オンライン文化祭 ―2011―

おいしい夜食の作り方

 16歳で文壇デビューを果たした天才小説家、佐利絵里こと私は頭を抱えていた。
 私の目の前には液晶モニタがある。
 モニタには愛用のパーソナルコンピューター、その名もPC氏の頭脳が真っ白なドキュメントファイルを吐き出している。
 ……吐き出しっぱなしである。
 ちらりと時計を見る。
 短針は1。
 長針は3の一歩手前。
 ならば愛用のPC氏はかれこれ15時間ほど一心不乱に吐き続けていることになろうか。
 タフなものである。
 筐体の中からはCPUに風を当てるファンの音が静かに響いている。しかしPC氏の脳味噌は大して熱を持っていない。むしろ私の脳味噌が焦げ付いている。では、我が灰色の有機CPUこそを冷やそうか? しかし真夜中真っ盛りの外では台風じみた風が吹いている。正直、ちょっと怖い。
 が、もっと怖いのは時の進みである。
 あと22時間45分も経てば、私は締切日という地獄に遭遇するのだ。
 なのに私の目の前にあるのは、文字一つ表示されないドキュメントファイル――つまり真っ白な『紙面』なのである!
 試しにキーボードを叩いてみよう。
 h、次にa――即座に「は」と表示される。続けて私は「んば」とまで打ち……私はBackSpaceキーを連打してドキュメントを再び白い更地に変えた。
 アイディアが一向に出てこない。
 創作意欲はあまりの難産に耐えかね白目をむいている。レフェリーがいるのならどうかテクニカルノックダウンを取ってくれないだろうか。天才だってたまには負けたい。負けたいが、負けると実際悔しいので敗因をレフェリーのミスジャッジと主張したいからどうか誰かレフェリーになってはくれまいか。
 今や旧世代となった1024×768型のモニタを睨むが、いくら睨んでも、真っ白なドキュメントにはどんな文字も浮かばない。当然だ。今、私の脳裏の裏の裏で形になることを待つ何かが自動的に言語化されてそこに表示されることなどありはしない。以心伝心、PC氏が私の脳裏の裏の裏から完成品を勝手にテレパシってくれたらとも思うが、残念、それは現代最先端のコンピューターにもできやしない。一時代前ならハンサムだともてはやされた我がPC氏が可能かどうかは言わずもがなである。
 真っ白な、ああ、真っ白な紙面。
 私は画面を睨む。
 思わず唸り声が腹から響く。
 まるでエネルギーを消費するだけ消費して何も生み出さない頭脳を恫喝するように。
 しかしそれでも私の頭は紙面同様真っ白であった。反応はない。応答もない。
 おお、いっそモニタの中の真っ白な紙を破けたらどんなに爽快だろう! この時ばかりは原稿用紙に直書きする作家が羨ましくなる。用紙をぐしゃぐしゃに丸めてそこらに放り散らかせたらどんなに気持ちいいだろう。ちなみに私は片付けられない女ではない。
 されど、どんなに願おうと、モニタの中の原稿用紙を取り出してくしゃくしゃになんてもちろんできやしない。
 二次元の世界に三次元の世界から手を突っ込むことなど誰にもできやしないのだ。
 できるとしたら、否、それを可能とすることを実現して見せたなら、きっと狂喜乱舞してその技術を手に入れるためなら金に糸目をつけない紳士淑女が私を大富豪にしてくれるだろう。まさに濡れ手で粟である。ああ、そうしたら……ああ、もしそんなことができたなら! 私は産休に入った担当の代理である新人編集の「次のエッセイは得意料理についてよろしくお願いします。え? できない? だってサリエリさん、弟さんの母親代わりでしょう? もうツイッターで予告流しちゃいましたよ?」だなんて無神経で不勉強極まりない無茶振りに苦しむことなく自分の書きたいものだけを書きながら安穏と暮らして死んでいけるのだ。願わくは、晩年に最高傑作を書きたい。三部作だ。連載形式が良い。そうして第三部が三分の二まで進んだところでぽっくり死ぬんだ。読者は嘆くだろう。そして結末がどうだったかを議論するだろう。未完のまま遺稿がまとめられ、設定メモと共に出版される。それを元に議論がさらに深まる。結末はこうだったのではないか? いや違う、こうだ。何を言うか彼は彼女と幸せな、そんなわけがない、この流れでは悲劇以外にはありえないだろがクズめ! 何だとこのやろう!――そこで三年後、私の遺言に従って開かれた貸し金庫から完成稿が発見されるのだ。そこには読者や批評家の誰もが考えつかなかった結末が用意されている。そこで再び私の才能が世に知らしめられる! そうして未完の大作は完結し、伝説となるのだ。
「ああ! もう!」
 私は頭をかきむしった。
 いけない。思考が、本来向かうべき方向から二万海里くらい離れた場所へ全力潜航だ。これはいけない。
 深いため息が漏れる。がしゃりとキーボードに手を置くと「えしあg」と紙面に書き込まれる。お腹が再び恫喝の唸り声を上げる。
 ああ、もう!
「ダイエット中だったのに!」

手順0: 料理をする前に

 読者諸氏に向け、私はここに改めて告白する。
 私は、料理がまったくできない。
 確かに私は来年の大学入試に向けて受験勉強中の実弟の保護者であり、扶養者であり、また母代わりでもあれば父代わりでもある。
 その事実は本来ここで改めて触れることではないだろう。私のエッセイを通読されるような親愛なる読者諸氏ならば当然拙著『へのかっぱ』を読んでいるはずだ。が、たまたまこの雑誌を手に取ったはじめましての読者諸氏は何のことやらさっぱりだろう。だから親切な私はここに今一度簡単に説明したいと思う。
 何から話そうか……
 私の母は私を36の時に産んだ。弟はその4年後になる。どちらも高齢出産に両足を突っ込んでいるが、姉も弟も実に安産であり、成長も良好、ここまで弟は大きな病気も怪我もしたことがない。私は病気こそないが、階段ですっ転んで頭蓋骨を骨折したことがある。その時は死ぬかと思った。
 さて、その母は、私が17の時に死んだ。はじめましての読者諸氏の中にもピンときた方がおられるだろう。そう、『今宵ピエロは虚しく哂う』で彗星のごとく文壇デビューを果たした女子高生に世の中がちょっと騒いだ翌年のことだ。
 肺癌だった。
 運の悪いことに転移もあり、発覚した時にはもう手遅れだった。頭蓋骨を骨折した私と同じ病院に入院し、そして私だけが退院した。三ヶ月の闘病生活の末、母は死んだ。
 父はそれ以降めっきり元気をなくし、およそ三年後、弟の県でも有数の進学校入学を見届けた日、いつも通り母の遺影に息子の晴れ姿を長く語ってから就寝し、翌日、目を覚まさなかった。脳溢血。父は本当に眠ったまま逝ってしまった。
 愉快な両親だった。
 私が子供の頃は、父は普通のサラリーマンで、母は普通のパートタイマーだった。そのわりに良い場所に年収不相応の広い家を持っていた。家は父が亡き祖父母から生前より与えられたものだった。
 崩壊は私が小学校四年生のことだった。
 保証人となってやった親族の蒸発により、一家の状況は一変した。後で知ったことによると、父は信頼していた親族の裏切りを受け、ショックのあまりに自殺までしようとしていたらしい。だが、母は持ち前の明るさを決して失わなかった。母は裏切られた後も明るい笑顔を絶やさず、財産を手放すことを決めた晩、その家での最後の贅沢な夕食の席で「こんなん屁のかっぱ」と本当に屁をこきながら言ってのけた。その大音に弟が笑い、つられて私も笑い、最後に父が涙を流すほどに大笑いした。父は母に救われたのだ。
 祖父母の代よりも地価の上がっていたお陰で借金の大半は一時に返せた。それでも1千万ほど残り、それを両親は競馬で返した。金目のものを全て売った週末、両親はストレス解消のためとそれまで縁のなかった競馬場に足を運んだのだ。勝っても負けても一度きり。そのつもりで挑んだ初競馬で三連単払い戻し百万馬券を当て、さらにそれを転がして一日で借金を返した。転がすというのは、的中で得た払戻金をそのまま次のレースで賭けることを言う。そう、百万をだ! 両親は何だか色々吹っ切れていた。目の色が変わっていた。のんきに「おうまさんパッカパッカ」なんてはしゃいでいた弟を迷子にしたまま慎重派である私と積極派である両親の間で繰り広げられた熾烈な攻防は拙著『へのかっぱ』に詳しいのでこの機会に是非参照されたい。
 その時は結局両親が押し切り、その時は幸福な結末に終わった。本当に幸いだった。ハナ差、たった数センチ差の決着。ゴールの瞬間、負けたのではという恐怖と、勝ったのではという喜びの板ばさみとなり、勝利が確定した時には興奮のあまりに少しちびっていたことを私はここに初めて告白する。
 一発逆転。
 一家が最高の興奮に包まれた日だった。
 何しろ借金を返して一時所得に対する税金を考慮してもおつりがくるほどだったのだから!
 しかし、迷子になったためにパドックの隅でこっそり泣いていた弟は不幸だった。
 だが、もっと不幸だったのは、父がそれで競馬に――いや、ギャンブルにはまってしまったことだった。父は知らぬ間に『おつり』を使い果たし、あげく5百万の借金を作っていた。総額的には1千万の半ばなれども事実上は元の木阿弥である。経理を担当していた会社の金に手をつけなかったことだけが不幸中の幸いだった。しかしギャンブルに入れ揚げていたピーク時の勤務態度が弁解の余地もないほどに悪く、居場所もなくなり、自主退職とは名ばかりに会社を事実上、クビになった。
 その際、一度両親は離婚した。母に決然と離婚を申し渡された父は心を入れ替え、一人、家族から離れ、二年間みっちりしゃにむに働いて身を綺麗にした。二年ぶりに帰ってきた父は、即日、母と二度目の婚姻届を書き上げた。
 と、その折に一つの問題が発覚した。
 その頃の母は、アルコール依存症一歩手前となっていたのだ。
 明るく気丈だった母もやはり人の子だったのである。人生が一時に激動した反動で心を疲れさせ、その隙間を埋めてくれるはずの父に(父のためとはいえ)自ら三行半を突きつけた罪悪感が母を苛み、働きながら子どもを育てるストレスも追い討ちをかけ、母は次第に酒に救いを求めるようになっていた。
 昔から母は酒が好きで、晩酌といえばうちでは母がするものだった。つまり母が酒を飲むのは極自然なことであり、そのためもあって――いや、情けなくも、私は母の異常に気づけなかった。最近は少しお酒が多いな、とは思っていたが、それだけだった。
 異常を察知したのは父だった。帰ってきたその日に気づいた。
 母が依存症患者とならなかったのは、ひとえに父のお陰である。
 具体的に言えば父の体を張った『教育』の賜物である。
 父は母の目の前で泥酔してみせ、怒り笑い泣き喚き、寝ゲロ、寝小便に寝脱糞と最悪のフルコースを見舞ったのだ。依存症の中毒症状と飲みすぎの症状はまったく違う。とはいえ人の振り見て我が振り直せ。居酒屋などで見る酔っ払いの醜態など比較にならない、それが身内のものともなれば強烈である。父は深刻な急性アルコール中毒で入院することと引き換えに母を依存の崖から救い上げた。母は父を愛していた。もし自分が愛する夫にそんな醜態を見せることになったら? その可能性は彼女にどれほどの恐怖をもたらしたのだろう。母はあれほど好きだった酒をぴたりとやめた。
 愉快な両親だった!
 波乱万丈な私の半生。私が高校に入ってからは生活も安定し、穏やかで幸福な時間が過ぎていた。私は幸いにも文才に恵まれ、幸運にも恵まれ、処女作がそのままデビュー作となった。受賞の連絡を受けた日は、一家四人が最高の歓喜に包まれた日だった。
 それ以降は先に語った通りである。
 私は私の本と共に灰となった母を見送った後、弟の母代わりとなった。それを聞いた人はいつも私に得意料理を聞いてくる。母代わり、と言えば家事万端をするものというイメージがあるのだろう。しかし私は料理だけはどうにもダメで、父の新たな職場は残業も多く帰宅時間はまちまちで、ならばと自然に弟が料理を担当することになった。というよりも、父と弟が母の代わりと張り切る私に料理を作ることだけはやめてくれと懇願したのだ。だから私は悪くない。料理がダメだからと責任放棄したわけではない。むしろ本当にやりたかった。けど二人が泣いて懇願するから!
 ……その頃、一家の母代わりとなった私は、一方で一つの苦悩を抱えていた。
 今だから解るが、その頃、だからこそ私は母の代わりとむやみに張り切っていたとも言える。
 入院中に書き上げた二作目『ボトム・オブ・ラブ』が、空前絶後の大不評であったのだ。
 痩せ細りながら生原稿を読んだ母は面白いと褒めてくれたのに!
 早くも一発屋のレッテルが貼られた。
 私は反発した。
 怒りを燃やし、負けん気を爆発させ、反骨精神を奮い立たせて目にも見よ、いざ三作目! と、気勢を上げて執筆に向かったが――書けなかった。書けなくなっていた。
 母を心から喜ばせていた『佐利絵里』の大スランプは、母が死んで以降静かだった家をより一層沈黙の底に沈めた。
 そんな中であったから、弟の受験の成功は久々に明るいニュースだった。
 なのに、そんな中で、父は死んでしまったのだ。そういえば父は死ぬ前夜、母の遺影に弟の慶事を語ると共に私のスランプが快方に向かうよう祈ってもいた。
 父が死んだことで当面の問題となったのは、残された私たち姉弟の生活だった。幸い、弟の学費は父の生命保険で賄える。が、逆に言えばそれらは全て学費に消える。私の輝かしいデビュー時の収入は母の治療費と両親の葬式代でほとんど消えており、以降のほそぼそとした収入では安定した生活など夢見る前に消える。私は専業作家となるため大学進学をしていなかった。すぐに早朝の宅配便仕分けのバイトと、スーパーでのバイトを始めた。その収入と合わせてようやく、アパートのランクを下げ、成人した姉と年頃の弟二人で1Kに住んで食費も切り詰めれば辛うじて、というレベルだった。
 弟は高校を辞めようとしたが、それは阻止した。父を最期に喜ばせたことをこんなことで終わらせるのは忍びない。そう思えば私のスランプも情けない。そんな状況になっても私は執筆をやめなかった。私がバイトを選んだのは時間の都合のためだ。必要な執筆時間を最大限削った上で選べる条件が、バイトの掛け持ちという選択肢にしかなかったためだ。そんな状況でも? と言う人もいるだろう。実際にそう言ってくる人もいた。執筆時間をもっと減らせば――いいや、私は時間を食べる作家である。それならいっそ諦めれば。いいや! 私は作家をやめられない。やめられるものか。それは私個人の心の問題でもあるが、私個人の心の問題以外にも、やめられない理由もあった。もし私が作家を辞めると言ったなら、弟も即日学校を辞めてしまっただろう。
 私は、恥ずかしながら、家族の肖像を本にした。
 恥部を含めた家庭の内情を世間の目に晒すことは両親に対して申し訳なかったが、幸い両親は人好きのする物語とするに耐える人生を私に与えてくれた。作家の性か、業か。思いついたからには、窮状も加味すれば背に腹は変えられない。
 一発逆転の血筋でもあるのだろうか。
 かくして三作目『へのかっぱ』はベストセラーとなった。
 両親を早くに亡くし、弟を育てることを亡き父母に誓った姉――というイメージも手伝い世間の同情を買った私は時代の寵児となった。本はドラマ化もされた。来年には映画化もされる。四作目――『へのかっぱ』の続編ではない作品も、二作目の不評が嘘のように受け入れられた。書けば書くほどうまくいく。天才作家の捲土重来、大復活。関係各所からの待遇もよくなった。ローンを組めるようになったのは非常に大きい。弟を大学まで、あるいは留学や院まで含めて希望を全て叶えてやれる算段もついた。家も3LDKと大出世だ。ちゃんとした墓も仏壇も買えた。順風満帆――今のところは。
 なぜなら、禍福は糾える縄のごとしである。
 一発逆転がこの世に存在するように、一寸先は闇でもある。
 いくらベストセラーを出しても将来安泰ではないのだ。生きるだけにも金が要る。各種税金だってある。生きた後にも墓の管理費など各種支払いもある。今後大きな病気や事故だってあるかもしれない。いつまた人気がなくなるとも分からない。弟の結婚資金も取っておきたい。弟の世話にならないだけの老後の蓄えもいる。叶うならいつか家も取り戻したい。何より、ここまでの希望は後に置いても、少なくとも弟が大学を出て就職するまでは今のこの位置に定住しておきたい。そのためにも馬車馬のごとく書き続けなければならない。
 しかし、
「そうは言ったって、こんなにお腹がすいてたらそりゃあいくら天才作家もネタに詰まって当然だ」
 そうは思わないかい? 読者諸氏。
 部屋を出た私は真っ先に弟の部屋に向かった。
 台所じゃないのかって? 言ったではないか。私は料理がダメなのだ。インスタントラーメンくらいは作れるが、そんな夜食じゃあネタ詰まりを解消できるくらいのエネルギーは得られない。
 では、読者諸氏にどんな料理下手でもできる簡単な「おいしい夜食の作り方」をご教授していくこととしよう。

手順1: 料理ができる人間をダイビングエルボードロップで叩き起こす。

「とりゃあああ!」
「ぼぐぇッ!」

手順2: 激怒する料理人をなだめる

「なっにすんだくそ姉貴!」
「腹減った! 夜食作れ!」
「ふっざけんな明日模試なんだぞ!」
「たかが模試ぐらいどってことないだろ」
「たかがとはなんだよ! 大事に決まってんだろ!」
「それは我が家の大黒柱様の空腹と天秤に掛けられることか、否か」
「是、だ!」
「それはお前の模試代を払っているスポンサー様の空腹と天秤に「何かあるとすぐそれだよ卑怯者! わかったよ、作りゃいんだろ! インスタントラーメンでいいな!」
「ハンバーガー」
「は?」
「は・ん・ばぁ・がぁ☆」
「なにブスがかわいこぶってん―いたたたたッ!」
「このまま耳を引きちぎられたくなければハンバーグ。材料揃ってることはわれてんだぞチェリーボーイ」
「チェリー言うな!」
「うちの弟は姉で○○○ピーーする願望があって困るってエッセイに書こうかねぇ」
「捏造すんな! もしそんなこと書いたら訴えてやるからな!」
「でも中学の時に○○○バキューン○○○○アッハ〜ンしたのは捏造じゃな「お願いそれだけはやめてください美人作家のお姉様!」

手順3: 後は見守るだけ

 どうだい、読者諸氏。簡単だろう? これで後は自動的においしい夜食が……
「姉貴、ひょっとしてこれをエッセイにする気じゃねーだろうな」
 ん?
「私の得意料理はハンバーグですって、捏造するわけじゃねーだろうな」
「……タマネギをみじん切りにする後ろ姿に惚れ惚れしちゃう」
「嘘書いてもいつかバレんだからな」
「仕方ないだろ。馬鹿新人が私の本を読んでないのが悪い」
「っつーか、担当がツイッターで総ツッコミ入れられてるのをそのままにしておけばよかっただろ。変に見栄張って一つだけあるとかフォローするからおかしなことになる」
「だって、馬鹿だけどかっこいいんだもの」
「馬ッ鹿じゃねーの」
 手馴れた調子でタマネギ半玉をみじん切っていく弟の顔が背後からでも見えるようだ。
 あ、鼻で哂いやがった。腹立つが、正直、こればかりは弟に理があるので反論はできない。
「でも、全部は嘘じゃない」
「あ?」
「一つだけ私にも得意料理はある」
「だから嘘つくなよ。食中毒で二度も一家皆殺しにしかけたくせに」
 その顛末は拙著『へのかっぱ』に詳しいのでそちらを参照されたい。
 弟はみじん切りにしたタマネギを、オリーブオイルを引いたフライパンで炒めていく。
 私は父の形見のCDをかけた。アルトサックスの音色が流れ出す。それにあわせるように、弟が弱火でじっくりタマネギを炒めていく。ほんのりキツネ色になるまで、それから飴色になる直前まで炒めるのがうちの流儀だ。
 弟の背姿は、日に日に父に似てきている。
 曲に合わせて肩を動かす姿も在りし日の父を思い出させる。父も、休日には、唯一の趣味のジャズを聴きながら料理を作ってくれていた。
 タマネギを炒める香りが漂い、初めはジュージューといっていたフライパンから、やがてシューシューとした音が聞こえてくる。水分が飛び少なくなったためだ。木ベラを持った弟は焦げないように頻繁にフライパンをかき回す。
 十数分も炒めたところで弟は火を止めた。大小大きさの違うボウルを並べ、小さいボウルに炒めたタマネギを入れる。大きい方には氷を敷き詰め、そこに小さいボウルを重ねた。後で挽き肉と混ぜる際、タマネギに熱があると肉に火を通してしまうためだ。いつもはしばらく放置して自然と粗熱を取っていくが、今は時間の短縮を図っている。
 炒めタマネギを冷ましている間、フライパンを洗い終えた弟は次の準備に取りかかった。
 ここで料理が苦手、と思っている読者に、料理のできない私から(見栄を張らずに告白すると丸々弟からの受け売りだが)一つアドバイスをしておこう。
 料理は、仕込みが肝心である。
 また料理には、手順が肝要である。
 お手元にレシピ本があれば、該当ページに書かれている食材や調理器具を全て冷蔵庫や棚から出すことだ。スペースがなくとも、工夫して並べておくべきだ。そして火を使う前に全ての下ごしらえを済ませよう。肉や魚介に下味をつけ、調味料を合わせる必要があるなら合わせておく。これは重要である。テレビの料理講座番組を想像してもらいたい。食材は切られ、調味料は分量ごとに分けられているだろう? その状態にするのだ。
 ぶっちゃけるとこの段階においては料理の手順などはどうでもよい。下ごしらえは所々立ち止まりながらも行うことができるし、手順が多少前後したってリカバリも利きやすい。しかし調理に入るとそうはいかない。火にかけだしたらもう止まれないのだ。しかも下ごしらえを面倒がると、後で凄まじい面倒に見舞われる。料理に慣れているものならば同時進行できるものも、料理が苦手な者にはそうはいかない。想像してみよう、油を引いたフライパンを火にかける。生姜焼きを作ってみようか? 豚ロースの薄切りに塩コショウを振る。慣れない故に加減がわからず一枚一枚慎重に行う。フライパンと油の熱が上がっていく。ようやく塩コショウをした肉をフライパンに入れると熱くなりすぎた油が待っている。油は弾ける。熱い。すぐに肉が焦げる。しかし焦げるのは表面だけで中には火が通らない。ここで調味液を忘れていたことに気づく。カップで醤油やみりんを量り、生姜をすりおろす。そんなことをしている間に肉はどんどん炭となっていくだろう。料理に慣れている者でも生姜焼きの調味液は火を扱う前に合わせているのだ。それなのにただでさえ料理が苦手な人間がそれを面倒臭がればどうなるかは火を見るより明らかだろう。いや、火を見ろ! 下手をすれば火事になる! ここでいったん肉を火から下して余熱で肉の内部に火を通す――という手段もあるのだが、断言する、この時点で下手の頭はパニックを起こしている。そんな手馴れた発想なんてできやしない。実際に私がそうだ。料理が下手、という人間は、大抵こうやって後手後手を踏んでいく。もっと言えば料理に独創性や個性を出そうとしてはならない。そんなことをすれば味のバランスが崩れる。どんなに魅力的なアイディアと思えても、それは負け率の高いギャンブルである。実際、私は負け続けている。イカと青梗菜のオイスター炒めにウニの風味を、と、醤油とプリンを加えたのは最高にまずかった。二重の意味で。
 一方、料理ベタの姉とは違い、弟は手馴れた様子で卵を割っていく。卵を落とした容器の中に牛乳を少々加える。その容器の周囲には塩コショウとナツメグ、それからパン粉がある。
 我が家のハンバーグのレシピはごくシンプルなものだ。
 ボウル小の中で先ほどの炒めタマネギを混ぜ、熱が取れたことを確認した弟はボウル大を空にした。氷は全て溶け、水となっていた。
 ボウル大を軽くすすぎ、内側の水を綺麗にふき取る弟は、
「晩飯だったのに」
 ぶつぶつ言いながら冷蔵庫から挽き肉を取り出した。量販店の値段と比べるといくらか割高だが、たまにおまけしてくれるから贔屓にしている肉屋で買った牛と豚の合い挽きだ。肉と脂のバランスがよく、そういった意味では値段なりの価値もある。それからこの肉屋の自家製メンチカツはとても美味い。
 弟は合い挽き肉をボウル大に入れた。
 そこに塩を振る。
 料理が苦手な読者諸氏はレシピ本の『適量』という単語に困ったことはないだろうか。私もそうだ。当時は金を取るくせに適当なことを書くなと怒り心頭であった。しかし、今なら言える。こればかりは『適量』としか書きようがないのだ。そもそも食材の大きさによっても適量は変化するし、何しろ適量とは好みにも通じる。あなたにとってその塩加減が適量でも私にとって適量とは限らない。こればかりは勘と慣れに従うか、味見を繰り返して調節するしかない。
 そして、この塩加減こそが、料理の味を左右する大きな要因となる。
 弟は適当に塩を振った後、冷蔵庫から取り出したばかりの冷たい挽き肉を手早く腰を入れて混ぜ出した。手の体温が肉に熱を移す前に混ぜ切るのだ。時折冷たさのあまりに
「あ〜」
 とかうめきながらも弟は休みなく混ぜていく。
 ここはハンバーグの味を左右する大事な工程である。
 ここで冷たいまま粘りが出るまで練ると練らぬとでは出来に格段の差が生まれる。
「つめてー、くそっ」
 弟は毒づきながら混ぜる。
 次第に、ボウルから粘り気のある音がしてくる。
 すると弟はコショウとナツメグを適量振り入れ、混ぜ、牛乳入り卵を入れ、混ぜ、炒めタマネギを入れ、混ぜ、それからパン粉を少しずつ加えて『タネ』の硬さを見ながら素早く混ぜ込んでいく。
 やがて弟は混ぜる手を止め、手についたタネを無駄にせぬようボウルの中へ落とした後、手を洗った。フライパンにオリーブオイルを引き、中の弱火にかけ、素早くボウルからねぎ取ったタネを小さな小判型に成型した。
 ピンク色の小判がフライパンに敷かれると、ジューと小気味の良い音が立った。
 弟はフライパンに蓋をし、手を洗うと冷凍庫から食パンを取り出した。二枚、レンジに入れて『トースト』で焼いていく。野菜庫からレタスを二枚ちぎり取り、同時にミニトマトを二つ取り出す。それらをザルに入れるとフライパンに向かい、ハンバーグをひっくり返す。焼けた肉の良い香りがこちらにまで漂ってくる。弟は再び蓋をしたフライパンから離れ、レタスとミニトマトを手早く洗った。次いで何も置いていない大皿にラップをして置いておく。レタスとミニトマトの水気を切り、そこで弟はハンバーグの様子を見た。もう一度ひっくり返し、火を弱めて少し置く。
 その間に、私にも一つ、行っていることがあった。
 弟が野菜を取り出した後、冷蔵庫からウスターソースとケチャップを取り出してきていたのだ。
 さあ! 読者諸氏! 今こそ思い知るがいい! これこそが唯一私の得意料理である!
 小鉢にケチャップをぶきゅるぃと搾り出す。それからウスターソースを『適量』注ぐ。スプーンでかき混ぜる。一度味見をし、ウスターソースをもうちょっとだけ加えて味を調える。
 そう、これこそが我が得意料理――その名も『ソース』である!
 こればかりはいつも、かつ唯一、母が存命のうちから私の役目であり、そして私は家族の誰もが敵わぬバランスでソースを作り上げてきたのだ。
 何? そんなものは料理ではない? 笑止! それはソースというものがどれほど奥深く、どれほど料理において重要な地位を占めているか知らぬ者の言葉だ!
「まさか、それを『得意料理だ』なんて言うんじゃないだろうな」
 いつの間にかこちらにやってきていた弟が半睨みで言った。彼の手には小さな味見用のハンバーグの載る皿がある。
「悪いか?」
「……」
 口を尖らせた私に弟は何か言いたいようだったが、ため息混じりに頭を振るやキッチンに戻っていった。去り際の態度には文句を言ってやりたいが、まあ、いいだろう。
 それよりも私の腹がここにきて私を再び恫喝している。
 ところで読者諸氏に聞きたい。
 夜食……というものは、何か特別なものだとは思わないか?
 私は思う。
 朝、昼、晩――レギュラーから外れたイレギュラー。
 イレギュラーだからこそ、夜食には特有の魅惑がある。
 食べる必要のない時間、無駄、余剰、食べたら太っちゃう――それでも食べる、そういった行為に滲むほのかな背徳感。それとも、この上ない贅沢。
 さらに夜中というスパイスが効く!
 夕食時には明るい家庭の明かりがそこかしこにあるが、深夜となれば当然周囲の光は落ちている。往来も静かで、たまに車のエンジン音が聞こえてもすぐに消え、活動している者は特定の特別な人間のようにも思える。
 夜は深くなればなるほど、人の情緒を掻き立てる魔力を醸し出す。
 醸し出された魔力に掻き立てられた情緒は心の琴線を敏感にする。
 ふと得も言われぬ理由のない寂しさが去来することもある。
 あるいはしみじみとした幸福に理由もなく満たされることもあるだろう。
 私の目の前には小さな味見用のハンバーグの載る皿がある。
 良い焼き色からほくほくと湯気が昇っている。
 表面では肉汁がふつふつと泡を立てている。その内側にはどれだけの肉汁が満ち満ちているのだろう!
 香ばしい匂いを嗅いでいると、私の目には涙が滲んできそうだった。なぜだか無性に泣きたい気持ちにもなってきた。なぜだか? なぜだろうか? 幸せだからか? それとも不幸を思い出してか? 台風の夜に怯える私を慰めてくれた両親の温もりを、ふと思い出してのことだろうか。
 私は卓上の箸置きからマイ箸を手に取ると、感傷に沈む瞳を肉食獣の眼と変え、いよいよ熱々のハンバーグに襲いかかった。味見用だからソースはつけない。表面に箸を触れる。内部でくつくつと踊る肉汁の存在が感じられる。
 ヨダレが、口の中に広がった。
 私は箸を持つ手に力を入れた。
 箸の先端が浅くハンバーグに入る。と、箸が入るか入らないかのうちに内側から光り輝く肉汁が噴き出した。それは透明で、しかし脂が混じりこんでいるために光を受ければダイヤモンドのごとくキラキラと輝く。香辛料の効いたハンバーグ特有の香ばしい匂いが濃さを増し、それは嗅細胞をノーチェックで通り抜けてダイレクトに食欲中枢を刺激する。
 私は一気にハンバーグを二つに割り、断面からとめどなく溢れる肉汁に溺れた片割れを箸で救うや一息に口の中に放り込んだ。
 熱い!
 が、それ以上に――
 懸命なる読者諸氏は、もちろんお覚えであろう。先に私は『塩加減こそが、料理の味を左右する』と書いた。
「あふ……」
 私の口から熱気と共に、旨味の蒸気が漏れていく。
 弟の塩加減は、母の味を実に引き継いでいる。――滑稽な話だ。母代わりの私は母の味を引き継げなかった。だが、弟が代わりに母の味を引き継いでくれている。『母の塩加減』は他の調味料と素晴らしいハーモニーを奏で、素材の味を何倍にも高めて私の舌を本能の底から歓喜させる。
 今この一時だけ、私はただの長女となり、弟が私の母代わりとなる。
 私がグーサインを出すと、弟は次々とハンバーグを成型していった。レンジがトーストを焼き上げたことを知らせる音を傍らに、先ほどラップをしていた大皿の上に成型し終えたタネを置いていく。ボウルからタネをねぎ取り、丸め、両手の間でキャッチボールをするようにして空気を抜き、小判型に整えて次々と。
 その横で私は小麦色に焼けた食パンをレンジから皿に取って、またもう二枚をレンジにかけてからテーブルに戻った。
 弟が成型したタネは合計四つ。小判と言うより大判だ。そのうち二つを焼き、もう二つにはラップをかけて冷蔵庫に仕舞う。夕飯のおかずにするためだ。
 今度のハンバーグは大きさの分、先の味見用よりも火の通りに気をつけないといけない。火が強すぎると内に火が通る前に外が焦げてしまう。かといって弱いと肉汁が無駄に逃げてしまう。とはいえ焼き加減を気にして蓋を開ければ折角の熱気が散って蒸し焼きの効果が薄れてしまう。弟は蓋の中の音に注意して様子を見ている。音で見ているのだ。やがてタイミングを見てひっくり返し、素早く蓋をして――ついに、実に見事に焼きあげた。
 その間、私は新しく焼けたトーストもテーブルに持ってきて、四枚のうち二枚の上に小さくちぎったレタスを敷いて待っていた。
 やがてハンバーグも焼きあがる。
 弟がフライパンごとハンバーグを持ってくる。
 ハンバーグはまたしてもふつふつと肉汁の泡を吹いている。先ほどにも増して芳しい香りが脳髄を直撃する。先ほどにも増して大量のヨダレが湧き出し、耐え切れず口の端っこから一筋溢れ出してしまう。
「きたねぇなぁ」
 ずずりとヨダレをすする私を嫌そうに見る弟は、フライ返しを巧みに操りハンバーグをトーストの上――そこに“私が”敷いた瑞々しいレタスの上に載せた。私は今度こそハンバーグに『ソース』を塗った。私用にはたっぷりと、弟用にもたっぷりと。
 キッチンではシンクの中で水を注がれたフライパンがシューシューと湯気を上げていた。
 その傍らでは弟がミニトマトを半分にカットしている。
 弟はカットしたミニトマトを持ってくるとそれぞれハンバーグの上に載せた。そしてそれらをまたレタスで覆い、最後にトーストでサンドする。
 ――サンドイッチ?
 いいや、これが私の家の『ハンバーガー』なのだ。いくら私がサンドイッチだと訂正してもハンバーガーだと頑なに言い張ったのは父である。作るのはもちろん母であったし、ソースはもちろん私が作った。弟は、昔はこれを笑顔で食べるだけだった。
 私の向かいに弟が座る。
「あんたも食べるの?」
「いまさらかよ」
 苦笑いする弟の頬には一つ、できたての青春にきびがある。けれど、その顔はどんどん大人になっていく。
 私たちは揃って「いただきます」をした。

手順4: さあ、食べよう!

 ハンバーガーにかぶりつくと、素晴らしい味が渾然一体となって口の中に飛び込んできた。
 ハンバーグの香味にソースの味が絡まる。
 肉の味わいを熟成されたソースが際立たせる。
 レタスの歯ごたえとミニトマトの甘味と酸味が味を引き立て、熱い肉汁を受け止めたパンが全てを包み込み、そうして私の口の中に家族の味が弾ける。
 ああ……なんて、なんておいしい!
「ん、んま」
 弟がハンバーグの熱さに喘ぎながら言う。
 私は頷くようにして齧り取った分を飲み込む。
「――で、大丈夫なのかよ」
 弟が言った。
「何が?」
「締め切り。明日だろ?」
 私はハンバーガーを齧った。
 母が中心となって作り上げた家族の味は、いつでも私を初心に帰らせてくれる。
 私の作家デビューを一番喜んでくれたのは母だった。私の一番のファンも母だった。ペンネームに悩む私に「あんたはアマデウスを観た時、サリエリの方が好きだって言っていた」とアドバイスをくれたのも母だ。二つの意味で私の生みの母、育ての母。病床の母はいつも私の本を手元に置いていた。母は助からないことを知っていた。母は父と弟のことをお願いと私に言った。けれど、私は、父には何もできなかった。父は私と弟のことをいつも心配していた。母が死んでからは、私たちの将来を心配することが生きがいのようでもあった。
 アルトサックスの優しい旋律が泣くように流れている。
 いつの間にか外の大風はやんでいた。
「もちろん、大丈夫」
 私に家族の味を思い出させてくれるのは母に代わって、弟だけだ。
 弟はそれを知っている。
 そして今、私の一番のファンは誰が何と言おうと弟だ。母に代わって、父にも代わって、私の本なんて読んだことはないと言い張りながら。――弟だ。
 家族の味は、私の全てを生き返らせる。
 喜びも悲しみも、決意も意欲も、全てを。
 私の脳裏には、さっきまではいくら悩んでも言葉にならなかったものが明瞭とした形として存在している!
「私は天才だからね、半日もあれば推敲込みでもおつりがたっぷり」
「は、そりゃ良かった」
 弟はそれだけを言ってハンバーガーにかぶりつく。
 私もまたハンバーガーにかぶりつく。
 酸いも甘いもある味わい。
 幸も不幸も煮詰めて育まれてきた味わい。
 16歳で文壇デビューを果たした天才小説家、佐利絵里こと私はここに言おう。
 おいしい夜食の作り方。
 それは人生そのものである――と。

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