4−c へ

 王城はティディアの私室。偉大な姉から貸し与えられた部屋で、事件当時のパーティー会場の様子を伝える映像――JBCSで流れたそれを見終えたミリュウは、満足の息をついた。
 第二王位継承者の言動についてキャスターが独自解釈を述べ出している宙映画面エアモニターを消し、ついで手元の板晶画面ボード・スクリーンに目を落として今度はため息をつく。
「さすがはニトロ・ポルカトとその戦乙女……か」
 映像の中で王女が口にしていた台詞を繰り返すように、つぶやく。
 板晶画面ボード・スクリーンには弟がまとめた今日の『仕掛け』に関する詳細があった。
 この結果は予想の範疇にあるものではあったが……しかし、全く驚きがないと言えば嘘になる。いや、むしろ予想していながら驚きの連続であった、というのが正確か。
 醜態を晒すことを期待していたニトロ・ポルカトは、逆に他者を守ろうと振る舞い、事実危険から離れさせ、これまでの逸話通りの人物像を再確認させてみせた。
 ニトロ・ポルカトが体を鍛えていることは知っていたが、かといってその評価はあくまでジム内の練習生レベルにとどまる。主観的にも、客観的にもそれは間違いがない。しかし、あれが『巨人』の膝を折ったのは、幸運でも偶然でもなく、間違いのないその実力のためだった。
 つい直前まで流れていたあの映像内で“わたし”が見せていた驚嘆は装いのない本心であり、もしあの映像をニトロ・ポルカトが観たら、きっとわたしの反応からわたしの思惑を推察しようと企んでもただただ困惑を得て終わるだろう(それはある種、怪我の功名とも言えるのだが)。
 加えて、あのオリジナルA.I.の働きは実に見事だった。あのÅから逃れ、『体』を得るや速やかに主を守り、巨人を行動不能にし、あえて追跡してくるマスメディアを盾にしようという退路選択にも迷いがない。いつしか『戦乙女』と囁かれるようになっていた存在感を、愉快なまでにいかんなく発揮してくれた。
(――Åには、悪いことをしたな)
 汚れ役を押し付けてしまったÅの生存及び所在が“不明”という報告に目を留め、ミリュウは思う。
 思って、すぐにその思いを打ち消す。
 今は、それは考えなくていい。考えてはならない。
 それよりも今は、得られた成果を喜ぼう。
 姉が、芍薬が自由に警察用アンドロイドを扱えるようパスを与えていたことは知らなかった――それが判明したことは、今回における巨大な戦果だ。お陰で今後はそれを不能にする手を打てたし、さらにこの件から監視カメラ等公共システムへのパスの存在にも辿り着け、そちらには罠を仕掛けることができた。これで、もし芍薬が該当システムを利用しようとすれば、即座にニトロ・ポルカトは複数の法律違反者として手配される。
「一手で勝てるわけはなかったけれど、それでも結果は上々……」
 ミリュウは呟くように言い、
「かな? パティ」
 小卓の向かいに座る弟に声をかけると、彼は小さくうなずいた。
「各所から問い合わせが殺到しています」
 夜食のパウンドケーキを切り分けながら、執事――セイラが言う。
「プレスリリースはいかがいたしましょう」
「さっきの会見以上に言うことはないわ。あれを元にまとめておいて」
「かしこまりました」
 華やかな第一王位継承者が留守にすることで、“活気”のどこか薄まっていたアデムメデスは、現在、突如として現れた椿事に沸き返っている。
 国は、国民は――ああ『我らが子ら』は――わたしの期待通りに応えてくれた。
 弟のA.I.達がモニターしている電脳情報界ネットスフィアの喧騒は、我が思いのままに『祭の恍惚』を描き出している。
 ――これも、大いなる戦果であった。
 報告を受けたお姉様はどのようなお顔をなさるだろうか。クロノウォレスに到着し、歓迎を受ける映像と共に、それも届くだろう。お姉様は、きっと……
「……」
 紅茶と、姉の元側仕えが作った店のパウンドケーキが目の前に置かれるのを眺めていると、ミリュウは、ふいに奇妙な感傷が胸に芽生えるのを感じた。
 脳裡に、今日一日の出来事が自然と再生される。
 まるで死に際に見ると言われる走馬灯のようだと彼女は思った。
「オレンジジュースでよろしいですか? アップルジュースもございますが」
 持ち込んだワゴンの下部に備えられた冷蔵庫を開け、セイラがパトネトに問うている。
「オレンジ」
 パトネトが、セイラに笑顔を向けている。弟が自然な笑顔を向ける数少ない人間の一人も笑顔を返し、冷蔵庫からオレンジジュースが入った瓶を取り出す。
 二人が作る光景はほのぼのとしている。
 ミリュウは、それをやけに遠くから眺望しているような――奇妙な感覚に襲われている自分を発見して、少しおかしな気分になった。
 瞼の裏では、相変わらず記憶の自動再生が続いている。
 わたしを写した『神官』や『信徒』、ミッドサファー・ストリートで被害にあったドライバー等『サクラのアンドロイド』達のプログラム通りの行動。同じく格闘シミュレーションを元に作った“わたし”を乗せた巨人の戦い。現場のコンピューターを狙い通りフレアが掌握し、パトネトの手によって言動を適宜修正されながら、全てはつつがなく進んだ。
 その中でも、特にニトロ・ポルカトの下に馳せ参じた芍薬の行動に極自然とタイミングを合わせ、ギリギリの救出劇を演出できたことは素晴らしかった。フレアからの時間調整指示によって生まれたあのフェイントその戦術的な攻撃に愕然とするニトロ・ポルカトの顔を思えば! 当事者本人でさえ気づかなかったのだ。あれは多くの人を興奮させただろう。もしかしたらあのお姉様でさえ“興奮”なさってくださるかもしれない。そんな期待に胸が高鳴る。
 さらに嬉しいこともあった!
 それはもしかしたら、わたしにとって何よりもどんなことよりも最大の成果。
 ……あのニトロ・ポルカトを、驚愕させた。度肝を抜いた。あの男の驚き唖然とした顔は、一生忘れないだろう。
 驚愕と言えば、パーティー会場で皆がわたしに向けた視線も思い出される。
「――」
 ニトロ・ポルカトの呆然とした表情。
 プカマペ教団については吹き出すくらいに意表を突かれていた。
 芍薬と共に困惑させられていた姿も目に浮かぶ。
 そうだ、わたしに、当惑させられていたのだ。驚愕し、困惑し――あのニトロ・ポルカトとその戦乙女が、こんなわたしごときに!
 パーティーに呼んでいた報道関係者も実に素晴らしい働きをしてくれた。
 今もほぼ全てのメディアで『王女ミリュウの開幕宣言』が流れ続けているだろう。
 もはや何を見ずとも、何を聞かずとも、アデムメデスの声が耳目に届いてくる。
 ミッドサファー・ストリート、ケルゲ公園駅前、その他各所に溢れた驚きと愕然と混乱をきたした瞳の群……それらが反応しあい、連なり、最後に投下された『開幕ベル』の響きに化学反応を起こして星を包み込んでいる。
 その中で、ニトロ・ポルカトは芍薬と共に悩んでいるだろう。
 何故、ミリュウ・フォン・アデムメデス・ロディアーナがあんなことをしたのか
 お前は、もう聞いただろう? 『神官』の言葉を。わたしの宣言を。お姉様に認められる男なら、ニトロ・ポルカト、わたしからのメッセージを受け取れたはずだ。これが決して『劇』ではなく、わたしからの攻撃だということを誤ることなく理解しているはずだ。
 さあ、悩むがいい。考えるがいい。何故、わたしがこのような行動に出たのか!
 嫉妬だと思うか?
 嫌がらせだと思うか?
 どうせその程度だろう。その程度ならば、お姉様との幸せな未来をお前が手にする資格はない。お前にはわたしを止められない!
 それとも、もう、お姉様に泣きついているだろうか。わたしを唯一止められるであろう御方に。
 ……それならそれで望むところだ。
 もしそうだったら、存分に罵ってやる。楽しみ愉しみ、お前を罵倒し尽くしてやろう。その程度の男を、人生を懸けて貶めてやろう。
「っふ」
 ミリュウは、思わず吹き出した。
 セイラとパトネトが、突然笑い出したミリュウを訝しげに凝視する。
 ひとしきり笑った後、ミリュウは二人が目を丸くしていることに気づき、驚かせたことを詫びるように眉を垂れた。
「いかが……なされましたか?」
 セイラが心配そうに聞いてくる。
 ミリュウは、微笑みを浮かべた。
「ちょっとね、何だか……楽しくなってきちゃって」
 気がかりは、ある。
 ニトロ・ポルカトが無人タクシーの中から消えたのは……もしかしたら?
 だが、それを気にかける一方で、ミリュウは知っていた。
 本当は、自分にはもう何も気がかりはないことを。
 ふと、ミリュウの微笑に何かが混じり込む。
 それを見たセイラは、得も言われぬ恐れを感じて心を震わせた。
「もしかしたら、お姉様もこんなお気持ちだったのかしら」
 その微笑みを頬に貼りつけたまま、ミリュウはパウンドケーキをフォークで切った。
「ね、パティ?」
 問いかけられた彼女の弟は、姉をしばし見つめた後、にっこりと可憐な微笑みを浮かべた。
「うん、そうだね。おねえちゃん」

 ミリュウ・フォン・アデムメデス・ロディアーナが掻き鳴らした開幕ベル。
 それを伝えるテレビが消された後に訪れた数秒の――それでいて長い長い――沈黙を破り、ニトロは大きく音を立てて息を吐き出した。
「参った」
 ソファに体を沈め、天井を仰ぎ見る。
「ヒントどころか、確実に『次』があること意外、余計に解らなくなった」
 天井を見続けるニトロの隣で、ハラキリは心底感心したように吐息を漏らしていた。
「いやはや、自分の仕業とバラすまでならともかく、亜流とはいえ見事に『クレイジー・プリンセスの仕業』の枠に落とし込んできましたねぇ」
 ニトロは長らく手に掴んだままだったペットボトルを緩慢に口に運んだ。少々温くなりだしたミネラルウォーターを喉に押し込み、
「これじゃあ、俺が今後どんな目に会おうと文字通りショー化するだろうなぁ」
「ええ。その上、巧く君への救援に釘が刺されたもんです」
「その場・現場で俺を助けようとするのはショーを台無しにする邪魔者扱いされちゃうだろうしねぇ」
「同時に彼女を止める者もいないでしょうね」
「それについては『やりすぎだ!』と諌める人がいると信じたい」
「いやいや、どんなにやりすぎてもそんな人間はいませんよ。何しろ彼女が設定した『舞台』では、その諫言役こそがニトロ・ポルカトのものであるべき役であるわけですから。甘い考えはお捨てなさい」
「……うーん」
「おや、何を唸ってらっしゃるので?」
 ハラキリのとぼけた問いかけにニトロは口を尖らせ、
「何かさ、ミリュウ様に諫言はなくって俺には諫言があるってのはちょっと理不尽な感じがしないか? 甘言で唆してもらっていい気になって、それで楽にもなりたい気もあるんだけどな」
「そう思われるのは自然です。が、しかしまあ『甘言は金で得られるが、諫言は運でしか得られない』と昔の人は言っているわけですし」
「その後に『されど時と人と言葉が合わねば、足の欠けたかなえのごとく転んで心に煮え湯を浴びせるのみ』って注意書きが付くんじゃなかったっけ」
「思うに三拍子揃ってますね」
「お陰でいつも助かってます、ありがとう」
「どういたしまして」
 ハラキリは肩をすくめた。
 ニトロは水を飲んだ。
 ハラキリが小さく口の端を持ち上げ。
 ニトロがわずかに目尻を下げる。
「しっかし……」
 もう一口水を飲み、ニトロは居住まいを正した。
「あのミリュウ姫があんなショーマンシップを持ってるとは驚いたよ。
 あの映像、もちろん他の放送局も流してるよね」
 目を向けられた芍薬が肩を落とす。
「御意。モウ銀河ノ果テマデ流レテイッテルヨ」
「そりゃ豪儀だ」
 ニトロは肩をゆすった。
「てことは、国際規模で『周囲』は傍観者に追いやられちゃったか」
「ツイデニ傍観スル劇ヲ囃シ立テル存在モ生ミ出シタ。早速、少シ『マニア』ニ嫌ナ空気ガ流レテルヨ」
「ああ、やっぱり?」
「明言はしていませんでしたが、未だに燻っている過激派をくすぐる文言を差し込んでいましたからねぇ」
 しみじみといったように、ハラキリが言う。それから彼はパン、と、軽く一つ拍手を打って、
「いやはや、なかなか狡猾な手です。素晴らしい」
 どこまでも他人事のような口振りや態度は相変わらずだが、しかし、ニトロはそこに微かな真剣みがあることを聞き逃してはいなかった。
「確かに、狡猾だ」
 ニトロは噛み締めるように言った。
「ミリュウ・フォン・アデムメデス・ロディアーナの人物像を、大きく改めることにするよ」
「同感です」
 そうして二人はため息をついた。芍薬は落とした肩をさらに落とし込む。
 ニトロはそこで何かに思い至ったように目を上げ、そしてもう一度嘆息をつき、
「ミリュウ姫には敬意を持っていたつもりだったけど、何だかんだで『劣り姫』って下に見ていたんだなー」
 ぼんやりと、正直に気持ちを暴露した。
「『ティディアの周辺情報』としか思っていなかったのも、それの表れかな」
「それを言うならここにいる全員がそうです」
 神妙に口にした反省の弁に、驚くほどあっさりとした口調で――まるで笑い飛ばすように――応えられ、ニトロは思わずハラキリを凝視した。そして気づく。笑い飛ばすための彼のその笑みは、自嘲だと。
「いいえ、ここにいるだけじゃありません。こと『どんなに敬意を払っても、ティディア姫には劣ると思う』という件に関しては、彼女を知るほぼ全員が同意を得ていることでしょう。それはきっと、アデムメデスの総意です」
 芍薬もうなずいていた。やはりその顔には自嘲がある。
 それらの自嘲はそれぞれ……ニトロにとっては――今は敵とはいえ――同世代の王女に対する良心的な悔いが、ハラキリにとっては人間関係における戦略的な悔いが、芍薬にとってはマスターが気づけなかったことを補佐し得なかった事実に対する悔いがより強く自身を責めるためにあった。それぞれに違う理由で……しかし、その根底ではやはり同じに
 ニトロは視線を遠くに飛ばし、それから口の片端を引き上げた。
「『総意』か。そりゃまた随分大きく出たもんだ」
「そう的を外してはいないと思いますがね」
 ニトロには、それを否定することはできなかった。
 彼は何度目かの嘆息をついた。そうして息を吐き終えた後、その嘆息に自嘲の全てを詰め込んでいたかのように表情を改め、
「よし。敵を見誤っていたってことはよく分かった。今後はそこらへんを修正した上で考えていこう。この分じゃハニートラップだろうが冤罪だろうが何でも有りだ。王権をも以て仕掛けてくるかもしれない。これまでミリュウ姫なら絶対にしないだろうって考えてたことも、これからは有りだ。
 けど困ったことに、それは有意義な情報になったけど」
「とはいえ先は見えない。結局、そもそも肝心の目的がまだはっきりと掴めない。さっきの演説を額面通りに受けるには、無視できない疑問点がありすぎる」
「その通り! ここにきてまた堂々巡りだ!」
 さばさばとニトロは言い切った。
 と、そこへ、
「見誤ッテイタ――ノハ、イツカラダロウ」
 芍薬が眉間に影を落として言った。
「ドロシーズサークル……アレハ、ヤッパリミリュウ姫ノ仕業ダッタノカナ」
 ニトロはうつむき、一呼吸置いてから答えた。
「その方が、納得はいく」
 芍薬は自分も同意見だと、マスターの目を見返すことで示した。
「ダトシタラ、アノバカハ何デ自分ノ仕業ッテコトニシタンダロウネ?」
「――あ」
 ニトロは口を開け、一声を発した後に我ながら間抜けな顔をしていると唇を結んだ。半ばへの字に曲がった口唇は、彼が芍薬の示唆した『疑惑』に強い憤りを感じ始めたことを示している。が、憤ったからといって解決の糸口になったわけではない。むしろ、また新たな『疑問』が生まれてしまったことに思考回路が悲鳴を上げている。
 芍薬もニトロと同じように口を結んで同じように考え込み、その二人の傍らで、しかしハラキリだけは面白そうに口を歪めていた。
「なるほど、ドロシーズサークルですか。話を聞いていておひいさんの手にしてはやけに杜撰だと思っていましたが……それなら確かに腑に落ちますね。
 ――実際のところ、どうです?」
 ハラキリのその問いは、ニトロにでもなく芍薬にでもなく、宙ぶらりんと放られた感があった。ニトロと芍薬が当然疑問符を打つ。
「…−実際、あれはミリュウ様の仕業でした」
 疑問に答える涼しげな口調は、芍薬の横、テーブルに置かれたハラキリの携帯電話から返ってきた。
 スピーカーから流れ出た声を聞き、ニトロは思わず腰を浮かした。驚きをそのままに口にしそうになったところをぐっとこらえ、ついでハラキリを睨む――が、飄々と肩をすくめた彼に尖りきった眼差しの先端を軽々かわされてしまい、変に毒気を抜かれてしまう。
「……」
 無言のままでいると、芍薬にも睨まれながら、それでもへらへらとしてハラキリは軽く手を振ってくる。
 どうぞ――と。通話を促してくるその態度に悪びれる風は一切ない。
 ……まったく、この曲者はいつから接続していたのだろうか。
 携帯電話を置いた時? それとももっと前? もしかしたらマードール殿下との会話時からか? そう眼で問いかけても答えはないが、とにかくまあ、相手が事態を飲み込んでいるのは都合が良い。
 ニトロは水を飲み、気を落ち着けてから携帯電話に目を向け言った。
「やあ、ヴィタさん。おシゴトお疲れ様」

4−c へ   4−eへ

メニューへ