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 ハラキリの家の地下で行われた『特別トレーニング』を終え、自宅に帰ってきたニトロと芍薬は――うなだれていた。
「……酷い話だ」
「……御意」
「恐ろしい……あれは本当に恐ろしいことだよ」
「御意」
「……」
「……」
「……」
「完敗ダッタネ……」
「うん」
 ニトロの網膜には未だオオカミ然と変身したヴィタがちらついている。
 イヌとネコ双方の特徴に加えて六臂人アスラインの怪力まで備えた相手、その反則的な身体能力差からくる恐怖。一見細い腕でゲームやマンガでも滅多に見ないような『身の丈ほどもある巨大な手斧』を軽々振り回し、普段は美しいばかりのマリンブルーの瞳を、獲物を狙う狂暴な肉食獣の光でギラつかせて追い回してくるあの姿――!
 寸止め、というルールの試合スパーリング……こちらに与えられたのは、『ニトロ・ポルカト』ならば平時から持ち歩いていても不思議ないという理由でちっぽけな果物ナイフであった。
 ……どうしろと?
 身の丈ほどもある巨大な戦闘仕様の斧に対してどうしろと?
 しかもヴィタは本当に寸止めする気があるのかってくらいに物凄い勢いで戦斧を振り回してくる。果物ナイフ? はッ、そんなもの、むしろこっちが果物の皮のようにやすやす両断きられてしまうわ。まあ、でも、確かに彼女は寸止めを実行したよ? けれど、肉厚の、見るだけでも恐ろしい斧の刃が何度も身に迫り紙一重で止まるのだよ。念のためと例の戦闘服にプロテクターを重ねていても伝わってくる死の気配。金属の刃の冷気。その、『劣り姫の変』の『巨人』とも『女神像』とも違う肉薄した生々しい恐怖!!
 その上……最後に一矢だけでもと決死の覚悟で懐に飛び込んだら、大きな口に立ち並ぶ牙で首を噛まれるし……野生の草食動物にこれほど同情した日はないさ。
 さらに、である。
 ヴィタには恐怖を味わわされたが、ハラキリには絶望を味わわされた。
 数は四対二。
 もちろん『劣り姫の変』ではもっと大きな人数差での戦いを経験した。
 だが、あれこそ暴力だ。ハンデとして装備にかなりのアドバンテージ(こっちは『毀刃』あっちは果物ナイフ等)をもらってはいたものの、はッ、そんなものが何になる。
 ぼこぼこにやられた。
 芍薬とのコンビネーションには自信を持っていたのに……いや、それは今ならはっきり言える、慢心であったと!
 ハラキリと撫子の連携は、さらに磨き上げられていた。その素晴らしさに驚き見とれてしまって負けた一戦もあるほどに。
 それに加えて『援護』に特化した動きで牡丹と百合花の操るアンドロイドが攻撃を仕掛けてくるのだ。芍薬は“物理世界”の攻防のみならず、“電脳世界”の側でも百合花の強烈なクラッキングに苦しめられていた。
 完璧に統率された組織を数でも実力でも負けながらに相手にする、その絶望。
 芍薬が奥の手に数える身を捨てた戦法を以てしても、最も戦闘が苦手な百合花を抑えるのがやっとであり、こちらは二つの命を差し出してあちらは一つ……いや、あくまで『抑えた』だけであり『仕止めた』わけではない。逆に、厳密に言えば初めから狙われるであろう百合花を餌にされて一網打尽にされたとも解釈できる。
 完敗だった。
 意識的にしろ無意識にしろ心に打ち立てられていた自信の塔が木っ端微塵に崩壊した。
「デモ……」
 と、芍薬が呟く。
「……うん」
 と、ニトロがうなずく。
 一つだけ、確かな手応えがあった。
 ヴィタ、ハラキリ、どちらとの試合中も、どちらも常に真剣であったことだ。自分よりずっと強い二人が――特に『師匠』が! 芍薬にとっても、あの撫子が……これまでになく真剣に『叩きのめしてくれた』のだ。
 ――「いやはや、なかなか迂闊なことはできなくなりましたね」
 ハラキリの、そのセリフ。
 嬉しかった。
 そこに込められていた実感が、本当に嬉しかった。
 芍薬も撫子に何かを言われていた。それは自分が受けたものと同種のものであった。
 ぼこぼこにされ、自信を木っ端微塵にされ、長らくうなだれさせられた――が、現在、ニトロも芍薬もお互いに得たものが、時を経て、今確かに心に積み上がっていることを感じていた。
 そう、それは、崩壊したはずの自信の塔が、崩壊した先で積み重なり、新たな土壌となっている事実。そのためにゼロ地点が以前よりも高くなり、つまり塔のように壊れやすく不安定なものではなく、地面という確実な基礎として『自信』を改めて得られたという確信。
 なるほど、今日は完敗だった。恐ろしい目に会い、絶望も味わった。
 しかし、ニトロは、それでもなお恐怖と絶望との正確な距離を把握し、言えるのである。
「頑張ろうね」
「承諾」
 そして芍薬も、うなずけるのであった。

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