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凶 ―蛇足編―

 門番をするハラキリを、一番に訪れたのは清掃ロボットだった。
 見た目は分厚い台の上に乗ったずんぐりとした円筒形。高さは1m強。スタイリッシュにプリントされたロゴマークと、青を基調とした軽いカラーリングから受ける印象とは裏腹に、その挙動には重さがある。その重量感は、すなわちこのロボットの能力である。底部には多様な床材や用途に合わせた各種回転ブラシとモップが仕込まれ、どんなに汚れた面であろうとぴかぴかに磨き上げる。4本備えたロボットアームは力強く、複雑な動きも可能で、胴体部に収納された豊富な清掃道具を駆使してちりの一つも逃さない。頭頂部はわずかに球状になっていて、そこにはなんとなく顔を思わせる模様があった。にこやかな風情だ。大手清掃機器メーカーの主力製品、マイナーチェンジを繰り返しつつのロングヒット機種。しかし遠い昔に生まれたこのロボットの原型は、当時、我々から尊厳を奪う悪魔だと数多の清掃員に恨まれたものである。
(……ふむ)
 ドアの前に立つハラキリは、眼前に佇む清掃ロボットの“にこやかな風情”を見つめつつ、頬を皮肉気に歪ませた。
「通さなければいけませんかね?」
「汚物ガアルンダ」
 少し甲高い、どこか子どもを思わせる人工音声。しかも抑揚は穏やかで人懐っこさすら感じさせる。このロボットはそういう風にしか喋れないのだ。にこやかに張り付けられた“顔”の向こうに、どんな鬼がいようとも。
「一応言っておきますが、人間はひょんなことで死にますよ」
「汚物ハ片付ケナキャイケナイ」
 そのセリフをオリジナルのままに聞けばずっと押し殺されて、声もずっとドスの利いたものであっただろう。
「チャント綺麗ニシナクチャネ?」
 幼稚園児が無邪気に言っているような調子が、むしろ恐ろしい。
「一体「早クドカナイトハラキリ殿モ洗ウヨ」
 問いかけを潰してそう言われ、ハラキリはつっと横に移動した。
 ロボットアームがドアを開く。
 かすかなモーター音を奥深く轟かせて清掃ロボットが進軍していく。
「――あ! あれ!? 芍薬ちゃんね!? そうでしょう!」
 閉じゆくドアの向こうから聞こえてくる。ドアが閉まりかけるところにハラキリがそっと足で支える。
「え? あ! 待って待って待って! そんなところ掴んじゃ、ぃやん! あああ! そんな回転ブラシはキヤーーーーーーーぉ!!
 ハラキリはドアを閉めた。
 それから間もなくプロデューサーがスポンサーと一緒に挨拶に来たので、彼は丁重にお引取り願った。
 続いて共演者が挨拶に来たので、これまた同様に対応する。
 その中で言う――姫様は今、大変なのです。
 ……嘘ではない。
 ただ、それで『どう大変なのか』は受け取る側の解釈次第。
 ところが不思議と訪問者達は揃って“触らぬ神に祟りなし”という意味で解釈したらしく、いずれも半分は危難を逃れられた安堵を、もう半分はこれからの収録に不安を残した顔でそそくさと去っていった。
 誰もいなくなった廊下に佇み、頃合を見て、ハラキリはドアを開いた。
 部屋の中は静まり返っていた。
 いや、清掃ロボットが床に散乱するエロ道具グッズを処分していく音ばかりが響いていた。
 テーブルに座るニトロはこちらに背を向けている。その表情を窺い知ることはできない。
 蘇生したらしいヴィタは左右のコメカミに赤い跡を残したままティーワゴンで作業している。その表情は涼やかに取り繕われている。
 そして。
 お姫様は、隅っこに転がっていた。
 洗われたっきり濡れそぼり、清楚な風だったはずの服も散々に、何と言おうか、そう、ボロ雑巾のようだ。壁に向かって倒れ伏しているのでこちらもその表情を窺い知ることはできない。
「……で、何がどうしてこうなったので?」
「聞くな」
 振り向くことなく言ったニトロの声は重い。このままだと本当に収録に差し支えるかもしれない。ハラキリは少し考え、
「まあ間違いなく過去最大級、最悪の下ネタをかまされてブチ切れた、というところでしょうが」
「分かってるなら聞くな」
 彼の耳がにわかに赤くなったのは怒りのためか、それともその原因となった二人の美女の所業を思い出してのことか。そこはそれ、やはり彼も少年であろう。ハラキリは視線を動かした。紅茶の用意を進めるヴィタの口元に浮かんだ小さな小さな笑みが目をかすめた。それは恐ろしく淫靡に見えた。だが、次の瞬間にはもう完全に消えている。……藍銀色の麗人、涼やかな才媛、その印象からは想像もつかないほどに肉欲の燃える影――しかしそれは造られたものだったか? それとも事実本性をそっと覗かせてきたのだろうか。あるいは、それはただの見間違いか。
(怖い怖い)
 女執事は静かに茶器に触れる。その指は陶器のように滑らかで、鋭い爪を隠している。ハラキリに向けられるマリンブルーの瞳の下には、今は明瞭な微笑みがあった。
「リクエストがなければ、本日は『ロマリヲン』にいたしますが」
 ハラキリは思わず苦笑した。
「どうしたんだ?」
 ニトロが振り返る。彼はきょとんとしている。何故、ハラキリがそんな反応を示したのかが全く理解できないと。そこでハラキリは言った。
「ロマリヲンですから」
 その説明にニトロはいよいよきょとんとする。
「別に……メジャーなやつだろ?」
「その『メジャーな銘柄やつ』になったキッカケを知ってますか?」
「えーと、映画だろ? 全国規模で大ヒットしたのの重要なシーンで出てくるって。女性が二人向き合う影絵シルエットをラベルにしたのが有名だよな」
「ええ。で、それの原作が問題でしてね」
「ん?」
「オリジナルはペンと紙が主流だった時代の漫画です。300ページほどで、北大陸の小さな出版社から単行本として売り出され、すぐに発禁処分を受けました」
「んん?」
「映画ではヒロインは深窓の令嬢とその家庭教師になっていますが、原作は教師ではなく尼僧でしてねえ」
「んんん?」
「で、映画版は令嬢と家庭教師の間に貴族の好青年が入って切ない三角関係に悩むというものですが、実際はまだ精通のない少年に二人でめくるめく性の」
「待った! もういい!」
「現在では『誰が誰の尊厳を弄んだのか』という問いを主軸にその文学性が評価されているわけですが、この原作からどうしてこの映画が? と不思議になるという点でも密かに有名なものです」
「あ〜……あ? そういやメルトンがそんなことを言ってたことがあったような……――ああ、ひょっとしたら聞いたことがあるな……」
「ほお」
「なんか……それで漫画に文学性って評価はおかしいとか言ってたような……音楽は音楽性って言うじゃん、それなら漫画性でいいんじゃねーの? とも言ってたかな。うん、もしや文学性って高尚の隠語? って言い出したところでさすがにツッコンだのを今思い出した」
「言わんとするところは判りますがねえ、まあ、文学性というのも曖昧な言葉なので曖昧なものを表現するにはちょうどいいんでしょう」
「そんなものか? ちょっと乱暴にまとめすぎな気がするぞ?」
「先の作品は少年の精通をもって三人の関係性が大きく変わります。令嬢は嫌悪し、尼僧は逆にのめりこむ、のめりこむ尼僧によって令嬢も変わる、少年は自分のために女二人が変わったことに気がつき、それで二人を支配しようとし始めて――」
「うん」
「破綻。最後は三人とも死にます。その様子は耽美的、悲劇的に描かれますが、実際にはただの痴情のもつれからの殺人と自殺ですね」
「いやいや、そんな風に言ったら身も蓋もないんじゃないかな?」
「しかしそんな身も蓋もないものを人は芸術にすることができまして、そういうものを文学性なり高尚なりとまとめてしまえば。なんとなく分かりやすい」
「なんとなく分かりやすいってのも変な話だけどなあ、まあ、なんとなく分かるかな」
 そう言ってニトロは笑い、
「映画版はどうだったんだ?」
「令嬢と青年が結婚し、家庭教師が結婚式場から姿を消すところで終幕です。家庭教師役が素晴らしい演技を見せて、彼女はその後自殺したのか、それとも新たなスタートを切るために旅に出たのか――ファンの間では未だに激論の的だと。原作に通じるのは男を嫌悪していた令嬢が、尊敬する家庭教師が青年に恋したことで、自分もまた青年に惹かれていくという部分でしょうか。そしてその変化に家庭教師は気づくのですが、それをむしろ喜んでしまう。その感情が彼女のさがなのか、あるいは倒錯した愛情なのか、というところもまた議論の的です」
「へえ。にしてもよく知ってるな」
「ロマリヲンは“メジャー”ですから、話の種ですよ」
「なるほど」
 肩をすくめたハラキリのセリフにニトロがうなずき笑う、と、
「『歴史に添削された性の話をしましょう』」
 ふいにティディアが言った。するとニトロが硬直した。それを視界の端に置きつつ、ハラキリは彼女を見やる。
「ハラキリ君も似たようなこと話しているのに何で怒らないのよ。結局原作の筋もすんなり聞いちゃってさー」
 ずっと放っておかれた彼女は実に不機嫌な面持ちで寝転がったまま、濡れて乱れた服を直すこともなくぶつぶつと言う。着替えないのかとか、冷えないのかとか、色々疑問はあれどもハラキリはまず気になることを口にした。
「『歴史に添削された性の話』ときましたか」
 見ればニトロの耳がまた赤くなっていた。顔もひどく強張っている。その様子に、ハラキリは察した。
「ふむ。なるほど、そういう導入で。となるとアデムメデス史に絡められて思わず聞いてしまったんですかね? おひいさん、教えるのもお上手ですし」
「それがそもそも大間違いだった」
「もうちょっとでヤれたんだけどなー。ニトロのア「芍薬お掃除!」
「承諾!!」
 マスターの怒りの命令コマンドに即応した少し甲高く人懐っこい子どものような声には、確かに殺意があったように思う。
「レ?」
 4本のアームが恐ろしい勢いで伸びてくるのを目にティディアの顔が凍りつく。
「わあああ! 待って待って、痛たた! 芍薬ちゃん! 私これ以上やられても綺麗になるどころかお肌がキヤーーーーーーーーーーぉ!!!
 清掃ロボットに圧し掛かられて洗浄されていくお姫様を眺めつつ、ハラキリは腕を組んだ。そして一度天井を眺め、床を見て、ぐるりと部屋を見回してから、言う。
「ニトロ君」
「なんだよ」
「一応言っておきますが、そういうものです、君は悪くない」
「色々察したのなら黙っててくれるのが優しさってもんだろ?」
 早口で言い切ると、ニトロは硬く黙した。
 ハラキリはヴィタを見た。彼女は茶葉ロマリヲンを入れたポットを手にしたまま作業を止めて、泡立ち悶える主人を愛しく見つめている。ゎんぐゎんと時々ブラシの空回りする音が聞こえる。ハラキリは、うなずいた。
「いたしかたない」
「ッだから黙っててくれよお!!」
キヤーーーーーーーーーーーーを!!!!!

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