黄金に輝く

(第一部のしばらく後)

 西大陸にマナランという町がある。アデムメデスでも有数の穀倉地帯であるアボド平野の隅に位置し、大昔は集められた収穫物を各地に運ぶ拠点として栄えた。が、高速道路や飛行場など新たな輸送手段が増え、また取引先の盛衰に伴う主要輸送路の変化や市場の移転等がある度に力を削られ、衰退の一途を辿ってきた町である。
 そのマナランが今、晴れやかに活気づいていた。
 特に何が変わったわけでもない。未だ作物は東を抜ける高速を通過して行くし、あるいは北にある空港から頭上を越していく。南西の港の荷も西よりの環状路へ流れる。海のレジャーを求める者もその路を沿う。過去には穀物を山と蓄えていた倉庫街は旧跡となり果て、輸送業者を癒やした宿街は寂れて久しい。
 確固とした産業もなく、それでも土地を離れられぬ人々が何とか仲間内で経済を回す困窮は終わっていない。
 だが、マナランは希望に沸き立っていた。
 何故なら、マナランはこれまで何度も振興策を講じては失敗し続けてきた――しかし努力は無駄ではなかったと知ったからである。その挑戦と挫折の歴史が、希代の王女の目に留まったのだ。

 その日、ティディアはマナランの市役所前広場にあつらえられた演壇にいた。
 広場はマナラン市民全てが集まっているかのように人で埋まり、各メディアの報道陣がその映像を全国に配信する。寂れた町が錆を落とすように身震いしていた。そして、慈悲深くも町の復興のため、格別なるお力をお貸し下さるという姫君に期待の熱視線を注いでいた。
 あの過去の栄光を取り戻す時がきたのだ!
 数々の改革を行い国を高め続ける王女は誰もが驚き誰もが注目する計画を用意したと言う。
 サプライズ!
 それはまだ誰も知らない。家族も、側近も、『恋人』も。まだ美しい姫君の胸の内にある、家族も側近も『相方』でもある彼ですらも驚くものだから楽しみにね、と麗しの姫君は言う。
 計画の発表を前にして、既にマナランには国中の目が注がれている。それだけでも素晴らしい成果。この上、ティディア様は何をもたらして下さるのだろう。
 ああ、あの過去の栄光を取り戻す時がきたのだ!――マナランの市民が期待に胸を高鳴らさぬはずもない。
 ついに時は来た。
 演壇に立つ第一王位継承者が歓声を鎮め、そして、マナラン復興の始まりを高らかに告げた。
「この広場に『大便をする女の像』を建てる!」
 と。

 その計画が発表された時、マナラン市役所前広場に集まった群集は水を打ったように静まり返った。
 無理もない。演壇に立つ『町おこし』を担った王女様は、こともあろうに彼らの集まる広場にこそ糞を垂れる女の像を建てると言ってのけたのだ。唖然とするほかにない。中には理解が全く追いつかない者もいるだろう。実際、演壇の王女の両脇にいる市長をはじめ名士達はぽかんと大口を開けている。
「目指すはアデムメデス一の大きさよ。色は黄金、全部金色、全裸の女も全力のアレも物の見事に真ッ金々、夜はもちろんライトアップ! 微妙な光量でぼんやり不気味に浮かび上がらせるわ。ひょっとしたら幽玄厳かに見えるかも」
 王女は嬉々として語り続ける。
 誰も彼女を止められない。止めようとすることもできない。
 シンと静まり返った広場でただ一人、あらゆる視線の集まる壇上で笑顔を弾けさせる姫君――クレイジー・プリンセス・ティディア――希代の王女にして、色んな意味で無茶苦茶な第一王位継承者。彼女に疎まれることは即ち社会的な死を意味し、つれて実際の死にもつながる恐怖の存在!
「臭いも再現しようと思うの。流石に常にそれだと厳しいだろうから、日に三度、スメル放出って感じで、こうプ〜ンって」
 瞳を輝かせる最強にして最凶のお姫様に、何か反対意見をぶつけるなど誰にできようもない!
 沸き立つ希望から一転、マナランは失望の底にあった。未来図を描く声が愉快気であればあるほど絶望の色が増していった。
 しかしその頃から、一方、失望の底にある一つのものが芽吹き出していた。絶望の色の裏側から透き抜けてくる光があった。
 そうだ。ただ一人、この悪夢を修正し得る人がいる。彼がいる!――誰もがそう思い始めたその時だった。
「あほーぅ!」
 市役所玄関から広場へと、期待のツッコミがえらい剣幕で飛び出してきた。
 歌うように流れていたティディアの饒舌がぴたりと止まった。
 同時、マナランの群衆は駆けつけてくれた期待のツッコミの効力に歓喜し、歓声を上げようとしたところでまた、同時に、一様に、息を飲んだ。驚き? 無論それもある。しかしそれ以上に群衆は大きな戸惑いをもって彼を――声と物言いからして間違いない、ニトロ・ポルカトを迎えていた。
 皆の作る広場の得も言われぬ空気に気づいた少年が足を止める。どこか気まずそうにもじっとする。が、彼はすぐにその感情を別の形に変換することに成功したらしく、気を取り直して肩を怒らせると棒立ちの警備隊の間を縫ってずかずかと王女の立つ演壇に登った。
 一段高い場所に上がった彼を、陽が明るく照らした。
 すると彼は、見事きらびやか、黄金に輝いた。
 上から下まで過度にラメった真ッ金々のシャツとスーツとシューズに身を包み、同じく金色の蝶ネクタイを喉元に煌めかせ、日当たりの良い衆人環視の中心で、彼は実にゴールデンに光を放ったのだ。
 あまつさえ髪はショッキングピンクに染められている。派手に派手が合わさるコーディネートには一種奇妙な収まりがあるものの、しかしそれでも彼には似合わない。ひどく似合わない。いや、解っている。それは間違いなくこの後のイベント、そこで行う漫才のための衣装だ。しかし、だからって、ニトロ・ポルカトの性質を思えばこれは「どうしちゃったの?」と精神にお伺いを立てるレベルである。市役所前広場が息を飲むほど戸惑ったのも、無理のないことだった。
 ニトロが演壇の王女と並び立つ。
 ニトロを迎えた王女ティディアは、おかしなことだが、彼女も聴衆らと同じく戸惑っているようだった。今にも「どうしちゃったの?」と問いかけそうに深い困惑を眉根に潜ませ、じっと『相方』を見つめ、
「やだ、こんなに似合わないなんて!」
「うっさいわ! 分かってるわ! 俺だってスタッフがこれ持ってきてから小一時間悩んだわ!」
 ティディアはふむとうなずき胸を張り、
「その時間を計算してスケジュール組んだ私、大正解!」
「黙れこの馬鹿!」
 怒鳴るニトロに対して、ティディアはぶりっ子ぶって口を尖らせ、
「何よぅ、そんなに怒鳴らなくてもいいじゃない。第一それ、ここの市旗を元にしてるんだから文句があるなら元市長に言ってほしいわ」
 瞬間、マナラン市役所前広場が一つの理解に支配された。
 マナラン市の市旗は、二代前の市長の手で金とショッキングピンクのチェック模様に改められた。中央にはビビッドカラーで七色に染め分けられた、輸送の拠点であった過去を誇る、トラックを図案化した市章。
『町おこし』の一手、とにかく注目を集めるための奇策。そして確かに注目を集め話題になったが、それもすぐに忘れられ、今では悪趣味な市旗・市章として笑い物になっている負の遺産。
「スタッフに伝えるよう指示していたけど?」
「聞いたよ」
 歯噛むようにニトロは言い、そこで大きく息をつき、
「それで思い直した。金とショッキングピンクのチェック柄な全身タイツに車の被り物をさせられないだけマシかと思ったんだ」
 肩をすくめ、洒落めかせてそう言った。その口調と様子とに、聴衆の気が和らいだ。彼の言うことはもっともだ――と、安堵にも似たものが皆の心を緩ませる。幾らかの人には笑顔も見られた。そして一人だけ、険しく――渋面を作る者がいた。ティディアだ。
「しまった。その手がもっと嫌がらせになったか」
「嫌がらせだったのかい!」
「え? それ以外に何があるの?」
「いや半分判ってたけども! ここは誤魔化しでも『マナラン縁に合わせまして』ってことにしとけよ!」
「いやだから、マナランへの嫌がらせなんだってば」
「そいつぁ全然判らなかった!」
「何でよ! 私がニトロに嫌がらせするわけがないじゃな−あ痛! え? 何でビンタ?」
「二重にド肝を抜かれて思わずな!」
「そんなに驚くことかしら!」
「何をちょっとキレ気味か! あれか、人の振り見て我が振り直せの逆用か、悪用か? 見てみろ、皆さん思わぬ上に遠回し過ぎる攻撃にビックリ眼だ。市長さんたらあんなに目が丸くなってら!」
「あら、そんなに目が開くなんて立派な芸だわ」
「感心しろって言ってんじゃないわ! 大体『大便女の像』だけでもとびきりの嫌がらせだろう」
 その指摘に皆がはっとした。自分たちでもどうかと思う旗印への揶揄は正直――ニトロの対応のためもあって――苦笑いだ。しかし『大便女の像』は笑っていられない。この王女はやると言ったらやってくる。止められるのは、おそらく、君しかいない!
 聴衆の望む本題に入り、演壇に集まる眼差しがニトロへの期待に変わる。しかしそれらはすぐに戸惑いの色に再度染まった。今度はティディアが目を丸くしていたからだ。
 その様子にニトロまでもが困惑する中、彼女はいたく傷つけられたように叫んだ。
「嫌がらせだなんて、ひどい! 真剣に考えた一発ギャグなのに!」
「なおさら悪いわあ!」
 スパン! と、ニトロの振るった平手がティディアの額と小気味良い音を奏でる。
「言うに事欠いて一発ギャグ!? しかも下ネタとかお前マナランの皆さんの期待と税金使って何さらそうとしてんだ!」
「まあ、お聞きなさい」
「何だ、いきなりそのキャラは」
「ギャグと言ってもそれなりの集客効果は見込めるのよ」
「その心は」
「まず話題性は抜群よね」
「まあ王族が音頭をとって建造するもんの中じゃあトップクラスのバカ物だろうからなあ」
「銀河規模で笑えるわよね」
「笑われる、だ。解ってるだろう」
「でも芸術にもなると思うんだ」
「思うだけなら何だってな」
「根拠はあるのよ?」
「聞きましょう?」
「排泄を必要としない種族がいるでしょう? 少ないけれど。あちらから見ると排泄行為は生命が互いに支え合っている連鎖の象徴で、摂取したものを完全にエネルギーとして消費できる自分達に比べて非効率の象徴でもあるけれど、それがかえって不完全な生命の連帯を強めて神秘的にさえ感じるって。もちろん全員が全員そう考えているわけでもないけれど」
「つまり芸術はそれに因んで、継いで穀倉地帯のこの場で『我々も食物連鎖の中に』と高らかに示すと」
「そういうこと」
 思わずのため息がそこかしこに流れた。ニトロも感心顔でショッキングピンクの髪を揺らし、
「おお、意外にしっかりした理屈が出てきてビックリした」
「つってもウンコはウンコだけどね」
「台無しだー!」
 ニトロのショッキングピンクの髪が天を仰いで金ラメスーツが異様に乱反射する。派手な色彩は彼の動きを無駄に飾り立て、すなわち滑稽だった。
 しかし滑稽な格好とは裏腹に彼は言う。
「台無しだお前、そこでそう言っちゃったら台無しだ!」
「でもそうじゃない。ウンコを金と等価にすることはできてもウンコを金そのものとすることは不可能よ。認識相手に言葉遊びをするか、お薬で回路をねじ曲げるんなら話は別だけど」
「ええい、さも小賢しく並べ立ておって。話を別にするな、問題はやっぱり大便は大便だってことだろ。芸術でも大便だろ。やっぱ駄目だそんなん客を得るのと引き換えにマナランの皆さん何かを失っていくわ」
「そんじゃあ売り文句その2!」
「今度は何だ!」
「大便女はヌードです、下も上もすっぽんぽん」
「だから何だ、裸婦像なんぞ珍しくもない」
「造りは精巧、まるで生きているように、乳房は触れば柔らかそうに」
「無駄に力を入れるなあ」
「腰掛ける便器はシースルー」
「ん?」
「もちろん下から覗けば「わー! お前何言うつもりだ!」
「保健体育?」
「嘘つけ!」
「中学男子大喜び?」
「やかましいわ!」
「間違いなくスカトロ趣味は大喜び!」
「お前もう黙れ!」
「つまりこれは流行る!」
「流行るかあ! 話つながってねえし、排泄行為の像なんて流行るかあ!」
「何よ、つながってるわよ、信じられないことに全銀河中のスカト「だから黙れあほーぅ! ああ少年、そんなことお母さんに聞かなくていいんだよー」
「いずれ分かるからー」
「黙れってんだー。いい加減喉潰すぞー?」
「喉潰されたくないから売り文句その3!」
「まだあるのかよ!」
「これが肝心!」
「ようし、それならそこまで聞いてやる」
「こうでもしなきゃ、ここには売りがない!」
 ニトロは驚愕し、それ以上にマナランの市民こそが驚愕した。
「何という暴言! お前何言ってんの!?」
 ショッキングピンクの髪を逆立てニトロが叫ぶ。彼の指が、始めからずっと自分らを凝視している無数のカメラを指し示す。
「ここには『町おこし』にきたんだろ!?」
「だから頑張って起こそうとしているじゃない」
「裸婦を座らせようとしかしてねえだろが! その上、ここには売りがない!?」
「見栄でも張らなきゃ事実じゃない」
「なら見栄張らしたれ!」
「見栄張って失望売ってもリピーターは得られないわ」
「それはそうだけども!――いや、あるよ!? マナランの売り物、あるよ!?」
「例えば?」
「昨日今日来た俺に判るかあ!」
 突如ニトロにまで匙を投げられ、マナラン市民はさらに仰天である。
「それもそうね、じゃあ市長?」
 驚愕し仰天し両目を見開く市長は突然矛先を向けられ息を飲んだ。さらに目が見開かれ、もはや顔面の三分の一が目玉に支配されているようだ。
 市長がどもりながら何とか言葉を探す。しかしティディアは素早く見切りをつけて、
「そこのあなたは?」
 目の先にいる男性が、よもや自分にくるとは思っていなかった油断のために押し黙り、力ない誤魔化し笑いを浮かべる。
 それを頼りないと罵倒するように見ていた女に王女の問いの視線が突き刺さり、また力ない笑みが。
 次第に聴衆達は振りまかれる王女の視線から逃れるように目を落としていった。自分達の町への愛着はある。だが愛着だけでは『売り』を求める弁の立つ彼女を納得させられまい。もし愛着からくるこの町の美点を上げ、それを国中に映像を中継するカメラの前で『売りにならない』と否定されたとしたら――数々の失策の歴史の重みも合わさり、きっと耐えられなくなる。その恐れが皆を縛りつける。
「あ、そうだ」
 と、その時、ニトロが声を上げた。
 マナランは震えた。王女の『相方』として昨日この町にやってきた少年――少し前には期待をかけたニトロ・ポルカト。頼む、下手なことは言ってくれるな!
「ここには西大陸最古の上下水道の遺跡があるじゃないか」
「公衆便所もね」
 ティディアがうなずく。
 ニトロがどうだとばかりに胸を張り、そして彼は気づいた。ほぼ同時にマナラン市民も気づき、絶望した。
 ティディアが小鼻を膨らませて胸を張る。
「ほら、大便女でいいじゃない」
 クレイジー・プリンセスの暴走、奇抜にして悪意があるとしか思えない『大便女の像』なる案に、よもや、まともな拠り所が存在した。――その事実は強烈だった。
 確かに町の外れのさらに片隅に、埃を被り市民にすらほとんど忘れられている遺物がある。この町だけが、そう、唯一独自に自慢し得るものが!
 太古の旧跡がマナランの人間の脳裏に蘇ってきた時、付き従って皆の胸に去来したのは『決定』の二文字。――駄目だ、そんな由来があるのなら、あのクレイジー・プリンセスの突進を止めることなど不可能だ。
「だからって何で大便女だ」
 しかしニトロは言った。
「上水道もあるんだから水を飲む女、とかでもいいじゃないか」
 この国で最も権力を持ち、最も恐ろしい女性――覇王の再来とも噂される暴君を相手に彼は食い下がった。
 だが、彼女はつれなく、
「そんなの三日で忘れ去られる」
「だからって糞を垂れるのが必須ってわけでもないだろう」
「なら小便女」
「なぜに便にこだわるのかな!」
「生きてりゃ糞も小便も垂れるもんでしょう!? この町が生きてるからよ!」
 一瞬、ニトロは怯んだ。衰退し過去の栄光があるが故に侘びしさの増すマナランが、生きている、その言葉が持つ力に圧倒されたのだ。
 どうだ。とばかりにティディアが鼻を膨らませる――が、しかし、ニトロは頭を振り、
「うおお今納得しかけちまったけど、つかお前聞こえのいい言葉をいきなり放言しただけじゃねぇか、そんなんで押し通させるものかよ」
「ちっ」
「舌打ちすんな! それにだ! 裸婦像ってことはお前はまたぞろモデルが必要だとかで町の皆さん困らせるだろ?」
「そこは心配ない。モデルは私だから」
 次の瞬間、マナラン市役所前広場を、いや、アデムメデスを今日一番の驚愕が包み込んだ。
 今、この瞬間、問題はマナランのみに止まらなくなった。
 この『町おこし』を伝える報道陣には、これまでは、マナランの災難に同情しながらも他人事を眺める余裕があった。だが、そんな余裕は欠片も残さず消し飛んでいた。
 王女が、現役の第一王位継承者が、未来の女王が! 裸で排便している姿を巨大な黄金像にする!? それも下から覗ける形で!!?
 そんなことを許せば国の恥、汚点、ああ言葉が追いつかない。アデムメデスは銀河に末永く『大便女王の国』と語り継がれていくこととなろう!
「お前バカだろう!!」
 悲鳴じみたニトロのツッコミは、まさに的確だった。的確過ぎて、他の誰もが彼の言葉を追いかける必要がなく、彼は今、まさに国民の代弁者だった。
「いやもうホントに頭どうかしてるだろう!」
「そりゃあクレイジー・プリンセスだものぅ」
「何を嬉しそうに笑ってんだ!」
 ツパンと頭をはたかれてもティディアはにんまりとしている。
 駄目である。
 ホントにこの姫君はどうかしてる。
 ここで思いとどまらせねば、絶対に実行する。
 気づけばニトロの双肩に、マナランのみならず王国の誇りまでもがのしかかっていた。
 しかし彼にはそんなことを気にする余裕もない。彼は必死に考え、
「この町は、綺麗だ!」
 ニトロの主張は苦し紛れにしても平凡に過ぎ、なまじ姿がどぎつく派手であるために彼はどうしようもなく滑稽で、もう、笑いではなく哀れみを誘うことしかできない道化にしか見えない。
 少なからず、彼を見る目に目に諦めが漂う。
 それでも道化は言う、
「道は路地裏にもゴミ一つないし、どの店も綺麗に掃除されてるし、どこのトイレもピカピカだ。清掃ロボットの働きだけじゃない」
 ティディアは小さくうなずき、息を吐く。
「ひょっとしたら一番早く上下水道に公衆便所も作った流れかな。衛生意識が高いんだ」
「その当時とこの町に歴史的な繋がりはないわ」
「土地柄だよ」
「土に意志決定をさせる力があるってのはオカルトね」
 ニトロは片目尻を小さく歪めた。
 そして、彼は腕を組み、挑戦的に鼻を鳴らし、
「オカルトなんかじゃない。もちろんこの町の人の心がけに決まってる。そしてこの町は、綺麗なんだ」
 挑戦的ながらも一度言った内容を繰り返したに過ぎないニトロを、ティディアはため息であしらうように、
「どこが?」
「例えば旧い宿街」
 少し、広場に反応があった。高慢な王女への対抗心も疼いたか、対決するニトロの背を支えるように視線に熱がこもる。
「400年前の建物をそのまま使い続けてるんだっけ」
「空き家でも手入れは行き届いているわね」
「今でもそのまま宿に使えそうだ」
「でも100年前の都市改造で郊外になっちゃったから繁華街から離れてる。不便よ」
「道路網は解りやすくて歩きやすいから、問題ないさ」
「まあ輸送の拠点だったくらいだしねえ」
「それに街並みがレトロでいいんだ」
「レトロなだけじゃあ退屈よ。昨日、名物とかいう超絶レトロな馬車に乗ってみたけど? アイントからパッカパッカ運ばれるだけだったし、いくら立派な畑もずっとそれだけじゃ見飽きるし」
「おっと? あれが退屈だったと言うのか? 馬車でのこと、よもや忘れたとは言わせないぞ」
「あら、何かしたっけ。セッ「朗・読・会・だ! 突然脈絡もなくな! しかも無理矢理熱の入った演技指導までしやがっただろう!」
 ティディアはわざとらしくハッと胸に手を当て、やおら羞恥と期待と不安の全てを抱くように、
「『あなたはキスをしたことはある?』」
「やっぱ覚えてるじゃねえか!」
「『あなたはキスをしたことはある?』」
 ニトロはため息をつき、
「『ないよ』」
「『……したい?』」
「『……わからない』」
 ふいにやり取りされたセリフの情感に、どこかでため息が漏れた。
 それは文豪アデマ・リーケインの作。翌月には顔も知らぬ男に嫁ぐ、弟のように思っていた少年を男性として意識しだしてしまった少女と、三つ年上の少女を姉のように慕いながら、思春期に入り女性とも意識しだした少年との、触れ合いながらもすれ違う恋慕を描いた秀作――『麦の穂』。
 作中の二人と同じ年齢差の『恋人』が語らうには、たまらないものがある短くも濃密な一編。
「最近の研究で、アイントからマナランへの道すがら、馬鹿みたいに300年も続けている『赤字馬車』の中で一気に口述筆記したことが判ったそうよ」
 広場が、どよめいた。
「文学の論文にまでアンテナ張れとは言わないけどね」
 言外に自分達の町の名くらいにはアンテナを張れと含めるティディアの視線を引き戻すように、ニトロはため息をついた。
「それで最後の方は『まき』で進めさせたのか」
「どうせなら書いた時間に合わせたいじゃない?」
「解らないでもないけどな」
 ティディアは微笑む。そして、
「それにしても」
 ふいに不機嫌な様子で口を尖らせた。
「何で昨夜、黙って一人で出歩いたのよ」
「何だよ、悪いか?」
「悪いわ。私だって一緒にグリルチキン食べたかった! 何あの屋台、倉庫街の隅っこに出してる程度のくせに、何あのスパイス効いたトマトベースのソースに漬けこんで焼き上げるジューシーチキン!」
「……え? 何でお前、俺が食べたもの知ってんの?」
「つけてたからにきまってるじゃない!」
「ストーカーか!」
「あんまり寂しいからついニトロが食べたチキンの骨持って帰ってきちゃったもの!」
「てか性質の悪いストーカーそのものでした!?」
「骨だけ舐めてもあんなに美味しいものを一人で見つけるなんてズルいわ!」
「いや待て言葉も変だしそれより舐めたの? お前、まさか本当に舐めたの?」
「しかも何だか同席したおじさん達と仲良くなっちゃってさ! 私がどれだけ寂しい思いをしたと思ってるのよニトロのバカ!」
「バカぁ!?」
 バカ姫にバカと言われたニトロは至極心外とばかりに怒声を上げた。
「言うに事欠いてバカぁ!? お前にだけは言われたくないわ!」
「言われたくないんなら再来年私も連れてってよね! えーっと」
 と、突然ティディアが広場を見渡し、
「そこの屋台の爺さん! だから医療費ケチらず腰を治して絶対にそれまで店を続けてなさい! 保険も利くから! ついでにその借金、違法性があるから諸共そこの市役所まで要相談!」
 ビシッと伸びた彼女の指の先、広場に集まる人の隅っこで一人の老人が硬直した。
「それからそこのオヤジ! 速度違反の自慢なんかしてないでニトロに言われたとおりに安全運転! 彼と黒ビール飲みながらあのチキンを食べる約束、事故なんかで破ったら墓の中まで罰しにいくから!」
 改めて王女が指差した群集の中心部から、反射的に上擦った声が返る。
 驚くべきティディアの視力、そして識別能力であった。
 やや遅れて老人が声を――涙声を張り上げ返答し、クレイジー・プリンセスは満足げにうなずき、
「約束の頃には、あの寂れた倉庫街でフェスティバルなんか開けるようになっていたらいいかもしれないわね」
 ふっ――と、広場のどこかで鋭い吐息が漏れた。するとそれに刺激されたかのように、そこかしこでクスクスと笑いがこぼれ出した。
 やがて小さな笑いの起こりが大きな笑顔を引き寄せ、恐ろしくも親しみある王女様の偏屈な激励に、マナラン市役所前広場は愉快げな声と歓声に包まれていた。
 いつの間にか哀れみではなく笑いを起こせる道化クラウンに変じていた、ショッキングピンクの髪のゴールデンボーイ。最初から最後まで強烈なクレイジー・プリンセス。二人にくすぐられた町の長所が腹を抱えているようでもあった。
「さて」
 と、頃合を見て、ティディアが言った。
「それじゃあこれで気兼ねなく大便女の像を建てられるわね!」
「まだ造るつもりだったのか!」
 一仕事終えたつもりで気を緩めていたニトロが、半ば反射的にティディアをすっぱたく。
「当たり前よ!」
 叩かれたティディアが怒ったように言う。
「さっきも言ったけどこの町には売りがないんだから!」
 ニトロは首を傾げた。
「何言ってるんだ? さっき色々……」
「『売り』は、人を呼んで、かつて呼んだ人をまた呼び寄せられてこそ本物。さっきのは売りになりそうなだけでまだ『売り』にはなれていない」
「それは……そうかもしれないけど」
「それに今の話だけでどれだけ集客できるかしら。集客力の差もどう? 私の案は話題性は抜群で、しかもそれなりに長い月日をここに居座れる」
「いずれ飽きられるにしても、定番になるにしてもか」
 確かにそう言われてしまうとティディアの言い分に勝てるだけの材料がない。
 再び広場の活気が減りつつあることを肌で感じ、焦燥を覚えたニトロはふいに思いついたことをそのままティディアに投げつけた。
「分かった。大便女、了解だ」
 つい直前まで笑いに包まれていた広場が、悲鳴と抗議に包まれた。
「ただし!」
 騒ぎに負けずニトロは声を張り上げた。それはマイクを通して音の爆弾となり、爆発し、広場を一瞬にして沈黙させた。
 壇上にあってはマナラン市長ら名士を脇に置き、ティディアと並ぶ存在感で彼は言う。
「でっかいのは止めよう。逆にアデムメデス一小さい像にしよう。精巧なのも止めだ。意味がない。むしろそんなに小さいのに芸術的な彫刻である方がいい。便座は最古の形でもちろん有色。そして、そこに埋め込む」
 ニトロが指差したのは、市民達の足元。
「そんなの、それこそ意味ないじゃない」
 広場を一瞥するティディアにニトロは肩をすくめ、
「見つけられたら幸運が訪れるってことにすればいいんじゃないか? 定期的に位置も変えてさ」
「『ことにすれば』って、それもそう言っちゃあ意味がなくない?」
「意味がないことも意味があるようにするのは得意だろ?」
 問い返され、ティディアはうつむいた。2秒後、顔を上げた彼女は満面に笑み、
「確かにそうね」
「だろう?」
 と、ニトロがうなずいた、その瞬間。
 スッとティディアが顔を差し上げ、ニトロの唇に唇で触れた。
「ッ!?」
 ニトロが目を見張り後退りすると同時、これまでで最大の歓声が広場に沸き上がった。
 歓声の中、ティディアが自分の紅が薄く移ったニトロの唇を見つめる。それに気づいたニトロが唇を拭おうとするが、しかし、ティディアの鋭い眼差しが彼にそうすることはならないと強く警告する。
 ニトロはティディアを睨んだ。照れるなと声が飛ぶ。
 ティディアは唇を動かした。それが何か恋人への甘いセリフと見えたか、もう一度と声が飛ぶ。
 ニトロは、やがて観念した。ティディアが示したのは甘い言葉などではない。『謂われよ』――そう、彼女は彼の希望に応えたのだ。
「決定のキス、ね」
 歓声が薄まり、ティディアの声が皆に届く。
「それも公の場で、私達がした初めてのキス。ふふ、像を見つけてから『決定』のキスをした恋人達は、私達と同じね」
「……」
「私がモデルの大便女にはインパクトで負けるけど、まあ、良いところかしら」
 ニトロはおよそ無表情にティディアを見つめ続けていた。周囲にはそれが真剣な表情に取れ、真正面から彼を見つめ返す彼女にはもちろん彼が文句を噛み殺しているのだと知れた。知った上で、彼女は軽くウィンクをし、
「サービスしすぎちゃったわね、マナランに」
 ティディアのあくまで『悪びれぬ態度』にニトロは、ついに肩を落とした。
「まったくだ」
 その承知が発せられた瞬間、先にも増して広場に歓声が轟き、拍手が鳴り響いた。
 ニトロの承知は、皆の承知。
 とんでもない提案を皮切りにして、しっちゃかめっちゃかに振り回してくれたクレイジー・プリンセスの『演説』も最後は平和に収まった。
 鳴り止まぬ拍手と歓声の中でティディアは微笑を称えて手を振り皆に応え、促されてニトロもぎこちなく手を振る。
 数分も続いた喝采の最中、ニトロとティディアは幾度も目と目を合わせた。目と目で語り合った。わずかな表情の変化と取り合わせ、
『――よくも都合良く利用してくれたな』
『期待以上だったわ』
『いけしゃあしゃあとコンチクショウ。しかも全部アドリブってどういうことだ』
『必死だったわねー』
『必死にもなるわ』
『恋人のお尻を晒させないため?』
『断じて、お前のためじゃねえ』
『そうね。皆のため』
 二人を包むのは、改めて自分たちの町への情を温める人々の高揚感、そして、歓喜。
例え希代の王女の助けがなくとも、自ずから黄金となるであろう輝き。
『……いけしゃあしゃあと、コンチクショウ』
『これだからニトロ、大好き』
『これだからお前が大嫌いだ』
 彼と目を合わせるごとに微笑みを増す王女。
 彼女と目を合わせるごとに頬を動かし応える少年。
 端から見る限りは真に目と目で語り合う恋人に他ならず、いつしか場には二人への祝福までもが溢れていた。
 やがて、未だ歓声と拍手が残る中、ティディアは締めの言葉を結ぶために演壇に立った。
 彼女の言葉を聞くために、皆、静まり返る。
 希代の王女は歓びの余韻を残す広場をゆっくりと見渡し――と、突然、
「あッ!」
 ティディアは大声を上げたかと思うと勢い良くニトロへ振り返り、そしてまじまじと彼を凝視した。
 その様子はあまりにただ事ではなく、そのため緊張が走った。
 まさか、またクレイジー・プリンセスは妙なことを言い出す気じゃあるまいな?
 疑念と困惑の沈黙が広場を支配し、ニトロも戸惑いの目を投げる中、ティディアは叫んだ。
「ニトロ! あなたの出番はまだ後よ!?」
 刹那、ニトロの手がティディアの頭をスパンと叩く。
「今更かい!」

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