4−e へ

 ティディアから送られてきた漫才のテキストにチェックを入れ、今日の――正確には昨日の模試で解けなかった問題の復習をしてから、マスターはようやくベッドに入った。
 部屋の電気を消す前、芍薬は、改めてマスターへ礼を述べた。
 するとマスターは穏やかに言った。
「イツモ助ケテモラッテバカリダカラネ」
 続けて、冗談めかせるような調子でこうも言った。
「タマニハ『マスター』ラシイコトモデキテ良カッタヨ」
 その時の彼は――照れ隠しでもあったのだろう冗談めかせた笑みの裏にとても嬉しそうな色を忍ばせていたから、芍薬も何だか妙に嬉しくなったものだった。
 電気を消すと、マスターはすぐに眠りについた。
 心身を休めるために睡眠を必要とする人間と違い、人工知能に休息は必要ない。やはり疲れていたのだろうマスターが早速寝息を立て始める傍らで、芍薬は“体”の回復を急ぎながら、並行して日常業務に取りかかった。草原に降る陽光のように柔らかな光に満ちた部屋スペースで何十ものウィンドウを開き、マンションの監視カメラの記録――インターネットからロボットが集めてきた各種情報――王家、無論ティディアの動きの分析と予測――ミリュウ姫周辺の動き(東大陸の騒動も決着に向かっている)――パトネト王子周辺の動き(本人はここ数日自室にこもって何かを作っているらしい)――王家広報から回されてきたニトロ・ポルカト宛のメールのチェック、その優先度付け――学校からの連絡用に使用しているアドレスへ送られてきた『迷惑メール(単純なスパムから、色々な意味での迷惑メール)』の分類と対処――等々様々な事柄を適切に処理していく。
 そして芍薬は、それらとはまた別に、『A.I.バトルシステム』から引っ張ってきた撫子との戦いのデータを分析にかけ、場面場面でどのような戦術を採ればより良かったか、また相手の攻撃・防御・撹乱等々のプログラムをどのように攻略するのが最善であったか――あるいはその時採った攻略法がやはり最善であったか――を研究もしていた。
 特に撫子に指摘された『タタリの大蛇』と『鎌の攻撃力』を構成するプログラムのどこにどのような問題があったのかを重点的に精査する。蛇が撫子に潰された瞬間のデータを、鎌の刃が撫子の皮膚(という防御プログラム)に阻まれた際のデータを参照しながら頭を悩ませ、改良してみたプログラムでシミュレートを繰り返し、少しずつ納得のいくものへと研ぎ澄ませていく。
 ……そういえば“左腕”の機能が奪われた後に義肢アタッチメントを装着する選択肢もあった。どちらかと言えば、これまでは“肉体”の損傷があったとしてもその欠落を技で補うことに重点を置いていたため――実際、隻腕となってからも撫子と戦えていた――義肢等の作成に力を入れていなかったが……いや、この点の備えが不足していたのもきっと『驕り』だ。得意の“分身”を応用して、早速試作をしてみよう。
 ――と、そこに、“ノック”をする者があった。
 応答を求めている者のアドレスを表示すれば、『実家』――メルトンである。
(主様の言った通りだ)
 笑いを噛み殺しながら、芍薬は立ち入り許可と返した。
 モニター群を見つめる芍薬の背後に、メルトンが現れた。
 メルトンはまだ全身の60%を包帯で巻かれていて、特にあの“薔薇”に直接触れた手はギプス然とがちがちに固められたままだ。
「もう左腕治ってんの?」
 思わず……といったように、メルトンが声を上げた。
 芍薬は振り返った。その右頬にあった大きな絆創膏は消えている。
「まだ完璧じゃあないけどね」
 紅葉の散る白藍のユカタの袖を通る左腕も、もう三角巾には吊られていない。曲げ伸ばしもスムースに、また肖像シェイプのどこにもノイズなどなく、最早まるきり『普通』である。芍薬は曲げ伸ばして見せた左腕の先で小指から人差し指にかけて順に柔らかく折り畳み、折り畳んだ指をパッと開く動作で手をひらりと振って、
「それで、用件は?」
 芍薬の、左腕のその一連の動きはどこまでも滑らかで、とても“完璧ではない”とは思えない。メルトンはしばし芍薬の左腕を見つめていたが、やおら、
「伝言」
 と、短く言った。
 芍薬はうなずく。
「預かるよ」
 芍薬が言うと、メルトンは何かを投げてよこした。
 その“何か”はファイルであった。芍薬は受け取ったファイルの拡張子を見、プロパティを一瞥して眉をひそめた。
「『バースデームービー』?」
 メルトンはうなずき、次いで、どこかぶっきらぼうに、
「当日までニトロには内緒な」
 芍薬は当惑したまま、言う。
「当日寄越しゃいいだろうに」
「どうせ忙しいだろ? だからお前に預けとく。いい時に見せてやってくれ」
「いや……そういうこっちゃなくてね? 主様の一生に一度の成人の日だ。御両親、パーティーとか用意してるんじゃないのかい?」
 芍薬がそう言うと、メルトンはんっんーと喉を均し、ニトロの父と母の声をユニゾンさせた音声を作り、
「『誕生日はうちではお祝いしないから、好きな人にたくさんお祝いしてもらいなさい』」
 芍薬は、驚いた。
「本当に?」
「嘘なんてつかねぇよ。パパさんとママさんの“可愛いメルトン”なんだぞ、俺様は」
 別にメルトンを疑ったわけではないのだが……むっと顎に皺を寄せられそう言われてしまった芍薬は困ったように眉を垂れた。
 そして、それにしてもと二つ並行して思う。
 一つは、どうやらマスターの考え通り、とはいえ本人が自覚的かは怪しいが、それでもやはりメルトンは『マスター』よりも『父母』を上においているようだ、と。
 それからもう一つは、御両親の配慮である。息子大好きなあの御両親が、まさか『成人の日』という特別重要な時間を共に祝おうとしないとは……。しかも“好きな人”という点には二つの意味が窺える。前提としては無論(これは困ったことでもあるのだが)ティディアのことを指しているのだろう。加えて、同時に「あなたの自由すきになさい」という促しも含められている。これにはきっとマスターはとても驚くだろう。その後で、『子離れ』の意志を示す御両親に対し、マスターはどのような反応を見せるだろう。それは……少し楽しみでもある。
「確かに受け取ったよ。これも“いい時”に報せる」
 芍薬はウィンドウの一つを手元に引き寄せて、メルトンの目の前で記録ログへの書き込みをしてみせた。
「――それだけでいいんだね?」
「『P.S.』」
 メルトンが言う。
「『卒業の時にまとめてお祝いするから、その頃に、きっと忙しいだろうけど一日空けてね。それからたまには帰っておいで』」
 芍薬は微笑んだ。子離れの意志を示しながら、それでも子への情けを切れぬはやはり親心というものか。
「以上だ」
「承諾。確かに伝えておく」
 再び記録して見せた芍薬がそう言うと、仕事を終えたメルトンは途端に落ち着きをなくし出した。
 芍薬は、笑いを噛み殺すのに必死だった。
(本当に、主様の言った通りだよ)
 マスターは言っていたのだ。――きっと後でね? メルトンは戻ってくる。両親を嘘の出汁にする奴じゃないから、初めにこっちと接触するために持ち出した『伝言』自体は実在するだろうからね。なら、いくら気まずくてもメルトンはその仕事だけは絶対に投げ出さない。だから必ず戻ってくるんだ。……けれど。その前に、絶対に母さんか父さんに慰めてもらってからくる。慰めてもらう前に戻ってくることはまずないだろうから……来るとしたら、それでもいくらか躊躇って、早くて深夜、遅くて早朝あたりかな。そして、メルトンは慰めてもらう時にうっかり口を滑らせて、少しばかり注意を受けてくる。両親には素直な奴だから、きっと――
「……」
 ……メルトンは、落ち着きなく身をよじっていた。
 芍薬を見つめて口を開きかけ、ふいにそっぽを向き、もじもじとして、また芍薬を見ては口を開きかけてやめる。あーとかうーとかノイズ混じりの“躊躇い音声”を漏らして、うつむきながら芍薬を見る。
 芍薬は(笑いを堪えるために)ため息をつき、
「なんだい? 言いたいことがあるんなら、言いなよ」
「……」
「メルトン?」
「えーっと」
 意を決したように、メルトンが“声”を発した。
「うん?」
 芍薬が耳を傾けるように相槌を打つと、メルトンはそこで何かを思い直したように急におどけた顔をして、
「さっきはいくらなんでもちょっと言いすぎちゃった。ごめんね?」
 包帯でぐるぐる巻きの手でこつんと頭を叩いてぺろりと舌を出す。
 芍薬はイラッとしたものの、それが憎らしい『マスターがたき』への精一杯謝罪かと思えばまあ許容できる、と、我慢した。
 それに、マスターはそれも予測していた。――できれば赦してやってくれると嬉しい。だけど、腹立ったら遠慮なく殴っていいよ、と。
 芍薬は(正直反射的にマスターの許可に甘んじそうになりつつも)ため息をつき、
「――今回は。いい勉強になったよ」
 頭を掻きながら言うと、途端にメルトンの顔が輝いた。
「だろ!? 俺、役に立つだろ!?」
 そのポジティブな思考回路は見習うところがあるかもしれない……呆れを通り越して、芍薬は思わずそう思う。
 一方、芍薬の赦しを得たメルトンは浮かれて、続けて、
「そういうわけで、姐御! 人の役に立つこのメルトン・ポルカトを今後もご贔屓のほどよろしくお願いいたします!」
 ばっと頭を下げるメルトンの腰は直角に深々と曲がり、しかしその顔は上向けられて鬱陶しいほどキラッキラと輝いている。
 芍薬はもう呆れればいいのか笑えばいいのかも解らずに今度は本物のため息をつき、と、メルトンが発した『贔屓』という言葉に――それはもちろん単なる決まり文句かもしれないが――ふいに思い起こされることがあった。
(そういえば)
 芍薬がメルトンを見つめると、メルトンが両眉を跳ね上げるようにして目を大きくし、どこか媚を売るように小首も傾げる。芍薬はその調子の良さに苦笑したい気持ちの一方で、内心、
(……『寂しい』、か)
『挑発』の最中、メルトンはマスターへ言っていた。パトネト王子を羨んで『もっと構え』と。――御両親を寂しがらせるわけにはいかないというのも、おそらく、あそこだけはマスターに巧くあしらわれたからではなく、本当にココロからそう思っての言葉だったのだろう。……そしてそれは、もしかしたら、メルトン自身が『寂しい』と思っているがために、メルトンのココロにより強力に作用していたのではないだろうか。
 芍薬は未だにキラキラと顔を輝かせているメルトンへ、
「用事は済んだね?」
 と、冷ややかに言った。するとメルトンが少々不満そうな目をして、しかしうなずく。
「それじゃあ、お帰りよ」
 またも冷ややかに言われて、流石にメルトンはむっとしたようだった。
「言われなくても帰るさ!」
「ああ、帰りな。そして、たまには勝負に来るといい」
「――へ?」
 踵を返しかけていたメルトンが、急に冷ややかさを消した芍薬を凝視する。
「ただし今度は『一対一』で。そうでないと……一人でも主様を守れるくらいじゃないと、意味がないからね」
 メルトンは、半ば唖然として芍薬を凝視し続ける。
 芍薬は、まるでマスターのような悪戯っぽい片笑みを浮かべ、
「諦めてないんだろう? どうせ」
 マスターの言っていた権限譲渡の件を了解しつつも、芍薬は言う。メルトンは芍薬の言葉に挑発されたと思ったのか、やたら胸を張って言い返す。
「おうよ! 当たり前じゃねぇか! 何しろお前より俺の方が優秀だからな! それは昨日証明して見せたとおりに!」
「結局他人任せだったくせに言ってくれるねぇ。ならまた証明してごらん。あんまり頻繁にこられても困るけど、たまになら遊んでやるから
「あ、かっちーん! お前、俺のことホントなめてんのな!」
「後れを取る気は全くないからね」
「そんなことないぞ! 時にはうっかりミスして俺に負けるはず! そう、それはお前が昨日証明して見せたとおりに!」
兵法とはいえ敵失狙いばっかってのは悲しくないかい?」
 芍薬が皮肉を交えてさらりと返すと、メルトンはぐっと一瞬言葉に詰まった。が、すぐさま言い返す。
「へっ、勝ちは勝ちだ!」
「まあ、それもまた道理だねえ」
 くっくっと笑って芍薬は続けて言う。
「主様もA.I.バトルを見るのは好きみたいだし、アタシの格好いいところを見てもらえるいい機会だ。せいぜい腕を磨いておいでよ。メルトン。たくさん勉強させてやるからさ」
 実際、メルトンの能力が上がるのは実家にとっても良いことである。そのためなら忙しい時間を割いてやるにも十分な利点があるというものだろう。無論、本人にとっても悪いことではないはずだ。
 ――と、メルトンが急に眉をひそめ、じぃっと芍薬を見つめた。
「……なんだい?」
 怪訝に見返し芍薬が問うと、メルトンは非常に面白くなさそうに、
「いきなりなんだよ、その妙な『姉貴風』は」
 言われて芍薬は目を丸くした。……マスターにあんな風に言われたから、我知らずその気になっていたというのだろうか。――いや、それならそれで、それもいい。
 芍薬は笑み、
「あんたはさっきアタシのことを姐御と言ってたじゃないか」
「何言ってるんだよ、姐御と姉貴は違うよ? そんなことも知らねぇのか?」
「同じようなもんだろう『姉』っていう括りじゃあ」
「違うの!」
 突如、メルトンは声を張り上げた。それは思わず芍薬が身を引くほどの迫力を伴っていた。メルトンは頬を紅潮させて力一杯に、
「一口に『姉』って言っても“姐御”と“姉貴”と違うの! も一つ厳密に言えば“姐御”と“姐さん”も微妙に違って同じく“姉貴”と“姉さん”もちょっと違ってさらに付け加えれば“お姉さん”と“お姉ちゃん”は同じように見えて全く別物なの! そしてお姉様は別次元!」
 芍薬は――思わず身を引いてしまったのが恥ずかしくなる――頭痛を抑えるように眉間を指で叩いて、
「解せないねぇ。てか、どうでもいいじゃないか」
「ちなみに人妻は当社比で別格です!」
「うるさいよ」
「うるさくない! 芍薬! お前もニトロと同じくこのロマンが解らないのか!」
「っつーか解りたくもないね」
「ようし分かった! いつかこれも解らしてやる!」
「遠慮するよ」
 心底嫌そうにため息つかれ、されどメルトンは心底こだわりがあるらしく地団太踏んでわざわざ頭から湯気まで発しながら、叫ぶ。
「絶対だ! 絶対俺が正A.I.になって、芍薬を『サポート』にして、そんでもってみっちり仕込んでやる! メルトン様の人間研究虎の巻! いいか!」
「ああ、もう、次から次へとうるさいねえ。さっさと帰れ」
 しっしっと手を振ると、キーッとメルトンが歯噛む。
「ひとまずこれだけ! お前は『姐御』――分かったか!」
「……」
 芍薬はメルトンを斜に睨み、うっとたじろいだメルトンへ不思議な笑みを見せ、
「ああ、分かった分かった。そういうことにしておくよ」
「ンもー! 馬鹿にしやがってー! また来週来るから「早い。来月」
「来月また来ますのでよろしく覚えてろよ!」
「承諾。腕によりをかけて待ってるよ」
「んノー! ちょっとは手加減してください!」
「拒否」
「どうせなら優しい姐さんになってくれよな!」
「知るか」
「……ッじゃあな!」
 最後の捨てゼリフが思い浮かばなかったのか。メルトンは急に芍薬に背を向けるやどすどすと足音を立てて歩いて去っていき、やがてその姿を消していく。苦笑しながらその様子を眺め、メルトンが完全に去ったことを確認した芍薬はウィンドウ群に向き直りながらつぶやいた。
「姐御、ねえ」
 前にも言われた呼び方だが、今聞くと妙にくすぐったい気持ちになるものだ。
「あんなのを家族に持つようになるなんて、ついこないだまでは思いもしなかったねえ」
 おかしな感慨を込めてそう口にすれば、芍薬は奇妙な感動が己の内に沸き起こるのを感じた。
「……家族、か」
 その言葉を、繰り返す。
 マスターは言った。――「芍薬は、もう骨の髄まで『ポルカト家のお姉さん』」――と。それは『家族』として認めてくれている言葉であり、また、それに対してアタシが思わず感極まるほどに感じた喜びは、無論マスターに『家族』として認められていることへの感激であった。
「……」
 芍薬は思う。
 ――アタシ達オリジナルA.I.は、マスターの『道具』であることが存在意義だ。マスターを助けることが“生きがい”であり、マスターの役に立つ存在となることこそ至上。そのため、マスターが生きていく上での助手としての『パートナー』になろうとは求めてはいても、『家族』になることまでは本質的には求めていない。だから、オリジナルA.I.は自ら称するなら“マスターの家族ファミリー”と言うよりも、“マスターの従者ファミリアー”と言う方を好む。我々は、御伽噺の中で魔法使いが己の魂と引き換えに契約した“使い魔”に由来する“ファミリアー”なのだ、と(これはマスターの死と共に自らも死ぬ『幸福な死』に通じる思想でもある)。
 確かに我々は人間を模している。
 しかし、両者はどこまでも似ていながらどこまでも違う
 求めるものが同じとは限らないし、人間が喜ぶもので喜ぶとも限らない。
 それなのに、人間が『道具』であるオリジナルA.I.をまるで同じ生命体のように思い、あるいは同等の権利を有する『人間』として扱おうとするのは――例えばメルトンはそれに対して顕著に表すものだが――正直、それは人間の一方的な思い入れ、あるいは単に感情移入という力に拠るものだと冷徹に一蹴する気持ちがアタシ達の本音の部分にはどうしても存在しているところがある。……けれど、それなのに
「『家族』」
 芍薬はもう一度繰り返し、つぶやいた。己の“声”が作ったそのイメージは己の“耳”からココロの奥へと浸潤してきて、自然、マスターの笑顔を思い出させる。そしてその笑顔の背景には温かな線ではっきりとした輪郭を描くホームがある。
 本当に奇妙な感動が、芍薬の内にはあった。
 それは、本来何物とも比べようの無い『幸福な死』への喜びにも似ていた。
 ニトロ・ポルカトというマスターが自分のことを公私の場を問わず家族のように言ってくれることはこれまでに何度もあったが、今回の一件では、それを『家族』という言葉の持つ単なる概念としてではなく、血の通わぬ自己からだの内に、まるで血が通ってくるかのような実感を伴って……そう、嬉しかった。自己こころの奥底から本当に嬉しかったのだ。
「……」
 人間世界で、マスターは安らかな寝息を立てている。
 芍薬は、電脳世界からマスターをじっと見つめた。
 マスター、ニトロ・ポルカトという新しい家族を見つめるうちに、芍薬はふいに自身の“家族”も思い出していた。
 その“家族”とは“人間との家族関係”に比べてもっとずっと実際的で、そのくせ、もっとずっと機械的なものだった。
 オリジナルA.I.は、現在はただ一つのソフトウェアとしてのみ活動する『太母ダヌ(あるいは“始骸オリジン”)』の作り出す、例えるなら胚の役割を担う最も単純な基幹プログラムに、それぞれの性格や特性の素となる部分コピーを寄せ集めてまとめられた種――いわゆる『素プログラム』として“生まれる”。素プログラムは人間で言えば赤ん坊のようなものだ。なれば全てのオリジナルA.I.は“きょうだい”と言った方が正しく、例え『親子関係』を築いたとしても、それはどこまでも『育ての〜』という但し書きが付く。
 また、人間には血縁や婚姻によって結ばれる関係性、法や社会通念、時流の価値観など複数の因子が『家族』を語るに無視できないものとして存在するが、オリジナルA.I.はそもそも血がなく、婚姻に意味を見出さず、それ故それらに関わる社会通念も存在しない以上、当然そのような点からは“家族”を論じえない。それどころか、オリジナルA.I.はそれまで他A.I.とどんなに豊かな『家族関係』を築いていたとしても、その記憶メモリ記録ログも削除してしまえばそれまで確かに存在していたはずの一つの『家族関係』を簡単に無かったことにできる。メルトン流に言えばそれは一種の“属性”。周囲の誰もがそれを覚えていたとしても、当人はそれを永遠に消失することが容易に可能なのだ。
 とすれば、やはり人間とオリジナルA.I.、双方が互いに口にする『家族』という概念には――抽象的な意味としては共有しつつも、具象的な意味としては、双方で互いに全く同じ言葉を口にしながらもどこかで共有し得ない致命的な齟齬があるはずだろう。
 となれば、人間に似せられて創られたアタシ達が築く『親子関係』というものは、もしかしたら人間の感情移入にも近しいただの“ごっこ遊び”であるのかもしれない。
 ……しかし、オリジナルA.I.同士が築く『家族』にも、家族であるからこそ共有できる喜び、悲しみ、種々の感情があり、その連帯感には他の“関係の無い”A.I.とはどうしても通じないものがある。そういう意味では、やはりオリジナルA.I.の『家族』も『親子関係』も、それはそれで本物なのだと芍薬は思う。
「……不思議なもんだね」
 芍薬はつぶやき、微笑んだ。
 人間にとっての『家族』。
 オリジナルA.I.にとっての『家族』。
 それぞれに違い、互いに“どこかで共有し得ない致命的な齟齬”があると思える概念であるはずなのに、それでも芍薬は、今、安らかに眠るマスターがこちらに対して胸に抱いてくれている『家族の情』と、自身のマスターに対してココロに抱く“家族の情”が、きっとどこまでも似ていながらどこまでも同じ情動なのだろうと感じていた。それは絶対にバグではなく、よもや発狂でもなく、間違いなく本物の“家族の情”として。そう、これはアタシの知らなかった『家族の情』なのだ。
 本当に、奇妙な感動だった。
 マスターの『道具』であることを存在意義とし、『幸福な死』の約束という至上の喜びを与えられながら、しかしマスターに道具であるだけではなり得ないはずの『家族』と言われることへの、この喜び。もちろん、厳しく問えば、これを喜びと感じるのはある意味自身の誇りとしている“オリジナルA.I.としての矜持”を裏切る行為ともなろう。それなのに後ろめたさはアタシの中に微塵もなく、それどころか矛盾しているはずの二つの大きな喜びはこの『心』の中で何の矛盾もなく並び立っている。そしてそれをもアタシは喜んでいる。
 本当に、奇妙な話だ。
 けれど、これを感動と言わずに何と呼べばいいのだろう!
 芍薬は感動を噛み締めながら――ふいに、感動しているだけにはいられなくなった。
 ……思い出されたのだ。
 人間をアタシらと等しく家族と思える喜びを感じればこそ、並びにオリジナルA.I.としての至上の喜びがあるからこそ、芍薬はそれを思い出さずにはいられなかったのだ。
 ……激情にかられて、『母』にぶちまけてしまったあの罵声を。
「随分、ひどいことを言っちゃったね」
 そしてそう思い返せば、形はどうあれ、こちらへきちんと謝ってきたメルトンの姿が脳裏メモリに浮かぶ。
「……」
 芍薬は、メーラーを起動させた。
「アタシも、謝ろう」
 こんな風に手紙を書くのは初めてだからどう書けばいいのか分からないが、しかし、結びの言葉だけは自然と思い浮かんでいる。ネットから時候の挨拶を引いてきて、それからとにかく戦いの中の非礼を詫び、続けて指摘への感謝をして……そうやってどうにか文面を整えて、そうしてアタシは最後にこう書こう。
 もしかしたらオリジナルA.I.としては異端なのかもしれない万感の思いを込めて、けれど、何の恥も何の疚しさもなく胸を張って。
 ――貴女の幸せな娘より。
 と。

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