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22:30 ―大吉― (ハラキリ:ラスト)


 地球ちたま日本にちほんの民族衣装を作るための布地、『タンモノ』を抱えてご満悦の撫子と帰宅したハラキリは、日課のトレーニングと食事を終えたところで、一つ、気合いを入れた。
「よし」
 今日すべきことは全て終わった。曲がりなりにも受験生という立場からすればこれから勉強をするべきなのだろうが、正直そんなことはどうでもいい。ここからは、今朝幸運にも手に入れることのできた『アナログレコード』を堪能する時間なのだ。
 ハラキリは、珍しく、我知らず興奮していた。
 なぜなら、そのアナログレコードの一枚は、何と紛うことなき地球ちたま日本にちほんの曲を収める物なのだから!
 ハラキリはもちろんそのレコードが本物であると信じて購入したのであるが、しかし、その時にはまだ収録されている内容が全くのでたらめ、どこかの悪戯者が作り上げた贋作だという可能性も確かに存在していた。
 だが、撫子の『三人官女サポートA.I.』である百合花ゆりのはな全星系連星ユニオリスタに存在する既知の音楽理論、及び地球ちたま関連のデータベースに存在する全てのミュージックデータと照会・分析したところ、それらのレコードは間違いなく地球ちたまのものであり、また日本にちほんのものと目されたアナログレコードにも間違いなく『日本にちほんの曲』が収録されていると確認された。
 ハラキリは、真贋の賭けに勝ったのである。
 唯一つ、それが本物中の『本物』――つまり、実際に地球ちたま日本にちほんで製作されたものかどうかまでは突き止められず、可能性だけで語るなら、やはりどこかの物好きが電波をどうにか拾うなりして作り上げたものだろう……ということだったが、
(まあ、根拠がなくとも『本物』と信じてみるのも一興だ)
 地下のオーディオルームに向かうハラキリの足音は、自然と力強い。
「ああ、そうだ。百合花おゆり
「……」
 聞こえているはずなのだが、返事はない。
 今回の分析には、自宅だけでなく、好事家仲間のデータベースも参照していた。それは膨大な情報量である。その上、ハラキリは対象がどんな細かい効果音とでも少しでも合致する可能性があるなら照らし合わせるよう命じていた。それを、およそ半日で終えるように命じられたものだから――とはいえ百合花ゆりのはなとジジ家のコンピューターシステムを使えば決して無理ではないのだが――すっかり“疲れて”むくれてしまったのである。
百合花おゆり
「……」
 ハラキリは苦笑して、言う。
「前からずっと欲しがっていた『ギギド・マルド選 コンピューターウィルス・コレクション』を買っていいぞ」
「ホンニ!?」
 突然、百合花が声を上げた。
旦那ダンサン、ホンニ!?」
 廊下の壁に埋め込まれたスピーカーを激しく揺らす声に、ハラキリはうなずいた。百合花が歓声を上げた。
「アァ、アレハ実ニ美シイ“画集”デナァ、『症例』ノ見セ方ガ実ニムゴタラシクテ美シュウテナァ、ホンニ欲シカッタンヨォ!……アァ、アリガトウ、旦那ダンサン。愛シテルワァ!」
「世辞はいいから早く買ってくるといいよ。それから、手伝ってくれた相手にもちゃんとお礼をしろよ?」
 百合花からの返答は、なかった。どうやら既に撫子から受け取ったお小遣いを胸に挟んで販売サイトに向かったらしい。
 ハラキリは苦笑を深め、
「牡丹、梅、お前達もご苦労。寸志を出すから、好きに使うといい」
「ワーイ! アリガトウ!」
 きっとじっとそう言われるのを期待していたのだろう、牡丹が歓声を上げた。遅れて、
「感謝シマス」
 ぼそりと、幼い声が響く。
 それは新しいサポートA.I.梅の声だった。芍薬が『三人官女』を抜け、もう戻ってくることは決してないと確信した撫子が、その大きな穴を埋めるために新たに育て出したオリジナルA.I.である。今回のデータ分析・照合は梅にとっても良い訓練となったことだろう。
「……こんなところで、良かったかな?」
 オーディオルームに入ったところでハラキリが肩越しに振り返ると、そこには盆を手にするアンドロイドがいた。
「私カラモ、御礼申シ上ゲマス」
 イチマツ人形に似せたアンドロイドが携えてきたのは、大きめなユノミに入った芳醇な香りを漂わせるコーヒーと、お茶請けのクッキーだった。
「今日ハオ疲レ様デシタ」
 スピーカーの音が最も良く聞こえる位置に置かれた安楽椅子に腰を下したハラキリに声をかけ、サイドテーブルにユノミとクッキーを載せた小皿を置いた撫子は、マスターの目礼を受けるとそのままレコードプレイヤーに向かっていく。
 撫子が機器の準備をしている間、ハラキリはクッキーを一つ齧った。特にこれと言って特徴のない味。しかし、これと言った欠点も無い味。だが、
「まあ、上出来かな」
 彼は目を細めて小さくつぶやいた。
 このクッキーを作ったクラスメートを……きっと粉を卵と混ぜて焼くだけのこれを作ることだけでも悪戦苦闘していたであろうその姿を思えば、どうにも微笑ましくなって仕方がなくなる。
 その満足気なマスターの姿に、こちらも満足気に微笑みながら撫子が言った。
日本ニチホンノモノカラデヨロシイデスネ?」
「よろしく」
 今日飲んだ中で最も美味いコーヒーをすすり、と、ハラキリはそこで思い直し、
「ああ、でもまずは――」
 百合花の結果報告には、これまで題名を知ることができずにいたある曲のタイトルがとうとう判明した、という大収穫もあった。
 彼はそのタイトルを、昂ぶりを秘めて初めて口にした。
「『工場の月』から始めてくれるかな」
 マスターの注文に従って、撫子は回転するレコード盤へ針をそっと下していく。
 やおら、スピーカーが震えた。
 日本にちほんの音と歌声が、今、ここに再び生まれる。
 それは遠く離れた異星の中、一人のアデムメデス人と一人のオリジナルA.I.のくつろぐ地下室に、うら寂しくも美しく、そして朗々と響き渡った。

22:52 ―大吉― (ティディア:ラスト)


 ドロシーズサークルにて催された『文芸祭レトワーザート・フェス』の開会式を兼ねた前夜祭にて主賓として乾杯の挨拶をするという役目を終えたティディアは、そこでしばしの歓談――という名の自己アピール合戦の場――を楽しんだ後、藍銀色の髪をした執事と共に王城への帰路についた。
 そして、今。
 彼女は死にかけていた。
「――ヒィ! ッ……ヒッ!」
 腹を抱え、彼女は王家専用飛行車のシートにうずくまるようにして短く甲高い呼吸音を喉から断続的に漏らし続けている。
「……ッ……ッッ!!」
 一方、王女の対面に向かい合って座る女執事は片手で口を押さえ、顔を真っ赤にして呼吸困難に陥っていた。
 彼女らの間には、宙映画面エア・モニターが一つ浮かんでいた。
 そこに映るのは、インターネットの動画投稿サイトにアップロードされた『ニトロ・ポルカト』の姿だった。彼は頭を抱えておかしな角度で身をよじり、そのせいで片足を爪先立ちにしながらピンッ! と伸ばし切っている。よくも足が攣らず、それとも筋がピンッと切れてしまわないものだと感心してしまう。
 それにしてもこれ以上は息が続かない、本当に死んでしまう――と思ったところで、動画の面白いところはちょうど終わった。『トクテクト・バーガー』の店内でファンサービスに応じるため、ニトロが変装のために付けていたアイテムを外していっている。ちょっとした手品の種明かしといった趣があるその光景も周囲の人々を楽しませていた。
「まさか……あの時、こんなことが、起こっていたなんてねー」
 未だ震える声でティディアが言うと、
「ぶふっ!」
 ヴィタが再び吹き出した。本日畳みかけての積み重ね――ティディアの言葉により、ヴィタのツボをついた三つの出来事が脳裡に同時に蘇ってしまったのだ。彼女の脳内面白編集機によって自動的に一つの出来事にされた一連の話題が、
「ッ……ッッ! ッ!」
 完全に横隔膜の機能を止めてしまったらしい。ヴィタが真っ赤になって口を喘がせる。その双眸には珍しく涙が浮かび、しかしそれは苦悶と言うよりも恍惚であった。
 そして、執事のその様子に、ティディアもまた刺激されていた。笑いは人に伝染する。それが同好の士の間とあればなおさらだ。
 さらに、もう一つ。
 笑いを堪えようとすると、何故だろうか? 例え目にしているものが面白くない芸であったとしても不思議と笑いを誘ってしまうものだ。そうして笑いを我慢するという己のぎこちなさ自体そのものが笑いの口火となって、あまりに我慢すると、爆発してしまうものなのだ。
「――ばふっ!!」
 今のティディアこそがまさにそれであろう!
「――――! ヤー!」
 爆発した笑い声が彼女の肺から空気の全てを押し出した時、彼女の声帯が作り上げた声は本当に笑い声だったのか、それとも悲鳴だったのか。
「――――――――――――ッ……!!」
 涙を流してティディアは悟る。
 ああ、このままではニトロに笑い殺されてしまう!
 ニトロ――ニトロ!?
 画面の中の彼は、素早く店の前に迎えがやってきてくれたため、ファンサービスを求める人数がどうしようもないレベルになる前にそこから離脱していく。
 彼の背中がティディアの視界を埋める。
 酸素不足のために辺縁から暗くなり出した視界の中心で、彼の背中だけが輝いている。
 嗚呼、ニトロ!
「ティディア?」
 その時、ニトロの声がした。
「あれ? ヴィタさん? あれ? もしもーし」
 それはエア・モニターから聞こえてきていた。
 だが、映像はインターネット上の動画のままだ。
 ティディアは目を点にして、ふと気がつくと、己の呼吸器がおよそ正常な機能を取り戻していることに気がついた。
「おいッ、そっちからかけてきてどうしたんだ!?」
 応答のないことにいらついた声が、ティディアの意識をはっきりとさせる。
「――ああ、ごめんね」
 ティディアはそう言いながら、涙を拭った。まだ少しひくつく横隔膜を落ち着かせ、見れば、青息吐息のヴィタが震える手で携帯を操作していた。
 日課の、漫才の練習の頃合だった。
 しかし、ヴィタが回線を繋いだのは単に約束の時刻となったからではあるまい。彼女も解っていたのだろう、この闇雲な笑いの泥渦に飲み込まれた私達を岸へすくい上げるには何かしらの介入が必要だったということを。
「ちょっと、遅れちゃったかしら?」
「いや、そんなことはないけど……ところで、何で『音声オンリー』なんだ?」
 問われたコンマ一秒後、
「着替え中なのよ」
 自分でも驚くほど、ティディアは自然と取り繕った。そして取り繕った後に、にまりと――同時に恥ずかしさに頬を染めて――笑った。
「ね、見たい? 今、上半身裸なの」
「……」
 ニトロは応えなかった。
 そしてその沈黙には、明らかに不機嫌があった。
 彼は、もしかしたら、こちらが“彼の動画”を既に見ていることを察しているのだろうか? それとも、ただ『クレイジー・プリンセス』に降りかかった珍事のことを思い、そこで恥ずかしいデマを流布されたことを怒っているだけなのだろうか。
 ティディアは思わず彼にも降りかかっていたその珍事を話題にしようと口を開きかけたが、
「――」
 いや、止めておこう。
 今日はもう、満足だ。
 あの動画だけでなく『トクテクト・バーガー』の新商品の話もあるのだが、そちらも自然と動画に繋がるから止めておく。話のネタに、と食べておいたジャンクフードであったが、それを私と同じ日に彼も食べていたのだと知れただけでも幸せだった。
 それに、何事であれ、下手に彼を突ついてさらに機嫌を損ねたくはない。
 折角の誕生日会も――そう、全力を傾けるべき時は、もう間近なのだから。
「学校では、ちょっと嫌な思いをしたかしら?」
 とりあえず共通の話題を見つけ出し、それを口にしながらティディアは着ていたドレスを脱ぎにかかった。ヴィタは素早く『お忍び』のために用意してあったトレーニングウェアを手渡してくる。
「おかしなことはするなよ?」
 ニトロが険のある声で言ってくる。ティディアは苦笑し――しかしそれはヴィタには少し寂しげに見え――それから肩をすくめた。
「安心していいわ。私はつまらない人間を相手にしていられるほど暇じゃあないから」
「嘘付け、暇だらけだろ」
「あらひどい。何で?」
「何でもなにも、こんなお遊びに付き合わせ続けているじゃないか」
「遊びも真剣にやれば商売にもなるし、それこそ本気になるものよ。いいえ、本気で遊んでこそ何事も価値があるってものじゃない」
「てことは何事もお前に取っちゃ遊びって事かい」
「あら鋭い」
 ティディアは笑った。ニトロは鼻を鳴らしている。映像がなくても彼の様子が目に浮かぶ。着替え終えたティディアはヴィタに指で合図をしようとしたところでふと思いつき、トレーニングウェアのジッパーをみぞおち辺りまで下ろし、胸襟を大きく開いて下着を、胸の谷間を露にした。それから再度ヴィタに合図する。と『音声オンリー』の通話が『電映話ビデ-フォン』に切り替わり、エア・モニターに部屋着姿のニトロが現れた。
「っ」
 その時、ふいに猛烈な気恥ずかしさを感じたティディアは慌ててジッパーを喉元まで引き上げた。するとその様子を見たニトロが半眼で言った。
「身だしなみが、だらしないな」
「やー、恥ずかしがっている女の子相手にそんなこと言わないでよ」
「恥ずかしがるような女の子ならちゃんと着替え終えてからカメラをオンにするもんだ」
「……でも、着替えの最後だけでもちらっと見られて、興奮しない?」
「……」
「ごめんなさい」
「よし。それじゃあさっさと始めるぞ」
「はーい」
 まるで先生と悪戯小娘のようなやり取りに、エア・モニターの向こうにいる執事が楽しげにこちらを見つめている。彼女はもうすっかり調子を取り戻し、涼やかに、綺麗な両手をすらりと開いて本日の練習時間は残り10分だと知らせてくる。
 その様子を目にしたティディアは、ふいに胸にこみ上げてきた思わぬほどの感動にふと微笑み、そしてニトロをじっと見つめた。
「ねえ、ニトロ。
 貴方には自覚がないのでしょうね」
「……何の?」
「貴方は女殺しで、そして人を救うのよ」
「はぁ?」
 本気で訳が解らないという顔でニトロが首を傾げる。
 画面の中、彼の背後に怪訝な顔をするアンドロイドがほんの一瞬見え隠れした。
 こちらのカメラに映らないところでは、麗人が藍銀色の髪を揺らして笑っている。
 そしてティディアは、自らが口にした言葉に不思議なほど大きな幸福を感じながら、悪戯っぽくウィンクをしてみせた。
「さ、今日はニトロがジゴロを演じるヤツを合わせましょう?」

23:35 ―大吉― (ニトロ:ラスト)


 一秒一秒一日の終わりが近づく中、ニトロは穏やかな気分で過ごしていた。
 今朝は早くから起きて、色々なことがあって、嫌なこともあって、あのバカにはまた遠回しに痛い目に合わされたが、しかし、全体的には良い一日だったと思う。
「オ味ハドウダイ?」
 心落ち着かせるハーブティーを傍らにクッキーを齧るマスターへ、洗濯物を畳みながら芍薬が問う。
「普通だよ」
 女友達が焼いて持ってきてくれた、市販のミックス粉から作られたクッキーをまた一つ口に放り込み、それをゆっくりと味わいながらニトロは続ける。
「だけど、最高に美味しい」
「ソウカイ」
 マスターの微笑を写したかのように、芍薬もまた微笑む。そして、
「モウ一ツ、寝ル前ニ良イ思イヲシテミルカイ?」
「面白い言い回しだね。何?」
「主様ガ拾ッタペンダント、持チ主ガ二人見ツカッタヨ」
「二人?」
 怪訝に眉をひそめるニトロへ、芍薬はアンドロイドの頬を体温が感じられるほどの様子で緩めてみせる。
「一人ハ、アノペンダントヲフリーマーケットデ買ッタ女子大生。
 モウ一人ハ、四十年前ニソノペンダントヲ恋人カラ贈ラレタ女性」
「それで?」
「昔ノ持チ主ハ、ソノペンダントヲ恋人カラ『婚約指輪』ノ代ワリニモラッタンダ。ソウイウモノヲ代ワリニスルクライダカラ二人トモ貧シカッタ。恋人ハ鞄職人ノ見習イデ、ソノ女性ハ学生デ、ダカラ当然ノヨウニ親ニ結婚ヲ反対サレタ。何度モ喧嘩シテ、トウトウ母親ニ大事ニシテイタペンダントヲ当時住ンデイタ家ノ前ノドブ川ニ投ゲ捨テラレテシマッタ。ソノ日ハ大雨デ、川ハ増水シテイタ。飛ビ込モウトスル女性ヲ恋人ガ抑エタ。水ガ引イテカラ必死ニ探シタケレド、ドコニモ見ツカラナイ。娘ト親ノ関係ハ修復不可能ニナッタ、ソシテ二人ハ駆ケ落チシタンダ。――恋人ハ結局専業ノ鞄職人ニハナラナカッタケレド、今デハ革製品ノ修理工トシテ大成シテ店マデ持ッテイル。ソノ傍ラ、時々コツコツトオリジナルブランドノ製品ヲ二人デ作ッテ、幸セニヤッテイルソウダヨ。
 デモ、イクラ幸セデアッテモ、女性ニハドウシテモアノペンダントノコトガ気ガカリダッタ。時ガ過ギテ父ガ死ニ、一人残サレタ母親ガソノ時ノコトヲ本当ニ後悔シテイルト親戚伝イニ聞キ知ッテ、恋人ノ――夫ノ勧メモアッテ、スッカリ弱ッテシマッタ母親ト和解ヲシタンダ。
 ケレド、ソウナルト彼女ハ一層ペンダントヲ取リ戻シタイ。ソレガドンナニ可能性ノ低イコトデアッテモ……モシカシタラ誰カガ拾ッテクレタカモシレナイ、ソウ希望ヲ抱イテモイイダロウ? ダカラA.I.ニ常ニWebヲ調ベサセテイタ。写真ダケハ残ッテイタカラ『イメージ×イメージ検索』ヲ定期的ニカケテ、遺失物情報ハモチロン、リサイクルショップヤ古道具店、質屋ナンカノWebサイトモズット巡回サセ続ケテ。自分モ機会ガアル度ニソウイウ店ヲ覗イテ探シ続ケテ。
 ――虚仮ノ一念。
 女性ハ、トウトウ見ツケダシタ。
 ソレハ本日20時過ギニ王都第三区ノ『街角拡張現実ディストリクト・AR』ノ落シ物情報ニ登録サレ、交番ニ届ケラレタ。
 一方ノ女子大生ガソノペンダントヲ手ニ入レタノモ、今日ダッテ言ウンダ。王立馬事公園ノフリーマーケットデ目ニツイテ、裏ニ描カレテイタイラストガ好キナ鞄屋ノ――実際ニハ修理屋ダケドネ――“バッグプレート”ニ描カレテイル『小鳥トキスヲスル猫』ノ雰囲気ニ似テイタカラ一目惚レシテ買イ求メタ、ト。
 ソウサ、主様、一緒ニ確認シタダロウ? 『鳥ノ巣ニ眠ル猫』――アレコソガ二人ノ愛ノ証明ダッタノサ。
 サア、モウ分カルヨネ? ソウダヨ、二人ノ落トシ主、ソシテ二人ノ持チ主ハ、互イノ顔ヲ見知ッテイタ。女子大生カラスレバ気ニ入リノ店ノ奥サン、女性カラスレバ……偶然ニモ、本日店頭デ限定販売シテイタ鞄ヲ買イ損ネ、ヒドク肩ヲ落トシテ帰ッテイッタ御客サンダッタ。交番ニ駆ケツケテ、互イニ顔ヲ合ワセタ時ノ驚キヨウッタラナカッタソウダヨ。
 ソノ顔ダト、コレモ解ッタネ? ソノ通リサ。主様、あたし達ガ交番ニ見タ人達、コノ話ハ、ソノ人達ノ物語ダッタンダ。
 カクシテ、女性ハペンダントヲソノ手ニ取リ戻シタ。女子大生ハ御礼ニ欲シガッテイタ鞄ヲ特別ニ作ッテモラエルコトニナッタ。メデタシメデタシ――サ」
 驚きと感嘆の心持ちで話を聞き終えたニトロは、ほうとため息をついた。
「偶然も奇縁も極まってる……っていうか……」
「タマニハイインジャナイカイ?」
「まあ、確かにたまには『事実は小説より奇なり』って出来事を実際に聞くけどね……でも、それが自分達がちょっとでも関わってるとなったら話は別だよ」
「御意。
 ――デモ、主様ガソンナコトヲ言ッテモ正直説得力ガナイヨ?」
「それは痛いところだ」
「フフ。ゴメンヨ、主様」
 芍薬の笑顔にニトロは苦笑し、
「だけど、何でそんなに詳しく知ってるの?」
「詳シク載ッテイタカラサ」
「どこに?」
個人報道インディペンデント・レポートノ合同サイト。モシカシタラ『ニトロ・ポルカト』目当テダッタノガ、ソレトハ別ニコノネタヲ見ツケタノカモシレナイネ。“心温マルエピソード”ノカテゴリデチョット話題ニナリ出シテルヨ」
「そっか……」
 小皿に出したクッキーの最後の一つを食べ、ニトロは物思わしげに空を見て、それからにこりと目元を緩ませた。
「確かに、たまにはこういうのもいいもんだね」
「御意」
 話しているうちに洗濯物を全て畳み終えた芍薬は立ち上がり、駆動音どころか足音すらなくテーブルに歩み寄ると、ニトロの向かい側に座った。
「明日モ早イヨ、主様」
 時計を見ると、もう0:00まであと数分。
「そうだね。もう寝ないと」
 明日は祝日であるため、ニトロは両親をある港町の朝市に連れて行くことを約束していた。その漁港はハラキリにパトネトの誕生日のための金冠エビを買いに行ってもらった所で、そこで親友は一軒の美味なる店も見つけてきたのだ。外観はとても汚くて、というよりも今にも崩れそうなボロい店で、しかし料理は目が飛び出るくらい美味いのだという。ワーカホリックな老人が一人で切り盛りしているというその店の話を聞いたニトロに、料理好きの父と食べることが好きな母を連れていかない手はなかった。
 ……孝行は、できる時にしておいた方がいい。
 ハーブティーを飲み干し、歯を磨いてきたニトロがベッドに入ると、睡魔は待ちかねていたようにすぐさま彼の瞼を下ろしにかかった。
 カーテンを引き、部屋の明かりを落とした芍薬は、機械の体をマスターのベッドの向かいとなる壁際に座らせる。充電器のコードを首の後ろにつなぎ、アンドロイドのオペレーションシステムをスリープモードに移行させながら、芍薬は言った。
「オヤスミ、主様。良イ夢ヲ」
 早くもまどろみながら、ニトロは微笑んだ。
「おやすみ、芍薬。良い夜を」

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