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 ――『劣り姫の変』五日目――
 日の出を迎えた王都には『プカマペ教団』の祈りの言葉はなく、アデムメデスの関心と注目は常にスライレンド王立公園に注がれていた。
 王立公園には祈りの言葉はなくとも祈るような思いを胸にした多くの人間が集まっており、それを星中から集まったメディアのカメラが全国に、また銀河に中継していく。人出は凄まじく、公園の広場も道も植え込みの中にも、それどころか公園の外にも人が溢れている。溢れる人海は無作為に不規則に蠢き、その蠢く波は、不規則ながらも作為的に皆一点に押し寄せようとしている。されど波の一滴とてそこに入ることは叶わない。人海の中にある島のごとき有様となった場所には、周囲の喧騒が嘘のように、静かな朝を迎えたホテル・フィメックがあった。
 多くの者が気もそぞろに出勤・通学を始める時間になっても、『彼』に動きはなかった。ただ『彼』を守るようにある庭園の、昨晩の雨を受けて色鮮やかに輝く花々が、木々が、雨後の透き通る光を浴びて爽やかな息を吐き出すばかり。豊かな才能を持ちながら夭逝した建築家の遺した建物だけが、『彼』に代わって周囲を飾る花にも負けず華麗な外観を銀河に誇り続ける。
 その頃はまだ昨夜からの当惑が激しく尾を引いていて、王女の真意とその暴挙とも言える危険極まりない行動への議論が、テレビやインターネットを賑わせていた。そして皆、様々な手段で眺められるホテル・フィメックの様子を見つめながら、マスメディアで、ファミリーレストランで、喫茶店で、そこかしこで『劣り姫の変』の意義を語り合っていた。
 そう、朝の光が残るその時までは、皆にはまだ余裕をもってニトロ・ポルカトの決断を待つことができていたのである。
 だが、正午になっても、ニトロ・ポルカトに動きはなかった。
 その頃には議論の熱は冷め始めていた。飽きのために冷めていったのではなく、じわりと忍び寄ってきた不安のために冷え出していたのである。
 まさか、ニトロ・ポルカトは『決闘リスク』を避ける選択を採ったのか? これまで教団と激しい闘争を繰り広げてきた『狂戦士』が、『救世主』が、『ニトロ・ポルカト』が?
 焦燥が募る。
 1時。
 焦燥を苛立ちが燃やす。
 2時。
 傾いていく太陽の光が、燃える焦燥と苛立ちの熱を増す。
 3時。
 轟々と燃え盛る焦燥と苛立ちは憤懣となる。しかし大衆の心に燃える雑多な感情は燃えながらも凍り出していく。時の経過が、刻々と刻まれる時間が、王女の死を――例えそれを演出に過ぎないと思っていたとしても――どうしても予感させるのだ。
 3時30分を過ぎたあたりで、アデムメデスの関心と注目が大きな音を立てた。
 ホテル・フィメックの玄関に一台の高級飛行車スカイカーが現れたのである。
 そして、玄関からあの黒い戦闘服に身を包むニトロ・ポルカトと、朱の衣に身を包む戦乙女が現れた。
 ホテルの周囲、王立公園の上空に待機していたマスメディアの目はそれを即座に皆に伝えた。
 王立公園が震え、星が轟いた。
 とうとう彼が行動を起こした!
 さあ、彼はどうすることに決めたのだ?――そう窺いながらも、心の底では彼が出てきた以上は『決闘』を受諾したのだろうと皆は確信していた。
 ニトロ・ポルカトは飛行車に乗り込み、しかし、しばらくそのまま留まっていた。
 と、そこに、報道陣を蹴散らすように現れた者達があった。三台の警察車両と、さらには王軍の装甲飛行車アーマード・スカイカーだった。七台の装甲飛行車にはいずれも第一王位継承者直属の印がある。それはつまり、現在はミリュウ直属の親衛隊であった。
 何局かのカメラが車内のニトロの表情を捉え、彼が驚いている様子を伝えた。
 同時に、各メディアに速報が流れた。
 その内容は、ミリュウ姫が『王権』を行使したということ。どうやらニトロ・ポルカトが行動を起こした際に自動的に発動されるよう手続きされていたらしく、その内容は『ニトロ・ポルカトの進路を塞ぐ者はいかなる手段を以てでも排除する』というものだった。
 ニトロ自身は混乱防止のため警察に先導を頼んでいたのだが、軍も道先案内に加わってくれるなら心強い。彼を乗せたスカイカーは警察と王軍に囲まれ飛び立った。ホテルの周囲、王立公園、時を経てスライレンドの街中にまで溢れていた国民が一斉に声を上げ、大きな地鳴りのような歓声がニトロ・ポルカトを送り出した。
 無論、待機していた無数のマスメディアは彼を追った。激しいポジション争いをしながら轟然と追いかけるが、とはいえ王権行使とその内容を知ったからには――特に野蛮なパパラッチも迂闊に近づくことはできず、次第に自ら等も隊列を整え『護送船団』を取り巻くように追跡を開始する。
 その時、最も注目を浴びたテレビ局があった。
 それはとある地方のローカルテレビ局のものであり、ニトロの乗るスカイカーからはかなり離れた場所でカメラを据えていた。おそらく大手メディアとの力関係から外に追いやられたための撮影位置であったのだろうが、そのディレクターは腹を括って望遠を使わず、その位置だからこそ見える風景を伝えることにしたらしい。角度としては被写体からやや斜め後ろで、少し上。ニトロ・ポルカトを乗せた車が護送船団に囲まれる様も、さらにそれを報道陣が取り囲む様も、そしてその全てが一つの目的地に向けて進む様も――加えて晴れ渡る空の下、雲や遠景には大きな動きがないのに対して、直下の風景は猛スピードで背後に流れていく様も含めてパンフォーカスで捉えたその映像はまさにスペクタクル感に溢れていた。まるで自分達の目が、歴史的な英雄率いる進軍風景を見ているかのようだと誰もが思い、その歴史的瞬間の陶酔がアデムメデスの胸に『ニトロ・ポルカト』という英雄の存在を先にも増して刻み込んだ。
 ――が、その興奮も、長くは続かなかった。
 ニトロの乗る車は、遮る物のない空をどんどん速度を上げて進んでいく。市街地上空の法定速度は一般車で100km、緊急車両は事実上無制限だ。例外措置か、今回の王権の拡大解釈かはともかく、ニトロの車も緊急車両扱いにされたのだろう。一方でマスメディアのものは例外にされない。画面内には法定速度を破って食らいついているものも見られたが、それも徐々に諦め出している。公に報道されている上に目の前には警察だ。それでも違反上等で追いかけているパパラッチも十数人いたが……警察車両の一台が取締りに動き出した。
 カメラが警察とパパラッチの追跡劇チェイスを映し出したちょうどその頃、ニトロ・ポルカトの進路が間違いなく――地図で見れば副王都セドカルラの北西部にあることが伝えられ、実に多くの者がため息をついた。
 霊廟。
 アデムメデスで特に固有名詞を付けずに『霊廟』と言えば、それは『無冠王墓』に決まっている。初代王が『粛清』された場所であり、そのまま墓として用いられることになった伝説の宮殿。また、初代覇王と共に、覇王を粛清した第一王子――つまり覇王の息子が埋葬されている神聖なる墓。名称の『無冠王』は王位に就かずに一生を終えたその王子のことを指しており、そしてその名が付けられたのは、『英雄』を墓の名に戴くことで狂君の怨念を封じる意味合いがあるという。
 王家にとって最も重要な施設の一つである霊廟の管理者は、代々副王都を預かる第一王位継承者だ。
 しかし現在、副王都は第二王位継承者が預かっている。
 そう、ミリュウ・フォン・アデムメデス・ロディアーナが。
 彼女が決闘の場所として――“粛清”まで匂わせて――選ぶとしては最高にして最狂の場所であろう。
 スライレンドから霊廟までの距離と飛行車の速度を鑑み、到着まで二時間ほどと予測された。
 そしてその通り、斜陽が大地をほのかに朱に染め出した頃、なだらかな低山帯にいかめしい護送船団を引き連れて、現代の『英雄』が姿を現した。

「綺麗なところだね」
 眼下に広がる景色を見てニトロはつぶやいた。低い山々の隆起が作る陰影が緑の濃淡を生み、日の傾きが濃淡の中にさらに濃い影を生み、その影の底には早くも夜の片鱗が見える。反面、山の頂は明るい夏の夕日を目一杯に浴びて輝いており、その対比はダイナミックな自然の美を描き出す。山間にぽつんと唐突に存在する小さく美しい湖の、宝石のようなキラめきにニトロがため息をつく横で、芍薬は同意を示しうなずいていた。
 今、芍薬の操作する飛行車スカイカーの周囲には警察も王軍もいない。もちろんメディアの姿も影一つない。
 既に二人は広大な陵地内に入っており、普段から立ち入りも上空の飛行も禁止されているここにまで追いかけてこられる者はいないのだ。例え無理に追いかけてきたとしても、普段からの警備に加え、王軍親衛隊まで加わった厳重警戒体勢の中を掻い潜ってこようという愚か者はニトロ達の影を見ることもなくただ後悔を見ることとなるだろう。
 陵地の空をただ一台きりで飛ぶ車は、やがてゆっくりと降下を始めた。
 降下する先にはニトロの見惚れた湖がある。
 そして、その湖を見下ろす山の斜面を切り開いた土地に、小ぶりな宮殿があった。
 青い屋根を頂き、白と茶系の大理石で作られたその瀟洒な宮殿は元の名を『リデアルディアナ宮殿』という。古語で『愛する小さなディアナ』という意味だ。ディアナは、覇王が最後の妻、ロディアーナを呼ぶ時の愛称である。
 初代覇王は、三十数歳離れた最後の妻を溺愛していた。
 初代王妃も、覇王を愛してはいた――妻の役目として
 そもそもロディアーナは、覇王の唯一の子……というよりは、唯一父に殺されなかった子息、レイアンの婚約者であった。
 覇王は武勇優れる戦士であったと同時に、アデムメデスの技術力を千年早めた科学者でもあった。覇王は戦乱の世、東大陸最大の帝国の従属国に王子として生まれた。彼にとって幸いであったのは、その国は小さくとも、彼にとって必要な『資源』が豊富に蓄えていたことだ。父の早世により幼くして戴冠した覇王は軍事力(表向きは科学技術)の発展に狂気的な執着を見せ、自ら陣頭指揮に当たりながら、自らも研究者として開発に没頭した。そして驚くべきことに、ようやく火薬式の大砲が実現段階に入った時代にバズーカ砲や機関銃、騎兵に対し装甲車と飛行機を完成させ、さらにはガスマスクの発明により当時『黒魔術』と恐れられた毒ガスによる一方的な殲滅戦を成立せしめ、彼は瞬く間に星を蹂躙していったのである。
 ――それは、星の統一が視野に入った頃に起こった。
 それまで同盟を結んでいたロディアーナの父が治める大国を、覇王は突然攻めたのだ。宣戦布告の理由は戦国の世の常、ほとんど難癖に近い「敵対の意思有り」という大儀のため。大国は世界でも有数の国力を持っていたが、しかし覇王の軍との圧倒的な戦力差の前に抵抗空しく三日後に降伏した。覇王は大国の王に関係する者を老若男女問わず、遠縁、養子に至るまで皆殺しにした。唯一生き延びたのはロディアーナのみであり、故国の滅亡の二日後、彼女は“昨夜不慮の事故で死んだ王妃の代わりに”王妃に迎えられた。
 誰の目にも明らかだった。覇王は息子の婚約者を奪うために国一つを滅ぼしたのだ。そして故国に残る民の――大国の王に関係する者達の命乞いのため、まだ二十に満たない王女は覇王に身を委ねたのだと。
 彼女は美しく、可憐で、優しく……また哀しいかな『王女』として秀でていた。戦略婚は当たり前の時代でもある。これは王女たる自分の運命、と覚悟する少女は、一族を虐殺した男に対しても心を殺して献身的に振舞った。
 そしてまた覇王の息子――最も父の才を引いた男――希代の軍師であると同時にアデムメデスの医学を大いに発展させた天才でありながら、そうでありながら父の完全なる傀儡であり、愛し合っていた婚約者を手酷いやり方で奪われた後も笑顔で父に協力する道化者も(その不甲斐なさ故に影では覇王に対する憎悪以上に罵られながら)引き続きアデムメデス統一のため大いに働いた。
 ――ある歴史家は、覇王がロディアーナを奪ったのは息子の忠心を試すためだったと語る。覇王はあまりに優秀な息子を内心では恐れていたのだと。他の息子や娘を、折に触れて無残に『処理』してきた覇王がついぞ彼を殺せなかったのは、もし彼を殺そうとしようものなら返り討ちにされると予感していたのだと。
 一方である歴史家は、覇王がロディアーナを娶ったのは確かに息子の忠心を試す意味があっただろう。しかし、彼は初代アデムメデス国王妃を心から愛していたと語る。そして、その愛こそがアデムメデス統一後の恐怖の嵐を呼んだのだと。
 星が統一されたのは、ロディアーナが王妃となって五年後のことだった。最後の覇権を争った百の国の同盟を打ち破った覇王は国名を『アデムメデス』、王朝名を『ロディアーナ』と改め、千年の栄華を謳い統治を開始した。
 ロディアーナ朝には二つの顔があった。覇王の恐怖と、悲劇的な王妃の慈愛。国民は為政者として優れながらも暴虐極まる王に震えながら、時に王に柔らかく意見し、その暴威を和らげてくれる王妃の美しさに心を打たれていた。
 覇王は、年を経るごとにますます美しくなる王妃を愛した。
 王妃も、年を経て子を身ごもりながら夫を愛した――妻として、母の務めとして。
 覇王は王妃の愛の裏側を知っていたのだろう。だから余計に王妃を愛した。統一から二年後に王子が生まれ、その子にレイアンが第一王位継承権を譲渡した頃から、覇王の暴威はさらに狂っていった。
 ある時、王は公費横領を“疑われた”貴族を突如公開拷問にかけて殺した。累は家族にまで及びかけ、それを知った王妃が夫を咎めると、彼は嬉しそうに彼女の言うことを聞き入れ、その貴族の家族を赦免したという。
 また覇王は王妃のために大量の国費を浪費して豪華な宮殿を建てたようとした。それは宮殿建築に動員された人数の四割が様々な理由で死亡した過酷にして非道な事業でもあった。それを知った王妃が咎めると、覇王は反省を示すように完成間近の宮殿を破壊した。宮殿と宮殿にまつわる死がまさに無駄となったのである。そのあまりに惨い結果に悲しむ王妃を、覇王は自分にそうさせたのはお前だと責めながら、一方で優しく慰めたという。
 謀反の準備を進めていた者を発見した時の覇王の顔は残忍に輝き、謀反を企てていたからには王妃も止めきれない。その者の一族郎党は見せしめとして惨殺された。さらにはその者の領地の民まで殺し始めてようやく王妃の言葉は覇王に届き、そんな時、王妃は覇王の残忍性を民の代わりに受け続けたという。そしてそれをこそ求めて覇王は謀反者を――時に難癖すらなく適当な理由で“生み出し”続けていたという。
 悲惨な人生を歩みながら、それでも笑顔で国民を守ろうとする王妃を、皆が哀れみながら愛していた。彼女が愛されるにつれ、皆が愛する王妃を独占したい覇王は、さらに暴虐の度を増していった。
 統一から十二年後のことだ。
 それも突然だった。
 覇王は、ロディアーナが愛していた湖の近くに宮殿を建てることを決めた。
 その宮殿が完成間近となり、覇王は盲信的な手駒として働く第二王位継承者レイアンを供に連れて様子を見に来た。それは、地上部の宮殿とは別に、夫が妻を驚かせようと設えた“地下宮殿”に入った時のことだった。供として連れてきたレイアンの手によって、覇王は亡国の乱賊として『粛清』されたのである。
 レイアンはずっと待ち続けていたのだ。父が油断するその時を。猜疑心の強い父が、古老の域にあってなお壮健な偉丈夫である武人が、護衛として自分一人を連れるその時を。
 その機会を作り上げた者こそが、ロディアーナだった。彼女が覇王にレイアンを供にすることを何度も提案していたのだ。覇王はしぶしぶ何度かレイアンを供にして、その時々に何事もなかったために、覇王はとうとう油断したのだ。他の機会では常に身の回りに付けていた親衛隊の一人も用意せず、建設責任者を伴い父子二人で地下に下り、そうして冷たい石床で星を統べた暴虐の超人はその生涯を閉じたのである。
 後世に『道化の剣』として伝わる劇の題材ともなった王妃と王子の忍耐の末、アデムメデスは覇王の恐怖から解放された。その後、国は何度か分裂の危機も迎えたが、それをこれ以上の惨禍を望まぬ女王ロディアーナの尽力と果断で乗り越えた。
 覇王が統べ、礎を築いたアデムメデス。
 全ての悲劇を背負って立ち続けた『聖母王』がその礎を固め、育み、安定させ、柱を立て、屋根を作り、その後、実はロディアーナとレイアンの息子とも噂される三代王が国を継ぎ……ロディアーナ朝は現在に至る。
(かくて長い時を経て、覇王の血とロディアーナの血と名を継ぐ者がここで死のうとしている――か)
 父討ち後は英雄として讃えられ、女王の夫として、つまり王として立つことを強く望まれたレイアンはついに冠を抱かなかった。ただひたすらに女王の手足となり身を砕き、彼はアデムメデスの平和な未来に向けて死力を尽くした。そして父の死の八年後に、ロディアーナに看取られ病のためにこの世を去った。
(『嗚呼、君を、君に全ての重荷を残して死んでいくのが無念でならない』)
 道化の剣――いつか両親にシェルリントン・タワー内の劇場で演じ続けられている名作中の名作を見せたいと思っていたニトロは、その劇の中での王子のセリフを思い出しながら、千年どころか三千年を視野に入れてなお輝き続ける大理石の宮殿を見上げた。背後では飛行車のエンジンが止められている。
(『幸せに。君よ、どうか、どうか幸せに』)
 史実としてレイアンがどんな言葉をロディアーナに遺したのかは記録に残っていない。劇作の中では愛する女性の涙を唇に乗せて死んだ彼は、史実として残る遺言に従い、父の眠る地下宮殿に葬られた。
 以降、覇王への畏れと英雄への敬意を込めて『無冠王墓』と名を改められた宮殿の重く大きな石扉が、今、ゆっくりと開き出している。
 ニトロの斜め前に、芍薬が立つ。
 歴史に名を刻む死者が眠る霊廟の扉が、開き切る。
 扉の中から現れたのは無骨なロボットだった。この宮殿の手入れのために常駐しているものだ。その姿を見て、改めて思えば霊廟はぴかぴかに磨き上げられていて、車を止めた玄関前に雑草は一本もない。
「『ドウゾ中ヘ』ダッテサ」
 通信を受けた芍薬が言う。
 ニトロはうなずいた。
 明かりのない宮殿の内側が、斜陽に照らされてぼんやり紅く浮かび上がっている。
 ニトロは一歩踏み出し、と、芍薬の瞳に光があることに気づいた。どうやらロボットと通信しているらしい。すると芍薬は太帯ベルトのポーチの一つを開いた。そこから大きな機械蛍ファイアフライヤが飛び出し、二人の前に舞った。
「灯リハ消スヨウニ命令サレテルソウダヨ。地下ニハ点ケラレテルヨウダケド、目ヲ慣ラシナガラ行コウ」
「分かった」
 ミリュウは、生理的優位を得るために電灯を落としているわけではないだろう。確かにこれまで明るいところにいた者と、ずっと薄暗いところにいた者が急に戦えば後者に圧倒的な利があるが……彼女の目的は、多分、違う。それはきっと『紛れ』を生みやすくするためだ。
「真夜中の鐘が鳴るまで時間もあるしね。本当なら王族でも滅多に入れない霊廟だ、折角だからゆっくり見学しながら行こうか」
 そう言うと、芍薬はふいに苦笑した。
「どうしたの?」
「『御案内シマショウ』ダッテ」
 ニトロが振り向くと、例のロボットがウインクをするようにライトをちかりと点滅させる。彼も苦笑し、
「そうだね、エントランスからすごい天井画があるって聞くし」
 資料で見た学術的な記録を思い返して言い、それから彼は背後に飛ぶ『トンボもどき』を意識した。神聖なる霊廟を荒らすようで悪いが、まあ、何にしたってここで一悶着があるのだ。あまり気にしてもしょうがない。
「そこくらいはじっくり見てから行こう。普段、どんな手入れをしているのかも聞かせてくれるなら、頼んでいいかな?」
 ニトロが呼びかけるとロボットは辞儀をするように体を揺すった。
 応じて、ニトロと芍薬は霊廟へ足を踏み入れていく。
 それを、二人の背後でホバリングしていたトンボ型のカメラが、一行を追いかけながら静かに全国へ中継し続けていた。

 ミリュウは地下一階の一面を占める『石像柱の間』で、アデムメデスの『我らが子ら』と同じ映像を観ていた。
 宙映画面エア・モニターの中には、芍薬が飛ばした大きなホタルの光で足元を、メンテナンス用常駐ロボットの特殊ライトで視線の先を照らしてもらい、そうして当時の最高の画家が描いた素晴らしい天井画に圧倒されるニトロ・ポルカトがいる。
「リラックスしている……」
 ぽつりとミリュウはつぶやいた。
 芍薬が通訳するロボットの説明――その画家が天井画に駆使したテクニックとそれが生み出した表現の意味や、近年修復した箇所、保護のために行っている処置などを、ニトロ・ポルカトはまるでどこかの博物館で学芸員に案内されている観光客のように「はあ」とか「へえ」とか返事をしながら聞いている。
 そう、まるで観光客のように
 その顔は、その態度は、今まさに決闘に向かわんとする人間のものではない。
 ミリュウはニトロ・ポルカトの様子を微笑んで見つめていた。
「……全力を、発揮してくれそうね」
 彼が来てくれただけでも嬉しい。
 正午を越しても彼がスライレンドに留まっていたのは、まず間違いなくトレーニングを念入りに行い、体調も万全に――それこそアスリートが試合前に摂取エネルギーの調整を行うように整えてきてくれたのだろう。そう思えば嬉しさが倍増する。
 さらに彼らは目を慣らす必要にも気づき、そんなにリラックスしながらも、心は緩みなく引き締めていることを既に証明してくれている。
「ふふ」
 ミリュウは胸に抱えた剣を抱き締め、笑った。
 それから宙映画面を消す。
 彼女は無数のカンテラの生むオレンジ色の明かりに包まれていた。
 彼女の居る地下一面を占める広い部屋には無数の石柱が立ち並んでおり、その一本一本には見事な彫刻が施されている。そこに並べられた裸婦、騎士、魔物、神、動植物は、正しい順番で巡るとアデムメデス神話のあらすじを描き出す。また、無言で神話を語る役目と同時に、像にはもう一つの役目が課されている。それはこの場にあって神話を語ることよりも重要な、照明を掲げる役目である。
 ミリュウは慣例に習い、ここには現代の照明を持ち込まず、古めかしい油灯を石像達に持たせることで光を得ていた。
 もちろん、
(こんなことに神聖なる霊廟を使って、慣例も何もないけれど)
 剣を抱いたまま地べたに座り、ミリュウは傍にある『子を掲げる裸婦像の柱』を見上げた。裸婦はカンテラを子を抱く手の親指に掛けている。また、今回に限り、全ての柱に小さなカメラも設置されていた。
 ミリュウは、子を無償の愛をもって見上げる母の顔を見つめ、ふと思う。
(レイアン様は……嘆かれているでしょうね。ロディアーナ様は悲しまれているでしょう。初代様は――)
 彼女はそこまで思ったところで、背後の、分厚く厳重に封印された門を意識した。その先にはさらに地下に進むための階段があり、その階段を下りたところで初代覇王は英雄レイアンによって斬殺され、そのまま遺体は最深部に安置された。
 ミリュウは最深部に棺も無く葬られた伝説の男の姿を思い浮かべ、口元に軽蔑を刻んでつぶやいた。
「きっと、楽しまれているでしょうね」
 自分の初めの妻に罪を着せて獄死させ、その元王妃との間に生まれた姉妹を決闘させて一人を殺し、生き残った一人を従属国の娼館に売り飛ばし、あまつさえ娼婦となった娘が孕んだ時、それを『我が国の王として擁立せんという逆心あり』と宣戦布告の理由とした非道の男だ。自分の墓で子孫の一人が喚き暴れても、仕舞いに小娘が醜く死ぬ様を見れば手を叩いて歓ぶだろう。
 ならば、これは慰霊の祭事として派手に行こう。
 ミリュウは腹の底で蠢く気持ち悪さが形を持っていることに気づいていた。その子は、もうすぐ、わたしを殺してくれる。
「貴方様の血を継ぐ者の、愚かな末路をご覧あれ」
 古典演劇調に言ってみる。
「愚か者ならば愚かにも、死者の眠る聖域を鮮やかにも朱に染め、以て貴方様に手向ける花といたしましょう。日の届かぬ冷たい地下に、熱い命を咲かせてご覧にいれましょう」
 剣の柄に口づけをして――すると何だか妙に楽しくなってきて、ミリュウは鼻歌を歌い始めた。
 そのメロディーは、クロノウォレスに発つ前夜に姉が聴かせてくれた大クラシックの秀作、ブッドミストの『ピアノのための練習曲第8番「春草」』であった。

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