８月２９日の夜のこと。
王城のパトネトの部屋にやってきたティディアは、部屋に入るなり首を傾げた。
ベッドにうつぶせに寝転んで、パトネトが、極めて珍しくバラエティー番組を見ていたのである。それも耳障りなほど賑やかな番組だった。下世話な話題が中心であり、明らかに弟の好みからも大きく外れている。何らかの資料として見ているなら理解もできることであったが、しかし、弟は明らかに楽しんでいるようだった。
「面白い？」
ティディアは訊ねてみた。
「ん〜ん」
弟の返答は、不思議なものだった。喉を鳴らすだけのそれは確かに否定だったように思う。しかし彼は眼前に浮かべた
フレアの繰るアンドロイドが隣の工作室から小さなテーブルと椅子を運んできた。
「……面白くない？」
ベッドサイドに置かれたテーブルにティディアは持ってきた茶器を置き、それから弟へもう一度訊いてみた。ティディア本人は、ディティナに対して何の興味も抱いていない。自分を茶化したそのキャラクター性についても、何の感情もない。そもそも自分をパロディにしたりカリカチュアに用いたりする作品は基本面白いか面白くないかで断じているし、その基準で言えば、彼女の出ていた深夜ドラマは面白くなかった。ただ、その“面白くない”は突き抜けていた。そのためドラマは逆に話題となり、最悪の役者揃いの中でも輪をかけて演技が下手な主役のディティナが脚光を浴びた。作中の決めゼリフ、というか一発ギャグ。ドラマの中である意味最も完成度の高かったそのアクション、そのパワフル、そのインパクトが彼女をブレイクに導いたのである。ただし、トーク力も演技力もない彼女はここで一皮剥けなければ、彼女自身が演じた傲慢な落ちぶれ元貴族のごとく転落街道を全力疾走することになるだろう……それが、ティディアの彼女への理解だ。
そう、理解。
ティディアのディティナに対する心象は、その『理解』だけであった。
しかし、もし彼女が弟の心の琴線に触れるものがあったというなら、理解を超えて研究する必要があるだろう。
ティディアは、パトネトの答えを聞くために、全身全霊の注意を働かせていた。
「ん〜ん」
すると、弟はまたも喉を鳴らすだけ。明確な言葉も、推察の材料もない。
「……」
パトネトは、しかし、ディティナが出番を終えて番組から消えるやすぐに
それはティディアに驚きをもたらすに十分であった！
「その子が好きなの？」
思わず問う。
「ん〜ん」
しかしパトネトの返事は変わらない。
＜☆右も！ 左も！ メシの種♪ ディ・ティ・ナ・でぇんす☆！＞
画面の中では、お馴染みの――そして出世ネタを渾身の勢いでディティナが披露する。確かになかなかの乳だ。パロディ元の王女よりもずっと大きく、最近の忙しさのせいか肌に艶はなくなっているが、若さに支えられ、さらにこれでもかと強調されたおっぱいは確かに武器だ。谷間を強調するためにひしゃげられ、ちょっとポロリの危険もあるほどビキニトップからこぼれ出る乳房の弾力に興奮するもよし。それともあまりにあからさまなセックスアピールに冷笑を浮かべるもよし。あるいはその画面から出てきそうな腹の据わった勢いに喝采を上げるもいいだろう。
画面の中には、それらそれぞれに合致する笑いがあった。番組のレギュラーであるコメディアンや男性タレント達の少々下品な笑い声がやがて静まり、と、
「うふふ」
一拍遅れて、小さく、パトネトが笑った。
「！？」
ティディアは仰天していた。
目を丸くし、持ち上げていたティーポットを落としそうになる。
「面白い……の？」
ティディアは訊く。
しかしパトネトは、
「ん〜ん」
同じ答えを繰り返す。
ティディアは――その時には、脳裏に幾つかの選択肢を得ていた。
「……」
横目に弟を観察しながら、ティーポットからカップに淹れてきた茶を注ぐ。その茶はカップに注がれるや、今までポットの中に封じ込められていた特有の香りを部屋に解き放った。
パトネトが、エア・モニターから初めて目を離す。そして姉の持ってきてくれたものが何であるかを悟り、彼は体を起こすやベッドの端に移動して、ちょこんと座った。
「今日、送られてきたの」
東大陸から届いた鮮度抜群のカロルヤギの乳。それをティディア手ずから、妹に教わったレシピ通りに淹れたルッドランティーであった。
「ミリュウ手作りのフレッシュチーズもあるから、明日ピザにして食べましょう」
「うん！」
ベッドの外に投げ出した足をぱたつかせながらパトネトがうなずく。
「どうぞ。こぼさないようにね」
ティディアに促され、パトネトがテーブルの上に置かれたカップに両手を伸ばした。爪の間に少しだけオイル汚れの残った指で取っ手をつまみ、そろそろと口元に運ぶ。
一啜りしたパトネトの顔に、満面の笑みが刻まれた。
「おいしい！」
「ふふ、ありがと」
ティディアは椅子に腰掛け、優雅にルッドランティーを口にする。正直、妹の淹れたものの方が上等だったが……まあ、上出来だろう。
「……」
パトネトは足を機嫌良さげに揺らしながら、再びエア・モニターに目を移していた。見やすい位置に画面を移動させて、再度ディティナの登場シーンから繰り返す。どうやら弟はその場面と、付随するトークだけを見ているらしい。さながら幼子が親に何度も同じ本を読んでもらいたがるように、繰り返し、繰り返し。
「うふふ」
パトネトは、また同じところで笑った。しかしそれは画面から響く笑い声が示す“笑いどころ”からやはり一拍遅れていた。
「……」
しばらくすると、番組のレギュラーの一人がディティナの真似をした。下手くそなモノマネに乾いた笑いが空しく流れる。そして、
「んふ」
一拍置いて、パトネトが笑った。先ほどはスルーしていた場所だったが、何か琴線に触れるようになったらしく、今度は笑った。
「……」
ティディアは、おおよその確信を持って、脳裏の選択肢を絞っていた。
まず、落ち着いて弟を観察してみて分かったことに、彼が笑うのは画面を見てのことではない……というものがあった。キッカケは画面の中の一発ギャグだが、それを目にした後、彼は瞳を上向けている。ディティナ本人の時も、モノマネの時も、必ず、何かを思い出すように瞳を上向けているのだ。
「ねえ、パティ」
ティディアの呼びかけに、パトネトは応えない。パトネトは画面を見続けている。が、その注意がこちらにも向いていることを察して、ティディアは訊ねた。
「ひょっとして、ニトロが、その女のことを好きなのかしら」
するとパトネトがティディアへ振り向いた。
しかしパトネトはすぐに顔をそらし、目を画面に戻す。そして、またディティナの登場シーンへと巻き戻す。
「ん〜ん」
パトネトは喉を鳴らして応えた。
（……ふむ）
ティディアには、それで十分だった。
（ニトロに関係あることには間違いない）
ルッドランティーを飲みながら、彼女は飽きずにテンポ遅れの笑いを作っている弟から目を離した。
（そして、パティがこういう態度を取るということは――私にそれを話すとニトロに嫌な思いをさせちゃう……と、パティが思うようなこと――そんなところかしら）
ティディアの目は明り取りの小窓に向けられていた。その唇はカップの縁に触れていて、ほんの幽かに笑みを刻んでいる。
「あはは」
ルッドランティーを楽しみながら、バラエティー番組の録画を通してパトネトは過去の何かを繰り返し楽しんでいる。そして、繰り返しながらも、その中で少しずつ笑いの色が変わっているのは、きっと“どうしてそれが面白いのか”を――あるいは“面白いはずだったのか”を――過去の何かとすり合わせて彼なりに再解釈・再発見しているからだろう。
ティディアは、目を細めた。
閉じこもっていた弟の心が開かれていく、まさにその瞬間に。
そして、
（機会があったら、ニトロにカマをかけてみよう）
＜☆右も！ 左も！ メシの種♪＞
（ティ・ディ・ア・でぇんす☆）
――と、その企みに。
終