V-2 へ

 もはや左眼で見なくとも、ユリネの姿は十分に確認できる位置にあった。
「誰も見てなけりゃいいけどな」
 ユリネがルシュと言葉を交わしていた所から、ゆうに半里はある距離を僅かな時で縮めてきた姿を。
 もし誰かに見られでもしていたら、後々面倒なことになるだろう。
「……いや、これ以上の面倒はないか」
 山道へと入り姿を消したユリネを見届けながら、忌々しげに吐息をつく。そして、カザラは左眼を一点に向けた。
 やはりと言うか、ルシュが息せき切って走ってきている。
「……まぁ、何とでもなるか…………」
 カザラはずらしていた眼帯を直して左眼を覆うと、閉じていた右瞼をゆっくりと持ち上げた。
 カザラの目に映る世界が、急激に変じた。
 左と右、それぞれが脳裡に通す光はあまりにも違い、強烈な変化に感覚が戸惑う。眼球の裏に小さな『揺らぎ』を感じる。しかし、すぐに知覚は己の瞳が見せる世界を従順に受け入れた。その従順は惑いを払い、つられて感覚が慣れを思い出し、『揺らぎ』をたちまち消し去っていく。
「――……」
 カザラは村に背を返して柵に寄り掛かり――意を引き締めた。
 あと数秒もすれば奴が現れる。
 蘇った感情に身を任せて、全身に気を巡らせる。
 彼の眼帯の裏には、幼いユリネに光が吸い込まれていく光景が写っていた。全ての元凶である、自分が犯した最大の罪。その光景は今も、鮮明に穿たれている。
「…………」
 右の目も閉じる。瞼の裏に、規則性もなく湧き起こる記憶の奔流が流れ込む。
「運命、か」
 そのつぶやきには、憎しみが滲んでいた。
 カザラは二人の姿を見ていた。最愛の者と殺し合わねばならない運命を背負わせてしまった、大粒の涙を流すノマとユリネを。
「久しいな」
 その声に、カザラは瞼を上げた。記憶の中の二人が陽光を受けて消えた。彼は、柵から身を離して応えた。
「ああ。もう、二度と会いたくなかったがな」
 口の端を険悪に歪めるカザラの様子に、ユリネは苦笑した。
「変わりはないようだ」
「そっちも変わらないようだ、『グゼ』」
 カザラの応答にグゼは、彼のセリフに込められた飛礫つぶてを受けて腕を広げてみせた。全く、ユリネの体であるその肉体を誇示するように。
「この通りな、私は私のままだ」
 と、そこでグゼはすまなそうに眉をひそめた。
「お前の左目は……潰れてしまったか」
 カザラの左目を傷つけた時の感触が、傷つけてしまったこの指にまざまざと蘇る。
 それはグゼの心に強い自責を植えつけていた。例え、彼がホロビを庇って間に割って入ったとはいえ、この手は止めるべきだったと。
「いや……」
 カザラは悔恨に歪むユリネの顔に、思わず答えていた。
「潰れちゃいねぇよ」
 と、言って、しまったと胸中で舌を打つ。
 何を奴を安心させるようなことを言っているのだ。いっそ傷つけた方が、ユリネを呼び戻し易いだろうに。
(くそ)
 グゼが、外見は一分違わずユリネであることが、多少なりとも心を乱してくる。
「潰れてはいない?」
「……ああ」
 カザラは右目をつむり、左目を覆う眼帯を外した。
 グゼは、その下から現れたおよそ人の物ではない眼球を目にして、思わず目尻をそばめた。悔恨に彩られた渋面がそこにあった。
 カザラの左目は、白目の部分は血よりも赤い細かな鱗に覆われたように、元々黒色の瞳は毒々しく濁る緑青ろくしょう色に変じていた。瞼は焼け縮んだようにめくれ上がり、眼窩でぎょろつく目玉がそのまま晒されている。それは見る者におぞましさを与える、化物の眼であった。
「どうやら、お前の毒の影響らしい」
「……すまない」
(……まぁ、時々役に立つんだがな)
 化物の眼は、異常な視力を備えている。遠く離れた文字を読み、塵の形さえ明らかにし、飛ぶ虫のはばたきを数えるほどの力を。
 だが、カザラはそれは言わずに眼帯を直し、そして肩をすくめた。
「で? 俺に用があるんだろう?」
「…………」
 グゼはこちらを責める風もないカザラをしばし見つめ、やがてうなずいた。
「ああ。お前に聞きたいことがある」
「そりゃあ、ちょうどいい。俺もお前に話があったんだ」
「ならば話は早い」
「待て」
 早速、話を切り出そうとするグゼを制して、カザラはちらりと背後の景色を一瞥した。
「場所を変えよう。ここは目立つ」
「…………」
 それは、きっと宿主が戻った時のことを考えてのことだろう。グゼは承諾を返した。
「では、池のほとりにでも行くか?」
「池?」
「そうだ。この先にある」
 グゼが指で示すのは、ここよりずっと山に入る方向だった。
「いいだろう? 恋人の逢瀬のようで」
「池のほとりで甘い会話か」
 カザラは、グゼの皮肉に皮肉を返した。
「そうだ」
「ああ、いいね。そうしようか」

 まるで山林の中に忽然こつぜんと現れた聖域のようだった。
 池は冷気生み出す湧水を湛え、太陽が姿を出した後でも薄暗がりの中にあった。
 これより明るさが増すことがあっても、周囲の変化は大差ないだろう。樹冠届かず池の中心だけが空の切れ間を頂いて、直接降り注ぐ光を浴びて揺らぐ水面に宝石を散らしている。光は純粋に透る水を貫いて底を照らし、そこから天に戻ろうと水面にぜて砕ける。
 幻想の領域が、少しだけ顔を覗かせていた。
「本題に入ろうか」
 しかし、カザラにとって聖域の美は眼中になかった。彼は対峙する、よく知る女性の体を乗っ取ったその者にだけ、その鋭い眼光を投げつけている。
「俺に聞きたいことってのは、なんだ」
 敵意、憎しみ、侮蔑。カザラの瞳には、以前と変わらぬ色が薄れることなく灯り、ぎらついている。
 グゼは、その色が放つ威圧感を受けて少し嘆息した。
 周囲には炎の欠片一つとてない。悲鳴も怒号も血臭もない。あの時とは何もかも逆の平穏があるこの場で、彼は変わることなく自分の前にいる。
「…………あれから、どれほど時が流れた」
「五年だ」
「五年か……。それでも、お前は変わらず私の敵としてあるのだな」
「時がたてば俺がお前にくみするとでも思っていたのか?」
 カザラは腕を組み、目をはすに構えた。
「俺がお前に敵するのは、お前がユリネとノマの幸せに邪魔だからだ。
 それはどうも、まだ変わっていないらしいんだがな」
「…………。
 分かっているよ、それは。あの時、お前は寸分違わずそう言っていたからな」
「なら、こんなことは聞くほどのことじゃねぇだろう」
「ああ」
 グゼの胸には、溢れる悲しみがあった。少なくとも、自分はカザラを憎からず思っている。いや、彼は人間だ。すなわち、愛しているのだ。あまねく他の者達と同様に。その上に宿主の心が重なり、その気持ちは強いものとなっている。
 そんな男に敵視されるのは、さすがに辛いものがあった。
 だが、カザラの意志は強い。あるいは怨念とも言える精神をもって自分に挑んでくる。
 グゼは気を張るように一息置いてから、カザラを見据えた。
「前置きはもういいだろう? それとも、今のが聞きたかったことか?」
 沈黙しているグゼに、カザラが問う。
「いや」
 グゼは軽く頭を振った。つられて、ユリネの美しい髪がふわりと揺れる。
「聞きたいことは……」
 グゼはそこで言葉を切った。直接、なぜ自分が今まで眠っていたのかと聞いても、彼が素直に答えるとは思えない。遠回しにでも、話の中でその答えを導く必要があるだろう。
「……お前はなぜ、私の邪魔をするのだ?」
「?」
 カザラは、一瞬グゼの言うことを理解できなかった。グゼが訊いてきたことは、つい直前に答えたものの問いだ。
(なぜ繰り返す?)
 カザラはしばし黙考した。その間、グゼをまばたき一つすらせずに注視して、その真意を探る。グゼは真っ直ぐにこちらを見つめ返したまま、唇を微かにも動かさない。
「…………」
 その姿はユリネそのものだ。この姿で、その唇から、『ホロビだから』と殺意を告げられるノマは、どれほど辛いのだろうか。
 ふとそんなことを思い、カザラはふいに理解した。
「なぜ、『おれ』が邪魔をするのかということか」
 その言葉に、グゼは微笑んだ。満足そうに、難問を解いた我が子を見る親のように。
「理由が必要なのか?」
「なに?」
「親友がくそ野郎共に押しつけられた宿命さだめのために苦しんでいる。
 こころ入れ換わるとはいえ、愛し合っている者同士で殺し合わなくちゃならないなんてふざけたもんでな」
「…………」
「それなのに、助けることに、いちいち理由が必要なのか?」
「…………」
 グゼは腕を組んだ。
助けたいということが理由か」
「そうだ」
「命を懸けても?」
 グゼの脳裏には、人の力及ばぬ戦いの中にも飛びこんできたカザラの姿があった。ほんの一瞬、手を止めることが遅ければ、きっと彼を殺していただろう。
「人間っつうのは簡単に自分の命を捨てられる生き物さ」
 半ば自嘲、半ば真剣にカザラは口の端を持ち上げた。
「私は……そうは思わぬ」
「そうかい」
 カザラは組んでいた腕を解き、
「まぁ、お偉い守護者様がそう言うんなら、そっちの方が正しいんじゃないか?」
 嘲りを含んだカザラの口に、グゼは驚嘆の吐息を漏らした。
 その反応が意外で眉をひそめるカザラに、驚きのままグゼが言う。
「お前は私のことを守護者だと認めているのか」
「ああ」
「信じられんな」
「そうか?」
「そうだろう?」
 問い返され、カザラは笑った。
「それもそうだな。あれだけ邪魔すりゃあな」
 グゼを援護する部隊にいながら、『仲間』を火薬庫の爆発に巻き込んで壊滅させ、グゼとホロビの戦いを長引かせるためだけに存在していた村を火の海に沈めた。あげく、ホロビを殺す好機を阻んだのだ。信用されるはずもない。
「だが、認めないわけにもいかない」
「なに?」
「俺はホロビの力を目の当たりにしているんだ」
 その意味は、つまりは、グゼの必要性を認めていることだった。またそれは、カザラがホロビの力がどれほど危険なものかを理解しているということでもあった。
 二人の間に沈黙が降りた。
 次に言葉がつむがれないための沈黙ではない。カザラには次を継ぐ必要はなく。グゼは、呆れたのか、それとも怒りを覚えたのか、双眸を細めてただカザラを見つめていた。
「余計に解せんな」
 ややあって、グゼが言った。
「それなのになぜお前は私の邪魔をする。ホロビの存在は、お前達人間の命運を握っているのだぞ?」
「お前が奴を殺さなくとも、ノマが抑える」
「ならばお前は、毒蛇を蓋のない箱に入れて傍らに置いておくというのか? それがどれほど…」
「ノマは凄い奴だ」
「何?」
 唐突なカザラの言葉に、グゼは気をがれた。一気にまくしたてようとしていた口を閉じ、彼の言葉を待つ。
「あいつは十年十月じゅうねんとつきも牢に閉じ込められ、ホロビの器として蔑まれながら、それでも……」
 カザラはそこで一つ区切り、虚空を眺めた。
「誰も憎んでいない。多分、あいつには嫌いな人間すらいないんだろうな」
 そして嘆息する。
「単なる馬鹿か、バカバカしいほどお人好し。でなけりゃ聖人だ」
 カザラはをグゼに戻した。
「そして、あいつは人を傷つけたくないっていう気持ちだけで、『ホロビ』とかいう化物を身の内に抑え込んだ」
 その言葉に、今度はグゼが嘆息した。
「それがどうしたと言うのだ」
 肩をすくめて腕を大きく開き、
「抑え込んだ。その事実は認めよう。だがそれで問題が解決したわけではあるまい」
「解決したさ。それで終わりだ」
「そうかな? ホロビは現にお前の目に触れているのだぞ?」
「覚醒したホロビが封じられる所もな」
「封じられたものはいつか蘇る」
「それで?」
 まるで小馬鹿にするように目を細めて、カザラが肩を片方だけすくめる。
 ギシリと、大気が軋む音が聞こえそうなほどにグゼの双眸が引き絞られる。対するカザラの瞳はその姿を真に映し、二人は、互いを射殺そうとするかのように睨み合った。
「ホロビを蘇らせるわけにはいかない」
「ノマが死ぬまで抑えてりゃ、万事何事もなく終わる。無理矢理血生臭え殺し合いをする必要もない」
「ホロビは一度目覚めている」
「しつけえな、だからなんだってんだ」
「お前の信頼するノマという封印が万全でない証明ではないか。たかが知れている」
「ホロビはたかが人間に封じられた。お前がこれまで為し得なかったことをノマがやり遂げたんだよ」
「消滅と封印は違う。私が為すべきことはホロビの完全消滅。それが人間にできるというのか?」
「封印すらできないお前にできるとも思えないな」
「封印では不十分なのだ」
「言い訳か?」
「ホロビがお前達を皆殺しにできる力を持っている以上、完全に消し去らねばならないことは承知しているだろう」
「さてね」
「お前は――」
「言ってるだろう? 俺はノマとユリネを助ける」
「これは人間の存亡を懸けた事なのだぞ!?」
「そんな事はてめえらだけでやってろ! てめえらの薄汚ねえ因果に、あいつを、ユリネを巻き込むんじゃねえ!」
 再び、重苦しく、赤焼けた鉛の沈黙が、両者の口を閉ざした。
 水が湧き出る音さえ聞こえそうなほど、遠くに鳴く鳥のさえずりさえ溶かしてしまいそうなほどの静寂が、世界を埋めつくした。
 グゼの両眼にあるものは、曇りなき意志。
 カザラの眼にあるものは、獰猛な憎悪。
 その二つは永遠とも思える時の間、互いに逸れることはなく――まるで、『あの時』の続きを演じているようだった。
 傍らにあるのは、冷気を帯びた水を湛える池と生気満ちる木々だというのに、この場が紅蓮の炎にとり囲まれているとさえ感じる。
 あの時はホロビの乱入があった。だが、今はただ風が枝葉を撫でるだけだ。
「カザラ……」
 やおら、グゼが聞きわけのない子供を諭すように口を開いた。
「お前は、人間が滅びてもいいと言うのか?」
「お前は、俺が人間のために戦っているように思うのか?」
「…………」
 グゼはしばし黙り、そして嘆息した。
「もし、お前のために人間が滅びることになったらどうする。罪もない多くの者が、お前のせいで命を落とすことになるのだぞ?」
「…………正直、人間には、執着はない」
 カザラは体制を崩し、少し、何かを嘲るように口の端を歪めた。
「滅びるなら滅べ。滅ばないなら、それでいい」
「……勝手だな」
「ああ。どうやら運命なんていう勝手なもんに振り回されているらしいんでな」
 グゼは吐息混じりに苦笑した。
「皮肉屋だな、お前は」
「おかげ様だよ」
 底意地悪く応えるカザラに、グゼは一つ大きく息を吸った。
「そうだな。もしかしたら、お前は運命が私の前に用意した試練なのかもしれないな」
「よせよ。俺は運命なんぞに従いたくねぇんだ。俺がお前の前にいるのは、俺の意志だ」
「それもまた運命の内だ。お前がそう思うこともな。運命とは誰の考えも及ばないもの。従うことも、抗うこともできぬよ」
「……そうかい」
 カザラは忌々しげにうなずいた。
「もしお前がノマごとホロビを始末したら、お前はどうなる?」
 ため息混じりの問いに、グゼは少し戸惑った。
 その答えは、彼はすでに知っているはずだ。それなのに問うてくるとは……何か別の意図でもあるのだろうか。
「消える。私の命は、ホロビの消滅という使命そのものだからな」
「ユリネは?」
「元に戻る」
 至極当然とグゼが言う。
「なら、どうなるだろう。ユリネは最愛の者を亡くし、悲嘆に暮れるだろう。殺したのが自分とすれば、自殺するかもしれない。もしそうなったら、それが運命なのか?」
「そうだ」
 カザラの形相が憤怒を刻んだ。眉目が吊りあがり、険悪な表情が鬼の狂気に歪んだ。
「そんな運命は殺してやる」
 一瞬、グゼはそう吐き捨てたカザラの意志に呑まれ、絶句していた。
 冷たい衝撃に脳幹を撃たれ、灼熱の呪いが肉にえぐり込む感触が、激しく心を震わせる。
 なぜ彼は、これほどまでに強靭な精神を持っているのだろう。
 自分がどうやっても敵わない力を持つモノを前にして、敢然と敵対している。は感じているはずだ。だが、どこにも怯える体はない。それどころか、たった一瞬とはいえ、人外のモノをその意志の中に引きずり込んだ。
「従うも抗うもできない? それがどうした。俺はあいつらの幸福な姿しか認めない。それ以外の『運命』が定められているのなら、覆す」
 彼は、まるで見えぬ何かを噛み千切ろうとするように、唸りにも似た声で言う。
 グゼは、堪えられずに肩を揺らした。
「……何がおかしい」
「何もおかしくはない。ただな、お前と話すことがこんなにもおもしろいとは思ってもいなかったのでな」
おもしろいだと?」
「そうだ。
 お前が初めてだよ。私を気迫でした人間は」
 その言葉に、カザラは思わず怪訝を顔に出した。
 そして彼の表情は、グゼに一つの情報を与えるに十分だった。
(初めてではないというのか?)
 彼が顔に疑問符を刻んだ瞬間を顧みれば、そうとしか考えられない。だとすれば、それは以前に自分をで負かした者がいるということだ。
「…………」
 グゼは会心の笑みを浮かべた。目的は、今果たされた。だが、同時に激しく戦慄する。
(なるほど、しかし……まさか、私まで封じられていたとはな)
 ホロビと同様に。自分も、宿主に、その身の内の奥底へと封印されていたのだ。認め難いことではあるが、そうであると考えた方が自然であった。
 事実だろう。
 グゼは胸裏の動揺を隠し、
「いや、二人だったか」
 まるで確認するかのような口に、カザラは疑念を深めた。
 いや、疑念はこれだけではない。グゼが、自分を初めてと言い、その後の笑み、そして今の訂正のげんがその二つに重なる。
(まさか)
 カザラは、脳裏に閃いた答えを疑った。だが、そうとしか考えられない。
「憶えていなかったのか?」
 彼の問いに、グゼは何も答えない。
 彼は苦々しく舌を打った。沈黙が肯定であることなど、詮索せずとも容易に分かる。
それが聞きたかったことか」
「お前は優秀だよ、カザラ」
 にこりと、純粋に誉めたのであろうが、カザラにとっては皮肉以外の何でもないことを言って笑う。カザラは、そのユリネの極上の笑顔を初めて憎々しいと睨みながら、激しく後悔した。
(これでもう、繰り返しはないか……)
 知った以上、ユリネがグゼの精神を上回る隙は生まれまい。前回は、守るべき人間の左目を傷つけたことでその機があったが……例えまた同じことがあろうと、グゼは墜ちないだろう。
(くそ。余計な情報を与えちまった)
 まさか憶えていない事があるなど、考えもしなかった己の隙を呪う。憶えていなかったのか、憶えていたくなかったのかは知らないが、相手にあった記憶の喪失という弱点を掴み損ね、あげく逃してしまうとは。
 悔恨浮かべるカザラに、グゼは語りかけた。
「それで、お前の話とはなんだ?」
 カザラは手を後ろに回しながら言うグゼを強く見据えた。
 今は、過ぎた事に囚われている暇はない。
「言わなくても解っているだろう」
 眼に力を取り戻し、言い放つ。
「ユリネを返せ」

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