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「ちなみに、『クノゥイチニンポー流護身術』の受講希望者も大量発生しているそうですよ」
 今夜は夕飯を撫子に作ってもらえないらしいハラキリがピザのデリバリーを取ると言い。
「へえ」
 芍薬と大喧嘩をした手前、家にすぐに帰るのも憚られ、ハラキリに付き合うことにしたニトロは、取り分けた内の最後の一切れを手にしながら気のない相槌を返した。
「全く、価値があると思い込んだら『架空』かどうかも鑑みずに殺到するのですから、人間はいつまでも成長しませんねえ」
「いや何悟っちゃったように言ってるのさ」
 ベーコンポテトピザをかじりながら、思えばどこか芝居がかったハラキリのセリフにニトロは苦笑する。
「でも『クノゥイチニンポー流護身術』は存在しないけど、俺の知ってるやつは実在するよ?」
「一つ旗揚げしろと?」
「きっと儲かる」
「これは手厳しい」
 ハラキリは深く苦笑した。しかしこればかりは甘んじて受けねばならない『棘』だ。
 サイドメニューで頼んだミートボールをかじって苦笑を押し流し、ハラキリはさっぱりと言う。
「ですが、無理です」
「目立つのは嫌いだから?」
「それもありますが、メニューが基本的にオーダーメイドですから。万人向けに最適化・体系化したものではありません。それなりに『覚悟』が必要でもあります。無理に教えても結局は生兵法、怪我人出すだけで役に立ちませんよ」
「そうか? 基本の『一に逃げる、二に逃げる、三四も逃げて、五に逃げろ』ってのは役立つと思うよ。それから『危ないことはしない、危険には近づかない』ってのも」
「それを常に実行できれば免許皆伝ですがね。しかしそれじゃあ『生徒』は納得しないでしょう」
 ハラキリは力なく言い、ニトロも力なくピザをかじった。
「それに、そのために必要な逃げ足の強化はどっちかといったら『陸上競技』ですし」
「よく走らされたね」
「よく走りきりましたね」
 ハラキリのそれは、誉め言葉だった。思わぬタイミングのことでニトロは思わぬほどの喜びを感じた。しかし、どこかやりきれない。とはいえ、その喜びは一つの決意を後押しする力をくれた。
(やっぱり、俺から謝らないとな……)
 南副王都サスカルラでの『仕事』を終え、アンドロイドが戻ってくる明後日の夜には、そのまま芍薬とハラキリと小旅行に行く予定だ。旅行二日目の昼にはハラキリが帰路につき、それからは芍薬と二人で一日ゆっくり楽しんでくる旅程。それも鑑みれば仲直りは必須事項である。
 問題は、どう謝るかだが……やはりそれも、答えは一つだろう。
 ピザを食べ終え、ナプキンで手を拭き、ニトロは言った。
「さて、そろそろ帰るよ」
「もうですか?」
 何となく引き止めたい様子でハラキリが言うが、ニトロは口に揺らがない意志を込め、
「車はちょっと預けておいていいかな。すぐ後でまた取りに来るから」
 ハラキリはその言葉に片眉を跳ねて、
「芍薬と、ですか?」
「そう」
 ニトロはどこか吹っ切れたようにうなずく。
 ハラキリは何故か苦笑し、
「その前に呼んだらどうです? 芍薬は来ますよ。車内でも話せるでしょう、何なら呼ぶ時にだって」
「それはそうだけどね。でもそれだと『まず使うために謝る』なんて感じもするじゃないか」
「気にしすぎでは?」
「気にしたいのさ」
 そう言われては仕方ない。ここら辺の堅物さ、あるいは誠実さがマイナスに働かないのもニトロの強みであるのだろう。
 しかし、
「では、今日はどのようにお帰りで?」
「初心に帰って走って帰るよ」
「騒がれますよ」
「ここからならほとんど川沿いのコースを辿っていけるから、まあ、皆で健康になろうかな」
「食べたばかりですし、脇腹痛くなりますよ?」
「ああ、それは……そうか。でも」
 と言いかけて、ニトロは口を閉じた。それを罰としたとしても芍薬は喜ばない。むしろまた怒らせてしまうだろう。
「……タクシー、呼んでくれる?」
「イエ、韋駄天ニ送ラセマショウ」
 と、そこに、口を入れてきたのは撫子だった。イチマツを操作し、客人のいるために、お茶を運んできたところだった。
「いいの?」
 ニトロが問うと、撫子は意味ありげにハラキリを一瞥し、
「ハイ」
 うなずく撫子の明るい顔とは対照的にハラキリは苦笑を深めている。ニトロはそれを気にはしたが、まあ、そちらの間にも何かとあるのだろう。
「それじゃあ、お願いするよ」
「スグニ用意サセマス。ガ、一ツ、コチラノオ願イヲオ聞キ下サイマセンカ?」
「何?」
 ニトロが了解を前提にした問いを返すと、撫子は優しい微笑みを浮かべて言った。
「幾ツカ『体』用ノ服ヲ作ッテイマシタノデ、芍薬ヘドウゾ持ッテ帰ッテヤッテ下サイマセ」

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