オンライン文化祭 ―2012―




 爽やかな朝だった。
 その日、ある大きな公園の広場の真ん中で、若い男がひとり、柔らかな芝生に寝転んで空を眺めたまま、死んでいた。

 若い男の死体を発見したのは、老齢の小説家であった。
 彼は若き日において、革新的な意欲作を引っさげて世に舌鋒鋭く切り込んだ作家であった。いくつかの挑戦的にして実験的な作品で高評を経た後には大衆向けの作品でベストセラーをも連発し、現在では文壇の重鎮として知られていた。しかし、彼の現在の真なるところを語れば、彼の座る場所は過去という栄光に照らされて伸びる影、つまりは単なる惰性に過ぎない。現在の彼がかくのは胡坐ばかりで、たまに手を動かしても駄文を書き散らしているだけだと嘲られている。それでも彼をその座に押し上げた過去がもたらす金は潤沢であり、潤沢な惰性の流れに任せて彼は悠々自適の日々を送っていた。二度の離婚と三度の結婚、と私生活に波乱はあれども結局は円満な家庭を手に入れ、子に恵まれ、つい先月にはかわいい孫にも恵まれることとなった。誰もが羨む成功者である。彼自身、己は成功者なのだと自信を持ってそう思っている。今後は余生を楽しむのみだと余裕を弄ぶ彼がもはや読者の失望を気に病むことはない。現在の彼にとって、それに人生を賭けていた過去の己が知ったら何と言うか知らないが、小説は完全に余技であった。幸い、気が向いた時に手癖頼りに書いた程度のものであっても原稿を受け取る出版社は未だに多く存在する。ネームバリューという商品価値のおかげもあるが、それだけでなく、例えただ手癖で書き散らしただけの小説であっても、彼がデビュー前、苦しい雌伏の時代に積んだ修練が彼を常に助けているのだ。確かに昔ながらの意欲的な読者は憤懣を募らせて「あの作家は枯れてしまった」と罵ってくる。が、それでも彼の作品は、事実、それなりの品質に相応しいそれなりの満足を読者に与えられる商品であり続けているのだ。若い女性からのファンレターだって届く。彼は満足だった。そうして作品を発表することで自己顕示欲を慰撫することは、旨い酒肴に興ずることよりも快感であった。彼は、全てにおいて満たされていた。
 そんな彼がその死体の第一発見者となったのは、ひとえに、今は余技に駄文を書き散らしているだけだとしてもなお、やはり『小説家』である彼の性のためであった。
 その朝、彼は愛犬を連れて日課の散歩を楽しんでいた。まだ太陽の温もりが夜気を払い切らぬ時刻。公園に満ちる豊かな緑が吐き出す濃い酸素を胸一杯に吸い込みながら広場にやってきた時、彼は朝露に濡れる青い芝生の真ん中に大きな黒い染みを発見した。
 染みは人の形をしていた。
 よく見れば大の字になって空を仰ぐ男であった。
 その公園は大きかった。春には大勢の花見客でごった返し、出店も張り切って出張ってくるほどである。地元では有名な遊び場であり、老いた小説家と同じく散歩のために訪れる者も多く、ジョギングのためにやってくる者もまた多い。
 当然、朝露の残る早朝にあって、小説家の他にも人目は周囲に多くあった。
 しかし、誰も男に声をかけようとはしない。
 大の字になって空を仰ぐ男はぴくりとも動かない。
 寝ているのだろうか?――きっと寝ているのだろう。
 小説家と挨拶を交わした顔馴染みの中年女が、綺麗な服を着せられた小型犬に引っ張られるようにして彼とすれ違いながら、眉をひそめてちらりとそちらを見ていた。汚らわしい者を見る目つきで、同時に、哀れむ目つきで。
 広場には体操をする者や、犬を走らせている者もいる。いつもなら広場の中心部にも人がいるのだが、今朝ばかりはぽっかりと穴が開いていた。
 小説家は、その男の正体を知っていた。
 その男は、若い身空でこの公園に住み着いたホームレスであった。大きく広い公園である。ある点でそのような存在は付き物と言っていい。この公園ではその男の他にも数人のホームレスが植え込みに隠れ住んでいる。時に仮の宿として短い期間を過ごして去る者もある。それらを、多くの人間が、煙たがりながらも慈悲と優越感をもって見逃していた。そして絶対に直接関わろうとはしなかった。
 老いた小説家もそのような多くの人間の一人であった。普段ならば絶対に関わろうとはしない。だが、その朝はあんまり爽やかで、彼はふと己の余裕に溢れる心の中に一滴の好奇心が蘇るのを感じた。好奇心はこう言った――「ひょっとしたら、彼は寝ているのではなく、死んでいるんじゃないか?」――もしそうなら、ネタになるぞ。
 小説家は最近足腰の弱り出したレトリーバーを連れて、普段は通らぬ芝生に向かった。従来の道を外れる主人を、老いた雌犬が不思議そうに見上げていた。
 ――その若いホームレスは、有名であった。
 老いた小説家は、若い男の正体を知っていると信じていた。
 ――その若いホームレスは季節を問わずいつも黒いジャケットを着て、黒い綿のパンツをはいている。が、まめに公衆トイレで洗濯しているようで臭いはない。とはいえ当然のように服はぼろぼろで、色も褪せて黒はもはや紺に近くなっている。その外見的なみすぼらしさと、どうやら自分で短く刈っているらしい雑な頭髪を除けば全体的に身奇麗であり、おそらく公園内のホームレスの中で最も清潔な人物でもあった。また彼は、大抵は薮のどこかにあるはずのねぐらに引っ込んでいる。彼が目撃されるのはもっぱらそのねぐらでだけであり、他のホームレスと比べてそれ以外の場所での目撃例は非常に少なく、世代によっては「はぐれメタル」などと呼んでいるらしい。彼は他のホームレス達と仲間になることもない。他のホームレス達は仲間意識を発揮して彼に声をかけることもあったようだが、彼は丁寧で礼儀正しい言葉遣いでやんわり断りを入れてくるだけであったという。その話はホームレスに差し入れをする人間の口からやがて広まり、彼がアウトサイダーの中でもはぐれ者であることが知られていた。加えて、極めて稀にベンチに座っていても誰かが来たらすぐに逃げ去る様子などが、まさにかのモンスターにそっくりだ、と。
 果たして彼がこの公園にやってきたのはいつだったろうか。二年前? そう二年ほど前だ。若いホームレスは公園にやってきてすぐに他のホームレスよりも多くの人目を集めた。何よりもその若さゆえに。若いからこそ、彼は他のどのホームレスよりも注目された。そしてまた、彼はあまりに痩せていた。現れた当初はまだ常識的な痩身であったが、時を経るにつれて苦行僧のごとく干乾びていき、今では浮浪者など社会のゴミだと相手の面前で言ってのける者でさえぎょっとして言葉を失うほどに痩せていた。それなのに彼の双眸はやけに精気に満ちていた。どこか超然とした目の色をしていた。その瞳の輝きは他のホームレスの誰とも共通しない。若くして異端なる者が有名にならないはずもなかった。
 そうと考えると、普段の彼の行動に照らしてみれば、こんなにも爽やかな朝に広場の中心を堂々と占拠しているというのはおかしな話である。
 小説家は思った。やはり死んでいるのかもしれない――彼は己の胸にある期待がけして善いものではないとは知りながらも、どうしても期待せざるをえなかった。が、反面、その期待の反対側では己の好奇心が失望に変わることをも期待していた。
 やがて小説家は男の傍にやってきた。
 公園にいる人間達の目が、老齢の小説家と若いホームレスに向けられていた。
 若いホームレスは、空を見上げていた。その瞼は開かれたまま凍りついていた。ずっと空気に晒されていたがために乾き切り、腐乱の予兆を感じさせるほど濁った瞳で、その男はじっと抜けるような青空を見上げ続けていた。呼吸のたびに動くはずの胸は凝固し、肌の色は蒼白を通り越して蝋のように白い。
 間違いなく、男は死んでいた。
 男の死に顔を見た瞬間、小説家は目を見張った。それは彼をここまで駆り立ててきた期待感のためではなかった。実際に死体を見れば、例え前もって死体であるのだと予期していたとしても少しは驚くはずであろうが、そのためでもない。彼は、突如として己に襲いかかってきた強烈な疑問のために目を見張っていたのだ。何故ならば、乾いて濁ってしまった双眸に爽やかな青空を映すその若い男は、その痩せこけた頬に、老いた小説家が現実において未だに見たことのなく、また彼が彼の作品の中で描いたこともないほどの穏やかな笑みを遺していたのである。このような死に方にはおよそ相応しくないはずの微笑であり、場違いなまでに幸福を湛える死に顔だった。まるで老いた小説家が「このような顔で死にたい」と思い描く理想が、今ここに寸分違わず具現されているかのようでもあった。
 それを疑問に思わずにいられるだろうか。
 そして疑問の後に、衝撃を覚えずにいられるだろうか。
 初めて嗅ぐ人間の死臭に困惑している愛犬のか細い声がなければ、小説家はその疑問のために己の成すべきことを思い出せなかったかもしれない。
 小説家は携帯電話を取り出して、警察に連絡した。オペレーターに状況を説明するために死体を見下ろして、小説家はふと思った。本当に、本当にこの若者は痩せている。ジャケットから突き出る手はまるで鳥の足、手首は節のある枯れ枝だ。髪の毛まで痩せ細って、所々には脱毛の跡も見られる。顔はと言えば頬骨が突き出て眼窩は落ち窪み、微笑みを刻む頬は歯の形が幽かに浮いて見えるほどあまりに薄い。骨と皮、いいや、死するより先に骨となっていたかのようなこの若者の肉体は、よくもこれまで命を保ってきたものだ。
 事態を察した人々が集まり出した。
 通話を切った小説家は今一度若い男の死体を見下ろした。手を合わせることを忘れていた。それを思い出して手を合わせようとした時、彼はふと、男のジャケットのポケットに何かがあることに気がついた。蓋のなく、小さな消しゴムも削れてなくなったシャープペンシルが収まっている。角度を変えて中を覗き込むと、使い込まれたペンに比べて真新しいリング綴じのメモ帳が見えた。その表紙は空と同じ青い色をしていた。
 本来、警察が来るまでは若い男のどこにも手を触れてはならないのだろう。しかし、小説家は自然に手を伸ばしていた。彼の胸の内では先刻からの疑問が燃え盛っていた。その熱が彼を突き動かしていた。この若者は何故このような顔で死んでいるのか。きっとここに回答がある。確信があった。確信があるからには見ずにいられようもなかった。
 周囲に集まってきた人々がざわめいている。中には先ほどすれ違った顔馴染みの中年女がいた。彼女は我が子より可愛いという自慢の愛犬を抱いて、嫌悪とも同情とも好奇心ともつかぬ色に染まる目で、老いた小説家と若い死体を見比べている。
 小説家は不安げに己を見上げているレトリーバーを一撫でしてから、メモ帳を開いた。
 縦書きで、綺麗な文字が几帳面に並んでいた。
 小説家は素早く目を通した。書評なども頼まれる職業柄、速読は得意だった。警察が到着すれば遺品を勝手にはできないだろう。その前に読み切ってしまおう。
 メモ帳に書かれていた文章は……どうやら簡単な身の上話であるらしい。詳しい出自などは書かれていない。読み始めてすぐ、小説家の唇が嘲笑にも似た形に歪んだ。それがやがて真一文字となり、最後には半ば呆然と開かれた。その短い手記を読み進める速度も落ちていき、最後には、彼は小さく震えていた。その顔はひどくしかめられ、顔色は今にも憤怒を吐き出しそうなほどに真っ赤に染まっていた。彼の見開かれた目は明らかに驚愕を示し、眉の間には軽蔑とも敬意とも取れる影があり、その瞳は定めようのない感情のために揺れていた。頬の強張りは、強烈な否定のためであろうか? 一方、半ば開かれた口元の緩みは畏敬を伴う肯定のためであろうか。
 それは、見る者に当惑と疑問をもたらす表情であった。
 当惑と疑問の起源が老いた小説家の手にあるメモ帳にあることは明白だった。
 では、メモ帳には一体何が書かれているのだろう。
 誰かがそれを問いかけようとした時、警察が野次馬の作る輪の中に飛び込んできた。

 死んだ若い男の正体を示す物は何もなく、全国のどこにもそれらしき失踪届けもなく、彼の身元はついに判明しなかった。
 老いた小説家は、死んだ若い男の供養を自ら申し出た。簡易なれどもちゃんとした葬式を挙げてやり、無縁墓地への埋葬、その費用を受け持ち、その代わりに遺品を手に入れられるよう交渉したのである。
 希望は叶えられた。
 老いた小説家の家に、公園の薮の中、簡易極まるビニールシート製の屋根の下に残されていた若い男の荷物が運び込まれた。
 ナップザックが一つ。そこには安売りで買ったのか同じデザインの替えの服と下着が二着ずつ、それから最小限の生活用品。話によると彼は死の前夜、レンタルビデオ店に併設されているブックコーナーで数冊の本に紙幣を挟み込むという(これは彼の死を受けて店員が監視カメラを改めたところ発覚した)振る舞いをしていたそうで、去り際には募金箱にコンビニのレシートごと十数枚の硬貨も放り込み、どうやらそこで持ち金を使い切ってしまったらしい。老いた小説家は彼がきっと通帳を持ち歩いていて、それが身元の手がかりになると期待していたのだが、となると口座もとうの昔に解約し、現金は裸で持ち歩いていたのか……いや、まあ、それらはどうでもいい。それよりも、何より小説家にとって重要なのは残りの荷物、二つの大きなトランクケースであった。内側をビニール袋で厳重に裏張りされたその二つには、ぎっしりと、大小様々なノートと、紐で閉じられた原稿用紙の束が詰まっていた。その他には、おそらくこのノート群の以前、パソコンで執筆していた時代のものらしい1GBのメモリーカードを納めたケースと、ブランド物の高級万年筆(インクは切れていて、カートリッジもボトルもどこにもない)、それから手垢で真っ黒になった広辞苑がトランクケースの隅で一まとめにされていた。
 さて、ノートは一体何冊あるだろう。まず百は軽く超えている。その全てが使い切られていた。細かい文字で几帳面にびっしりと、その全てに小説が書かれていた。掌編、ショートショート、短編、中編、長編……メモリーカードの中身も含めれば何作あるだろう。原稿用紙の束はどうやら自信作を清書したもので、万年筆で書かれた字が写経でもしたかのように整然と並んでいた。ノートにも原稿用紙にも、表紙にはタイトルと、それを書き上げたのであろう日付が記されていた。
 老いた小説家は、最も新しい日付の記された作品に目を通し終え、しばらく黙した後に重く深いため息をついた。
 大学ノート二十三冊に渡って綴られた物語。
 青色で統一された二十三冊に偏執的にもびっしりと記された文字は、後半に向かうに従って活き活きと躍動していた。
 しかし、文章もストーリー展開も、とても巧みとは言えなかった。もし老いた小説家がこの作品について書評を頼まれたなら、誉めるべき点は存在するが、お世辞にも面白いとは書けない。全体としては体裁よくまとまっているのだが、斬新・画期的な表現方法を意図して失敗したのか所々に意味不明な箇所があり、技巧を凝らそうとしてかえって稚拙となった文も頻発する。作者の中でのみ意味が通じる描写という基本的な失敗も目立つし、単純な事実誤認は訂正すればいいとしても、単純に訂正するだけでは取り繕えない形で組み込まれた思い違いの思想解釈については関連エピソード全てを大幅に改稿する必要があるだろう。さらに一箇所、最重要ではないものの、とはいえ欠かせない場面での整合性を欠いた独りよがりな展開も無視できない。それなのにこの小説が全体的には体裁よくまとまっているのは、列挙した瑕疵が良くも悪くも本質的には本筋に絡まないことと、何より作者の筆力のためであった。しかし、何とも皮肉なことではあるのだが、その筆力で何とか巧みにまとめられてしまっているからこそ、かえってこの小説は文章もストーリー展開もとても巧みとは言えない代物となってしまっているのだった。
 また、ここに描かれているのは、物語としては悲劇である。
 だが、ここに書き込められているのは、悲劇を悲劇たらしめるものではなく圧倒されるほどの歓喜であった。
 そう、歓喜だ。
 このけして誉められない作品には、作品の質に比して到底不相応な歓喜が漲っていた。
 老いた小説家は、死んだ男の遺したあの青いメモ帳を手に取った。
 唇を固くしてメモ帳を開く。
 青空の下で見た几帳面な文字が、電灯の光の下でも変わらぬ誠実さを――例えそれが歪だったとしても、誠実であることには違いない心を伝えてくる。あの若者は、形はどうあれ、ひどく実直であった。一方で己の書いた悲劇の主人公の行動を自ら真似してしまうくらいの愛嬌もあったらしい。それがまた、老いた小説家の唇を複雑に歪めた。
 老人は改めて読んだ。
 順序が逆になってしまった。
 これは『あとがき』であったのだ。
 この最期の作品の。
 そして栄養不足のためであろう、骨も残さなかったあの若い男の人生の。





埋み火によせて

 ――昨夜、猫の死体を見た。
 ――黒いアスファルトと白い横断歩道の境界で潰れて死んでいた。
 ――それは私にとって、あのキリマンジャロの豹だった。


 子供の頃から、小説家になりたかった。
 子供の頃から、本が好きだった。
 子供の頃から、小説を書いていた。
 子供の頃から、書いた小説を、面白いと言ってもらえたことはなかった。

 私には才能がない。

 子供の頃、そう悟った私は小説家になりたいという夢を心の奥底に埋めることにした。
 子供の頃、「何になりたい?」と聞かれれば大声で「小説家!」と答えていた。それは私の心に赤々と燃える火であった。
 子供の頃、私の生活は本と紙に囲まれたものであり、子供ながらの遊びなどせず、当然友と呼べるものもなく、また作らず、ただ、ただ、心の中で燃えている、そのかがり火へ向けてひたすら夢中に走っていた。
 だが、父も母も、私の小説を誉めることはなかった。面白いという一言もなく、今思えば本と紙に囲まれるだけの私を心配して目を覚まさせようとしていたのかもしれないが、私の小説が詰まったノートに眉をひそめ、そもそも最後まで読みきってくれることもなかった。こんなことより勉強しなさい。こんなことをしていないで友達と遊びなさい。私の小説にはそんな言葉はひとかけらも書かれていなかったのに、両親の口からはそればかりがこだまのように返ってきた。ある日には、父はくだらないとはっきり言い切った。母は否定してくれなかった。
 私は、小説家になりたかったのだ。
 私はこう信じた。そうだ、私の作品の価値を父と母は解らないのだ。物心がついてから初めて抱いた軽蔑心は両親に向けられた。私は家を出た。ノートを抱えて友達と遊んでいる同世代の人間に語りかけた。読んで欲しかった。読んではもらえなかった。今思えば当然である。友達でもないただの同級生からいきなりノートをつきつけられても読んでくれるわけがない。
 しかし、二人だけ、読んでくれた人がいた。クラスの担任と、クラスでも有名な読書好きの女の子だ。
 先生は言った「よく最後まで書き切りましたね」
 女の子は言った「わたしにはこんな風には書けないわ」
 面白い、と、ただその一言が欲しかった。
 優しかった二人は私を傷つけないよう他にも色々誉めてくれたはずだけど、だが、その一言はついに出てこなかった。
 その頃の私は国語の授業がとても面白いその先生を尊敬していた。
 読書好きのその女の子が作文コンクールで賞を取るのを鼻で笑いながら、実は嫉妬していた。
 悔しかった。
 二人の誉め言葉が慰めにしかすぎず、反面体裁を取り繕う言葉であることが解り切ってしまったから余計に屈辱でもあった。
 先生には泣き叫び、女の子のことは散々に罵倒した。
 その様子があまりにひどく、ありていに言えばキチガイのようであり、そのため親が呼び出された。父は恥辱に任せて私を殴った。母は私に冷たい失望の目を向けた。その時、私ははっきり悟ったのだ。
 私には才能がない。
 それは、もしかしたら私の物心が本当の意味で目を覚ました瞬間だったのかもしれない。
 だから私は、小説家になりたいという夢を、それまでの私の生きる意味、人生のかがり火を心の奥底に埋めることにしたのだ。
 それからの私は人が違った。
 一切の創作を止めた。物語を読むこともなければ空想にふけることもなくなった。代わって私の手にあったのは学術書であった。あるいは野球やサッカーのボールであった。私は間違っていたのだ。父と母が正しかった。ならば父と母の言葉に従うのが筋であろう。それでも私を疑う父は、私の作品達を私の手で焼き捨てさせた。母は私がこれから書こうと小遣いの全てを注ぎ込み買い貯めていた原稿用紙を私の手で破り捨てさせた。私はそれにも当然従った。私の心に灰が降り積もり、埋めたかがり火に止めを刺した。千切れたカミは塵芥となって降り積もり、私の心の風景を一変させた。
 真っ暗だった。
 しかし、傍目から見れば、まさに私は普通の人間となった。
 父も母も喜んでいた。
 父と母が正しかったのだ。
 私は父と母に言われるがまま勉強し、スポーツに励んだ。
 高校は地域の上位校に進み、全国的に名の通った大学にも進んだ。
 傍目から見れば、私は普通の恵まれた人間であったのかもしれない。
 父と母は喜んでいた。
 父と母は間違いなく正しかったのだ。
 父は私の進んだ大学の名に満足そうであったし、母が近所の奥様方に誇らしくしていた姿を覚えている。近所の奥様方の目も、羨望に染まっていたように思う。
 しかし、私は、常にぎこちなかった。
 心の底に夢を埋めてからずっと、私は常に隙間風を感じていた。
 父と母は正しかったが、その正しさの裏側で、私は常に違和感を抱え続けていたのだ。
 成績は上がった。しかし、それが私に満足を与えることはない。知識が増えることには一定の快感を得ていたが、それを他人に評価されることには何の魅力も感じず、それどころか冷笑を向けていた。
 部活を通して得た友人は多かった。しかし、彼らと肩を並べて笑い合っている最中でさえ私は常に己に対して空々しいものを感じていた。孤独などという上等なものではない。それは侮蔑にも似ていた。
 恋人も出来た。しかし、彼女から差し向けられる愛情に、私は一度でも正当な愛情を返せたと言える気がしない。むしろ彼女との愛を交し合う最中には、友人達と笑い合っている時以上の空々しさを感じていた。それは、あるいは嫌悪ですらあったのかもしれない。私であって私でない肉体が、人格ある女性に愛され、その返礼に言葉巧みにうわべだけで愛を語る。虚言に投影された影絵芝居を見ているような感覚。彼女から別れを切り出された時、傍目には私は動揺していただろうが、本心では清清しさを感じていたように思えてならない。
 それら私の中の空虚な違和感が致命的な形となって私に襲い掛かったのは、いよいよ就職活動に入った時だった。
 そのための準備。
 ――自己分析。それが私の足元に奈落を開いた。
 ――自己実現。それが私の胸元に風穴を開けた。
 自己分析――私が私を分析した結果、言おう、私の本質はおよそ社会生活に適合するものではなかった。常に感じ続けていた違和感。普通の、と呼ばれる生活を私は結局どうしようもないほどの無価値なものだと思っていた。そんなものはいらない。私は心から誰かと語らうことも誰かと愛し合うことも必要としていなかった。成績に対する冷笑も、友との笑顔に向ける侮蔑も、恋人との愛に対する嫌悪も、それらは全て「そういうもの」に付き合っている振りをしている自分に向けたものであった。私が本当に向き合いたいものは他者との知力の比較でもなく友情でも愛情でもない。それらを自ら誰かと分かち合うのではなく、私は部外者で良い、ただ誰かが分かち合っている姿を記録に残したい。それを誰かに伝えたい。私は私の人生の主役ではなく、私の人生そのものが誰かの人生のフィルターになることを望んでいたのだ。
 自己実現――自己を実現する? その方法はあらゆる意味で一つしか存在しなかった。自己実現という哲学的な文言が私の胸元に空けた風穴は、私の心の中に吹き続けていた隙間風を暴風と化した。逆巻く風は私の心の奥底にも辿り着き、あっという間に、心の奥底に降り積もっていた灰を、塵芥ちりあくたを吹き飛ばした。吹き飛ばし、すると、そこに埋まっていたあのかがり火が、灰と塵芥の底で埋もれたまま、それでも尽きることなくじっと燻り続けていたあの夢が蘇り、一気呵成、瞬く間に大火となって私を飲み込んだ。
 私は行き場を失った。
 いや、初めから私の生き場は一つしかなかった。それが真実だった。真実を見出した私の取るべき進路はそう、一つしかないのだ。
 埋み火に焼かれ続けていた無意識が、心が、疼いた。
 真っ暗だった世界が色鮮やかに浮かび上がった。
 私は再び小説家を目指した。
 再び筆を取り夢中になって創作を再開した。
 その時から私の中に隙間風はなく違和感は消え冷笑も侮蔑も嫌悪もなく私の意識は色彩豊かな白黒の世界に没し情熱を取り戻した魂が! 私の人生に温もりを与えた。
 私はその時になってやっと気がついた。
 私の魂が、あの幼い頃に熱源を奪われた魂がずっと凍えて震えていたことに。
 私はかねてからカロリーを「熱量」と訳すことに疑問を感じていたが、このとき真実を理解した。肉体がカロリー(熱量)を得ねば満足に活動できないように精神にも同様にエネルギーを生み出す熱量(カロリー)を与えねばならないことに。
 そう、肉体は他の肉体的な何かしらを食う。
 ならば精神は他の精神的な何かを食わねばならない。
 私はその糧となるべきものを塵芥の底に埋めていたのだ!
 何と愚かな時間を過ごしたことだろう!
 改めてかがり火を取り戻した私の目には、世界が、さらに、ことさらに、色鮮やかに輝いて見えた。体は常に熱り、やがてあらゆる友好をなくしていく中でもあらゆる友好のあった頃よりもなお今の自分がこの青春が輝いていることを感じていた。
 しかし傍目には、私は落伍者であった。
 父と母は大いなる失望を抱え、私に殻潰しという尊称を与えてくれた。何を言っても無駄だった。それどころか邪魔でしかなかった。邪魔をすることを命題としたようでもあった。時を超えて蘇った炎のために戦慄し、炎の熱に怯えて顔を醜く歪めながら、あの時のように私を去勢しようというのだ。私をまた空虚と偽りの道に戻そうというのだ。それが普通なのだからと。常識なのだからと。ならば普通や常識というものは既に狂気に冒されている。虚偽と欺瞞によって補綴されねば成り立たぬものだ。そのように言う私は異常だと言う。ならばシェイクスピアの言うように異常が正常なのだ。おお、私は偉大なるシェイクスピアと同じ境地にある! それも解らぬとは! 私は家を出た。家を出て、とはいえさすがに生活をしなければならない。小説を書くために。そのために。最低限の賃金を得るために細々と働きながら、それ以外の時間は執筆に励んだ。
 作数は五百を超えた。いずれは千一にも迫り、あるいは超えよう。その中には自信作も生まれた。いくつも生まれた。当然公募にかけたが、何年経っても一次選考にすら通らなかった。
 悔しかった。
 何故、私の作品の価値が他者には解らないのか? そうも思い、身悶えた夜もある。
 しかし書き続け、月日が経ち、やがて私は悟った。
 結局、私には才能がないのだ。
 それだけでなく運もないのだろう。
 しかし、それが小説を書くことをやめる理由にはならなかった。当然だ。そんなことになるわけがないだろう? 才能の有無など何の意味もなさない。運の強弱が何となることもない。何故ならそれらは本質的には私とは無関係なものであるのだから。何故なら「小説を書くこと」それこそが私の魂の欲する熱量でありまた私の魂そのものでもあるのだから! 小説を書いている時、私の脳裏には不思議な熱がある。覚醒と酩酊を同時に引き起こす熱。夢と現実を統合し、時間すらも超越する途方もない熱が。どんな快楽もこれに並ぶものはなく、どんな苦痛もこれに並ぶものはない。これ以上に私に人生をあたえてくれるものはない。
 過去の自己分析が甘かったことを私は悟った。私が本当に向き合いたいものなど、真実にはそんなものは存在しなかったのだ。そんなものはいらない。そうだ、私は小説を書くためだけに生まれた!!
 思えば神様も意地の悪いことをしてくれたものだ。もし私に天賦の才を与えていてくれたなら、私は名作を大量に送り出す不世出の人間タイプライターにだってなってやれたものを。
 しかし、そうでないからには仕方がない。
 私は、私の正体を悟った後には、生活のための労働に耐えられなくなった。確かにそれは肉体の糧を得るための金をもたらすが、一方で精神の糧を得るための時を奪う。元より時間を奪われることには苦痛を感じていたが、それ以降は呪わしい憎悪の対象になった。排除すべき悪魔、神の敵となったのだ。
 真意を得た私にとって、肉体のための生活に未練はなかった。
 仕事を辞め、家を引き払った。
 流れては書き、書きながら流れた。
 私は迫害された敬虔なる巡礼者であった。
 その頃には既に食欲を感じることはなかった。
 灰色の脳と手を動かすためだけのカロリーを取ることが義務となっているだけだった。
 過去の仮初の生業によって貯えられた金で十分以上に事足りた。
 尽きればやがて私は道半ばで殉じるだろう。
 それは本望であった。
 それこそが本望であったと言い切ろう。
 食欲だけでなく睡眠欲も消えた。
 眠る時は眠りたいから眠るのではなく、眠りたいと思う間もなく意識が途切れるに任せた。しかし暫時夢を見るのも惜しい。その想像力は紙に記すべきなのだ。
 あらゆる欲求が消え失せた。
 紙とペンだけがあればいい。
 ただ書きたい。
 ただ書くことへのあくなき希求だけがあった。
 流れては書き、書きながら流れた。
 特別定住の地を必要としてはいなかったが、無人島に流れ着いた少年達とは違い、私はやがて素晴らしい場所に流れ着いた。私の詩想が天啓を捉えた。この地を終の住処とせよと命じていた。私は従った。初めは煩わしさもあったが、やがて邪魔が入ることも極めて少なくなった。何ものにも替え難き聖なる無関心の杜。大統領を目指す必要もなく、魔王を呼ぶ豚を追い立て食い殺す者達もやってこない。自ら災厄を招かぬよう身だしなみを整える手間は苦痛であったが、そんな犠牲などいくら払ってもよい絶好の場所であった。薮の中の育ちの悪いニレの木。この木こそは翼ある天馬の降りる所、神の家、私の菩提樹、その根元こそが私の桃源郷であった!
 喜ばしい日々だけが、あった。
 私は書いた。
 巡礼の旅の最中に見た物が新たな着想を芽生えさせていた。崇敬を致すムーサが私に囁きかけていた。私は夢中になって書いた。晴れの日も雨の日も風の日も雪の日も書き続けた。暑さも寒さもこの胸に燃え盛る情熱を何とすることもできない。病の熱も我が魂を燃やす火炎の敵ではない。書き続けた。脳裏には物語が溢れている。心の命じるままに書き続けた。書き続けた。書き続ける私は幸せだった。私の活動を妨げるものは何もない。私は私に与えられた時間の全てを執筆に注ぎこむことができる。体は常に熱り、脳裏にはあの不思議な熱が常にある。肉体は漸次痩せ細っていっても、精神ははるかに高く大きく飛躍していく。
 そうしているうちに、私は一つ、悟った。
「結末の日が近い」
 私の肉体が限界を迎えたのではない。
 私の魂が燃え尽きようとしていた。
 それは何も悔しいことでもなく、悲しいことでもなかった。
 私は、その時、私の書くべきことがなくなったことを知った。正確にはなくなりつつあることを知った。
 私を常に駆り立てていた情熱。脳裏に溢れていた物語が、その時、どこにも見当たらなくなっていた。ただ私の目の前にあるノートに、最後の一つが写し取られている最中であった。――何と言うことか! 小説を書くためだけに生まれた私が、私の書き記すべき物語を全て書き尽くしつつあったのだ!
 そう悟った時、私の魂はなお盛んに燃え上がった。
 何十億といる人間全てに問おう。一体どれだけの人間が、その魂を己の生きる意味、その命を偉大なる情熱の炎で燃やし尽くすことができるというのか?
 喜ばしい日々は終わった。
 私には今、満足だけがある。
 全て燃え尽きた。
 他にもう何もない。
 空っぽである。
 私の中で燃え続けていたかがり火も消えた。もうどこにもない。過去とは違い、埋み火としてどこかに隠れているわけでもない。あの執念深い炎も、とうとう私の魂とともに燃え尽きたのだ。そのために寂しさがないとは言わないが、空っぽな私の中には満足感が充足している。喜ばしい日々が終わっても、その陽だまりの生んだ余熱が未だに私を温めている。
 これは奇跡だ。
 これを奇跡と呼ばずしてなんとする。
 私は小説に殉じることを本望と言った。それは嘘ではない。しかし、もし、道半ばで倒れていたとしたら、私はきっと深い悲嘆の中で死んだだろう。それが本望であったとしても、嘆きはやってきただろう。私は知らなかったのだ。小説に殉じること以上の至福があろうとは、思いもよらなかったのだ。私が書き上げた私の最後の作品は、私の生涯最高の傑作と言って過言ない。見事、実に素晴らしい作品である。これ以上ない芸術である。
 私はここに胸を張って言おう。
 私は書き続け、ついに書き切り、私は、書き尽くしたのだ!
 昨夜、猫の死体を見た。
 黒いアスファルトと白い横断歩道の境界で潰れて死んでいた。
 それは私にとって、あのキリマンジャロの豹だった。ヘミングウェイの描いたあの男はキリマンジャロの頂に辿り着こうともせず、干からびた豹すらその目で見ることができなかった。しかし私は豹を通り過ぎ、頂に至った。
 今、これを書く私の頭上には満天の星がある。
 真夜中だというのに真昼のように明るい。
 幾億もの流星が。
 ああ、数多の塵芥が、燃え尽きていく。
 光だ。
 祝福の光だ。
 ああ、なんて美しいのだろう。
 今こそ私は声高らかに誇ろう。

 私は、小説家だった。







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