小凶

(『敵を知って己を知って』の後、『行き先迷って未来に願って』の前)

 何故だろう?
 自問せざるを得ない。
 なにゆえわたくしは空をこんなにも弾丸のごとく飛んでいるのでありませう?

 ことの起こりは五分前。
 高さ300mもの断崖絶壁の上に建つ古城には、伝説があった。その昔、残酷な伯爵によってこの城に囚われた美しいお姫様が助けを求めて七日七晩天に祈り続けると、それを聞き届けた神は大弓携える天使を使わし、お姫様は天使の放った大矢に引かれて城から300mも離れた湖に届けられると、翼持つ白き蛇の背に乗って無事親の元に帰ったのだと。
 ある研究者はその矢とは投石器カタパルトであったのだと主張した。そこで投石器でお姫様を模した人形を飛ばす実験が行われた。失敗に終わったという。
 そもそも、よしんば湖まで人形が届いたとして、その『お姫様』は無事で済むのか?
 なによりその小さな城にそれほど人を飛ばせる投石器があったのか?
 いや、実際にお姫様は投石器で脱出を図ったに違いない。しかも最高の風の条件なども手伝い、実際に湖にまで届いたのだろう。しかし伝説の翼持つ白き蛇とはこの地方の古宗教における魂を導く存在のことであり、つまりお姫様は湖面に叩きつけられて死亡したのだ――と主張する研究者もいる。当時としては考えられないグライダー説もある。
「というわけで、私としてもオーパーツ説を唱えてみようかしら? と」
「みようかしら? じゃねえんだおおおおおい!!」
 ニトロの眼前には長く、様々なケーブルが繋げられた……何か背骨の通った透明なチューブ、とでもいうようなものが古城の胸壁の上に横たわっていた。その片端はここで口を開けていて、もう片端は胸壁の縁から約300m先の湖に向けられている。
「つまりあれか、こりゃ『実証実験』とでも言うつもりか!」
「その通り!」
「通すなコラ! 今は過疎りまくった集落の町おこし的なイベントに突撃だ! サプライズ参加だ! っていう契約だけだったはずだぞ!?」
「実際には請願いらいがあったわけだし話もついてるしネットじゃその噂で持ちきりだから全然サプライズじゃないけどね」
「知ッ・てる! 『ええ〜? ビックリ!』とか言うと思ってんのか!」
「ソウダヨ!――アア邪魔ダドキナ!」
「お断りッいたします」
 と、余裕のない声で言ったのはヴィタである。横たわるニトロの視界にはアンドロイドとがっぷり四つで相撲を取る彼女の後ろ姿がある。その彼女を軍人が数人で支えている。
「コノ……ッ、アアア! 主様ァ!」
 芍薬の怒声は本気だ。ということは、あの女執事達は――いくら警備用アンドロイドは人を殺さぬよう馬力を抑えられているとはいえ――それを生身で押さえ込んでいるのだ。
 恐ろしい話である。
 いや、もっと恐ろしいのは、ニトロは今、例のチューブの陸側の端に押し込まれていることであった。押し込んでくれたのは王軍親衛隊――つまりティディア直属の兵士達。元々ニトロはここから特殊な移動手段を取ること自体は察していた。そしてそれは飛行単車エアバイクからの自由落下スカイダイビングだろうと思っていた。何しろここに来た時、遠目にはやじり型に見えるようカスタムされたエアバイクが胸壁に二台置かれているのが見えたのだから。そこで騎兵隊員でもある兵士達に挨拶し、歓談していると、何らかの係だという軍人に背嚢バックパック型の装置らしきモノを背負わされた。やはりスカイダイビングだ、これはそのための装置だと思いながら兵士達と胸壁に登ると件のチューブが目に入り、すると何やら台座のようなモノに足先を湖側に向けて仰向けに寝そべらされてしまった。故にこのざまである。もちろん既にロックされて動けない。ああ、空はこんなにも高い!
「角度よーし」
「角度よーし」
 王軍の兵士とは制服の違う――そこには係と名乗った女性もいる――軍人達がそんなことを言っている。
「オーパーツっていうのはね、簡単に言うとその時代にあるはずのない物のことなんだけど」
「知ッ・てる!!」
「で、私は、カタパルトじゃなくって大砲でお姫様を飛ばしたんだと思うの」
「お姫様は芸人かなんかか!?」
「はいそうです!」
「お前のこっちゃねえ!」
「でも大砲だと撃った瞬間に死んじゃうじゃない?」
「何で急に現実的!?」
「それならレールガンならどうかなーって」
「いやお前つかレールガンって人間たまにできたっけ!?」
「そこで登場したのが電磁式カタパルト」
「Ohクソ連想!」
「を応用小型化したものを城に設置、高さ300mにちなんで一気に時速300kmまで加速して発射! これなら湖に浮かぶ島――すなわちイベント会場にも届くはず!」
「死ぬよね!? ていうか一気にそんな加速したら体たないよね!」
「そこらへんは謎技術で」
「謎(怒)!」
「ぶっちゃけると全部軍事機密」
「うおおおおおおい! ていうかこれ軍が関わってんの!?」
「今さら聞くこと? あ、王軍だけじゃなくってこと? ならほらあそこにいるのが国軍の技術者」
「薄々解ってた! 信じたくなかった! つか軍事費こんなことに使っていいのか!」
王女わたしが良いっていうなら良いの」
「腐敗の臭いがします! ジャーナリスト、ジャーナリストはどこだあ!」
「どこにもいないんじゃなーい?」
「皮肉かな?」
「大人しくしてるってことは分かってるんだと思うけど、暴れると皮肉どころか骨ごと逝くから暴れないでね」
「なら初めからするなってんだッ!」
「やー、でも『サプライズ』っていうからにはちょっとサプライズな登場もしたいじゃない?」
「そうやって一応業務に絡めてくるのが余計腹立つ!」
「大丈夫、私も後からイくから一発いってみよー」
「その『イく』ってのは生存が前提のことだよな! おい! こらバカ姫!」
「ヌ・シ・サ・マァァッ!!」
「そろそろ限界」
「よぉし準備急げ!」
「急いで芍薬ぅ!」
「オールグリーン! いけます!」
「いかすな!」
「生きてこそよ?」
「おま――」
 刹那、ニトロは息が止まった。
 その刹那、もしかしたら息の根まで止まっていたのかもしれないと彼は思った。
 今、ああ、俺は恐ろしい勢いで空を飛んでいる。
 それを理解する直前の記憶が寸断されていた。
 空白の中、視覚情報が特に混乱している。
 その時は確かにティディアを見ていたと思う。
 だが次に覚えているのは裏返った――そう、裏返ったとしか思えない世界。
 あるいは目玉が縦に一回転したのではなかろうか。
 今、目の前に広がるのは空、ただ大空。
 何がどうしてこうなったのか理解しているはずなのに、彼は思わざるを得ない。
(何故だろう?)
 自問せざるを得ない。
(なにゆえわたくしは空をこんなにも弾丸のごとく飛んでいるのでありませう?)
 されど時速300kmでボケは遠ざかる。
 耳をつんざく風切り音。
 そして時速300kmでツッコミは届かない。
 いや、空気抵抗のためだろう、速度はそれからずっと落ちてきているようだ。
 高所の冷気に皮膚がひりつき、特有の浮遊感に下腹が冷える。まさかこのまま失速して湖どころか岸辺に……と想像して肝も冷えるが、おそらくこの背中の装置は反重力飛行装置アンチグラヴ・フライヤーでもあるのだろう。この『サプライズ』に不可欠な機器にして、安全装置。
 放物線を描いて飛ぶニトロはなす術もなく空と空に映えるうろこ雲ばかりを見ていたところ、ふいに地平線を見た。地平線はすぐに雪を戴く山々に変わり、舳先のごとく風を切るつま先の下がるにしたがって錦に染まり出した木々が見えてくる。次いで木々から麦の蒔かれたばかりの畑に、畑から砂礫に、それから湖、湖に浮かぶ船と舟と島、そしてイベント会場が目に映る。会場のメインステージには翼持つ白き蛇が描かれていた。驚くべきかな、狙いは正確だった。きっと『実験』としても満足のいくデータが取れただろう。誤差はあろうともここからは背中の装置で微調整、微調整。ニトロは光の失せた瞳で腕を組む。今日のステージ衣装はタイトなジャケットとシャツとジーンズ、ハイカットブーツ。いずれもイベントのタイアップ企業のもの。それらが光を受けて輝いている。
 歓声が聞こえてきた。
 手を上げる人々の顔がはっきりと見えてきた。
 すとん、と、階段の一段目から飛び降りたような衝撃がニトロの脳に無事に着地したことを伝えてくる。
(さて)
 彼は考えた。
 ステージ周りで自分の名を呼ぶオーディエンスに応えるにはまだ早い。
 なぜならまたも音高く歓声が沸き起こる。
 見るまでもない。空飛ぶ『お姫様』への喝采が全てを伝えてくれる。伝説の再現を――これを再現と呼べるなら!――目の当たりにした地域住民の皆様はとてもとっても感動しているようだ。
 そこに水を差すのは『演者』としていかがなものか?
 しかしニトロは思うのである。いつもいっつも悪ふざけを仕掛けてくれるクレイジー・プリンセス。これもいつものことだと慣れようか? いや、慣れてたまるか。この腹の底にはいつもと変わらぬ怒りが滾る。芍薬もきっと今頃自分を責めているだろう。それを思えばなおさらに。
「ティディア様ああああ!」
 間違いなく『ティディア・マニア』であろう少女が最前列で叫んでいる。彼女の身にまとうシャツは『ティディア&ニトロ』の公式グッズだ。その売り上げは諸経費をさっぴいた後、しかるべき団体に寄付されている。一方で軍事費は私用されている。はっはっはっ。それを今ここで告発してやろうか? ジャーナリストの耳はなくともマスメディアの目はここにある。しかしそれが意味をなさないことも、悲しいかな、ニトロは理解していた。確かな証拠を提示できるわけではない。であればあのクソ王女が煙に巻くことは容易だ。それどころか、最悪堂々と認めた上で国民にも認めさせてしまう可能性だってあるだろう。
 ならば?
 ならばどうする? この憤りを。
 義憤にできぬならば、私憤で晴らすしかあるまい。
 されどこのイベントを――伝説付きの古城(といっても史跡に復元したものが長い年月に渡って予算不足のためにろくな手入れをされずに結果再び廃墟になった古城)と、ちょっと大きめの湖という観光資源しかないこの湖畔の集落の小さな希望を壊さずにはどうしたものか?
 まさに伝説のお姫様のごとく、この地方の伝統衣装クラシカルなドレスを纏うティディアの気配が頭上に感じられる。近づいてくる。近づいてくる。
「ディヂワざまああああア!」
 もはや号泣レベルの少女は半狂乱である。
 ニトロは拳を握った。
 そうだ、その伝説で、残酷な伯爵は哀れなお姫様をしたたかに殴ったという。
 ならばその伝説も再現して可なのではないか? いいや可であろう。
 彼の脳裡にはある技が浮かんでいた。
 親友が、いつも助けてくれるのに時々悪ふざけをする親友が『役に立つとは思えないけど一応覚えておいてもいいんじゃないんですかね』と仕込んでくれた電脳世界の格闘プログラム、そこに入っていた異星いこくの技。
「ニトロ!」
 嬉しそうなティディアの声。
 彼は見上げた。
 そこには、頭を下にして、さあ抱きとめてとばかりに腕を広げて落ちてくるお姫様がいた。まさしく天の助けによって脱出を遂げたとばかりの輝かしい笑顔である。それに向けてニトロは飛んだ。天に逆らうように拳を高々と突き上げて!
「ショーリューアパカッ!」
「ぐわあああ!」

 その一発はイベント会場に沈黙をもたらし、しかしその後白熱した『ティディア&ニトロ』の本気のケンカ漫才によってそれは――新たな伝説となった。

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