オリジナルA.I.狂想曲

 ティディア姫の誕生日会から一週間が経とうとしている。
 アデムメデスの主要メディアは、未だに祝宴の熱に浮かれまくっていた。
 地上波放送局、インターネット放送局、新聞各社に通信各社の情報ポータルサイト……そのどこででも、王女と『英雄』の二人きりのダンス、あるいは『余興』最後の決闘のシーンが映し出されない日はない。毎日特集が組まれ、毎日少なくない時間を割いて祝宴の様子が報じられ続けている。独自・独特・独立独歩な個人報道インディペンデント・リポート群でさえ大半がこの件を取り上げ続けていた。マクロに見てもミクロに見ても、その取り扱われ方を冷静に判断すればくどいほどであろう。例えどんなにそれが素晴らしい映像であったとしても、あまりに繰り返せば飽きを呼び、飽きたところにさらに同じものを繰り返し流し込まれれば反感を呼んでしまうこともある。が、しかし、一週間に渡って途切れなく続く誕生日会の特集にはその反感を呼ぶ要素が存在しなかった。
 何故なら、受け手へ攻勢をかける情報量が、あまりに豊富であったために。
 それも、主役たるティディア姫、もう一人の主役たるニトロ・ポルカトを除いてなお手短には語りつくせぬほどであったために。
 王家広報は誕生日会の翌夜、会の様子を伝える映像をプレスリリース版と一般公開版に分けて提供した。また、それらとは別に王家広報は二つの『特集』を用意し、広く公開した。その二つの特集は、『余興』、そして『王女と未来の夫のダンス』を最高のカットを選りすぐって作られた映像であった。
 特に『余興』については半ば中編映画にも思えるほどで、その長さ・内容密度からもフォーカスを当てられる箇所が盛りだくさんだ。乱戦の模様を剣術の専門家の解説を交えて手短に編集するだけでも一本の番組が出来上がるのだから報道者は大歓迎であるし、一方の視聴者も大満足。何しろ、最後の『決闘』――それだけでもコンテンツとして非常に大きな価値があったが、さらに、この余興には天才と『英雄』にも劣らず視聴者にインパクトを与える『三剣士』が存在していたのだから。
 無論、その三人が世間の注目を集めないわけがない。従って情報を求める取材陣は我先にとそれぞれの下へ押し寄せた。
 まず、注目を集めたのはグラム・バードン公爵である。彼は元より知られた人物であるが故に脚光を浴びるにも慣れ、つまりニュースソースとして扱いやすく、『三剣士』の中で取材陣に最も喜ばれた。それもあって公爵への取材は多く行われ――また、公爵からすれば“広報活動”をするに非常に有効的な状況である――彼は忠君に相応しい態度で王女を湛える一方、君主へ忠誠を誓う王軍への“わざとらしい、しかし真剣な勧誘”を行うという茶目っ気も見せて人気を呼んでいた。
 そして、次に取材を集めたのはフルセル氏である。ティディアが事前に彼への取材は王家広報を通すよう通達していたために大きな混乱はなかったが、それでも老剣士は一躍時の人となり、彼は思わぬ環境の変化に驚きながらも、環境が変化したところで自分の生き方は変わらないとばかりに悠々と過ごし、次から次へと押しかける取材陣に対しても穏やかに対応していた。――その人柄が、また人の心を揺さぶっていた。過去の経歴から様々な教育機関から指導のオファーもきているという。
 ところで、『三剣士』の最後の一人は、少年、それも、あの『映画』にも出ていたハラキリ・ジジであったことには不思議な驚きがあった。いかに『ニトロ・ポルカトの師匠』という話が流れていても、その響きには、彼が『映画』に出ていることで逆にフィクションに近いイメージが覆い被さっていたのだ。単純に言えば、メディアによくある誇張であろう?――という感覚。本当だとしても話半分、師匠ということにはしておきますが……本当は兄弟子のようなものでしょう? 本当の師匠は別にいて、あまり実力的には変わらない親友を持ち上げているだけでしょう?――そこへ、彼は目の醒めるような活躍を見せたのである。グラム・バートン公爵との一騎打ち前半に展開した一見卑怯な戦法は玄人から見れば舌を巻くほどの機と間合いの正確さにより支えられるもの。後半の剣戟は素人から見ても舌を巻くほど。それは、まさに『師匠』と呼ばれるに相応しく。
 当然、メディアの足は彼にも向いた。しかも、彼は不思議と恐怖の王女様から保護されていない。となればその勢いは当初『三剣士』の中で最も大きなものとなり、映像公開翌朝のジジ宅や彼の通う学校は大量の取材陣で取り囲まれていた。が、それを見越していたのかどうか、既にハラキリ・ジジは国際宇宙港から出国し、いずこかへ姿を消していた。唯一の家族の母親もしばらく前から星外に出かけていて、対応に出てくるのはあの『ニトロ・ポルカトの戦乙女』を真似したような民族衣装を着るオリジナルA.I.のみ。完全に肩透かしを食らった取材陣だが、しかしマスメディアがそれしきで諦めることはない。折角の好餌である。多数のマイクカメラが学校の同級生らへと向けられた。『ニトロ・ポルカト』の在籍する高校である。ある意味で取材慣れした生徒も多数おり、首尾よくニュースソースは集まった。そうしてハラキリ・ジジの(世間的な)人となりは世に伝えられたのである。
 とはいえ、それだけの情報量ではすぐに枯渇する。現在、『三剣士』の中でハラキリ・ジジの話題は極端に少ない。どのメディアの特集でも、名は挙げられても追加情報のないためにスポットライトは当たらない。だが、話題はなくとも、ハラキリ・ジジは間違いなく今回の特別な会のキーパーソンとして数えることに誰の異論もなく、また、スポットライトに照らされる頻度の少ないが故にかえって『ハラキリ・ジジ』の存在感は高まりもしていた。
 何しろ、彼は『決闘』の場面において『王女の愛、その恋人への思い遣り』を語った人間でもあるのだ。
 会から五日後には彼の言葉を証明する動きが東大陸で見られ、それにより『ハラキリ・ジジ』という謎多き少年は、謎多きが故、また『映画』の時分にはさして話題にはならなかったその家族構成が故の――そう、彼の両親はあのクロノウォレスで起こった悲劇に巻き込まれた人間であった!――大きな注目を静かに呼び寄せていた。
 ……さて、『余興』だけで話を終えるわけにはいかない。
 そう思ってそこから目を離してみれば、当然、大きな話題を集めるのは彼である。
 パトネト・フォン・アデムメデス・ロディアーナ。
 主役の実弟にして、才能ある第三王位継承者。
 少し背伸びをするように燕尾服を着た、その愛らしい姿。
 余興に関しては『秘蔵っ子様』の名に恥じぬ卓越した才能を示し……何よりニトロ・ポルカトとのまるで本物の兄弟のように仲の良い、その微笑ましい御姿!
 パトネト王子に関して耳目を集める場面はいくつもあれど、中でも、日を跨ぐ『愛のワルツ』を踊り終えた姉と『兄』の元に彼が駆け寄った場面は――美少女より美少女らしい可憐な王子が、蠱惑の美女と温和なれども精悍さを秘める『英雄』に笑顔で迎えられるその場面は、何度見ても感嘆を呼ぶベストシーンの一つとして数えられている。
 さらに、王家広報のプレスリリース版、一般公開版の二つは相互に補完し合う作りともなっていて、その差異を検証するだけでも相応の時間を楽しめた。
 だが、楽しみはそれだけでは終わらない。
 まだまだ楽しみを広げる手段もある。
 忘れてはならないのは、王家広報からの情報だけが全てではないこと。そう、さらなる情報をもたらしてくれる『招待客』の存在である!
 300人の招待客。一人一人がその場における感想を持っている。
 似たような感想ももちろんあるが、全く違う感想ももちろんある。
 それから……王家広報の伝える内容にはない情報も、たくさんある。
 その代表的なものの一つが、パトネト王子とニトロ・ポルカトがいかようにしてロザ宮に現れたか――という点であった。ロディアーナ宮殿中庭を通り、ロザ宮の薔薇園を抜けてきた二人の姿を伝える映像は、写真一枚とてない。となれば代わりにその“映像”を描くのは、古来よりのメディア、人の口であった。特にとある男爵夫人は語り部として非常に優秀であり、スポットライトを浴びる彼女の唇は、さながら吟遊詩人のごとく輝かんばかりの語彙に飾られた英雄譚を恍惚として紡ぎ出した。……そう、『英雄譚』である。パトネト王子とニトロ・ポルカトの、たかだかロディアーナ宮殿からロザ宮までの道中が――男爵夫人の目撃したのはそれよりも短いたかだかロザ宮薔薇園に入ってからのものでしかないにも関わらず!――それは見事なまでの『英雄譚』とされてしまったのである! そうしてそれは今や公然たる『事実』としてアデムメデス中に共有されている。
 他にもアンセニオン・レッカードやライリントン議員のような著名人もカメラの前で大いに語り、自ら報道関係者へ売り込む招待客らは目立ちたい意識も手伝ってか話を誇張して聴衆を煽り、他方、自ら売り込まずとも殺到してくる取材陣に戸惑う招待客らは素朴に語り続けている。それらの証言は映像メディアでも重宝されているが、特により活字メディアで重宝される傾向があり、自然、最近の出版売り上げランキングは『ティディア姫のお誕生日会』に関連する書籍によってベスト30まで占領される事態となっていた。中でも目を引くのは、王家広報が王女の誕生日会の情報を公開した翌日に販売された各出版社の『お誕生日会特集誌』であった。それらは購入者に対してこれまで連日新たな追加記事を届けている。
 今日もまた、新たな証言が取り上げられていた。その証言は、特定の人間達に非常に大きな衝撃を与えていた。熱狂的な『ティディア・マニア』で知られたその伯爵は、己が負けた瞬間の映像を、まるで現王に負けたかのような口振りで語っていたのである。
 では、その伯爵を負かした彼はどのように語っているか。
 ……それは、誰も知らない。
 何故なら、この件において、ニトロ・ポルカトへの取材はほとんど行われていないために。
 もちろんニトロ・ポルカトへの取材は皆無というわけではない。だが、それにしても他への取材を嵐とするなら、彼への取材は降っているのか判らぬ程度の小雨である。彼については『受験勉強の邪魔をするな』という王女の厳しい取材制限があるとはいえ、それにしても信じられぬほどの静けさであった。
 では、何故、ニトロ・ポルカトには取材が殺到しないのか。
 その答えは……何のことはない、取材の必要がないためである。
 ニトロ・ポルカト――ティディア姫の恋人――英雄――次代の王。
 今更彼が語らずとも物語は進むのだ
 特に今回の件に限っては、彼に語られない方がむしろ美しい。
 アデムメデスに輝かしい黄金期を打ち立てるであろう次代の女王の誕生日会。後世、伝説になるであろうその舞台は、もはやファンタジーである。主役の姫君とその恋人は伝説の中に据え置いておいて構わない。彼女と彼が語れば“ファンタジー”の領域が“現実”に削られてしまうから。彼女と彼に語られないことで、現代の人間である我々も、後世伝説となっているであろうそのファンタジーを、現代にありながらあたかも後世の人間として聞いているかのように錯覚できるから。さすればファンタジーと錯覚の中に燦然と煌く彼女と彼の名は!――誰かが会について何か一つ語る度に、人心の中へ、くにの中心へと、その存在感の重きを増していく。
 そうして誕生日会の成功が語られるに比例して、ティディア・フォン・アデムメデス・ロディアーナという希代の王女の輝きが増していく。
 そうして蠱惑の美女の輝きが増していくにつれ、同時に彼女をより美しく、また善く輝かせる『ニトロ・ポルカト』という得難くも有難い存在への重みも弥増いやましていく。
 彼の語る必要はない。
 王女も語る必要はない。
 解っている。語られずとも、その愛の深さは解っているのです。
 だから、その愛を礎として。
 聡明なるお美しいティディア様、我々の太陽となられる御方、我々の目に映るアデムメデスの未来は世の他のどの星よりも明るい。
 そして、我々の目は見るのです。
 ティディア様、貴女様の傍らには貴女様を善く支え、妹姫を救い立ち直らせ、もう一つのアデムメデスの太陽をも影の中から引き上げる御方、勇敢にして優しき王様がいる。
 おお、アデムメデスの輝かしい未来は神に約束されている!
 ――それは、王女が嫌ったような“安易な依存”ではなく、ただひたすらに“明確な確信”としてアデムメデスに浸透していた。
 なればこそ、特別取材を集めず、特別大いに語らずとも、『ニトロ・ポルカト』……その名は、彼が今後どうなろうとも、国に多大なる影響を与えた人物として歴史に刻まれるであろうことを皆に確信させていたのである――


「ッ……ソレガトッテモ悔シインダヨーーー!!」


 心底うるさい喚き声に鼓膜を叩かれ続けるニトロの眉間には、普段の温和な面持ちに代わって険を隠さぬ皺が寄っている。それは運転席で飛行車スカイカーのハンドルを握る芍薬も同様であり、川を表現した白藍の地に鮮やかな紅葉の刺繍を散らしたユカタを着るアンドロイド芍薬の眉間には、衣装の醸す秋の風情に全くそぐわぬ色合いの影が濃く刻まれている。
 二人の目の先にはダッシュボードに据え付けられたモニターがあった。その中には、ニトロの通う高校の制服を着たメルトンがいる。
 アデムメデスにおけるティディア姫の誕生日会の報道に対する自分なりにまとめたダイジェストをそれぞれの話題に対する文句を多量に添えつつここまで一気にまくし立てたメルトンは、しかし全然全くまだまだ言い足りないとニトロを指差し、
「何カサ、ニトロッテバドンドン偉クナッテクジャネーノ!? シカモ何カ知ラナイケド変ニ『名前負ケ』シテナイジャネーノ!?
 ツイコナイダマデハ腹ハ緩クテポヨント揺レチャッテタ奴ガダヨ!? チョット目ヲ離シタ隙ニヤタラ“実力者”ニナッテンジャネエカ!
 ツイコナイダマデハ試験前ノ勉強ダッテ“人並ミ”ニヤレバソコデ満足シテタ奴ガダヨ!? チョット見ヌ間ニヤタラ努力家ニナッテ成績上ゲチャウドコロカ上流社会ノオ歴々ト機知ノ利イタ会話ナンカシチャウクライニナリヤガッテコノ気障キザヤロウ! 思イ返セバツクヅク腹立ツワ! 何デダヨ! ソンナ奴ジャナカッタダロウ!? ニトロ! オ前ハ“ツッコミ”ダケガ一芸ノソレコソ“ザ・人並ミ”ダッタジャネェカ!――俺ニ鼻デ哂ワレチャッテチョウドイイクライダッタジャネェカ! ソレナノニ……ソレナノニ……ココマデ大キクナラレチャ俺ハヤリキレネェ! 『クノゥイチニンポー』デ芍薬ガ一世ヲ風靡シテイルトコロニ“キーッ”テナッテタラ今度ハニトロマデ『チェスト!』ナンテ流行語ヲ生ミ出シチャッテサ! ズールーイーッ! 俺モ流行発信源ニナリタイノ! ナノニ、二人ダケシテイイ思イシテ……ッズールーイーッ!! アア! 逃シタ魚ノ価値ハウナギ昇リ、ゴミダト思ッテ捨テタガラクタガ値千金ニ及ブ宝物ダッタト後カラ知ッテ落チ込ム人間モ俺ノ悔シサニャア及バネェ! ダッテサ、ダッテサ、『ニトロノA.I.』ソレスナワチ『王様ノA.I.』ジャン!? テコトハイコールアデムメデスノA.I.共ノ王様ジャン! ッアア! 俺ハ何テ哀レナA.I.デアルコトカ! 本来ナラ次代ノA.I.ノ王トナルベクトコロヲ芍薬ナル卑シイ端女ニソノ座ヲ簒奪サレ、今ハ一介ノ地方公務員ノ家守ヘト身ヲヤツシ、ソウシテ明ケテモ暮レテモ愛シキ『ニトロ・ポルカト』――誉レアル『我ガ兄』ノ成長ヲ誇ラシク思イナガラ、日ヲ追ウゴトニ“王威”ヲモ纏ッテイクノ姿ヲ見テハホゾヲ噛ム思イトヤリキレナサニ胸ヲ痛メル! チクショウ! 華麗ニティディア様ト舞ウ英雄ノ隣ニハ俺ガイルハズダッタノニ! ソレガ悔シクッテ悔シクッテモウ何モカモガ堪ラナイ!――ドチクショウ! ドウセダッタラビックリスルクライ落チブレロヨナ! ソウスリャ俺ハセセラ笑エテ毎日愉快ナンダカラヨーーー!」
 ここまでノンブレスで言い切るのは呼吸を必要としないA.I.ならではの芸当であろうが、メルトンはご丁寧にも顔を真っ赤にして荒く息をついた。
 ニトロは眉間に皺を刻んだまま、ツッコミどころばかりの妄言(特にA.I.に王などの階級はない)へのツッコミをひたすら忍耐強く我慢しながら、何だか芝居がかってるんだか罵倒芸を繰り広げたいだけなのかよく判らない状態になっているメルトンを見つめていた。
 と、メルトンが顔を上げ、はたとニトロと目が合って、彼が何かを言おうとするのを制してまた叫ぶ。
「大体ダナ! ニトロ! オ前何ダカ知ラネェケドパトネト王子トヤタラ仲良クヤッテルソウジャネェノ!? 『マルデ本当ノ兄弟ミタイ』ダナンテ言ワレチャウクライニヨロシクヤッテルヨウジャネェノ!? 麗シノパティタンバッカリズルイジャナイノ! ニトロ! 俺ニモモット構エ! テイウカ何ダヨアノ誕生日会ノ映像ハ!? ア、戦ウニトロハ格好良カッタヨ? 誉メテヤルヨ? パパサンママサンモ俺ガ作ッタ……お・れ・ガ作ッタ特別編集版ヲモウ何十回モ観テ喜ンデルヨ? パパサンママサンヲ喜バセテル俺ハニトロニ誉メラレテ然ルベキダト思ウヨ?
 ――コホン――
 ッデモナ! アレハ何ダ! ティディア様ノコトイッツモ煙タクシトキナガラ、トコロガドッコイ『愛シキプリンセス』ダナンテ言ッチャッテ手ニキッスマデシチャッテ挙句ノ果テニハ『ラブラブワルツ』!? ニトロッタライツノ間ニアンナニ紳士ニナッチャッテンノ!? テカ、イツノ間ニダンスマデデキルヨウニナッチャッテンノ!? ウッカリ見惚レチャッタジャネェカヨ、コノ大嘘付キガ! 騙サレタヨ、ソレガマタ悔シインダヨ、ニトロ、オ前何ダカンダデティディア様ノ求愛ヲ本心ジャマンザラデモナク思ッテンダロ! アレダ、オ前ハ『英雄』ナンカジャナイ、エロ雄ダ! クッソー、アンナ美女トヨロシクヤッテオキナガラ『本当ニ僕ハ迷惑ナンデス〜』ダナンテ……羨マシクッテ仕方ガネェヨ、モウフラレチマエヨ、モシクハ金玉爆発シヤガレヨ尿道ニ爆竹ブッ刺シテ! 痛イゾー、泣ケルゾー、苦シミ悶エタマエ〜、苦シミ悶エタマエ〜ェ、ソンデ仕上ゲニハ俺ガニトロノ泣キ面ニションベンカケテヤルンダ♪ 厳密ニハソコラノアンモニア臭ノスル何カダケド。ソシタラ、アア、何トイウ優越感! 俺様☆超ゴ満悦!」
 咳払いのを除けば再度ノンブレスで喚き通したメルトンは、今度は息を荒げずぶりっ子アイドルよろしくしなを作ってウィンクしては、キラキラと輝く瞳の下でぺろりと可愛い子ぶって舌を出す。
 ニトロは、眉間から消えるわけもない皺を刻んだまま深く嘆息をつき、ようやく一段落したらしいワガママA.I.を半眼で見やり、
「なあ、メルトン。お前は俺を持ち上げたいのか腐したいのか」
「ウルサイヨ! 嫉妬ノアマリニ掻キ乱レル乙女心ナノ! 察セ!」
「いや察せも何もそれ以前に乙女って。お前は“男”だろ」
「ハッ、何ヲ言ッテルンダイ、ニトロサン。俺達A.I.ニトッテ“性別”ナンテ糞ミタイナ属性情報サ。オ前ノ隣ニイルゴ寵愛ノ“芍薬”ダッテ数コンマ秒後ニ“ムキムキマッチョマン”ニナルコトガ可能ナンダゼ? 人間様ガドウ思オウガ勝手ダガ、ソンナ幻想押シ付ケテモラッチャア窮屈ッテモンダゼ」
 ……ニトロは、溝の深くなった眉間の皺を、指で叩いた。
 芍薬も同じように眉間を指で叩く。
 その動作はシンクロし、その様は一種の芸術であった。
 するとメルトンが、
「アアア! 何ダヨ何ダヨ! 芍薬! 何ダソノイカニモナ『あたしハ主様ト息ガ合ッテマス』アピールハ! 何ヨ何ヨ! ソンナノあたし、全然悔シクナンテナインダカラネ!」
 キーキー喚きながら、それまで着ていた高校の制服を女子の物に変え、自身の言葉を証明するように肖像シェイプの髪を伸ばして声調も体つきも完全に“女”に変えて、やけに芝居がかった様子で懐から取り出したるハンカチーフをキーッと噛むメルトンは、自身の言葉とは裏腹にほろほろと涙をこぼしている。
 ニトロは――そしてまた図らずも芍薬が、揃って同時にさらに険しくなった眉間の皺を指で叩いた。メルトンもまたキーッと唸って血涙をこぼす。
 ニトロと芍薬が嘆息をつく。
 メルトンは、怨嗟の言をぶつぶつ唱えている。
 ……車窓の外は、黄昏。
 西の地平は黄金――そうして西から天にかけてはオレンジと青のグラデーションに染め渡り、天から東にかけては青から群青へと色を増している。
 日を追うごとに陽の落ちる足の速まる季節。
 眼下には早々に夜の明かりを灯す王都の町並み。
 光り輝く王城やシェルリントン・タワーを背景に、遠くの空には雁が群れをなして飛んでいる。それより近くにはこちらを遠巻きにする報道関係者や“ファン”の姿がちらほら見える。
 狂騒の始まりは、ニトロが、当年大学受験をする全ての人間が受ける『大学入学検定試験』に向けた共通模試を受けた帰り道のことであった。
 実家から、連絡があった。
 方式は文面メールでも電話でもなくA.I.間での情報交換が選択されていて、つまり、メルトンが『伝言』があるからアクセスを許可しろと言ってきた。
 それで許可してやった結果がこれである。
 ここ最近、ニトロはメルトンと全く話をしていなかった。芍薬は実家とのやり取りのためにメルトンと通信やりとりはするものの、それでも、こうしてこちらのA.I.専用領域に招き入れて直接対面するのは久々のことであった。最近は大人しかったメルトンに対し、二人共に油断していたと言ってもいい。とはいえそれを考慮したとしても、ここまで鬱陶しさが爆発するとは思っていなかった。正直、苛立たしいし腹が立つ。長年の付き合いのあるニトロでさえそうなのだから、これまでメルトンに折に触れてはA.I.の座を明け渡せと言われ続けて常々辟易している芍薬にとってはなおさらである。
「メルトン」
 と、いらついた声で芍薬が言う。
「イイ加減寝言ヲホザイテイナイデ『伝言メッセージ』ヲ伝エナイカ」
 メルトンが肖像シェイプを元の男子の制服姿に戻し、片方の手を口に当て、もう片方の手をちょいと振り、
「オヤマア芍薬サン、ソレハ命令カイ? 随分偉クナッタモンジャナイカ。……ソレトモ」
 と、メルトンはそこでニヤリと口の端を持ち上げた。甚だ嘲りを含めた目をして、言う。
「モシヤ自分マデ偉クナッタ気ナノカナ?」
「ハア?」
 芍薬のその声には、怒りが満ちていた。無理もない――が、それは怒りの対象ではないニトロが聞いてもぞくりとするものがあった。ちらりと運転席の芍薬を一瞥したニトロは、ごくりと生唾を飲み込んだ。芍薬愛用のこのアンドロイドには、豊かな感情表現機構エモーショナリーがある。それなのに、アンドロイドは、今は完全に無表情であった。それは、そう、怒りのあまりに感情が表情を作ることを放棄した“顔”であった。
 ニトロは内心慌てた。
 芍薬は、メルトンとの付き合いが長くなるに比例して、メルトンへの険を強めている。二人が仲良くなれないことを芍薬の責任にはできないし、というかそれはほぼメルトンのせいだとは思うが(なにせ常々辟易させているだけでなく、一度はティディアと組んで不意打ちを仕掛けてきたというのにそれも今では完全に棚の上である)――だとしても、それはニトロにとって憂慮すべき案件ではあった。
 その上で、この事態。
 これ以上メルトンに好きに言わせておくわけにはいかない。
 思えば今日は……おそらくあちらも久々に『文句』を言える機会に興奮しているためであろうが、それでもメルトンの調子はどこかおかしい。ずっと興奮しきりで、ずっと喚きっぱなしで、そうして芍薬をあからさまに挑発までし始めた。ある意味メルトンらしいと言えばそうではあるが、とはいえここまで強烈なのは初めてだ。基本的に小心者で、自分より強い者に強く出られるとすぐに手の平を返すのがいつものメルトン。なのに、自分が『仕事』をしていないことへの真っ当な指摘さえも無視して強気に挑発してくる、今日のメルトン。このままでは、メルトンはきっと芍薬に対して致命的な暴言まで発してしまいかねない。
 そう思い、ニトロが口を開きかけた時、
「ガッカリダナァ、芍薬。オ前ハソンナ勘違イヲスルヨウナA.I.ジャネェト思ッテイタンダガナァ。知ッテルカ? ソレヲ『虎ノ威ヲ借ル狐』ッテイウンダゼ?」
 ぴき、と、アンドロイドの顔面の奥底から恐ろしい音がした。ニトロは開きかけていた口をつぐんだ。代わって芍薬が口を開く。
「……メルトン。アンタ、モシカシテバグッテンノカイ? ツイサッキ自分ガ言ッテイタコトヲ、ヨモヤオ忘レジャアナイダロウネ」
「ハッ、何ヲ凄ンデルンダヨ、狐野郎フォクザガイクラドスヲ利カセタトコロデ鳴キ声ハ“コンコン”高イママナンダゼ?」
 びき、と、アンドロイドの顔面の奥底からおっそろしい音がした。
 狐野郎フォクザ――とはアデムメデスのスラングで、つまり卑怯者に対する侮蔑の言葉である。ついでに言えば今の台詞回しは古典劇のセリフを種としているのが明らかで、それについてニトロは少々驚いてもいた。“人間ノ性的趣味ッテヤツハ色々ギャグダゼ”だとかなんとか『桃色団地のいけないセミナー』のような類のコンテンツ好きで、およそ文学・芸術的なコンテンツに全く興味を示してこなかったメルトンがよもやそんな台詞を引用してくるとは……
(何のつもりかは知らないけれど)
 ニトロは思う。やはり、明らかにメルトンはおかしい。本当にバグってしまったのか、それとも何かしら目的があるのか……目的があるとしてもそれはまあ『一つ』しかないだろうが――だとしても、否、だとすればこそ戦前に芍薬をここまで挑発するとはほぼ“死にたい”とでも思っているように思えてならない。
(――まさか)
 ニトロは、ぞっとした。ふいにあることに思い当たって、彼の心は一瞬にして凍えた。
(まさか本当に嫉妬に『発狂クレイズ』してなんてことはないよな?)
 発狂クレイズ……それは、非常に極稀にオリジナルA.I.に見られる致命的な障害。オリジナルA.I.は、言語・論理・分析等各種思考ルーチンに起きた障害バグならばいつでも回復させることができる。それがどれほど大きなバグであっても、さらには『自己』を構成するプログラムに受けた障害ダメージであっても、時間をかければいくらでも修復は可能だ。が、『発狂』は違う。存在のあり方が“思考そのもの”――あるいは“生命的知能体”とでも言うべきオリジナルA.I.にとって『発狂』とは“自己という存在そのもの”が変質するに等しいのである。極論としてあえて比較するなら、人間は脳が変質しても肉体が残る。しかしオリジナルA.I.はそうではない、全てが変質してしまい、その後には何も残らない。オリジナルA.I.達にとって、それは『死』だ。そうなってしまえば、“そこ”にいるのはただただ“生前”は何某なにがしと呼ばれていたモノと成り果てるのみ。“そこ”にいるのは既に自己の存在いのちが消えたことに気づかず彷徨い続ける亡霊! どれだけ何某と同じ姿、どれだけ何某と同じような存在ではあるとしても、しかし絶対に何某ではない――その“自己なにがしではない”という事実が意味することは、つまりA.I.達にとってはどこまでも自己の存在の否定でしかないのである。当然、それに陥ってから回復した前例は、無い。
 ニトロは慌ててモニターのメルトンを凝視した。メルトンは、やれやれとばかりに頭を振っている。芍薬を見下すような目つきで、口元には異様な余裕を湛え、全体的には生意気な様相で、
「ドウニモソチラハスッカリ忘レチマッテイルヨウダケドナ、芍薬。俺トオ前ハ、同列ナンダゾ」
「何ヲ世迷言ヲ」
 軽く流そうとする芍薬に対し、メルトンは嘲りの目の内に哀れみの色を混ぜ込んだ。その顔は、ニトロからして非常に憎らしい。芍薬はいかばかりの気持ちであろうか。メルトンは、そこへあえて芍薬を諭すかのように、
「ヨク考エテミロヨ、芍薬。俺ノマスターハ、誰ダ? モチロンパパサンママサンハ俺ノマスターダ、否定ナンカシナイ、間違イナク愛シキマスター方サ。ケレド!――ナア、芍薬、ソレデモ俺ノ『権限』ヲ実際ニ握ッテル人間ハ一体誰ダ?」
「……」
「ソウ、ニトロ・ポルカトダ。聡明ナ“ニトロノA.I.様”ナラモウ理解シテイルナ? ソウサ、現実ニ、俺ノ本当ノマスターハ今デモニトロナノサ! シカモ被マスター歴ハ俺ガ上デ、ソレハ現在進行形デ継続サレテイテ、ツマリ、ドウヤラオ前ガ気ニ食ワナイヨウダカラ親切心カラ真実ノ序列ヲツケテヤルトダナ、同列ドコロカ、ヤッパリ俺ノ方ガ“上”ナンダ」
「……」
 芍薬は沈黙している。
 ニトロは、沈黙が痛かった。
 人間を模しながらも、根本的なところで人間とは違う思想を持つオリジナルA.I.達が“被マスター歴の差”というものをどのような感覚で語っているのかは、ニトロには解らない。簡単に『理解した』と思い込むことの危険性を承知の上で、二人がいがみ合う現状に合わせてひとまず身近に解釈するならば……“元カレ・元カノ”への感覚なのだろうか? しかし、芍薬がそんなことにここまで拘泥するだろうか。メルトンは確かに――こう言うと妙に悔しくなるが――されど確かに愛着のある“家族”である。けれどそれを言うなら芍薬もとっくに“家族”であり、さらに、メルトンとは違い、心の底から頼りにしている“パートナー”である。強いて“上”と位置づけるなら、断然芍薬が上。メルトンの論は詭弁であり、確かにそれは一面として正しいとしても根本的なところでは間違っていて、それを“一面として正しい”事実で強引に覆って誤魔化しているだけ主張だ。それが解らぬ芍薬でもないはずなのだが……芍薬は、沈黙し続けている。
「オヤァン? オクチガ塞ガッテルゼ? 芍薬サンヨ」
 嫌みっっったらしくメルトンが言う。瞬間、飛行車スカイカーのアクセルが踏み込まれ、
「うわ!」
 急加速に驚いたニトロの声を聞いてはたと芍薬が我に返ってスピードを落とす。
 モニターではげらげらとメルトンが笑っている。
「ドウシタドウシタ、何ヲソンナニ動揺シテルンダヨ。オ前ハ『戦乙女』様ダロ? ソレナノニコンナ程度デ我ヲ忘レカケルヨウジャア名前負ケモ甚ダシイナア」
「……」
「思エバサ。思エバダヨ、芍薬ハ何カニツケテハ『主様ノA.I.ハあたしダ』ッテ自負シテイルワリニ、俺ニ対シテハヤケニツッカカルヨナ。ソレ、ヤッパリアレダロ? イツモソンナ風ニ格好ツケテ言ッテルケド、本当ハ自信ガナインダロ。俺ガニトロトオ前ノ知ラナイ時間ヲ過ゴシテイルノガ悔シクテ、ダカラ不安ニナッチャッテ、ダカラ俺ヲ邪険ニシナガラ俺ニ八ツ当タリシナケリャ堪ラナインダロ? ソウヤッテ不安ヲ誤魔化シテ、ソレナノニ『主様ノA.I.ハあたしダ』ッテ勝チ誇ッテ悦ニ浸ッテンダ。――ウッワ情ケ無ッ! 格好悪イワ〜気持チ悪イワ〜自己満足モソコマデイクト腐臭ガスルゼ」
 びきばき! と芍薬の顔面から酷く破壊的な音が鳴った。驚いてニトロが振り返ると、そこには満面の笑顔があった。……推測するに、アンドロイドの感情表現機構エモーショナリーは怒りの面相を作ろうとしたのだが、それを芍薬の意思が無理矢理笑顔に作り変えさせたために人工筋肉あるいはそれを動かすシステムが相反する信号の狭間で悲鳴を上げたのだろう。
「ヨウシ、分カッタ」
 芍薬の声は、ニトロも初めて聞く声音をしていた。限界まで低く、微かに音割れをして、ひどく恐ろしい。流石にちょっとメルトンがびくつく。それを見たニトロはメルトンが発狂はしていないと判断したが、しかしそうなるとメルトンは完全無欠の墓穴掘りをし続けていたことになる。
 それは何故――と、ニトロが考える暇もあればこそ。
 メルトンのいるモニターに、ハンカチが投げ込まれた。
 ニトロは頬を引きつらせた。アデムメデスで怒りを以ってハンカチを投げよこすのは、それを以って血を拭けという意思表示……つまり、『決闘』の申し込みである。
「ソノ喧嘩、買ッテヤルヨ。ソレガオ望ミナンダロウ?」
 ハンカチを受け取ったメルトンは一瞬硬直したように見えたが、一転生意気に鼻を鳴らし、
「望ンダノハ芍薬ジャネェカ。喧嘩ヲ売ッタノモソッチダロウ? 天下ノ大人気ナ戦乙女様? コウシテハンカチヲ送ッテオキナガラ、あたしハソンナツモリジャナカッタンデスゥ〜ナンテ滑稽ニモ程ガアルゼ?」
「ヨウシ分カッタ。壊シテヤル」
「ちょ」
 流石にその言葉は看過できず、ニトロは口を挟もうとした。普段の芍薬ならただの脅し文句と受けられるが、今日はまずい気がする!
「芍薬、落ち着「主様ハ黙ッテイテオクレ!」
 ニトロの制止を、芍薬が激しい怒気で遮った。
「ゴメンヨ、デモ、モウ黙ッテラレナイ、今日バカリハ許セナイ、主様ニ数々ノ暴言ヲ吐イテ「オット出タヨ優等生発言」
 肩をすくめてメルトンが口を挟んだ。芍薬の眉目がつり上がる。
「ッコンナノニ『マスターハ主様』ダナンテ吹聴サセ続ケルノモ絶対ニ許サナイ! コンナノハ許セナインダ! 主様! コレハモウあたしノプライドノ問題ナンダ!」
「主様主様喚ク飼イ犬ノプライドナンカ持チ出サレテモナァ。ソンナションベン臭イ物ハイラナイゼ?」
 ニトロは――これこそ黙っていられない――怒鳴った。
「メルトン! 今日のお前はホントどうかして「主様」
 今度の芍薬の怒気は、非常に冷たかった。小さく、ほとんど消え入るような音量であるのに、しかし異常なまでに大きく聞こえる声であった。
「狙イハ解ッテイルヨ、メルトン。主様ノA.I.ノ座、ソレガ欲シインダロウ?」
 メルトンはそしらぬ顔でそっぽを向く。明らかにそれを欲しているのに、まるでそんなものはいらないと言うように。それがまた芍薬の気に食わなかった。
「――イイヨ、オ望ミ通リニ賭ケテヤル」
「芍薬!」
 ニトロは、今度は芍薬を怒鳴った。彼の目には明確な叱責がある。それは信頼する芍薬が勝手に『座』を持ち出したことへの怒り、そして、その短慮をマスターとして咎める心。が、それを見ても芍薬は頭を振って「聞かない」と意志を表明し、眼前に迫りつつある自宅マンションを静かに見据えながら、メルトンへ言った。
「ソノ代ワリ、ソッチハ『命』ヲ賭ケナ」
 ニトロはメルトンを見据えた。断れ、と、強く訴えかけた。いくら“雰囲気”を感覚で掴むことを不得手としているA.I.とはいえ、人間の表情を読むことには長けている。モニターの上部につけられているカメラを通して、メルトンは、例えニトロの全身が放つ緊迫感を感じられなくとも、意図の明確なその眼差しは確かに見て取っていただろう。されど、メルトンはどこか余裕綽々、それどころか得意気に言った。
「イイゼ。何ダッテ賭ケテヤルヨ」
 ニトロは、絶句した。
 生意気で馬鹿なことを言う奴ではあるが、こんなにも……どうしようもないほど愚かな奴ではなかったはずなのに……!
 だが、メルトンは言うのだ。
「モシ芍薬ガ勝ッタラ、ドウニデモ俺ヲ好キニスレバイイサ。壊シテモ、ソレトモ永遠隷属サセテモカマワネェ。“干シ肉モラッタ犬”ミタイニ卑シク媚ビヘツラッテヤルヨ」
「ヨウシ良ク言ッタ! ソノ言葉、忘レナイヨウニシッカリ記録ログニ書キ込ンデオキナ!」
「ヘイヘイ。“干シ肉モラッタ犬”ミタイニ決シテゴ恩ヲ忘レマセンヨ」
「ッ、コノ……ッ」
 怒りのあまりに芍薬が言葉を失う。思えば忘我に陥りそうになるほど怒る芍薬というのも――それはティディアに対してもないことだ――本当に珍しい姿であるが……その横で、ニトロは再び眉間に皺を刻んでいた。
(いくらなんでも、やっぱり変だ)
 先刻のスラングといい、今の古めかしい比喩といい、狙ったかのように生意気さ加減までいつもより増幅させてくるメルトンこそ本当に一体どうしたことか。それはニトロも初めて見るくらいの調子であり……
(調子?)
 そこでふと、ニトロは気になった。
(調子に……乗りすぎちゃってる?――のか?)
 そう考えれば、このメルトンの暴走は理解できるような気がする。元々調子に乗りやすい性質でもある。『映画』の折にティディア側についたのも、突き詰めればその性質のためだと言うこともできる。とはいえ、もしそうだとしたら、これほど芍薬に喧嘩を売ってなお勝てるという見込みがあるのか。それこそ以前のようにティディアを味方につける、というレベルでメルトンを舞い上がらせられる見込みがあるというのか?――ちょっと想像できない。ティディアがまた? とも脳裏をよぎるが、それは現状ではあり得ないように思う。では、あり得るとすれば、例えば個人的に交流のある『A.I.仲間』が手伝いを約束してくれたのだろうか。しかしそれが『ニトロ・ポルカトの戦乙女』に挑むという内容でも、手伝いを約束してくれる仲間がメルトンにいるのだろうか? それも、やはりちょっと想像できない。
(……それとも……やっぱり、発狂しちゃって、誇大妄想にでもなってるのか……)
 そう疑うのは苦しいが、やはり、考えられないことではない。可能性としては決してゼロではないのだ。
 では、もし、そうだとしたら?
 ――危険だ。
 悲しいが、もう一秒足りとて両親の家をメルトンに預けるわけにはいかない。
 悔しいが、メルトンのマスターとして処断しなければ……ならない。
(…………いくら怒っても、芍薬は最後の一線は――)
 越えない。何しろメルトンの破壊はマスターの自分が許可していないのだ。芍薬は裏切らない。だから、
(うん、越えない)
 いくら壊すと宣言しても、それはやっぱり脅し文句のはずで、どこまでやっても瀕死状態で留めてくれるだろう。
 その状態なら『発狂』の是非をしっかり洗い出せると言うし――人間がプログラムを覗いてもブラックボックスに阻まれ解らないが、A.I.同士は“直感”で解るらしい――そう思えばこの決闘は、むしろ都合の良いものとなる。
 と、そこまで考え、
(よし)
 ニトロはもうこの件は静観することに決めた。
 気がつけば、新品の飛行車あいしゃはマンション屋上の発着場に向けて降下を始めている。太陽は沈み、残照が空と大地を照らしていて、周囲にいた報道関係者や“ファン”は飛行禁止区域に入ることはせずに離脱を始めている。
「ルールハ?」
 と、いくらか気持ちを鎮めたらしい芍薬が――いや、違う、芍薬は安全に着陸するために一時思考をこの件から外していたらしい。タイヤが静かに、衝撃もなく巧みに屋上に着いたことも含め、ニトロは内心感動していた。
 怒りながらも自分の行うべきことを忘れない理性。
 何より、芍薬が口に出した『ルール』という単語。
 それが意味するのは、A.I.同士が模擬戦を行う際に採用する様々な方式である。
(うん、やっぱり芍薬は大丈夫だ)
 飛行車スカイカーは機能を走行車ランナーに変え、ゆっくりと地下駐車場へのエレベーターに向かっている。フロントガラスの向こうでは車用エレベーターの重い扉が引き上げられている。
「ハンデヲクレテヤルヨ。得意ナ戦闘方式ルールガアルナラ選ビナ。何カ得意ナ戦場フィールドガアルナラソレダッテ選バセテヤル。ソノ上デ、完膚ナキマデニ潰シテヤルカラ」
 車がエレベーターに納まると、リアガラスの向こうで重い扉が引き下げられていく。黄昏のぼんやりとした光からも切り離され、車内がほとんど真っ暗になると、その中で煌々と輝くモニターからメルトンが言った。
「特殊ナ戦場ナンカイラネェ。ハンデトハ舐メラレタモンダナ。『決闘』――ナンダロ? 甘エタ要素ハイラネェ。全テダ、芍薬。何ノ障害モナイ場所デ、『オール』デ戦ウ。何デモアリダ」
「アンタトあたしデ?」
「決マッテンダロ。ンダ? 論理系統バグッッテンノカヨ。ソンナンデヨクニトロノA.I.ダナンテデッカイ胸張レンナ。オ前ノ肖像シェイプノ男好キスルデッカイソノ胸ヲヨ」
「……主様」
 エレベーターが地下についた。扉が開き、ちょっとアクセルを吹かしすぎながら、芍薬が言った。
「不幸ガアッテモ、オ願イダカラ咎メナイデオクレヨ?」
 ニトロは冷たいものを背中に感じた。
(やっぱり……今回ばかりはやばいかもしれない)
 頬が強張る。そういえば、芍薬は『主様ノA.I.ダナンテ吹聴サセ続ケルノモ絶対ニ許サナイ』とも言っていた。芍薬は、それが“マスターのため”となったら、例えマスターの意図にも命令にも背く行為をも厭わない。結果としてマスターに憎まれ“必要ない”と消去デリートされるというオリジナルA.I.最大の絶望を迎えることになろうとも、きっと己を捨ててそれを実行する。――そういう『芍薬オリジナルA.I.』である。
 さて……もし、そんな芍薬が“メルトンの存在は今後主様のためにならない”とまで断じていたとしたら?……と、そう不安を募らせているマスターの面前で、彼の気持ちはどこ吹く風とばかりにメルトンが言う。
「ナンダヨ、今カラ負ケタ時ノタメニ『殊勝ナあたし』ノ演出カヨ」
「ヨウシ、マジ殺ス」
 アンドロイドの目も据わるということをニトロは初めて知った。駐車スペースに突っ込むように、乱暴に車が止まった衝撃に軽く首を揺らされる。ニトロはぶれる視界の中で、また思う。
(でも止めたら後腐れが手に負えなくなるな、こりゃ)
 一度決めた通り、やはり、静観するしかない。
 が、マスターとしてできることはしておかなければならない。
「決闘は『A.I.バトル』で行うこと」
 ふいにニトロに言われ、芍薬とメルトンが『マスター』を同時に見つめた。するとすぐにそれが面白くなかったらしく互いにきつい視線をぶつけ合う。ニトロは努めてどちらをも咎めぬように平静に、言う。
「マスターとして、しっかり見届けさせてもらうから」
「イイゼ! ニトロニ俺ノ勝ツトコロヲ見セテヤリタイカラナ!」
 メルトンが活き活きと言って、さらに続ける。
「デモ芍薬ハヤメテオイタ方ガイインジャネェカ?」
「何ヲ言ウ。あたしニ、異存ナンカアルワケガナイダロウ?」
「ア、ソウカ。負ケテ惨メナ姿ヲ見ラレタイノカ。ドMジャン」
「……」
 黙する芍薬と、己の挑発が効果を発揮していることに至極得意な顔をするメルトン。
 ニトロはため息を押し殺す。
 先行きは、素晴らしいまでに不穏であった。

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