自然にストレートなものになるだろう。
俺は笑うしかなかった。
「それにしても、よく寂しそうな男の家をホームステイ先に選んだものだね。もっと楽しそうなところにすればよかったのに」
「調査の結果です。あなたが最適だと。事実、あなたは受け入れてくれました」
「受け入れざるを得なかった、からだよ」
酒肴を食べてみると、とても美味しかった。いつか上司に連れて行ってもらった一流の料亭の味にも並ぶ。
「美味しいね」
「努力しました」
胸を張るグレイ。妙に愛嬌があるのは種族の特徴なのか、それともこの宇宙人固有のものなのだろうか。
……グレイは、こちらの注文を叶えてみせた。
昨日、宇宙人はとてもよく知る女性の面影を持つ美しい姿でインターホンを押した。そして、玄関を開けた俺に言ったのだ。
『私は宇宙人です。地球人の性質を知るためにやってきました。つきましては、一緒に住まわせて下さいませんでしょうか』
今思えば、この時有無を言わずに扉を閉めれば良かった。あまりに女性が『彼女』に似ていたから、少しでも情を持ってしまったのが間違いだった。
『宇宙人ならもっと宇宙人らしい姿で来なよ』
俺は柔らかく断ったつもりだった。だがそれは女性を喜ばせた。
『それで信じていただけますか?』
俺は酒を飲み、息をつきながら夜空に雄々しく浮かぶ青い星を見た。
『ああ。ついでに月で地球を見ながら酒でも飲ませてくれたら、ここに住むことだって許してあげるよ』
月面から見る地球は、本当に美しかった。
白沫が散る漆黒の中に忽然と青く、その様は墨色の死海の中で静止する宝玉のように、その内に封じ込めた悠然なる大地に、たゆたう大海に、たなびく雲海に、胸に迫る生命力を溢れんばかりに輝かせている。
言葉にならない。
どんなに言葉を尽くしても、この星を見る感動は伝え尽くせない。
初めは恐怖と驚愕に敵愾心まで持って身構えもしたが、この光景を見た時、グレイの姿で出直してきた宇宙人に、この光景を見せてくれたことを本当に感謝した。
「どうされましたか?」
「……差し当たって、一緒に住むなら名前を知らないとね」
「白沢美奈、と名乗ろうかと思います」
俺は苦笑した。
「それはやめてくれ。それと、昨日の姿も」
「なぜですか? あなたに気に入られると思ったのですが」
「地球人とうまくやりたいなら、あまり心を突き過ぎないほうがいい」
「…………」
グレイはしばらくこちらを見つめていた。俺の目を真っ直ぐに見つめて、やおら大きな頭を深く下げた。
「失礼なことをしてしまったようですね。申し訳ありません。姿も名も、考え直します」
「いいよ。異文化にこういうことはつきものだから」
一つ小鉢が空になって、グレイはすぐにそれを下げようとした。そこに別の酒肴に箸を伸ばしていた俺の手が当たりそうになり、宇宙人は慌てて手を引っ込めるとすまなそうに頭を垂れた。
大したことはないのに。
「あなたは随分と折り目正しいね」
「当然の礼儀です」
「あなた達は皆そうなの?」
「私たちの全てがそうではありません。地球人と同じです。でも、私はこの性格のおかげで選ばれたのですよ」
「選ばれた? もしかして、他にも選ばれた人はいるのかな」
「はい。私たちは種族を代表して地球人にお会いしに来ました」
俺は月の地平に浮かぶ地球を見つめた。
グレイは『知りに来た』と言っていた。どこまで違うのか、どこまで同じなのか。仲良くやっていけそうか、いけなさそうか。今も仲間が、あの青い星の上でそれを調査しているだろう。そしてデータはどこかに隠れている宇宙船にでも集められて、地球人との関係をどうするのかという判断に使われるのだ。
どうやらこれは、いつの間にか俺は地球代表とされてしまったらしい。
シェルターの中でもなく月の地肌で、宇宙服も着ず、見たところ周囲に何も置かず、それなのに地球と同じ感覚で過ごすことができるテクノロジーを持つ相手から逃げられるとは思えないから、こちらもそれなりの覚悟をしなければならなさそうだ。
「それは大変だ」
肩を揺らす俺のことを、グレイは不思議そうに見ていた。ばつが悪くなって、俺は少なくなっていた酒を飲み干した。すぐにグレイが酌をしてくれ、今度は湯で割って飲むことにした。
「ところでさ」
酒肴を食べ、酒を飲む俺の横で、宇宙人は何も口にすることなく貴族に仕えるサーバントのように振舞っている。
「あなたは飲まないの?」
「この席は、あなたをもてなすためのものですから」
「一人だけ飲む酒は面白くないよ。もし飲めるなら、つき合って欲しいな」
グレイは少し考えた後、ケースから小さなぐい飲みを一つ取り出した。
「それでは、お付き合いさせていただきます」
「どこまでも
「これが私の性分ですから」
ぐい飲みに酌すると、グレイは少し嬉しそうな声で言った。
「これからしばらく、仲良くしてくださいね」
地球を眺めて酒を飲む。
隣の宇宙人も、黒い目に青い光を反射させてちびりと飲む。
地球から見える月は掌に隠れるのに、月から見える地球は体一杯を使っても到底隠せそうにない。
月の空に地球が浮かぶように、地球の空にはこの地が乳白色に輝いているだろう。一体誰が想像するだろうか。人心を魅惑する光の中で、地球人と宇宙人が二人、月に敷いたゴザに並び座って酒を飲んでいると。
「……安直だけど、月子でいいんじゃないかな。あなたの名前」
「え?」
唐突な言葉に宇宙人は戸惑ったようだが、すぐに理解して目を輝かせた。
「嬉しいです! その名前……大切にします」
「いや、そこまで喜ぶことでもないんじゃ……」
「とんでもない。本当に嬉しいことなのです。名前をいただけるということは、どんな賛辞を受けることよりも栄誉あることなのです」
「ああ、そうなんだ……」
「そうなのです」
黒々と光沢のある眼は喜びを隠さない。
この双眸は、明日はどんな形で、どんな色で俺を見るのだろうか。
幸い性格は良さそうだ。相性も悪くはないと思う。宇宙人と同居するなんてことは初めてだから不安は募るばかりだが、考えを返してみれば、全く見も知らない上に見るから相性が悪いと感じる同胞と住むよりはずっとましかもしれない。
とりあえず明日の朝は、変身した宇宙人の姿に驚くことから始めてみるとしよう。
あとは、それからだ。
終
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