アデムメデスに点在する王家縁の建造物の中で最も威厳のあるものは何だと問えば、小学生でも口を揃えて王城――
では、アデムメデスに点在する王家縁の建造物の中で最も優美なものは何だと問えば、誰もが答える。それは
ロディアーナ宮殿は、しかし、ただ優美な外観のために人々に愛されてきたわけではない。
美術・建築・文化等において歴史的な価値と重要性を持ち、女性的な
同時に、また何より、ロディアーナ宮殿は伝統的に副王都を治める第一王位継承者の所有となるため、まさに今この一秒を生きるアデムメデス国民を『未来』に繋ぐ重要な
現在は第一王位継承者が王に代わり政を担っている事情と彼女本人の意向により、その所有権は
およそ5000ヘクタールに及ぶ敷地は百人の庭師・各三人のアシスタントと四百体のアンドロイド・千二百機のロボットに守られ四季を通して常に美しい庭園としてあり、詩人が神の花園でまどろむ淑女と喩えた宮殿を目にしようと訪れる者がない日は十年を通してもなく、平時一般人の立ち入りが許されるエリアの最内にある第三門と庭園の外囲に点在する駅とを結ぶシャトルバスは深夜になっても走り続けている。
バスの中、客のある者は毎日一度は宮殿を見ないと落ち着かないと言い、ある者は再び目に焼き付けたく戻ってきたと語り、ある者は初めて肉眼に観るその御姿を想像して熱に瞳を潤ませて。
……今宵、ロディアーナ宮殿はいつにも増して一層華やいでいるようだった。
それは、もしや、その内におよそ一年半ぶりに宿を取りに来た前の主人を迎えているためだろうか。
六月の夜風の中、宮殿は穏やかな初夏の花咲く園の中心で品良く夜に溶け込んで、美しい王女を一目でも見られたらと第三門の前に詰め掛けた人々のため息を誘っていた。
「はぁ」
その微かで、小さなため息は、ミリュウ・フォン・アデムメデス・ロディアーナにかつてない衝撃をもたらした。
ロディアーナ宮殿は王位継承者居所の中、豪奢な飾りはないがシンプルながらも贅を極めた造りが深い落ち着きを醸し、二代女王が秘密の恋人と最後の逢瀬を交わした伝説があるためだろうか、どこからともなくこぼれる
そこに用意させた、食卓。
およそ一ヶ月半前、やたら機嫌の良い姉が『久しぶりにそっちに泊まるわ。そうだ、折角だしお姉ちゃんと一緒に寝る?』と連絡をくれた時から心待ちにし、誠心誠意もてなそうと準備を進めてきた二人きりの晩餐。
……おかしいと、ミリュウは思っていた。
今日、姉を迎え、気を利かせてくれた姉の女執事が別室に移ってから、ずっとおかしいと思ってはいた。
姉は、姉がこの邸宅の主人であった時からの料理長が作るフルコースを美味しそうに食べながら……美味しそうに食べながら楽しそうに話しかけてくれながら……なのに、どこか元気がなかった。連絡をくれた時にはあった陽気さ、底抜けの上機嫌は見る影もなく、表面上は特別変わった様子を見せないが、それでも物心ついた時――いや、産声を上げたその日から姉を目で追っていた自分には解る翳りを纏っていた。
――翳り……
そう『翳り』だ。
信じられないことに、光の中に影が射していたのだ。
ティディア・フォン・アデムメデス・ロディアーナ。
見る者の魂を吸い取る瞳、女神と淫魔が同居する類稀なる美貌の内に、王の血筋すら生温いと言わんばかりの才覚を押し込めた女性。希代の名君になると期待される慈悲と冷徹さを明晰なる頭脳に伴わせながら、その一方で初代王以来の暴君になるのではと畏れられる『クレイジー・プリンセス』。
この星の上に、彼女以上に全てを備えた者はいない。
そこに居るだけで他の者のオーラを奪い去る圧倒的な存在感。
何をせずとも溢れ出る自信は、しかし嫌味なく、ただただそれこそがこの世の理だと納得せざるをえない。
何気ない所作にも華が咲き誇り、今まさに何気なくワイングラスを持ち、唇にピジョンブラッドを伝わせるその動作一つ取っても涙がこぼれそうなほどに魅力が満ちる。
自慢の姉だ。
銀河中、全ての国で胸を張っても足りない。あらゆる時間、あらゆる世界あらゆる次元で叫び回っても、決して自慢し切ることはできない大好きな姉姫。
だからこそ、ミリュウにはどうしても信じることができなかった。
もし、今この瞬間、純白のクロスに覆われた二人掛けのテーブルを挟んで座る姉が何の脈絡もなくふと剣を取り出し、それをこの身に突き立ててきたとしても、むしろそちらの方が疑念一つなく信じられることだろう。
――『はぁ』
その微かで、小さなため息。
会話に挟む相槌としての吐息にはない、虚しさと哀しみを包んだ無言のつぶやき。
ミリュウは息を止めていた。
どんなに思い返しても、姉がそのような嘆息をついた姿はない。ため息や嘆息を吐くことはあっても、肩を落として弱々しく……それどころか、たった一つの小さなため息を契機にして何かタガが外れたのだろうか、姉がこんなにも『しょんぼり』と『落ち込んで』いる姿を晒すことなどこれまで一瞬たりとてあり得なかった――そう! あり得なかった!
姉が――
クレイジー・プリンセスが、
あのティディア・フォン・アデムメデス・ロディアーナが、
しょんぼりと、力なく落ち込むことなど!
「あの……お姉様」
「ん?」
「料理が、お口に合いませんでしょうか」
ここに料理長がいたら卒倒するであろう問いをかけてきた妹を、ティディアはきょとんとして見つめた。
「いいえ、とても美味しいわ」
ミリュウは姉の答えが想像通りのものであったことに、失望した。
これまで運ばれてきた料理は、料理長がいつにも増して気合を入れて作ったもの。頬が溶け落ちそうなほど美味しく、姉も喜んでいた。
そんなことは解りきっているのに、それでもミリュウが姉の気落ちの理由を料理に求めたのは、彼女自身がその『理由』に見当をつけていたからだった。
そう……それも、解りきっていることなのだ。
「どうして?」
無防備に――これも『これまで』からは考えられないことだ――疑問を投げてよこすティディアの澄んだ瞳を見たミリュウは、その美しい瞳にいっそ命を吸い取られたい衝動を堪え、手にしていたナイフとフォークを置いた。
そして膝にかけたナプキンの上でぐっと拳を握り、
「お姉様は、落ち込んでいらっしゃるようです。
……ですので、もしかしたらと」
「そう?」
聞き返しながら、ティディアは――テーブルの下で拳でも握っているのだろうか、肩を強張らせているミリュウから出てきた指摘に、これは失態だと内心苦笑していた。
「そう見える?」
「……はい」
恐る恐るうなずくミリュウを見つめながら、ティディアも手にしていたナイフとフォークを置いた。ワインを一口飲み、マナーには反するが両肘をテーブルに突き、組んだ手の上にそっと顎を乗せる。
自然、ミリュウを見る瞳が上目遣いになる。
ミリュウは、どこか恥ずかしそうにうつむいた。
「……うん。当たり」
つぶやくように言って、ティディアは眼前の皿に乗る牛フィレのステーキを一瞥した。
再び、シゼモでのニトロとの楽しいディナーが脳裡に蘇る。
今、そこにある食材……それはちょうどあの時、気を利かせたつもりのホテルのオーナーが用意していたものと同じ産地のものだ。
まったく、己の記憶力を生まれて初めて恨めしく思う。せめて一読したきりのメニューなど忘れていれば、つられて『大失敗』の重苦しい痛みまでが胸に蘇ることも――妹にこんな情けない姿を見せることもなかったろうに。
「ちょっとね、落ち込んでる」
しかし、見せてしまったからには遠慮はいるまい。むしろ努めて隠し気丈に振舞う方がおかしい。ティディアは目を上げたミリュウを見据え、心の内に止め置いていた苦笑いを頬に解放した。
「シゼモでニトロをひどく怒らせちゃってね」
「シゼモ?」
ティディアの口から出た地名を聞き、ミリュウは何が信じられないのか眉をひそめた。思わず指折り数を数え、
「もう十日も前のことですが」
姉が落ち込んでいる理由は思った通り『ニトロ・ポルカト』に関することであったが、それにしてもそんな昔のことをいつまでも引きずっているとは、ミリュウは思ってもみなかった。
「そうね。もう十日も前のこと。それで……十日も前から、ニトロ、ずっとまともに口をきいてくれないのよ。仕事中は私の『相方』として喋ってくれても、それ以外はまるきり無視。毎晩の練習でだって、
はぁ、と、ティディアは嘆息をついた。
姉に驚かされてばかりのミリュウは、またしても驚いた。いや、ここに至るとその驚きはもはや驚天動地、心身へ多大なダメージを与える衝撃そのものだ。
「ポルカト様は……未だに、お怒りなのですか」
「ええ」
「許させることは」
「できないわ。いくら謝っても……一言も返してくれない。悪いのはお姉ちゃんだから、仕方ないんだけどね……」
ミリュウは眩暈を覚えていた。
姉が姉を許させることのできない者がこの国に存在するなど一度たりとて思いついたことすらなかった。無論、それは姉がどんなに「愛している」と表明する相手であっても変わらない。主導権はあくまで姉のもの、『恋人』は本質的には恋人とは名ばかりに、ティディア姫の最も近くにいるだけの気に入りの従者になるのみだ――と、心の隅でそう感じていた。
そしてその感覚は、現在この時点においてもどうしても間違っていたとは思えない。
しかし、現実は違う、違った!
……現実を正視できないことは、とても愚かな行為の一つだと姉に教わっている。
……ならば、くらむ視界の中でうなだれている姉の姿を、どれほど認めたくなくても、どれほど意にも希望にも反することであっても、わたしは認めねばならない。
これまで抱いていた『ティディア姫とその恋人』への認識が誤っていたことを思い知らされたミリュウの胸から脳裡へと、何か得体の知れないモノが染み上がってぐるぐると渦を巻いていた。それと入れ替わるように眩暈は腹の底へと沈み込み、十七年の人生で味わったことのない気持ち悪さを伴う塊となってそこに居座る。
だが、彼女はそれら一連の気色悪い情動を決して面に出すまいと努力を極めていた。この姉との夕食を一月半の間ずっと楽しみにしていたのだ。それを自分の悪感情で台無しにしたくはない。
「ま、でも何とかなるわ。ニトロは優しいから」
そう言って笑うティディアはどこか物憂げな影を含んで、しかしその憂鬱は皮肉にもティディア姫に新たな魅力を与えていた。
憐憫を誘う女の美しさ。
強靭なカリスマをまとう王女にはなかった、負の色彩の艶姿。
同性――それも肉親でありながらミリュウの心臓はドキリと高鳴った。
そして、己のその反応をミリュウは悔しく感じた。
姉の美しさに心を掴まれたことは何もこれが初めてのことではない。生まれてからこの方、もう回数を覚えるのも馬鹿らしいほど姉に心奪われてきた。されど今、彼女は初めて、そのことにしくしくとした痛みにも似る悔しさを感じてならなかった。
「そうだ、相談の途中だったわね」
ミリュウの表情の微かな変化を観ていたティディアは、やおらぱっと明るい笑顔を見せると再び食器を手に取った。厚いフィレ肉を切り分けながら言う。
「ビネトス領主のことは、あれが口やかましくわめくのは単に
「――はい、そうします」
「うん、いい子ね」
ティディアにそう言われたミリュウは嬉しそうに固く結んでいた唇を緩ませた。
現王・王妃の子の中で最も地味で目立たず、時に『劣り姫』とまであだ名される妹だが、兄弟の中で最も人当たりの柔らかい眉目がほころぶと、そこには他の誰にも真似できぬ可憐さがあるとティディアは思っていた。
目も心も和ませる妹のその微笑を眺めながらフィレ肉を味わい、そして一息の間を置いたティディアは表情を引き締め、
「ただ、前にも言ったけどハロウヅ領主にだけは決して心許さないように。あれは人道派の人格者ぶっているだけの、油断ならない毒狸だから」
「はい。しっかりと心得ています」
「それならいいけど……」
ティディアはワインを口にした。料理長とソムリエが吟味に吟味を重ねた様子が目に浮かぶほど、肉料理と酒がお互いを引き立て合う。
彼女は一息の間にだけある極上の味わいを楽しんだ後、一つ、決めた。
「ちょうどいい機会だし、もう、教えておいてもいいわね」
「何でしょうか」
「ハロウヅ領領主ミダ・ヒューゼ・ハロウヅ、彼には隠し子がいる」
ふいにティディアが明かした情報の重大さにミリュウの眉がピクリと跳ねた。彼女は姉の所作を追うように動かしていた食事の手を止め、ノンアルコールワインのグラスを置くと、居住まいを正して姉と視線を合わせた。
「当然、認知はしていない。
引き取り手がなかった娘は、今はカァロ領内の町で元気にやっている。居場所は私と『犬』……ああ、前の執事のことよ? それと、執務室副室長が知っているから」
姉の言外の意図も把握し、真剣な表情でミリュウはうなずく。
「『猛毒』として憶えておきなさい。そしてもし使う時は、娘を前もってこちら側に引き込んでおくこと。善後策としても、ね」
「はい」
ミリュウの素直な返答を聞きながらティディアは、ふと、
――「猛毒ってお前、何だか色々あくどすぎやしないかな」
ニトロがここにいたら、そう言って非難の眼差しを向けてくるだろうと思った。
(――あくどくても何でも有効な手段は取るわ。政治は清濁併せ持つものだもの)
――「その場合はむしろ権力闘争だろ。大義立てるために政治なんて大枠に落とし込むなよ。ってか、そもそも人としてだな、」
(あら、ニトロはハラキリ君に習っていない? 『汚い手』って他人や社会が作った常識が決定することで、純粋な闘争には本来クリーンもダーティもないって。目潰しとか噛み付きとか、世間じゃ卑怯って言われる戦い方もハラキリ君なら教えていると思ってたけど?)
そう言ったら、ニトロはどういうツッコミを返してくるだろう。きっと反論はしてくる。しかもこちらの理屈を飲み込んだ上で、そのくせわりと痛いところを突く一撃をもってツッコンでくる。それだけは確かだ。ただ、それがどういう方向から飛んでくるかは想像つかないが……
――「……少なくとも、メシ時に話すようなこっちゃないだろ。不味くなる」
だが、最後には、そう言って場を取り成してくるだろう。
もちろんそれに異論はない。
テーブルを挟んだ先のミリュウは苦渋い虫を噛み潰したような深刻な顔で、心身を固めている。
「……」
そこまで思考を巡らせたところで、ティディアはまた内心苦笑した。
これは何らかの禁断症状だろうか。まさか脳裏にニトロの声が自動再生され、その上それと何の疑問もなくシミュレーションしてしまうとは。
(これは重症ねー)
ティディアは自嘲を溶かし込んだ息を小さく吐くと、
「ごめんね、折角の料理が美味しくなくなっちゃう話だった」
「いえ!」
ティディアにごめんと言われてミリュウは慌てて首を振った。背中まで伸びるストレートロング、よく手入れされた黒紫色の髪がはらはらと踊る。
「そ、そういえば『ラクティフローラ』のイメージキャラクターの件には目を通していただけたでしょうか」
姉に謝られたことそれだけで明らかに動揺し、ともすれば目を回して椅子ごとひっくり返りそうな勢いでミリュウは言う。
耳まで赤らめている妹が可愛くて、ティディアはもう少しその姿を見ていたくもあったが……話を変えるのは自分の意図にも沿うかと、ミリュウの振った話題に乗った。
「見たわ」
「どう……でしたか?」
王家が経営するファッションブランド――その意匠は
ティディアはこの新ブランドを、ゆくゆくは王家が携わる会社のいくつかで会長(事実上の最高経営責任者)に着くことが定められているミリュウの手習いの場としても考え、信頼できる優秀なスタッフを集めた後は運営のほとんどを彼女に任せていた。
現状、ティディアは妹の働きに満足をしている。
ミリュウは懸命に学び、スタッフが実力を発揮できるよう心を砕き、こちらの出す合格ライン最低限に至るまでには成果を出してきた。中でも、モデルの選定では、特に良い成果を。
ティディアは答えを待つミリュウに極上の笑みを見せ、
「いいモデルを選んだわね。それにお姉ちゃん、びっくりしちゃった。ミリュウにしては大胆な決断をしたなって」
てっきり既に名の売れたトップランクのモデルやプロダクションが売り込んできたモデルを挙げてくると思っていたが、意外やミリュウは地方雑誌で一・二度仕事をしたくらいの新人を抜擢してきた。
それが、思い描く『ラクティフローラ』のイメージによくよく合っていたから堪らない。相手が誰であれその者の成長に触れることを楽しみに持つティディアは身悶えするほど激しく心をくすぐられたものだ。
辛辣な――『劣り姫』という世間の評価。
それははまんざら揶揄のみでできたものではなく、確かに、妹には特に秀でた才能はなく、数値化できる力はことごとく地味で凡庸だ。それは姉である自分も認めるところであるし、ミリュウ本人も自覚している。
だが、それでも妹は腐ることなく、けして高くない土台の上に彼女なりに王女として必要な能力を育んできた。加えて生来の健やかさもある。このまま教育を間違えなければ、上の兄姉のような無能にはならず、上限下限の程度の差はあれ思い描く『ミリュウ姫』になってくれるだろう。
「これといったキャリアはないけど下地は抜群。これからはアデムメデスを代表するモデルになっていくでしょうね。そういった意味でも、アイラ・リュート、私も彼女は『ラクティフローラ』に相応しいと思う。
ミリュウ、よく引き上げてきたわ。お手柄よ」
「そんな……」
存外にティディアから誉められ、ミリュウはうつむき目を背けた。それは照れているというよりも、むしろ崇拝の対象から与えられた大きすぎる言葉を真正面からは受け切れないでいる信者の様子に近い。
「わたしはただ……お姉様に倣っただけです」
消え入るような声でミリュウは言った。
「そう」
ティディアは妹の昔から変わらない態度にフフと吐息をこぼし、
「嬉しいわ」
ミリュウは目を上げ、その拍子にティディアとばちりと視線をぶつけた。姉にじっと見つめられていたことに気づくや途端に噴き上げてきた気恥ずかしさを誤魔化すよう動きも大袈裟にフィレ肉を大きめに切り、それを勢いよく頬張る。
素晴らしい味に――あるいは姉に誉められた喜びを噛み締め――頬をほころばせるミリュウをティディアがにこやかに眺めていると、ふと、次第に、ミリュウの表情に変化が表れた。目と眉の間に影が落ち、緩んでいた頬は料理を飲み込んでいくにつれて引き締まっていく。
「……お姉様」
「何?」
「もう一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか」
ティディアはうなずいた。今やこれまでにない深刻さを見せる妹を訝しみ、何かおかしなことでも言ったかなと記憶を手繰りながら耳を傾ける。
ミリュウはナイフとフォークを握り締めたまま深呼吸をし、
「ポルカト様のことなのですが……」
先を促すティディアの目を受け、ミリュウは意を決して問うた。
「彼は――ニトロ・ポルカトは、本当に、お姉様に相応しい方なのでしょうか」
(ああ)
『相応しい』。さっき自分が口にしたセリフにその形容詞があった。なるほど、それがキッカケになったのかと納得すると同時、ティディアはミリュウの心情を察してもいた。
そうして、察しながらも、彼女の『希望』を裏切る言葉を返す。
「私はそう思っているわ」
「……そうですか……。
差し出がましいことをお聞きしました。お許し下さい」
「ミリュウは、そうは思わないの?」
ティディアの自然な問い返しにミリュウはすぐには答えなかった。
一拍間を置き、やおら、微笑む。
「わたしは、お姉様を信頼しています」
それは絶妙な返答だった。
ティディアの言葉を否定してはいないが、積極的に肯定もしていない。絶対的な意志の表明ではないが、かといって必要十分には辛うじて届く意見。
ティディアはゾクゾクしていた。
それこそ文字通り産声を上げた時から見守ってきたミリュウの成長に、また、本人は気づいていないかもしれないが微かに芽を見せた妹の『反抗』に――そして、遅かれ早かれあると確信していた一悶着への憧憬に……胸を、焦がされて。
(それまでには仲直りしとかないとね)
瞼の裏に愛しい少年のふくれっ面を映し、ティディアは微笑んだ。
姉のその微笑みに引きずられて、ミリュウの顔に柔らかさが戻る。
ティディアはステーキの最後の一切れにフォークを刺しながら、言った。
「この後、何か予定しているの?」
「特に何もありません。お姉様にはゆっくりお休みいただこうと思っています。もちろんご要望があれば承りますので、何でも仰ってください。すぐにご用意します」
「それじゃ、お風呂」
「はい。それは既に」
「ミリュウも。
か・ら・だ、洗いっこしましょ?」
「え?」
姉が誘い文句にあからさまに込めたいやらしい下心に驚き、ミリュウは思わず顔を上気させて大きく目を見開いた。
それを見たティディアが少し意地悪な片笑みを作り、そこで姉の意図を察した妹が少し責める眼を見せる。
目論見通りの反応を妹から引き出せたティディアは首を小さく傾げ――
ミリュウはこくりとうなずいた。
「はい、喜んでご一緒させていただきます」