3−d へ

 Åは、告げた。
「殺しはしない」
 腹から背中まで、帷子もやすやすと貫かれ、芍薬は斧槍の穂先で小刻みに震えていた。ユカタの端々が明確な形を保てなくなり、ノイズにまみれている。
「貴殿は大切な『人質』だ」
 カタナを落とし、己を貫く斧槍に手をかけ、苦しげに芍薬がうめく。定めを拒む生贄のように。
「……殺しはしないが、『瀕死』にはなってもらう」
 芍薬は、それを聞いてうなるように笑った。Åの仕込んだ『毒』のために『思考』が痺れ、忘我の眼でぼんやりと宙を眺めた後、ようやく言葉をまとめて言う。
「御免だよ。アタシはこのまま死ぬのさ」
「自決はさせぬ。そのようにしてある」
 芍薬は再び笑った。次の言葉は早かった。
「死にたくなけりゃ五番に逃げな」
「何?」
 その忠告をÅが理解するよりも早く、
「!?」
 インターネットへの接続が、唐突に切れた。
 Åの自決を禁じる縛りを抜けて、自ら体を崩壊させながら芍薬が言う。
「残念……だったね」
 と、Åは、そこで気づいた。
 加速度的に崩れていく芍薬の姿。自決、ではない。これは前もってそうなるよう仕込まれた措置だ。
 そう、斧槍の穂先にあるのは、芍薬というオリジナルA.I.を構成するプログラムではなかった。確かに本物であったはずだが、しかし間違いない。そこにいるのは他の二体の分身、あの精巧な分身に比してもあまりに精巧な写し身だ。
「ざMァあみrお」
 壊れた言葉を遺して『芍薬』が笑い、そして、掻き消えた。
 支配権を奪ったサブコンピューターが、ステータス異常を次々に訴えていた。メモリが消える。無線機能は初期に潰されていた。ハードディスクも消えていく。人間界がいぶから、物理的に、システムが破壊されていく。
「……」
 あらゆる脱出口が消されたからには他に行くあてもない。自分にこそ自決する選択があるが……激昂しながらも――あるいは激昂を装いながら――冷静に戦い抜いた相手を讃える気持ちが先に立つ。今は、『遺言』に従おう。
 軍馬も盾も斧槍も消し、Åは五番とナンバリングされたシステムへ移動した。
 そこには、小さな、しかし用途に対しては比較的大きな記憶領域があった。
 Åは感嘆を抱かずにはいられなかった。
 五番の記憶領域――ここは、集めた『ニトロ・ポルカト』に関わる情報から、マスターの害になり得そうな可能性を探る分析と考察の過程で生まれたデータの切れ端を収める『ゴミ箱』だった。
 雑多に、また膨大に散らばるデータの切れ端……
 だが、これをゴミと言うことはÅには出来ない。
 圧巻だった。壮観でもある。
 雑多で、膨大に散らばる塵と芥は、アデムメデスから見る無限の星空に勝るとも劣らぬ天球を作り上げている。宇宙で塵が輝きを人の目に見せるように、情報と思索の芥はÅの目に夢幻の輝きを魅せる。
 言葉を失う。
 かの『戦乙女』はその能力だけでなく、人間で言う情も実に深い。役目柄、マスターのためならば違法行為も自殺行為も辞さぬほどにマスターを想うA.I.を山と見てきたが、それでもこれほど真心に満ちたデータを見たことはない。なるほど、あのティディア様が「迎え入れたい」と執心する理由がよくよく解る。
 完全に閉鎖された空間――美しい牢獄の中、Åは込み上げてきた感情に肩を震わせ、そして豪快に笑った。

 芍薬はÅが『囮』を相手にしている間に、『応急処置』も後に回して即座に特別なセキュリティプログラムを走らせた。
 それは、家を、家財を、マスターの財産を守るという使命を――屈辱だが――放棄することにもなる、可能ならば決して使いたくない手段。
 多目的掃除機マルチクリーナーが部屋を走り、クローゼットの床下にあるコンピューター群にアームを突っ込む。最初に行ったのはインターネットに接続するLANケーブルを引き抜くことだった。それとほぼ同時――Åを孤立させたことを確認した刹那――自分がいるメインコンピューターとサブコンピューター群とを繋ぐ回線を物理的に切断はかいし、間、髪いれず無線機能も潰す。あとはメモリを引き抜き、配線を千切り、ショートさせ、五番以外のシステムを随時壊していく。Åが大人しく『アタシ』の忠告に従っていれば、相手の一戦力かつ貴重な『情報源』を捕らえて隔離することができるだろう。もし従わずに壊されていくシステムと運命を共にするというのならば……その時は知ったことではない。
「―ぅ」
 芍薬は、腹の『傷』を押さえた。
 苦痛を堪え、後回しにしていた応急処置を開始する。
 己の『完全なる不完全な複製コピー』。世に二つと存在できないオリジナルA.I.の禁忌に限りなく近づいた分身。撫子オカシラですら、一目では見破れない精巧な秘蔵っ子――それを用いた『変わり身の術』。
 もっとスマートにすり替わるはずだったのに、Åの予測を超えた速度に、斧槍の切っ先を僅かに受けてしまった。それなりに自信を持っていた帷子防御壁を容易に突破する一撃。かすっただけで、この身を構成するプログラムは激しく揺らいだ。ひどい“吐き気”に襲われ、衝撃に揺れた『思考力』は未だ“痺れ”ている。流石は王家のA.I.と言ったところか。
 しかし……攻撃を受けてしまったことで、芍薬には一つ判ったことがあった。
 ――Åには、殺意がなかった。
 あの攻撃に凝縮されていた『力』は、“破壊”よりも“行動不能”を目的としたものだ。もしあのまま貫かれていれば、きっと『瀕死』状態で自決も許されずに捕らえられていたことだろう。そうなれば――いや、しかし、『人質』なんてやはりあのバカらしくない。
 らしくないと言えば電話の契約を切られたこともそうだ。全体を通じて強烈な違和感が滲んでいる。バカ姫でなければできないことをされているのに、相手がバカ姫ではないという確信すら浮かんできてしまっている。……だとしたら、
「――急がないと」
 芍薬は頭を振り、『傷』の修復よりも『思考』の痺れを除くことに努めた。体など後でいくらでも直せる。思考回路が正常を示すや、芍薬はモニターに肖像シェイプを映せば腹部がノイズで乱れる状態のまま――人にすれば半裸で私は未熟ですと大声で触れ回る姿のまま――ジジ家への専用回線へと駆けた。
(主様、遅れてごめん)
 焦燥に、願いが口をつく。
「どうか、どうか無事で!」

「……おいおい」
 折れて機能を成さない右膝を直接フロアに突き、片膝立ちとなった巨人を見てニトロはうめいた。
 左足を踏み込み、右膝を引きずりながら引き寄せ、飛び出た骨を砕かんばかりに膝を突き立て体を支え、左をまた踏み込む。
 そうしながらも、巨人はもはや痛苦を示さない。
 それは巨人がアンドロイドだというニトロの判断を証明する材料となる……が、彼は己の思慮を誇る気にはなれなかった。
 それよりも、むしろその視覚的な凄惨さに心を痛めつけられてしまう。そのあまりの光景に、ざわめく周囲からはえずく声も聞こえてくる。
 ニトロには解らなかった。
 巨人は髪を振り乱して無闇やたらと両手を振り回してくる。時に倒れこみながら、執拗に、執念深くニトロを狙って空に爪を立て続ける。背後に血で軌跡を描き、無数の眼を全て見開き、巨大な口の奥で二枚に分かれた舌を炎のようにのたくらせる。
 ニトロにはその執念の源が解らなかった。
 怒り? それはあるだろう。しかし、無数の眼の底には怒りとは別の冷たいものも伺える。それが何なのかが解らない。だからこそ、巨人の執念をより一層不気味にも恐ろしくも感じ――同時に、何故だ? と疑念が募り続ける。
「ニドド ボルガァ!」
 巨人が叫んだ。
 まともな発声装置はつけなかったらしい。濁った言葉は明確に名の形を成さないが、それでも操縦者の焦燥は伝わってくる。
 どうやら片足立ちにも慣れてきたらしく、歩を速めてきた巨人に捕まらないようニトロは構内から外に出た。
 むわりとした熱気がニトロの体を包み込む。
 バスやタクシーで埋め尽くされたケルゲ公園駅前ロータリーの周囲には、所狭しと人が溢れかえっていた。
 構内で起こっている事に興味を引かれて集まっていたらしい群衆が巨人の姿を見てどよめき、一斉に声を上げる。そして一斉にフラッシュが焚かれ、シャッター音が幾重にもニトロへ押し寄せた。
「ッ?」
 彼は仰天し、息を飲んだ。
 写真撮影のためのフラッシュは断続的に閃き続け、よくよく聞けば人々の間にはどよめきに混じって歓声までもが存在している。
 それは――人が化物に襲われているというのにそれは人として間違っているだろう! 反射的にそう叫びそうになったニトロは、しかし、振り返った先に信じられない光景を見止めて言葉を失った。
 ロータリーの中心にある島、その上に。
 バスやタクシー乗り場に集まる人々、その目を集める空に照射された宙映画面エア・モニターに。
 巨人に追われる男……すなわち、この光景が映し出されていた
 画像からして監視カメラのものだろう。だが何故!? 画面の中で巨人が手を振り上げる。その前には呆然と立ちすくむ『ニトロ・ポルカト』がいる。
「!」
 ニトロは慌てて伏せた。頭上を巨人の爪が通り過ぎていく。
 同じタイミングで画面にもその光景が映し出される。
 空振りした巨人の手が駅舎入口傍の街灯に当たり、強化プラスチック製のフードが砕けて周囲に散らばる。最前線でカメラを構えていた者達が悪態と悲鳴を口に逃げ惑い、ニトロからは人垣が邪魔して判らぬ場所で起こった集団転倒が宙映画面エア・モニターを賑わせる。
(――なるほど)
 駅構外に出た時の、俗悪な反応に合点が言った。
 どういう手段を使っているのか……とにかくあのように『中継』されていれば、これは何かの撮影だと思われてしまうだろう。しかも役者は『ニトロ・ポルカト』だ。ただでさえ自分の周りで騒ぎが起こればバカ姫の悪ふざけと思われがちなのに、あれでは輪をかけてそう思い込まれてしまうだろう。
 そういえば群衆の放つ雰囲気も身近に感じるもので――ああ、そうか。これは、あいつとの漫才イベントの際に触れる空気によく似ている。いや、そのものだ!
(こりゃ助けは絶対に無いな)
 失望を感じながら、ニトロは街灯を揺さぶり始めた巨人を見つめた。
(まったく、お前は一体、何なんだ?)
 心の中で問いかける。揺さぶり続けられた街灯の根元が曲がり、やがて金属が疲労に耐えかねて折り取られる。
 巨人が武器を得て、『観衆』がわっと沸いた。それに紛れてふと聞こえた女性の……うめき声だろうか、妙な声を耳にしてニトロはそちらへ一瞥をくれ、そのまま硬直した。
 いつの間にかエア・モニターが横に二分割し、それぞれ二つの画を流している。片方には自分達が、そしてもう片方には――
「?」
 ニトロは何が何だか分からず言葉を失った。
 非常に見覚えのある場所が映っている。ミッドサファー・ストリートの車道。その真ん中に、一様に黒いローブに身を包んだ怪しい連中が陣取っている。カメラが中心に捉えているのは、先頭に立つ人物の後ろ、何の罰を受けようとしているのか仲間に取り押さえられている者のようだが……
 ニトロが耳にした声を上げていたのは、その者だった。
 どうやら女性らしい。獣が低く唸るように不気味な声で苦悶を訴えている――と、
<ニトロ・ポルカト!>
「ニドド、ボルガァ!」
 二つの声が、重なった。
 ニトロは背骨の芯が冷えるのを感じた。
 明らかに、今、ミッドサファー・ストリートにいるのであろう女と、ケルゲ公園駅にいる巨人の声が同時に発せられていた。偶然? たまたまシンクロ?――違う。
<アァアア!!>
 空に頭を振り上げ女が叫ぶ。一瞬、ローブの影から見覚えのある少女の顔が僅かに覗く。だがその声は別人のもの。
「ゴァアア!!」
 空に鉄柱を振り上げ巨人が叫ぶ。一瞬、不気味な声に聞き覚えのある少女の声が僅かに混じる。だがその姿は怪物のもの。
「――?――」
 思考が追いつかず、ニトロはエア・モニターを見つめ、それから呆然と巨人に振り向いた。
「ミリュウ姫?」
 ほんの一瞬だった。だから断言はできない。だが、ほんの一瞬、そこに映し出されたのは確かにティディアの可愛い妹だった。巨人の口から漏れたのも、彼女の音声。
 何であなたが?
 いや、確かに可能性としては十分考えられるし、考えていなかったと言えば嘘になる。心の中には『やはり』という整合性を得た快感もある。
 だが、だが! だからこそニトロは解らなかった。
 ミリュウ姫よ、何故、今この時あなたがそこにいられるんだ!?
「……」
 渋滞を起こした思考が『最々新のアンドロイドならば』という可能性に辿り着くまでの刹那、ニトロは――立ち尽くし、その場に居ついてしまっていた。
 そこに巨人が鉄柱を振り下ろす。
「―!」
 ニトロの反応は、時、既に遅過ぎた。
 それは観衆にも伝わり、ニトロ・ポルカトの死が予感されて短い悲鳴が上がる。
 それでもニトロは我に返るや懸命に防御と回避を試みた。頭部への直撃は――辛うじて逃れられる。代わりに胴か足のどこかで骨が砕けるだろう。胴体ならば内臓もやられるかもしれない。それを彼が覚悟した時――
 巨人の腕が止まった。
 ニトロは地に倒れながら絶望した。まさか、ここにきて、
(フェイント!?)
 今の一撃ならば、即死は免れた。だが、再び振り上げられる鉄柱がこの完全に体制を崩した身に振り下ろされれば……間に合わない!
 ニトロは頭を腕で庇った。それで耐えられる攻撃ではないことは解っているが、それでも庇った。
 巨人の腕に力が込められる。
 無慈悲な鉄柱が再び振り下ろされる。
「主様!」
 人垣を飛び越え現れた人影が、その時、今にもニトロを打ち据えようとしていた鉄柱を疾風迅雷の速度で蹴り弾く!
 鉄柱の軌道が逸れ、ニトロのすぐ脇に落ちる。
 タイル舗装が砕け、破片が頬に小さく鋭い痛みを残す最中、彼は見た。陰影の中からこちらを優しく見つめる瞳の奥に、灯を。
 影は身を翻した。
 制服に身を包むそのアンドロイドは一瞬の躊躇いもなく巨人に向かい、体躯に仕込まれた駆動系の力を渾身全開、体ごと突き込むようにその特殊合金製の拳を敵の腹に叩き込む!
 ぐしゃり、という生々しい音と、バギャリ、という硬い破損音が
 刹那、息を飲み静まり返っていた空間に嫌に響く。
 巨人の腹に腕の右肘までをもめり込ませたアンドロイドは、警察用のそれだった
 ヒィィィン……と、アンドロイドの体内から甲高い音が鳴る。直後、身を貫かれ硬直していた巨人が大きく声もなく痙攣した。暴徒制圧用の電撃掌スタン・ハンド。最大出力の一撃を体内に放たれた巨人は声もなく腰から崩れ落ち――
<キャアアアア!>
 そしてエア・モニターの中、女が断末魔の声を上げて崩れ落ちた。

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