1−8 へ

 彼は鍛えこまれた体躯を黒い『戦闘服』に包み、目の部分だけをあらわとした覆面で顔を隠していた。どうやら覆面も『戦闘服』の一部らしい。インナーから伸びた布が形を変えてそれを成している。
「ハラキリ君……祝辞には、まだ早い」
 ティディアに睨みつけられても、ハラキリは近所を散歩する調子で二人へ歩み寄っていく。
「いえいえ、最高のタイミングでしょう」
 と、突如として、ニトロの視界をハラキリの体躯が埋めた。まだ十数mは離れていたはずの彼が、飄々と王女へ言葉を返すや否や――ニトロの目前まで迫っていた。
「!?」
 ニトロが瞠目していると、不意に体に負荷がかかった。何事かと思う間もなく気がつくと彼はハラキリに『お姫様抱っこ』をされて、ティディアから解放されていた。
動かせますよ
 唖然とハラキリを見つめているところに言われ、ニトロは試しに足先を動かした。
「あ、ああ。動く」
 ハラキリはうなずくと彼を降ろした。
「逃げてください」
 ティディアに目を残したまま――よく見れば覆面の目出し部分も一目では判らぬほど透明な保護膜で守られている――ハラキリが指差した先には、いつの間に現れたのか子どもサイズのアンドロイドがアタッシュケースを提げて控えていた。
「あれを持って」
「分かった」
 ニトロは躊躇うことは無かった。ハラキリに従わぬ愚は、彼の『弟子』として犯す過ちではない。
「でも――」
 大丈夫なのか? と確かめようとして、ニトロは息を飲んだ。
 ちらりと一瞥してきたハラキリの瞳、その虹彩がエメラルドグリーンに輝いていた。
「『天使』、ですよ」
 ハラキリは悪戯っぽく片目を細めてみせ、それからさっさと行けと手を降った。彼の手は黒地に銀で不思議な紋様を描かれた手袋に覆われていた。それも何かの道具なのだろう。『師匠』は、万全を期して来ている。
 これ以上場に留まっても邪魔になるだけだと確信したニトロは踵を返した。駆け出した彼をアンドロイドが進み出て迎え、アタッシュケースを差し出す。彼は唇を引き締めてそれを受け取った。
「事全テ終ワルマデ、ケシテゴ油断ナサレマセヌヨウ」
 アンドロイドは淡々とした口調で言った。撫子の声だった。
「……ありがとう」
 ニトロはアンドロイドにそれだけを返し、不思議と行く手を妨げようとしない観衆の間を縫ってその場から離れていった。
「まったく……」
 逃げるニトロにちょっかいを出すこともなく、こちらへの警戒を怠らないティディアを前にハラキリは嘆息をついた。
あれが、本当にあなたの望むことですか?」
「そうよ」
 即座に返され、ハラキリはもう一度息をついた。
「ああ、まあそうでしょうね。言い方を間違えました。そうやって無理矢理達成すること、あなたの本当に望むことですか?」
「そうよ」
「なるほど」
 ハラキリは覆面の下で薄く笑った。
 ティディアは不機嫌に、苛立ちが混ざる声音で言った。
「やっぱり……どうしても邪魔をするのね」
「ええ、邪魔をします」
 と、ハラキリの体に目に見えぬ――だが、彼には見える力が襲い掛かった。
「……追わないんですか? ニトロ君を」
 骨を軋ませんばかりの圧力に平然として、ハラキリは一歩踏み込んだ。
「テレポーテーションか、何か。使えば彼の下へすぐにでも行けるでしょう。それともそれを使うには何か条件が必要なんですかね」
 一度間を置き、ハラキリは、問うた。
「あるいは、拙者に止めて欲しいと思っているんですか?」
 ティディアは……答えない。
 ハラキリは構わず、言った。
「あなたの言動には、矛盾が見られる」
「……矛盾など、ない」
「普段であれば。ですが『天使』の導きを得ている身としては、不自然だ」
「人は不自然なもの」
「確かに一つの個性は多くの矛盾を抱えながら成り立っていましょう。ですがそんな問答はどうでもいい。今重要なのは、貴女がニトロ君をどう思っているかです」
「……」
「先ほども申し上げましたが、こんなことでニトロ君が貴女を愛するなどあり得ない」
「さっきも言った。それでも――」
 その言葉をハラキリは待っていた。ティディアが言い切る前に、『仮説』をぶつける。
「止められない。それでも。それでも! それは、相反する気持ち、止めたいと思う気持ちが前提となった言葉です。自覚的か、無自覚か、それは解りませんが、少なくとも貴女は、貴女の中にある矛盾を解っている
「……」
「そして今。
 そして今も」
「……」
「貴女はニトロ君に『愛され』に行かず、拙者はこうしてお時間を頂けている。
 ……何故です?」
 ティディアはハラキリをじっと見つめている。
 周囲では『舞台』の観衆達が姿を消し始めていた。車に乗っていた人間も外に出て、全員が、この場から離れていっている。ティディアの傍にいたパンツスーツの女性も、王女に完成間近の婚姻届を差し出して去っていった。
(人払い……か)
 人的被害はニトロに怒られるどころじゃすまない。これはそう思っての『準備』か。
 婚姻届を懐へしまいこむティディアを前に緊張感を高めながら、なおもハラキリは続けた。
「ここに来るまでに、見ましたよ? この町がどうなっていったか。それなのに、奇妙なことに拙者には貴女の『手』は及ばなかった。絶対に邪魔してくると解っているはずなのに、それなのに確実に邪魔しようという人間だけは見逃され、今もこうしてここにいられる。
 何故です。
 ……考えられるのは一つだけだ。貴女は拙者に止めて欲しいと思っている、それしかない。そうでなければ拙者が何事もなくここへ来ることは敵わなかったでしょう。違いますか? 今こうして貴女と対峙することも許されなかったでしょう、違いますか?
 おひいさん――」
 ハラキリはティディアに向きながら、目に見えてそこにいる友人にではなく、目に見えぬその身の奥へと強く言葉を投げかけた。
「おひいさん。
 止めて欲しいなら、もっとそうお思いください。『天使』は最も強い目的に引かれる。それでも止め切れなくても、『貴女』を弱めることはきっとできる。そこからは拙者がお助けします。全力で止めてみせます。
 必ず、友達として」
 そう言ったのと同時だった。
 『舞台』を作り上げていた車の一台が、ハラキリに向けて飛来した。真正面から飛んでくる普通車を、彼は一歩踏み込み、右腕を突き出し、片手で受け止める。
(……『友達攻撃』の使い所、また間違ったか……?)
 憮然とするハラキリの眼前で、不気味な音を立てて軽自動車のボディが『崩壊』した。彼の手を包む、銀で不思議な紋様の描かれた手袋から現れ出でた黒と銀に輝き蠢く微細な何かが車体を浸食し、車体を作り上げている合金を別の一つへと形を変えていく。その変化も二つ息をする間に終わり、三つ息をする頃には微細なそれらは再び手袋の中に戻っていた。
友達なら、祝福してくれる。少しだけそう期待していた。だけど裏切られた。
 ニトロを追っても、あなたはまた来る。また、邪魔される。それが嫌なだけ」
 その光景を焦点合わぬ双眸で見つめていたティディアが、ようやく『答え』を返した。声には失望と怒りと唾棄するような嫌気があり、それは明らかに敵意を示していた。
「だからここで、排除する」
 ハラキリは、あからさまに嘆息してみせた。
「それでは先ほども申し上げた通り」
 その精神が研ぎ澄まされる。
「そして、貴女の仰る通り。
 これより拙者は排除されるべき敵となりましょう」
 皮肉を飛ばすハラキリの右手には、今や見るからに頑強な鎖があった。長さも数mあろうか。その鎖が触れるアスファルトにも変化があり、やがて鎖の先に、アスファルトを凝縮して作り上げられた『分銅』が現れる。
 鎖分銅を両手に構え、ふと、ティディアの視線が己の手に置かれたままであることにハラキリは気づいた。
「開発名:鍛冶神ゴヴニュ
 意識してしまった以上、心読まれれば悟られる。隠しても仕方がない。
試験者モニターを頼まれていましてね」
 特製の専用素子生命ナノマシンを内蔵した神技の民ドワーフの試作品。機能はそこらにある素材を用い脳裡に描いた形状を作り出すこと。そもそもは玩具として発明されたもので、作り出せるものは単純構造の物に限られるが、しかし、これは応用の効く便利な武装だとハラキリは思っていた。
 もちろん光線銃レーザーガンを始めわざわざ敵に近づく必要のない兵器が様々にある現在、この手袋で作り上げられる原始的な武器は通常の戦闘では役に立たないだろう。とはいえこういう状況ではすこぶる有用だ、と。
「このように使います」
 ハラキリは右手でポケットから銀色に輝く金属片を取り出し、それを手袋から溢れた素子生命ナノマシンで包み込むと瞬時にナイフへと変じた。それからティディアに見せびらかすように閃かせてみせ、不意に、手首の力だけでティディアに投げつける。
 それは何の予備動作も、投げつけるという予兆すらもない無造作な動きだった。鋭く回転して飛ぶナイフは、標的に身構える暇も与えず必殺の速度で強襲した。
 だが、ティディアは――ハラキリの狙いに応えてやると言わんばかりに――心臓目掛けて飛来するその切っ先を不可視の手で容易く払い落とした。
 ハラキリのまなじりが細まった。
 彼が投げたナイフの原型は『スプーン』だった。『超能力サイオニクス鑑定スプーン』。曲げたり動かしたりすることができたら、それは超能力サイオニクスによる影響ではないと判定できるものだった。空虚な音を立ててアスファルトに落ちた『ナイフ』は、確かに、ティディアの不可視の手によって払い落とされた
 最初の連絡で対超能力アンチ・サイオニクスが効かなかったと聞き、よもやと案じて持ってきておいたものだったが……良かった。これで『無駄な捕縛法』を仕掛けずに済む。
「それにしても」
 ハラキリは笑った。呆れたように。
超能力サイオニクスでないとなると、天使流超能力サイオニクス……それとも、本当に『魔法』でしょうか」
 どちらにしても未知の力だ。研究所の計測器でもその力の質感でも超能力としか思えないのに、事実超能力ではない。ではどのようなものかと調べようとしても、まあ、それこそ無駄だろう。『天使』とはそういうものだ。
「しかし『魔法』だとすると……ああ、そういえばこれはお話ししてませんでしたね」
 ティディアが聞く耳を持たぬと動き出す。そこに、一条の閃光が襲い掛かった。
 離れたビルの屋上に配置したアンドロイドが放った、黄色の光線レーザー。制圧用で、赤色の光線のように熱量で攻撃するのではなく、電撃に似た衝撃を与えるもの。ただし出力によってはあまりの激痛にショック死のおそれがあるものだ。
 閃光は、最大出力で放たれていた。
 ほぼ光速のそれが放たれてから避ける術はない。されど何の身振りもないティディアの直前で光は捻じ曲がり、ニトロへアタッシュケースを渡したアンドロイドに命中してそれを破損させた。
(……本当に万能だな)
 それを、その光線を捻じ曲げたものを改めて観ていたハラキリは、内心うなった。
 『天使』の効能――今の彼は、『』を見ることができる。
 その運動量、そのエネルギー、そのベクトル、本来肉眼には不可視である力そのものを彼はエメラルドグリーンの瞳に映すことができる。
 ティディアは、今、揺らめく炎に包まれていた。
 それはまるで太陽のようだった。
 透明で、紅い。金色に輝き、白銀に閃く光。その輪郭は蜃気楼のごとく朧だが、王女の体、さらにその中心に向かうにつれ『力』の重厚さは増していく。
 ――美しい。
 見ているだけで惚れ惚れとする。
 神々しい光を纏う美女がそこにいる。
 だが、ハラキリの五臓六腑は絶えず気味悪さに圧し掛かられていた。
 時折ティディアの身から、紫の霧が漏れ出している。現れてはすぐさま太陽の光の中に融け込んでしまうが、ハラキリはそれが何かを理解していた。
 悪夢的な『力』の片鱗だ。
 初めティディアを見た時は、彼女が身に纏う光の衣が『天使』から与えられた力だと思っていた。スプーンを弾いた時と光線を曲げた時では質感が違ったことを考えれば、意志により『形』を自由に変えて超能力サイオニクス――否、『超能力様の作用』を及ぼす驚嘆するほどのエネルギーの塊。それがティディアの『天使』の力の全貌だと。
 ……その認識は、生易し過ぎた。
 王女の内部には、眼に映るエネルギーより遥かに強大な力が凝縮されている。
 それは『仮説』正しく『手加減なし』の力なのか、それとも『天使の効果』が未だ右肩上がりに上昇し新たな力を生み出そうとしているのか……
 またティディアの身から紫の霧が溢れる――それが光を侵食するかのようにその内に融け込む――そして霧が溢れ出た場所は、幽かに、ひび割れを塗り塞ぐかのように光の濃度を増す。
 その光景は、相反する二つのものがせめぎ合う葛藤にも見えるが……。
 いや、どちらを理由にしての『力』かを検証しても現状意味はない。『説得』に効果がなかった以上、『仮説』が正しかったとしても、今それを検証し正誤を確かめたところで単なる自己満足にしかならない。
 ただ、重要なのは、このままティディアを放っておけば現在の戦力では手に追えなくなるという現実だけだ。
 再び、一条の光が閃いた。
 それは繰り返し映像を見ているようにティディアの直前で進路を捻じ曲げられ、
「お話しして、いませんでしたが」
 ハラキリがいた場所を光線レーザーが貫いた。彼は光が放たれる寸前に地を蹴り、すでに人ならざる速度でティディアの横手に走りこんでいた。
「『天使』を作った神技の民ドワーフの動機」
 さらに背後に回りこんだハラキリをティディアは不可視の腕で殴り飛ばし――同時、飛ばされる彼の右手に引かれた鎖を追ってアスファルトの塊が彼女に突進する!
「?」
 虚を突かれたティディアはしかし動じず、眉をひそめてそれを受け止めた。受け止め、鎖を引くハラキリに引き寄せられ、彼に接近しては罠がありそうだと空へ飛んでそれから逃れた。
「『魔法少女』に憧れてのものだそうです。もしかしたら、おひいさんはその理想の体現者なのかもしれませんねえ」
 空からハラキリを見下ろすティディアの顔は、無表情ながらも釈然としない意志を見せていた。
 おかしい。彼は、こういう攻撃をすると決定はしてはいなかった。
「……」
 ティディアはハラキリの思考を読む『力』を強め、より詳細な情報を脳裡に転送した。
 一気に幾十の戦法とそこから派生する幾百幾千の戦法がティディアの頭脳に流れ込んだ。その内どれを選びどれを組み合わせてくるかは混沌として、無意識の領域にも達しているようだった。
 さらに戦闘中ともなれば彼の思考は思考ではなくなるだろう。考えながらも考えない。『思考』と『感覚』は限りなく一体となり、『決定』と『反応』は髪一本を隔てる隙も無い刹那の世界で行われる。
 まさについ直前、彼がそうしてみせたように。
 これでは『敵』が無数の選択肢を取捨選択するのを待って対応していては、それだけ後手に回り続けてしまう。無駄なおしゃべりは思考を読むことを阻害するためかと思っていたが、それは時間稼ぎになればいいな、程度のものか。
 ――と、ふいにティディアが思考を読んでいると察知したハラキリが彼女に言葉をかけた。誇るように、あるいは、撹乱するように。
(思考が読める程度、大したアドバンテージにはなりません)
 ハラキリの眼は、ティディアから少し離れたところで一点輝く衛星を捉えていた。それは常に自分の頭部に向いていて、その上光はこちらを覗き込むような素振りをしたティディアに呼応して強くなった。目を凝らせば衛星からティディアの頭へ流れる帯光も見える。
 おそらくは、それが『テレパシーのタネ』なのだろう。表層しか読めないと言っていたことを考えれば、その光は脳を流れる電気信号をリアルタイムで感知・言語化してティディアへ送っている……といったところだろうか。
「よく、訓練されている」
(おや、当たりですか? それとも当たらずとも遠からず?)
 ティディアのつぶやきを耳ざとく聞きつけ、ハラキリがなおも話しかける。
(まあ、でも。大したアドバンテージにならなくても、アドバンテージにはなりますけどね。相手の考えが判るのは、実際『判らないに』比べて天と地ほどの差がある)
 ハラキリの言うことは矛盾にも近い。微妙なニュアンスで彼の認識を語っているだけか、それとも単純に揺さぶりだろうか。ティディアは付き合うのは面倒だと『力』を弱め……はっと上を見た。
 アンドロイドが三体、降ってきていた。さらに下からは目を離した瞬間ハラキリの投げつけたアスファルトの塊が向かってくる。
 ティディアは冷静に『力場』を展開した。それに触れたアンドロイドもアスファルト塊も、一緒くたに弾き飛ばされてしまう。
 弾かれたアスファルト塊を巧みに操作し、鎖をティディアに巻きつけるよう振り回しかけてハラキリは、
「!」
 展開された力場から、『不可視の紫色の腕』が伸びてきていることに気づいた。
「――!!」
 ハラキリは奥歯を噛み締め、右腕に力を込めて鎖分銅の軌道を変えた。乱暴な軌跡を描きアスファルト塊が『紫の腕』を迎撃する。
 しかし、腕――ティディアが伸ばしてきた密度高い『力』は、アスファルト塊に触れるやそれを一瞬にして破砕した。さらに頑強な鎖を粘土のように捻じ曲げながらハラキリへと這い寄る!
 ハラキリは躊躇なく武器を捨てた。迫る『力』から逃れ50mの距離をあっという間に後退し、車列の中、大型トラックの屋根に飛び乗った。
 ティディアの姿が、消えた。
 だが、ハラキリは見ていた。姿は肉眼からは消えることができても、『力』はこのエメラルドグリーンの瞳からは逃れられない。
(撫子)
 戦闘服の覆面に備えられた脳内信号シグナル転送装置を通し、敵の位置を撫子に報せる。あちらが天使流ならこちらは科学技術のテレパシーだ。
 ハラキリの頭上に巨大な火炎を掲げたティディアが現れた。
 ハラキリは逃げることなくその場に居つき、伏せた。
「エェェェェイ!」
 それに合わせ、車間から現れた一体のアンドロイドがわざとらしく大声を上げてティディアに襲い掛かった。その手には注射器が握られている。
ドワーフ特性
 ハラキリが、ティディアに聞こえるようにつぶやいた。アンドロイドを取るに足らぬと扱おうとしていた彼女は気を変えてアンドロイドに振り向き、
「ハッタリ・嘘」
 さらにつなげられたハラキリの言葉に、ティディアの動きが――鈍った。
 読み込んだ彼の思考には「嘘」とある。それはハッタリが嘘であることを肯定しているが故の「嘘」なのか、それともハッタリを嘘だと言ったことが「嘘」なのか判別難しく、ティディアは惑い……
 結局、無視はできぬと掲げた火炎をハラキリから眼前に迫るアンドロイドへ目標を変えて即座に叩きつけた。
 灼熱を浴びたアンドロイドの人工皮膚が瞬時に炭と化し、気体と化したオイルが所々で筐体を突き破り、アンドロイドはティディアに届くことなく無様に落ちた。
 ハラキリはその間隙を突き『鍛冶神ゴヴニュ』を作動させていた。彼の右手から黒と銀の砂塵と溢れ出した素子生命ナノマシンが、トラックの屋根を素に長槍を作り出していく。
 そうはさせじと伸びてきたティディアの不可視の腕から逃れ隣の車上へと移りながら、ハラキリは右手を差し出し素子生命ナノマシンの連結が作る糸を縮ませて長槍を引き寄せた。彼は槍を手にすると焼け落ちたアンドロイドを槍で貫き――途端、槍から鍛冶神ゴヴニュしもべがアンドロイドの体に走り、金属の骸を喰らい、瞬時に焼けた斧を穂先に作り出す。
「せぇ!」
 気合い一閃、ハラキリは炎熱の槍斧ハルバードを空中のティディアに振るった。長柄の先、赤い斧刃がティディアの腿に食い込もうと、
 ――その時、
「 っっ――!?」
 ハラキリの肺から、大量の空気が押し出された。
 背部を尋常ならざる衝撃に打たれ、視界がぶれ、脳が揺らぐ。
 ハラキリに避けられたティディアの不可視の腕が捕らえる目標を変え、後ろにあったバンを猛烈な勢いで彼へと投げつけたのだ。1t強の重量にその速度が加わり、戦闘服の衝撃吸収能力を超えた威力が彼の肉を潰し骨を砕く。
「っ!」
 それでも、ハラキリはバンに撥ね飛ばされながらも斧槍から手を離さなかった。激突のあまりのパワーに恐ろしい距離を宙に舞い、『舞台』にまで押し戻される。彼はその状態でも状況を正確に把握し、落下が迫ったところで斧槍で地を突き体勢を整え、着地するや斧槍を振るい高熱を発する斧を切り離した
 切り離された斧は真っ直ぐ、追いかけてきていたティディアへと向かった。
 ティディアは冷静にそれを『不可視の網』で絡め取り、ハラキリへと投げ返す。
 ハラキリはその時すでに再び車列の中に身を隠さんと駆けていた。寸前まで彼がいた空を斧が貫き街路樹にめり込んで止まる。刃に触れる木肌が即座に焦げた臭いと共に煙を吹き出し、やがて炎が溢れた。
「痛たたた……」
 バンの痛撃に潰れた筋肉、破裂した血管、所々で砕けた骨が、『天使』の力により急速に治癒していく。そのわずかな回復の時間を得ようと車の陰に身を潜めたハラキリは、息をつく間もなく慌てて身を翻した。
 すぐそこまでティディアの『紫の腕』が伸びてきていた。
 『腕』から逃れ車間を縫って走り、と、逃れた先にも『腕』が現れた。それはハラキリを追う『腕』と連動し獲物を押し潰そうと車を寄せて、
 間、一髪。
 ハラキリは垂直に跳び『サンドイッチ』から逃れた。足下に鳴る身の毛のよだつ音をよそに、手の中の長槍を二つに分ける。そして抱き合うように潰れた二台の車の上に着地すると同時、彼は利き腕の右に握った槍を、ビルの五階付近にまで飛び上がっていたティディアに――その彼女の姿に舌を打ちながら――投げつける。
 槍は、一流の槍投げ選手が投擲とうてきしたそれもかくやという速度でティディアに迫り、しかしティディアが展開した『力場』に弾かれてしまった。
 その刹那、ハラキリはもう一方の利き腕を渾身の力で振るった。
 そのタイミング、狙い、力の加減、一連の動作の全ては『無思考の決断』によるものだった。
 ――加えて、『慣れ』がティディアの判断の足を引いた。
 ハラキリが両利きであることをティディアは知っていた。それはハラキリから聞いて知ったのではなく、ニトロのトレーニングに付き合っているのを映像で見た時、普段は右利きで通している彼が、その動きから実際は両利きであることを見抜いたためだった。されどそれが故、知ってはいても事実を本人から確認した情報ではなかったため、『基準』はどうしても右に依拠していた。実際、先まで武器は右利きの動作で扱われていたことが、さらにティディアの判断を鈍らせた。
 ハラキリが両利きであることを、ティディアが再認識したのは――
 二擲目の槍が目にも止まらぬ速度で、直前の攻撃とは比べ物にならぬ威力を以てティディアの『盾』たる力場に触れても弾かれることなくそれを貫き、彼女の右肩に突き刺さろうと迫るその刹那!
「ッ!」
 だが、あわや右肩に穂先が突き刺さろうかというその刹那の内に、ティディアは事態に追いついていた。
 力場の質を変え、投げ込まれた槍を狙いの軌道から逸らす。
 槍はティディアの肩口をかすめ、服をわずかに引き裂いて……ハラキリの『一計』は、それで終わった。
 しかし、ハラキリは落胆などしていなかった。それはむしろ予想通りの結末。すでに彼は次の行動に出ていた。『鍛冶神ゴヴニュ』を足場の車に当て再び鎖を作り出していく。
 と、その時だった。
「――お?」
 すると、ハラキリの足下で車が、動いた。
「おお?」
 いや、彼が踏みしめる車両だけではなかった。
「お――!」
 この場にある全ての車がけたたましい音を立ててタイヤを削り、凄まじい勢いでバックし始めていた。
 突如として動き出した足場にバランスを崩し、体勢を立て直そうとしたところに速度を上げられ足を掬われそうになったハラキリは、跳んだ。跳び、次から次へと足下を通り過ぎていく車体に巻き込まれぬようまた跳び、やがて、彼は残骸と化した数台を残して一台の車もなくなった車道に降り立った。
「……」
 『金属の供給源』が奪われた彼の手には、半端に短い鎖だけが残った。
 いきなり広々と拓けた戦場にぽつんと立ち、ハラキリは、鎖を槍へと作り直しながら眼差しを上向けた。
 そして、目にしたティディアの姿に再び舌を打つ。
 彼女の中心から漏れ出す紫色の霧が頻度を増し、さらに濃さを増していた。さっきまで神々しかったその輝きが、次第に本来の彼女の髪の色に似た黒紫色へと。
 急速に――戦い始めてからはさらにさらに。
(……よもや邪魔されて『愛』が燃え上がっている、なんてことはないでしょうね)
 だとしたら余計なことをしているのかな、とも思うが……まあだからといって止めぬわけにもいかない。
「……」
 ティディアは、誰からの介入も拒否するように力を増している。
 毒づくようにハラキリはため息をついた。
「やれやれ……」
 遠く離れた場所から黄色の光線が三度ティディアを襲う。ティディアはそれを甘んじて受けた。受けたのに、光線は彼女の表皮を舐めただけでそれ以上のダメージを与えられはしなかった。
 ティディアは狙撃手のいる方角へ顔を向けた。密度高く紫色のエネルギーが凝縮し、ふと消える。
 ――遠くで、爆音が鳴った。
 ティディアは、一段と光を失った瞳を強敵へと戻した。
 それをエメラルドグリーンの双眸はまっすぐ見据え返した。
 ハラキリの目前に、移動速度を増してティディアが降り立つ。ハラキリは逃げず、彼女を迎えた。技術の粋を結集し作られた戦闘服越しにも、彼女が放つエネルギーの凶暴さに皮膚がぴりぴりと痛む。
 まるで開かれたドラゴンの顎に裸身を晒しているようだ。
 ハラキリは、苦笑混じりに言った。
「何て顔をしてるんです」
 彼をじっと見つめる瞳は澱んでいる。燃え上がる街路樹の紅蓮がその無表情にぬめりつくような影を差し、彼女の美貌ゆえに恐ろしさがより際立つ。幽鬼――と、その言葉がハラキリの脳裡に浮かんだ。
「そんなんじゃあ、ニトロ君に嫌われる一方ですよ?」
 ティディアの色を失った唇が冷やかに動く。
「それでも、ニトロがいれば、いい」
 彼女を包んでいた光はか細く、もはや、その身は黒紫の影に飲み込まれかけていた。

1−8 へ   1−10へ

メニューへ