2−a へ

 予定通り八時に迎えに来た飛行車スカイカーで、ニトロはティディアの待つ王城へ向かった。
 城は早朝からマスメディア関係者や民衆に囲まれている。その人数たるや凄まじく、城の周囲の広大な公園内、その立ち入り規制区域外にはもはや隙間もない。
 ――十時になれば、久しぶりに他国を訪問する際の正装をまとった王女が、城門から歩み出てくる。
 それを今や遅しと蠢きざわめく人の海を越え、城を囲む小さな湖ほどもある広い堀も越え。ニトロと、途中で拾い上げたアンドロイド(ハラキリが手配してくれたものだ)を乗せた飛行車は通用門城外脇の発着スペースに……
「あれ?」
 降下する感覚を受け、ニトロは慌ててドライバーに訊いた。
「城内に降りるんじゃないんですか?」
 本来の身分は警護官であるらしい無口なドライバーは、ニトロを一瞥することなく警戒の目を周囲に配りながら、
「こちらに降りるよう命令を受けています」
 短く、強い意思を込めて言った。
(――やられた)
 ニトロは着陸地点の変更を訴えても無駄だと悟り、そして胸中に嘆息を漏らした。
 先ほどの独占インタビューを、ここにいる人々は間違いなく見ていただろう。
 その上で今ここに『ニトロ・ポルカト』が姿を表せば、間違いなく、弁当さておきお出かけのチューをしにきたと思われること確定だ。情報が新鮮なだけに盛り上がりも大きいだろう。
 ティディアめ、これが目的であの時間に流すことを条件にしてやがったな……ッ。
「主様?」
「しょうがない」
 スーツに身を包んだ女性型のアンドロイド――それを操作する芍薬の気遣う言葉に、ニトロは潔く応えた。ここでごねても色々無意味だということは、類型の事態を通じて嫌というほど体験してきている。
 飛行車は静かに、速やかに、大昔は船着場であったという発着スペースに着陸した。即座に通用門から警備兵が駆け寄ってくる。
 ニトロは先に下りた芍薬に続いて、
「ありがとうございました」
 嫌味のないようドライバーに礼を言って外に出た。
 飛行禁止区域内を進む飛行車スカイカーはただでさえ注意を引く。車から降りたのが『ニトロ・ポルカト』だと気づかれるのに一瞬の猶予もなかった。堀の対岸から怒号のような歓声が沸きあがる。その大声量に押されるように、あるいは逃げ出すように通用門を素早く通り抜けたニトロは、出迎えにきていた女執事を見止めるなり目を細めて言った。
「冷や汗をかいたよ」
 まだ、歓声や自分の名を呼ぶ声は止まない。『チュー』とか『キス』とかその手の単語を耳にする度に、顔面の所々が痙攣する。
 ヴィタは、弁当袋を手に提げ、本当に冷や汗を浮かべている少年の険悪な表情を見て微笑み、
「人気があるのはよろしいことです」
「それは嫌味にしか聞こえないなぁ」
 半分現実逃避じみた返しに、ヴィタは愉快そうに目を細める。
 と、そこに、芍薬が数日分の弁当が入った携帯冷凍箱フリーザーボックスをヴィタに突き出した。
「約束ノ品ダヨ」
「ありがとうございます。私も楽しみにしていました」
「そりゃどうも」
 不貞腐れているようなニトロに丁寧に頭を下げ、ヴィタはマリンブルーの瞳を輝かせて芍薬からフリーザーボックスを受け取った。それからその『宝箱』を先に車に積んでおくよう部下に渡し、ニトロへ向き直ると執事の顔を見せて言う。
「こちらへ。ティディア様がお待ちしています」
 今日の弁当は『直接手渡すこと』と、出立前に『お話しすること』が約束だ。ニトロは面倒に思いながらも、しかし確実な『安全保障』を保持するため、素直にヴィタの後を追った。
「? 自室じゃないんだ」
 城に入り、ヴィタの後を歩きながら、ニトロは向かう先がティディアの私室でないことに気がついた。
「はい」
 ヴィタは涼やかに、振り返りもせずに答えた。
 ニトロは頭の中に見取り図を描き行く先を考えたが、どうも応接室でもないらしい。
「何かよからぬことを企んでる?」
「いいえ」
 ヴィタはやはり涼やかに、振り返りもせず答え――それから付け加えた。
「企みと言うには可愛いことです」
 彼女が立ち止まったのは『舞鳥の間』と呼ばれる広い部屋の前だった。ニトロの記憶が正しければ、がらんとして何もない部屋のはずだ。一面大理石の床。元々は王と王妃が二人で、あるいは家族でダンスを楽しめるように作られた場所。時にプライベートなホームパーティーも開かれるという。
「どうぞ」
 ヴィタが扉を開けると、そこには、
「ぶッ!」
 思わず……扉のすぐ内側まで出迎えにきていた女のあんまりと言えばあんまりな格好に、思わずニトロは吹き出した。
 そこに立つ女性はかなり際どいビキニ状態の、光の加減で虹色の玉虫のように彩りが変じるドレスを着ている。いや、下半身を覆う布切れの、左半分だけがロングスカートになっていたから辛うじてそれをドレスと思えたわけだが……最近、奇抜な格好を見ていなかったからインパクト絶大。さらに網膜に突き刺さった衣装が見覚えのあるドレスだったために余計に効いた。
「いらっしゃい」
 ティディアは、ニトロの反応に至極満足そうに微笑んだ。
「ナンノツモリダイ」
 ニトロがティディアと初めて対面した時――あのホテル・ベラドンナでの『死刑宣告』の折に着ていたドレス姿のティディアに芍薬が問う。さらに部屋の様子を見て、一歩前に出てマスターを庇うように立つ。
「ただのちょっとした演出よ」
 舞鳥の間には、ホテル・ベラドンナの超VIPルームが再現されていた。モニターを使ってホテルから見える外部の様子も造られている。大きく違うのは、部屋の奥の隅にキングサイズのベッドがあるくらいか。
「……ああ、あれはあわよくば。ニトロが興奮した時にだけ、使うつもり」
「誰が興奮するか。むしろ血の気が引いたわ」
 ニトロの言葉にティディアは小さく首を傾げてにこりと笑い、
「さあ、『そんな所に立ってないで、こちらに来なさい。コーヒーを用意してあるから』」
「……」
 ニトロは、上機嫌な宿敵を黙したまま見つめた。
 しかしティディアはニトロの視線を気に留めずに踵を返した。
 スカートの裾が綺麗に広がり、生地の中にある銀糸が所々できらめく。
 大きく背中が露となったそのドレス。当時錚々そうそうたるモッシェル銀河系社交界の要人達を魅了し、メディアでもセクシーだと散々もてはやされたものだったが――やはりニトロにはどうしても“セクシー”だと思えない。武装だ、これは。
「『コーヒー、冷めるわよ』」
 再び、あの『映画』と同じセリフが、ソファに優雅に腰掛ける王女の口から性懲りもなく飛んでくる。
 ニトロは、やおらため息をついた。
 つかつかと部屋の中に進み入り、ティディアの対面に座る。座り心地もあの時のソファと全く同じだ。ニトロは相も変わらず無駄に手の込んだことをするバカ姫に呆れながら、弁当袋をテーブルに置き、コーヒーカップを手に取った。
 香りを嗅ぐ。
 これもあの時と同じ品だろう。香ばしい芳香にあの夜の緊張感と、その後に訪れた絶望を懐かしく思い出す。
「『……うん、美味いなぁ、このコーヒー』」
 ニトロは、忘れようにも忘れられないあの瞬間を脳裡に浮かべたまま、己の台詞をティディアにやり返した。
「『一杯5000リェンだもの』」
 ようやくニトロがノってくれたことに楽しげに、嬉しげに笑ってティディアも返す。
 ニトロは棒読みでさらに返した。
「『うっぴょー』」
 と、そこで彼女の表情が変わった。ひどく不満げに眉をひそめ、
「あら、そこはコーヒーを鼻から一筋垂らさないと」
 ニトロは、何をこだわっているのか真剣に抗議してくるティディアをぶっきら棒に見返し、
「わざとできるかあんな芸当」
「ええ〜、それじゃあせめて鼻から噴き出してよぅ」
「ンなことしたらむせるだけだわっ」
「だったらキスして、そして押し倒して」
「筋違いだ阿呆。てか、そんなことを言うためにわざわざこんな『演出』を用意したのか?」
「まさか。単に『ムーディー』な雰囲気を演出してみただけよ」
「……あの時は、口には出さなかったけどな」
「ん?」
「ムーディーって……今の俺にムードも糞もあるもんか」
「あら、あの時、そんなことを思っていたのね」
 ティディアは懐かしそうに笑い、コーヒーを優雅に含んだ。
 所作だけを見れば、彼女は実に気品に溢れている。
 静かにカップを置いた王女は、『あの時』とは比べ物にならないほど大切な男性に言った。
「この部屋を用意したのは――単に、ね? ニトロと初めて言葉を交わした時間を、もう一度一緒に感じたいと思ったから」
 ニトロはすっと喉を通るコーヒーを味わい、気品に溢れてはいないがマナーをわきまえた所作でカップを置いた。
「そりゃまた、確かに随分と可愛い企画だ」
 ティディアは――ニトロの言葉が、おそらくヴィタの言葉に対応してのものであろうことを、執事の表情を見て悟った。――悟って、内心ため息をついた。
 私の感じている懐かしさと、ニトロの感じている懐かしさには天と地の差がある。
 それは仕方のないことだけど、やはり、少し寂しい。
「……ところで、ニトロ」
 しかしティディアは自心を表に欠片も出さず、それでいて自身の寂しさを誤魔化すようにニトロに言った。
「コーヒー、飲んだわね?」
「飲んだよ」
 ニトロは軽くうなずく。
「それ、媚薬入りよ?」
「そうかい。ま、構わないさ」
「……何で?」
 ティディアは意外なニトロの言葉に、自分でも隙だらけだと思う疑念を返した。
 ニトロはコーヒーをまた一口飲み、
芍薬がいる。お前は俺を得られない。得られる結果は、お前への信頼度が下がった現実だけだろうな」
 彼にまたも軽く言い返され、ティディアは慌てて言った。
「あ、嘘。本当に嘘。私が心だけを込めて淹れました」
「そりゃどうも」
 平然とニトロはコーヒーを飲む。
「凄く美味しいよ」
 にこりと――本人は皮肉のつもりなのだろうが――笑みを返され、ティディアは口をつぐんだ。
(……まずい)
 馬鹿みたいに嬉しい。
 ティディアは反射的に胸に沸いた歓喜の言葉を押し込め、刹那に気持ちを落ち着けた。
 やたらにニトロへ好意を向けても、今のように軽くあしらわれるのがオチだ。
 長期戦は覚悟している。徐々に、徐々にでいい。
「これ、弁当」
 と、馬鹿らしい会話の切れ目を見つけて、ニトロが言った。
 テーブルの自分側に置いていた弁当袋を、ティディア側へと押し出す。
「今日の分はサンドイッチとおかず少々。スープはフリーザーボックスに色々入ってるから好きなのを」
「ありがとう。味わって食べるわ」
「よく味わえ。ったく、インタビューで余計なことを言いやがって」
「……お出かけのチュー、やっぱりしてくれないの?」
「してもらえると思うほど、お前は馬鹿だったっけ?」
「そう思うほどにはクレイジー・プリンセスなつもり」
「つまり傍若無人か」
「ええ」
「するか阿呆」
「ちぇー」
 何とか『いつも通り』の調子を取り戻したティディアは、いつものようにニトロに訊いた。
「私がいない間、どうしているつもり? 受験勉強?」
 ニトロは、こちらの行動を半ば見透かされて内心うめいた。そのつもりでいたことは確かだ。しかし、
「いいや、芍薬と旅行に行くつもりだよ」
「芍薬ちゃんと?」
 ティディアは、ニトロの背後に立つアンドロイドに視線を移した。アンドロイドは無表情にこちらを注視している。何か不審な行動を確認したら、すぐにでも攻撃に転じられる態勢だ。
「どこへ?」
「秘密」
「いけずー」
「イケズ、ナンカジャナイヨ」
 と、芍薬も参加して言った。
「主様トノ初メテノ旅行ダ。誰ガオ前ナンカニ行キ先教エルモンカ」
「そういうこった」
「……やー、別にA.I.をお供に旅行なんて珍しくもないけど……」
 ティディアは、少し口を尖らせて言う。
「芍薬ちゃん、いいなあ」
「イイダロ」
 芍薬は心底嬉しそうに自慢する。
 芍薬のその姿に、ティディアは奇妙なことに自分も嬉しさを感じた。そして、申し訳なさも、感じた。
「……楽しんできてね。折角、私がいないんだし」
「言ワレナクテモソノツモリダヨ」
 敵意とも警戒ともつかない芍薬の視線を真っ直ぐに見つめ返し、ティディアはやおらニトロへ目を戻した。
「他の日は?」
「秘密だよ」
 そう言って、ニトロは何か思いついたようにイヤらしく目を細めて言った。
「ああ、でも、そうだな。バカのいぬ間に『浮気』でもしてみようか」
 そう言われ、ティディアは……思わず笑った。
「私がいなくて寂しい思いをさせちゃうものね。どうぞ、ご自由に浮気でもなさい」
 意外な――しかし一方で“らしい”反応を返され、ニトロは笑みを消さぬティディアを凝視した。
「随分……余裕じゃないか」
「それはね。だって私以上の女がこの星にいると思う?」
「えらい自信だな。傲慢もそこまでいくと笑えるよ」
 険のある言葉を返されてもティディアは笑みを消さない。
 それどころか胸を張り、
「本当のことだもの」
「俺にはそれが本当のことだとはとても思えないな」
「そう? だったら、ニトロ。あなたはこの星に私以上にアクの強い女がいると思う? ニトロは知っているでしょう? 味覚を壊すほど味の濃い料理の後にどんな料理を食べたって、何も感じないってこと」
 ティディアはふふと笑いながらニトロの瞳を覗き込むと、人の魂にまで届く声をそっと忍ばせ、告げた。
「今後、どんな相手と付き合ったとしても、ニトロは物足りなくって結局私を求めるのよ」
 それは、半分は、ティディアの強がりから生まれた『挑発』であった。少なくとも去年であればニトロに『浮気』をされたところで何の痛痒も感じなかっただろうが、今は自信がない。涙を流さない自信はあるが、辛い思いをする確信がある。
 その一方で、彼女は、ニトロが他の女を愛したとしても、どうしたって『存在』がちらつくくらいには彼の脳裡に『私』が焼きついているであろうことを、強がりでも願望でもなく、硬く揺るぎない事実として確信していた。
 そしてニトロの心は……不幸なことに、後者の“確信”の鋭さを感じ取ってしまった。
 そう、それは因果なことだった。
 これまでに磨かれてきた彼の観察眼――特に対ティディア用警戒センサーが極度に敏感な故に、その鋭さが彼の心裡に『傷』を負わせてしまった。『傷』はまるで悪魔への供物に焼き付けられる烙印にも似て、彼は思わずゾッとして身を震わせた。
「何だそれ」
 ニトロは魔女に予言された『恐怖の未来』への動揺を努めて隠し、半ば吐き捨てるように言った。
「そんなのほとんど呪いの言葉じゃねぇか」
 しかし、捕食者の嗅覚は、哀れな生贄の反応を鋭く捉えた。
 これは思わぬところに隙が現れた!
 ティディアはもう少し『浮気』について突っ込んでから、最後に「でも私を捨てないでね?」としおらしく訴えてみるつもりだったのだが――計画を即座に変更する。そんな戯言で、この『呪い』を薄めるわけにはいかない。
「あら、呪い、だなんて。単なる事実でしょう?」
 ティディアの耳に残る声でその単語を繰り返され、ニトロは眉間を曇らせた。
「ああ、そりゃあお前以上にアクの強いヤツがこの星にいるもんか」
「ね。それじゃあやっぱり呪いなんかじゃなくて、そうな「でもそんなことはない。俺はお前じゃないと満足できないなんてない」
 こちらの言葉を潰して語気強くニトロが言う。
 ティディアは、十分だ、と内心うなずいた。これ以上は逆効果となろう。彼女はニトロを小馬鹿にするように笑みを浮かべ、
「ふぅん……本当に? ニトロのツッコミ癖を満足させられるの、私以外にいる?」
「いや、つーかな、ツッコミありきの恋人関係って何だ!?」
「――ハッ!?」
「ハッ!? じゃねぇわ、基本的なボケかましやがって。お前絶対俺のこと便利なツッコミ製造機としか思ってないだろ」
「んー?」
 ティディアは、ニトロを見つめ、小さく笑った。それは自嘲にも似て、同時に慈愛にも満ちた笑みだった。
「馬鹿ねぇ。もう、そんなことはないのに」
「馬鹿!? 今、お前、お前が俺のことを馬鹿と言ったか!?」
「ええ」
「心外だ! ひっじょーに心外だ!」
「馬鹿よ。だって、ニトロ、女の子の気持ちをこれっぽっちも解っていない」
「……ほう」
 ニトロは、ティディアの言葉ちょうはつを真正面から受け止め、彼女を見据えて言った。
「それじゃあご教授願おうか。俺は、女の子と抜かすバカ姫の気持ちの何を解ってないのかな?」
「それじゃあお望み通り教えてあげましょう、ニトロ。私はね……」
 ティディアは一瞬口をつぐみ、ここで口にしても大丈夫かどうかと葛藤し、逡巡し、それから意を決して、言った。
「ニトロのことを、心から愛しているのよ」
「うん。それはもう飽きた」
 だが、ニトロには届かない。
 されど、鼻で嗤ってスルーせず、話題として受け止めてもらえれば問題はない。
 ティディアは想定済みの事態に動揺することなく、続けた。
「だから、ニトロと作りたいの」
「……」
「作りたいの」
「…………」
「作りたいのよ」
「ああもう、何をだよ」
「皆が笑える超絶ハッピーファミリーを」
「うっわ、胡散くせ。てか、皆に笑われる前提のハッピーって、そりゃ頭がハッピーってことじゃねえか。ンなもん作りとうないわい」
 ニトロの返しに、ティディアは笑みがこぼれるのを堪えられなかった。自分の言葉を信じてもらえないのは悲しいが、かといって小さな含意も拾ってもらえるのはこの上なく嬉しい。彼の態度を頑なと言うこともできるが、しかしそれは当然のことであり、我ながら矛盾しているが、簡単には信じてもらえないからこそ彼が愛しくてたまらない。
 ティディアの口元に浮かぶ笑みは、ニトロには当然『ツッコミ嬉しい』故の笑みとして映った。
「……お前は、そんなバカみたいなものより、ちゃんと皆がお前を笑ってられるような国を作っておけばいいじゃないか。そうすりゃ、俺とどれだけアホな『漫才』やってようが文句言う奴はいないんだから」
「それはそうだけどねー。でも、それだけじゃ嫌なの。これからはニトロも私と一緒にそういう国を作りましょうよ」
「御免被る」
「もうすぐ選挙権を持つというのにその言い草はないと思うわ」
「いきなり論点を変えるな。それとこれとはえらく話が違うわ」
「もー。それじゃあこうしましょう。一緒に、じゃなくてもいいから、ニトロは私を支えて頂戴」
「支える? 『無敵のティディア姫』を?」
「そうよ。いくら無敵って言ったって人間なんだから。たまには傷つくこともあるの」
「信じられんなぁ」
 ニトロはコーヒーを飲みながら言う。
 ティディアもコーヒーを飲み、ニトロの間合いを少し外してから言った。
「本当よ」
 カップをソーサーに置き、組んだ足に片肘を付き、美しい胸の谷間を強調するように前屈みになってティディアは言う。
「だから……例えば誰かを犠牲にしなきゃいけないような大変な決断をして、心痛めて苦しんでいる時、ニトロが慰めてくれると嬉しいんだけどな」
 ニトロは、片の頬をぴくりと歪めた。
「おかえり、大変だったなって優しく抱きとめてくれて、そのまま一緒にシャワーで涙を洗い落とした後は激しいエッチで一時全てを忘れ去れる快楽をっ。そしたら私は翌日からツヤツヤ元気にお仕事をまた頑張れる」
「……一応確認しておきたいんだが」
「ん? 何?」
「無敵のティディア姫がそういう決断で心痛めて苦しむことなんてあるのか?」
「ふっ、もちろん皆無よ」
「芍薬ゴー」
「ロケットパーンチ」
「意外な!?」
 明らかにニトロのツッコミ待ちだったとはいえ、代理ドツキでくるとは予想外。まともに芍薬の――出力を抑えた――ロケットパンチを額に受けたティディアは勢いふんぞり返ってソファを乗り越え落ちそうになり……しかし堪え切って体勢を立て直し、叫ぶ。
「ちょっと酷い! 芍薬ちゃんのは優しくても痛い! だって拳が文字通り鉄拳なんだもの!」
 ワイヤーを巻き取り回収した腕をかちりとハメる芍薬を背後に、ひとまずここはティディアの期待通りに動いておいたニトロは、お付き合いもここまでだとばかりに言った。
「うるさい。何なら心底軽蔑してやろうか」
「あ、嘘! 本当に嘘! ノリで言っちゃったけど心痛めます! 痛め方が違うだけ!」
「ん? どういうこと?」
「私の仕事は、同情することじゃないでしょ?」
 それではそこを離れたところではどうなのか――とか、同情しつつも割り切っていくということか――とか、同情以外に理解や共感はどう扱うの――とか、ツッコもうと思えば色んな角度からいくらでも切り込めるティディアの言葉。しかし、的を外しているとも言えない言葉。
 ニトロはしばし黙した後、
「……何か、うまい具合にはぐらかされた気がするけどなぁ」
 ため息混じりに、言った。
 ティディアが人の感情を理解できない人間ではないことは、知っている。
 もっとも、このクレイジー・プリンセスの場合、人の感情を理解した上でそれを利用したり操ったりできるのが厄介で、さらに最悪蹂躙していくところが問題なのだが……。
「まあ、でも、確かに大変だよな」
 ニトロは冷め出したコーヒーを飲み干して、言った。
 その様子が、何か思うところでもあるのかやけにしみじみとしていたから、ティディアは興味を引かれて訊いた。
「何が?」
「王女様をするのも、だよ」
「あら、分かってくれてるんなら――」
「お前は大変そうに見えない。ミリュウ様のことだ」
 ニトロから意外な名前が飛び出してきて、ティディアは目を丸くした。色々と思い当たることはあるが、それらを勘の鋭い彼に悟られないよう巧みに隠して問う。
「ミリュウが?」
「学校に行って、公務に励んで、会社も経営して、あと何時間かしたらお前の代行だろ? 顔色悪かったぞ。ちゃんと休めてないんじゃないか? 民を導く王女としちゃ、それは駄目だろう?」
 アデムメデスには美徳として『よく休み、よく励む』というものがある。そこを絡めてのニトロの言葉ではあったが、その裏には姉としてちゃんと支えてるのか? という責め句が隠されていた。
 無論、それに気づかぬティディアではない。
 彼女は言った。
「ちゃんと無理のないようにスケジュールを組ませているわ。けど、そんなに顔色悪かった?」
「悪カッタヨ」
 と、芍薬も言う。
 ティディアは、今朝のATVで流れたインタビュー後の映像を観て、二人がそう判断したのだと察した。
 そして、ニトロの指摘と、芍薬の追認に舌を巻く。
 心中で何事かを企んでいる妹を思いながら、ティディアは扉の傍でこちらのやり取りを観劇しているヴィタに目線を送った。
 執事がうなずき部屋の隅に向かう。
 ティディアはニトロに目を戻し、
「昨夜は一緒に寝たけど、大丈夫だったわ。ちゃんと寝ていたし、今朝も元気だった。代行の件にはプレッシャーを感じていたけどね」
「優しい人だからなぁ。明後日議決される案件には、本当は反対したいんじゃないか?」
「んー、そうねぇ」
 ニトロが触れたのは、西大陸の二大案件だ。
 一つは新しい国家事業の執行のために犠牲になる民が出、もう一つは古い国家事業の廃止のために犠牲になる民が出る案件。
 どちらも『犠牲』を少なくすることは可能だが、それには引き換えに執行・廃止それぞれの意味と効果を『犠牲』にする必要がある。それを是とする妥協案もあるが、王国――ティディアは、西大陸の貴族と政治家に対しこの件に関する妥協を一切許さなかった。
 性質的に人の苦しみを強く感受する人間であるミリュウには、ニトロの言う通り、とても苦しい行動を取らせることになるだろう。
「だとしても、あの子は王女よ」
 ティディアが、ふいに王威を帯びた。
 ニトロはティディアの言葉が意味するものを飲み込み、おそらく、それはミリュウ姫も敬愛する姉から直接叩き込まれているのだろうと察し、またしみじみと言った。
「本当に、大変だ」
「そうねー」
 一瞬前の王女の顔はどこへやら、今度はまるで他人事のようにティディアは言う。
 ニトロは苦笑するしかなかった。同じ王女、同じ血を分けた姉妹でこうも違うと、どう反応してどう対応していいのやら判らなくなる。
 ――と、
「おかわりを」
 ふいにヴィタがコーヒーサーバーを持ってニトロの横手に現れた。
 いかに床が絨毯で覆われているとはいえ、足音も気配も立てない猫のような現れ方にニトロは驚き……やおらうなずいた。
「いただきます」
 プシッと、香味も温度も保つサーバーの封が切られる音がして、空となっていたニトロのカップに暗褐色の液体が注がれていく。
「ところで」
 前もって淹れておいたコーヒーをニトロが“おかわり”してくれるのを嬉しく思いながら、ティディアは言った。
「前からちょっと思っていたんだけど、何でミリュウには『姫』とか『様』付けなの?」
 コーヒーを注ぎ終えて下がるヴィタに会釈し、それからニトロは言った。
「そりゃあ、俺にとっちゃ王女様だからだよ」
「家族なのに?」
「お前の頭は本当にクレイジーだ。何で家族だ、俺とミリュウ姫が」
「ニトロは私の夫じゃない? てことはミリュウは義妹いもうとじゃない。公の場でもないのに義妹をそう呼ぶのは変じゃない? いってもさん付けよ」
「うん、分かってた。お前がそう言うだろうなーってことは分かってた。けど、そうじゃないだろ? 妄想は胸に秘めておいてこそ花が咲くってもんだろう?」
「妄想じゃなくて、現実なんだけど」
「堂々巡りをしたいのか? それは、明らかに妄想だ。
 ……とにかく、それでも、もっと大事にしてやれよ。お前のことをあんなに慕ってくれてるんだから」
 そう言われて、ティディアの脳裡に昨夜のミリュウとの会話が思い出された。
 私のピアノに涙を浮かべていたミリュウ。私の胸に抱かれていたミリュウ。姉弟三人で眠ったベッドの上で、静かに寝息を立てていた可愛い妹。
 産まれた時から私を愛している、ミリュウ・フォン・アデムメデス・ロディアーナ。
「そうね」
 我が腕の中で産声を上げた妹を思いながら、ティディアは言った。
「帰ってきたら、ちゃんと慰めてあげないとね」
 ニトロは微かに笑み、カップを手にして言った。
「そうしてやれ」
「そうするわ。性的にたっぷりと」
「ブッ!」
 ニトロは口に含んでいたコーヒーを噴き出した。
 勢いたらりと鼻から一筋こぼれる。
 その様子にティディアが手を合わせて顔を輝かせる。
 ニトロは口と鼻から垂れたコーヒーを手の甲で拭い、カップを戻し、
「何でそうなる!?」
 それは実に素っ頓狂な声だった。も一度勢い鼻から一筋か細くコーヒーが、たらり。
 ティディアは頬を一層喜色に染め、合わせた手をぱっと開いて答えた。
「だって、私、ニトロに激しいエッチで一時全てを忘れさせてもらいたいって言ったじゃない? てことは流れ的にはそうなるじゃない」
「流れで決めるな実の姉妹だろう!」
「あの子なら問題ないわ」
「問題特盛りだボケェ!」
「もー、そんなに言うならニトロが慰めてあげてよ」
「は? 何で?」
「ニトロなら、あの子のことを助けられるから」
 ニトロは、ティディアの言い分にすぐには対応できなかった。随分買い被られたものだとも思うし、その根拠も気になる。何より、言い回しに違和感がある。まるで、自分にはできないと、姉であるティディアが言っているような――
 と、その戸惑いを見透かしたかのように、ティディアが思わせぶりな眼差しをニトロに送った。その瞬間、ニトロはティディアの次のセリフを悟った。全てはこのための前振りか!
「何なら後宮制度を復活させて、ミリュウを第二夫人にしてあげる。ニトロが私達の中に入れば、ほら問「芍薬ゴーッ!」
「ロケットパンチッ!」
「なんのッ!」
 一度目よりも『本気』だとしても、二度目とあらば軌道は読める。ティディアは身をよじって首をすくめ、飛来したアンドロイドの拳を避けた。
 見事だった。腰から下は微動だにせず、上半身のみをくねらせた超絶妙技な体捌き。
 しかし彼女はうっかり忘れていた。
 その身を包むドレスはかなり際どいビキニ状態。ダンス用であればまだしも、あまりに想定外の動作に際どく彼女を包む布地は対応しきれない。
 肩紐がずり落ち、片乳房がぽろりとこぼれて、ぽゆん。
「あ」
 ティディアがそれに気づいて声を上げる。しかも彼女は今回――本気であわよくばと思っていたためニプレスを付けていなかった。ドレスの形状的に当然ノーブラだ。
「……」
 ニトロは閉口した。
「……さて」
 彼は立ち上がり、いつでも次のロケットパンチを放てるよう構える芍薬に言った。
「とっくに用事も済んだことだし、帰ろうか」
「承諾」
「やー! ちょっと待って! 事故よ事故! これは純然たる事故なのよ!」
 慌てて立ち上がり、ティディアは扉の前に先回りした。扉の横にはにこにこと至極楽しそうに情景眺める女執事がいる。目で指図をすると、ヴィタは僅かに立ち位置をずらした。それだけで、扉を開けるにはとても邪魔な位置に。
「お願い、まだ時間があるんだからもっとお話ししましょうよ!」
「うるさい。さっさと片付けろ」
「ええー! 何そのヤなもの見たって目! さすがに女として傷つくわ!」
 抗議しつつも顔を赤らめいそいそとドレスを直し、それから再びニトロの前に両腕を広げて立ち塞がる。
「私のおっぱいもてあそべるのはニトロだけなのに、ひどいじゃない!」
「だから何でお前は恥ずかしげもなくそういうことを言えるのかな!」
「好きな男を落とすためなら恥も外聞もないわ!」
「いやだから何度も言ってきたけどそこは恥じらいを持てよ!」
「いやぁん。
 こうね!?」
「ロケットパァンチ!!」
「独断専行!?」
 芍薬の不意打ちをティディアは素晴らしい反射神経で再び避ける。しかも今度は乳房がこぼれる間際にドレスを整えて。
 その一連の動きに、ニトロも芍薬も驚愕した。
 ティディアの能力の高さは十二分に承知しているはずなのに、彼女が今見せた動きはそれにしても凄まじい。必死な人間の底力――そんな凄みすら感じさせるものだった。
 そして、
「ア」
 と、芍薬がうめいた。
 避けられたロケットパンチの軌道上にはヴィタがいた。そして、どうやら彼女はニトロと主のやり取りをもっと眺めていたいと希望しているらしい。
 ――『流れ拳』を、完璧に掴み止められた。
 ワイヤーを巻き戻そうとするがびくともしない。いくらヴィタが怪力とはいえ強すぎる。芍薬がアイセンサーのモードを変えて執事の体を検めると、
(パワードスーツ!)
 極薄型の、介護用として使われているそれが女執事の体に貼りついていた。元より怪力を誇る彼女がそのサポートを得れば、アンドロイドの力と張り合うことも――可能だと、まさに今、証明されている。
「初メカラコノツモリカイ!」
 ティディアは、芍薬の怒声がヴィタのパワードスーツに気がついてのものだと察した。
 無論、ヴィタも。
「いいえ、これはボディガードとしての用意です」
 それは一応の筋は通る理由だった。だが、現状信用はできない。
「主様『ビーム』ヲ撃ッテイイカイ!?」
「ビーム!? うわ待って芍薬ちゃん! 本当に事故なの! 七日もニトロと会えなくなるんだから、本当に会話を楽しんで充電していこうと思っていただけなのよ!」
「じゃあ、あのベッドは何だよ」
「だからあわよくば使おうって、さっき言ったじゃない」
「うん。で? どうやったら『あわよくば』って状況になるんだ」
「ニトロが興奮したら」
「今、このように? 死んでも帰りたくなるくらいに」
「否、私の体に劣情もよおして。ほら、よく考えてみたらニトロが私に『誘惑されてるのかと思った』って言ってくれたのこのドレスだけじゃない?」
「その時とは色んな状況が違うだろう。それにやっぱり無理な誘惑してくるつもりだったんじゃないか」
「無理ってまたひっど! それじゃあどれだけ無理か――ほら! 証明してみて!」
「ってそれで何で胸を突き出す必要が!?」
「揉んで! 胸とは言わず好きにして! それで駄目なら諦める!」
「え? マジで諦めてくれるの?」
「何でそこに食いつくのよぅ! 違う! 今日のところは諦める!」
「それじゃあ交渉の余地無しだ。帰る!」
「うう、何だか泣けてきた……私、そんなに魅力がないの?」
「俺以外にはあるんじゃないかな」
「冷静にありがとう! でもニトロ以外じゃ意味がないの!」
「やっぱり堂々巡りだなぁ」
「もー! だから何でそんなに冷静なのよ!」
 言葉を重ねるにつれ冷静を沈着させていくニトロに対し、ティディアは地団太踏んで悔しがる。しまいには本当に涙目になって、ティディアはニトロを睨みつけた。
 うっかり事故が招いた劣勢を覆せないことが腹立たしく、己が原因と解っているのについついニトロを責めたくなってしまう。しかしそれは筋の通らぬこと。だからといって己を責めてみせてもニトロには演技と思われてしまう。そしてこのまま彼は帰ってしまうだろう。それは嫌だ! 嫌だが、八方塞のこの状況をどうすればいい!?
(どうする? どうする!?)
 今一度ティディアは考えた。この状況からの展開を一呼吸、二呼吸の内に可能な限り想定し、鑑み、三度目は大きく息を吸い――
 そして、突然、ティディアは踵を返した。
「?」
 颯爽とソファへ戻っていくティディアの姿は、扉へ向かいかけていたニトロの意表を突いた。思わぬ展開に彼の足が止まる。芍薬も、ヴィタすらもが動きを止める。
 皆、同じ疑念の中で一様に驚いていた。
 あのティディアが――退いた?
「『あわよくば』って言った通り……下心は、たっぷりある」
 ティディアはソファに座ると背筋を伸ばし、胸を張り、ニトロを真っ直ぐ見つめて言った。
「でも、今のは事故。それは本当。希望としては、ニトロにおでかけのキスをしてもらって、そこから盛り上がっていきたかったから、あんなのは考えてなかった。それ以上に、ニトロとそうなれるなんて本気では考えていなかった。それが分からないくらい、私は馬鹿じゃない」
 ティディアの告白は、少なからずニトロと芍薬に衝撃を与えた。
 ベッドを用意するなり『あわよくば』なり、警戒心を呼び起こせども信頼できる言動を見せなかったバカ姫が、ここにきてやけに素直に心中を吐露するとは……。
「それでも、無駄だって解っていても、下心くらい持ったっていいでしょう?」
 ティディアは言う。そこには疑いようのない真剣さがある。
 ニトロは、ソファにきちんと座って自分を見つめる王女を見返した。その言葉の真意を探ろうと。
「同じ星にいるなら何とでもなるけど、ニトロ、あなたとしばらく――どうしても会えないのは寂しい。それも本当。だから、キスくらいしてもらいたかった。でも、この際お出かけのキスも下心もどうだっていい。それより、もっと言葉を交わしてから出かけたい」
「……」
「信じてもらえないのは構わない。帰るなら、もう追わない。『ルート』も今すぐ開けるように命じる。だけど折角だから、せめて料理長の料理を楽しんでいって。ニトロの注文に応えるよう言ってあるから、言えば何でも作ってくれるわ」
 どういうつもりだろう――と、ニトロは思った。
「この際どうでもいい……って言うくらいなら、あんな風に俺をハメるタイミングで、あんな『情報』を流す必要はなかったんじゃないか?」
 真っ直ぐ向けられるティディアを真っ直ぐ見返し、ニトロは探る。
「お陰で、間違いなく、今、俺とお前はキスしていると思われてる。どうせ聞いてたんだろ? あの歓声」
 ティディアはうなずく。そして、言う。
「キスどころか、きっと愛し合っているって思われているはずね」
「だったら――」
「いいえ、それは、手を抜かない。ニトロを手に入れるための包囲網の目を、ニトロを取り逃してしまうくらいに大きくはしない。私は私らしく、あなたを手に入れるのだから。これまで通り外堀をガンガン埋めてやるわ」
 勝手なことを言いながら、堂々としたその態度。
 開き直っているのではなく、真摯に『あなたをハメていく』と宣言するティディア。
 卑怯な正直者と言うべきか、潔い策謀家だと褒めてやるべきか。まあ、確かに実に彼女らしい態度ではあろう。
 ニトロは、ため息混じりに言った。
「『お前らしく』って言うんなら、さっさと英断下して諦めて欲しいところだけどな」
「そんなの英断じゃなくて愚行よ。諦めない。絶対に、私はニトロと夫婦になるの」
「そうして『夫婦漫才』の完成か。一体どうしてそこまで執念を燃やすのかな」
 再びため息をつくニトロへ、ティディアは何も言わなかった。言いたいことはある。しかし、それは今このタイミングで言うと意味が綿毛のように軽くなってしまう言葉だ。
 だからティディアは、ただ微笑だけをニトロへ返した。
「……」
 ニトロはしばらく黙した後、芍薬に目をやり、それからヴィタに目を移した。
 すると、ヴィタが未だ掴んでいたアンドロイドの腕を離す。
 芍薬は何も言わずに腕を戻し、マスターの後ろにつく。
 ニトロは――歩を進めた。
「次は問答無用でビームだからな」
 ソファにどっかと座り、彼は言った。
 微笑を浮かべ続けていたティディアは、そこでようやく内心安堵し、固まって顔に張り付いていた自慢の微笑みをほどいた。
 そして、コーヒーを再び口にするニトロを見つめ、改めて歓喜に顔をほころばせる。
「やー、それはとっても熱そうね」

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