(『ティディアの誤算』の直前)

 王都西部、スライレンドと呼ばれる区域にある王立公園。そこから程近い人気のアウトレットモールを、ニトロは友人達と訪れていた。
 彼を含めて男子は四人、女子が二人。
 その内に二組のカップルがある。
 そのためこの遊行はグループデートの体も取っていて、大まかな行動の指針はまとめ役であるクレイグ・スーミアという少年に委ねられているにせよ、実際の行動を左右するのは恋人達の甘い気分であった。
 しかし、例えそれが親しい者からもたらされるものだとしても、甘さも過ぎればてられる。
 スライレンドにやってきて始めに行った映画鑑賞はともかく、恋人達が夢中になって独自の世界を作り上げるショッピングに段々付き合い切れなくなってきたニトロは、同じく辟易としていたもう一人の独り身である友人からの提案に飛びつき、恋人達とは一時別れてモールの片隅にあるティーハウスへ颯爽と退散することにした。
 そして男子二人差し向い、取りとめもなく駄弁だべっていた時のことである。
「もう進路を決めてるのか」
 ふとした拍子に持ち上がった話題に、ニトロは驚いた。
「ああ、調理の専門学校だ」
 小太りで、こ洒落たシャツを着て、丸い伊達眼鏡をかけた同級生はティーカップを片手に言う。その答えにもニトロは驚いた。
「じゃあ、フルニエは本格的に料理人を目指すのか?」
 学業よりもアルバイトに励むこの友の、掛け持ちする勤め先の一つに飲食店がある。
「いや、目指さねえよ」
 人を小馬鹿にしたような返答にニトロは眉をひそめた。
「なら、何でだ?」
 その問いを待ってましたとばかりにフルニエは、『普段とは違う色の瞳』を好奇心に閃かせるニトロへ胸を張った。
「俺が目指すのはな、ニトロ、料理評論家にしてアデムメデス一のレストランチェーンのオーナーだ」
「――おお。大きく出たなあ」
「馬鹿言うな。大きいなんてあるか。これがミニマムだ。俺は一領一城の主で満足するようなコスい器じゃねえ」
 語調は強く、言葉も強く、慣れたニトロには何でもないが、慣れない者には取っ付きにくい調子でフルニエは続ける。
「いいか、俺の目指すところは、ただ金があるだけで舌が肥えたおつもりのセレブ様や、庶民的だ一般目線だなんだと誤魔化した素人考えを自慢げに開陳するネットスピーカー、評論と言いつつクソな感想文しか書けねぇ知名度だけが味覚を保証しているような売文屋じゃねえんだ。自らも凄腕の料理人、知識は常に最前線――だが、それなのに俺自身は店に立たないオーナーになるだろう」
「凄腕で、最前線なのにか」
「そうだ。俺は俺の研究に専念する。企業やブランド、自分の店のための広告屋に過ぎない堕落した有名料理人どもを駆逐する檄文に心血を注ぐ。俺の店は俺の理想を具現化した聖域になるんだ。アデムメデスの素晴らしい食文化を守る前線基地。俺の無限のアイデアが騎士となり、ミサイルより勝る絶品料理によって版図を広げ、後の世に革命を興したと称賛される栄光の帝国がこの星を支配するのさ」
 保守的なのか革新的なのか、ともかく意気込みだけははっきり解る。常に自信家で、野心家でもある友人の活き活きとした青写真を興味深く聞いていたニトロは、彼の次の言葉にまた驚いた。
「今はお前に大きく負けてるがな、そのうち俺は自力でお前と肩を並べてやるぜ」
 セリフのわりに敵愾心はない。フルニエはこういうことを悪意なく口にする奴だとも理解している。――が、ニトロは心に引っ掛かりを覚えた。
「負けてるも何も、別に勝負してるわけじゃないだろう」
 戸惑いをそのまま口にしたニトロを見て、フルニエはにやりと笑う。
「いいや、勝負さ、ニトロ、この世の全ては勝負なんだぜ? そして勝った奴が、倫理、道徳、人道人権、そういうお綺麗な題目並べたところでやっぱり一番偉いのさ。俺は勝つぜ、なあニトロ、人生は勝利しなきゃ嘘っぱちだ」
 ニトロはすぐには答えなかった。
 フルニエ・カデンドロ・フィングラールは、いわゆる『称号貴族ペーパーノーブル』だ。曽祖父の代から零落してきたようだが、父の代で完全に没落した。父子家庭であり、彼の語るところによれば離別した母は『うまくやった』らしい。
「ああ、勘違いして欲しくねえんだけどさ、別にお前を責めてるわけじゃねんだ」
 フルニエは冷めかけた紅茶をすすった。語気の強さは変わらないが、ニトロはその取り繕いの裏に非常に繊細な影を感じた。
 ニトロは、訊ねてみる。
「だけど全部が全部勝負だなんてやっていたら、結局は疲れるだけなんじゃないか?」
 するとフルニエは首を振り、
「それは甘えさ。勝負に疲れたけど負けたくないって奴が考え出す、弱音をヒューマニズムで正当化してもっともらしくインターバルを取るための卑怯な戦略だ。考えてもみろ、この会話だって勝負じゃねえか、俺の言い分と、お前の言い分と」
「俺は勝負してる気はないけどな」
「それは勝者の余裕があるからさ」
 フルニエの目はニトロの『ブランド服』を見る。それは“変装”のための衣装だった。本来の自身の趣味ではない。だからこそ芍薬の選んだ効果的な防護服。――ニトロは苦笑した。
「そんなに勝ち負けに拘ると、いつか自滅するぞ」
「しない」
「何故?」
「俺は勝ち続けるからだ。そして戦いを挑み続けて、また勝つんだ」
「マジで気の休まる間もないな」
「休んでたまるか。言ったじゃねえか、それは甘えだって」
 勝気と言うより強攻と言う方が適しているかもしれない友人の主張に、ニトロは一拍の間を置いた。わずかに宙を見つめる。そして彼は言った。
「……けど、やっぱり勝ち負けだけじゃないさ」
「何故だ?」
「引き分けもある」
 フルニエは笑った。
「ああ、確かに勝負には引き分けもあるかもな。むしろ共倒れか」
 とある“記憶”を映じた空中からフルニエへと視線を戻したニトロは、友をじっと見つめた。今度は丸眼鏡の少年が間を置いた。
 沈黙が両者を隔てる。
 ニトロは、友の言うことには一理あり、その意見が浮世において全く間違っているわけではないことを内心認めている。しかし、やはりそれだけではないし、その考えは危険を大に孕んでいることも彼は経験から認めていた。なにしろ友の言う『ニトロ・ポルカト』の勝利こそ、自分にとってはいくつもの敗北の結果に他ならない。
「損して得取れって言葉もある」
 ニトロは自身への痛烈な皮肉を感じながら、沈黙を破った。フルニエがこちらを見る。その親しい顔にいつか見た人と同じ絶望が刻まれるのは嫌だと思い、またそのためにあいつの言葉を下敷きにすることを苦くも思いながら、それでもニトロは言った。
「潮時を間違えるなよ、フルニエ。それが本当に『勝負として成り立つのかどうか』の見極めも、見誤ったら大変だ」
 その言葉に、声に、その眼差しに、フルニエは得も言われぬ重みを感じたらしい。目をさっと逸らし、しかしすぐに自尊心を刺激されたらしく、先よりも強い顔つきでニトロを見返す。
「当たり前だ。俺は負けないからな。損なんてしねえ、あらゆるものを利用して、俺は勝ち続けて得だけを積み上げるんだ」
 あらゆるもの――そんなことを言いながらも、フルニエが『ニトロ・ポルカト』の情報を高値で買うと持ちかけてきたゴシップ屋を痛罵したことをニトロは知っている。校長先生が通りかからなかったらきっと殴り合いになっていただろうことも、ニトロは知っていた。
「だから、今回のことは大目に見ろよ」
「?」
 唐突な展開に、ニトロはきょとんとフルニエを見つめた。
「公園内のレストランを予約した。お前の名前で」
「ちょっ……!」
 そこのオーナーは王家である。
「いやあ、威力絶大だな、人気店でも余裕で予約が取れた」
「おい勝手に」
 ニトロの抗議にフルニエは聞く耳を貸さない。
「あの反応には笑ったぜ。しかも値段のことを気にしたら「あのな「学生の財布に親切なメニューも特別に考慮してくれるって「フルニエ「進んで申し出てきたぜ」
「フルニエ!」
 とうとうニトロは声を荒げた。
「たまにはなあ、これぐらいサービスしてやれよ」
 すると逆にフルニエがたしなめるような口調で言った。そのセリフが、怒りに染まっていたニトロの目を疑念で塗り替える。
 フルニエはどこか遠くを見て紅茶を飲む。
 ニトロは彼の意味するところに思い当たった。……躊躇いながら、言う。
「キャシーか」
「こういう得がなけりゃ、折角クレイグを落とした甲斐がねえ」
 はっきりと、フルニエは言った。
「あんまり得がないと判りゃクレイグが残念だ」
 彼は吐息をつく。
「あいつもニトロに頼みゃしねえだろうからな」
 少しの間を置いて、ニトロはうなずく代わりにミルクティーを飲んだ。
「知ってるか? キャシーは、前はあんなんじゃなかったんだぜ」
 その言葉にニトロは眉を跳ね上げた。
「いや、知らない」
 フルニエは生まれも育ちも王都であり、一方のキャシーは高校に入ると同時に王都へ移り住んできたはずだ。だから調査でもしない限りは彼がキャシーの『前』を語れるはずがない――その疑惑を素直に顔に表すニトロへ、フルニエは過去を眺めてみせる。
「受験の時、たまたま隣の席で、何でか名前を覚えてたんだけどよ、入学前のキャシーはそりゃ地味だった。ありゃ高校デビューてやつだな。一年の時、同じクラスになって驚いた。キャシーも自分の魅力に驚いたんじゃねえかな。入学したばかりの頃は変におどおどしてたが、男子にクラスの“プリンセス”に祭り上げられてから変わり出した。特に目が変わった。あの目は、品定めの目だ。値踏みに熱心で、しかも用心深い目だ」
 いかにも根拠があるようにフルニエは腕を組む。
 ニトロがそれに付け加えるなら、彼女は夢を見る者の目をしている。彼女は実際に『プリンセス』になりたがっている。
 と、フルニエが付け足すように言った。
「だが、その目も俺をフるんだから節穴だがな」
 ニトロは目を丸くした。
「え? マジで?」
「昔のことさ」
 やれやれと肩をすくめる友人にどう言葉をかけるか迷っているうちに、ニトロはふと類似の話題に突き当たり、それを口にした。
「……それで思い出したけど、ミーシャがなんかお前に粉かけられたみたいなこと言ってたぞ? 冗談だろうけどって」
「ああ、やっぱりその程度にしか受け取ってなかったか」
 困り顔のフルニエに、ニトロは真顔となった。
「…………本気、だったのか?」
「恋の痛手を受けた女は落としやすいっていうだろ?」
「うおい」
「あーあ、何で女どもは俺の良さを見抜けねえのかなあ」
 確かにミーシャの言う通り、どこまで本気か分からないフルニエの態度にニトロは流石に閉口する。
 どこまで本気か分からない――と言えばハラキリもそうであるが、フルニエはまたタイプが違っていた。
 そしてそのフルニエは、どうやらハラキリに対して苦手意識を持っているようだった。露骨に相手を避けることはないが、しかしハラキリがいる場面での彼の言動には一種の恐れ、あるいは対抗心のようなものが常に隠されている……ニトロはそう見ていた。
 また、彼はこのアクの強さから学校では孤立しがちな人物である。
 ニトロが彼を知った時の彼の評判は芳しくなかった。今でさえ、大抵のクラスメートは彼のことをただ自信過剰な情報通としか思っていないだろう。彼自身それを自覚している。嫌われ者、鼻つまみ者だと道化じみた調子で自称してさえいる。しかし、それでも人恋しいのか、彼はハラキリのように級友から距離を置いては平気でいられないらしい、それでいつも誰かにちょっかいをかけようとして鬱陶しがられている。
 そんな彼を何の抵抗もなく受け入れる人物がクレイグ・スーミアだった。
 フルニエのアクの強さもクレイグの器によって中和される。
 クレイグがいれば、フルニエはどこでだって孤立しない。
 現在はさらにアクの強い『ニトロ・ポルカト』とハラキリ・ジジが仲間グループにいるため悪態の突き方にもエスカレートの気配があるが、思えばそれも彼なりの甘えであり、一つの信頼の形でもあるのだろう。
「キャシーはまだ全然満足してねえよ」
 話を戻して、フルニエは言った。
「クレイグも、実はしんどいんじゃねぇかな。だから、お前が嫌なのは知ってるけどよ、有名人パワーでたまには協力してやれ」
 それを聞いてもなおニトロは納得を得なかった。釈然としないもの、わだかまりに近いものが脳裏に居座る。
 反面、胸にはそういう意図ならフルニエの独断専行も許そうという気持ちがあった。
 頭で考えれば拒絶が勝るが、心で思うならば寛容が勝る。
 ニトロはため息をついた。
 正直に言えば、フルニエのクレイグへの友情を加味してもやはり己の立場を利用する行為には賛成できない。といって既に行われてしまったことを覆すほど意固地にもなれない。芍薬は、ハラキリは、このことを聞いたらまたお人好しだと言うだろうか? 自心に不満を残しながらも『意固地になれない』を言い訳にしてフルニエを許すのは――許したいと思うのは。
 しかしニトロは少し意地悪もしたくなった。
 彼は、我の強い友人を挑発的に見つめた。
「つっても、結局お前が『得』したいだけなんだろ?」
 その非難混じりの言葉にフルニエはにやりと――奇妙にもどこか嬉しげに――笑った。
「そりゃあ後学のためには素晴らしい素材だからな」
 ニトロも笑い、もうぬるいミルクティーを飲み、それから、彼は訊ねる。
「けど、それでクレイグはいいと思うか?」
「お前はキャシーを責めるか?」
「どうかな」
 ニトロの脳裏に一人の女がよぎる。彼は言った。
「責めなくても、俺は支持したくない」
「俺は全然有りだ。なにせキャシーはあれで勝負してんだ」
「うん。勝負か」
「だけどクレイグがそんなのに引っ掛かるとは思わなかった。しかも気づく様子もねえ」
 なるほど、と、ニトロは思った。フルニエにとってはクレイグへの失望の方が問題なのだろう。ニトロは、不思議と頬に笑みが浮かぶのを止められなかった。
「なんだ?」
 ニトロの笑みを見咎めたフルニエに、彼は笑みをより深めて答える。
「それが、恋なんだろ」
 一瞬、フルニエはきょとんとして、直後、大きな声で笑った。暇そうな店員と数人の客がこちらに注目する。ニトロは顔をわずかに伏せる。
「言うじゃねえか。あれか、詩人か?」
「事実を言ったまでだよ」
「まあ、だがそうだな、恋じゃしかたねえか」
 そこで会話が途切れた。
 ニトロは店内に流れ込んでくるモールの雑踏を聞いた。賑やかで、普通の、ざわめき。異常はない。このティーハウスは有名なチェーンだが、場所が悪いためか空席が目立っている。
 ざわめきにくすぐられながら彼は今しがた交わした友達との会話を反芻した。
 会話中から芽生えていた印象が、今も彼の胸に疼いている。
 その印象には熱があった。
 その熱は、どこか切ない。
 それが思わず口からこぼれた。
「何にしても」
 ニトロは穏やかにフルニエを見た。
「自分の進路がそこまではっきり決まってるのは、羨ましいよ」
「何言ってんだ」
 鋭く、フルニエが言い返す。
「進路は一人で決められる、独りで」
 体を斜に崩して頬杖を突き、彼は意味ありげな目つきを丸眼鏡の底からニトロへ投げかける。
お前も羨ましいよなあ」
 ニトロは苦笑した。
「羨まれても、だから俺は付き合っちゃいないんだって」
 ニトロは無駄と思いつつも否定を返したが、
「まだそんなこと言ってんのか」
 やはり一笑にふされてしまった。ニトロはまた苦笑する。
 このほとんどお決まりのやり取りを早々切り上げるように紅茶を飲み干して、フルニエは首を回して出入り口を見た。どうやら『羨ましい』と言われたことに実は照れを感じているらしい。彼はそちらを見たまま極めてぶっきらぼうに声を発した。
「しかし遅えな。あれだな、女の買い物は遅いってのは真理だな」
「カレシと一緒だからなおさら楽しいんだろ」
「いいなあー、俺も恋がしてーぇ」
 両手を挙げて伸びをするようにしてフルニエはぼやく。
 そのセリフから自分がやっぱり『カノジョ持ち』だと除け者にされていることをまざまざと感じて、ニトロは笑うしかなかった。

 ようやくクレイグから連絡があり、ニトロとフルニエは合流地点に指定されたフードコートへ向かった。
 ちょうど先刻買い物組と休憩組で別れた所に空席があった。
 二人はそこでまたしばらく待たされた。
 そろそろフルニエが我慢しきれなさそうになった頃、クレイグとキャシー、それにもう一組のカップルがやってきた。
 彼らの姿を見た瞬間、フルニエの苛立ちは霧散した。
 男子は二人とも荷物を抱えていて、ヘロヘロに疲労していた。しかも片方には悲壮感すらある。それは経済的困窮からくる心労の相であった。カノジョに一体どれほど支払わされたのだろう? そのカレシ氏は休憩組と行動を別にする前、その時点で電子マネー残高を削られまくっていたことを哀れに感じたニトロからレモネードを受け取って弱々しく笑っていた――その時より彼はずっとおののいていた。
 一方でクレイグには困窮の心配はない。
 だが、彼の笑顔の奥底には形のない不安があるようにニトロには感じられた。
 フルニエの話を聞いた後だからかもしれない、そのおぼろげな不安は、経済的な危機よりもずっと深刻に思えた。
 二組のカップルにフルニエは二言三言文句を垂れると、その後、少し遅めの昼食に行く場所を発表した。初めは勝手に予定を決められたことに反感を見せた恋人達も、その店の名を聞いては驚き、一転して素晴らしい思い出になるであろうことへ顔を輝かせた。それからすぐに料金のことを気にしたが、それも特別リーズナブルに済むとあっては喜びも倍増。魅力的なキャシーに花もほころぶ笑顔を注がれたクレイグの笑顔からは不安が消えていた。彼の瞳には、喜ぶ恋人への恍惚があった。
 それを見た時、ニトロは食事代も自分がサービスした方がいいのかなと思ったが、流石に止めた。そこまですればクレイグに重荷を感じさせてしまうだろうし、それにフルニエは無闇に人から奢られるのを嫌う。貧乏性の自分が急に太っ腹になるのも不自然だ。
 レストランに向かう前に購入した商品を配送しようと皆で移動を開始した際、ふいにフルニエがニトロに耳打ちをした。
「カノジョを持つのも考えもんだな」
 その直後にキャシーに笑顔で話しかけられたニトロは苦笑を封じ込むために多大な努力を要した。――それは、彼がこの日の晩に異常な危機に遭遇するまでは、確かに今日一番の努力であった。
 無事に屈託無い笑顔を浮かべられたニトロと数語を交わしたキャシーはすぐにクレイグの横に並び、腕を組んだ。二人の笑顔が同じリズムで弾む二人の肩越しに見える。その先ではもう一組の恋人達が楽しげに言葉を交わしていている。
 フルニエは一人先頭に立って自信満々に皆を率いていた。
 未来の話を交わした友人と、現在の幸福に浸る恋人達を一つに眺め、ニトロは――何故だろうか――この一時が、心底楽しいと感じられてならなかった。

後凶

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