それは『ジャック・オー・ランタン』というらしい

「なにこれ」
 ハラキリに呼ばれてジジ家にやってきたニトロは、友人の部屋に入るなり開口一番そう言った。
「いや何と申されましても」
 ハラキリは窓を隙間なく黒布で覆い、外の光を一切遮断していた。そのくせ部屋の電灯は消されていて、代わりに床一面に並べられた蝋燭が闇の中に揺らめく光を放っている。
 蝋燭は数百本もあろうか。それでもオレンジ色の光は電灯一つの光には遠く、煌々と部屋を照らしながらも隅には影が残っている。
 そして、あっつい。
「蝋燭としか」
 部屋の真ん中には蝋燭に囲まれた円形のスペースがある。真ん中には丸い座卓があり、その周りに四人ばかり座ればもう面積に余裕はない。足を伸ばしあえば誰かが外周を縁取る蝋燭の火に焼かれるだろう。
 ハラキリは、薄汚れたボロボロの衣服を身に纏い、なんか長い白髪のカツラを被って座卓の前で正座していた。
 彼も暑いのだろう。額には大粒の汗が滲んでいる。
「蝋燭なのは解るよ。なんでこんなインテリアにして、そんな格好してるんだって聞いてるんだ」
 とりあえずニトロはフスマを閉めて部屋の中に入り、ハラキリの向かいに座った。
 すっとハラキリが紅茶を差し出してきた。蝋の燃える匂いと混じり、本来心地良いはずのフレーバーが奇妙な臭いとなって鼻をつく。しかも、またあっつい。
「……暑くないか?」
 湯気の立つ紅茶を一口だけすすり、冷めるまで待とうとティーソーサーにカップを置きながらニトロが言うと、ハラキリは軽く首を振った。
「心頭滅却すれば火もまた涼しと申しまして……」
 あぐらをかいたニトロは座卓に肘を突き、しばし友人を眺めた。ぽたりと彼の顎を伝って汗が落ちた。
身体しんたいは正直なようだけど?」
「ええ、正直あっついです」
「じゃあこんなんやめればいいじゃないか」
「そうもいかないんですよ」
 じんわりと遠赤外線が体に染みこんできているような火照りが、ニトロの体を温め続けていた。もう少しすれば、体の中から水分が押し出されてくるだろう。
「なんでさ」
 全く納得がいかずニトロが問うと、ハラキリは笑った。
「こういう祭りらしいので?」
「祭り?」
 妙なことを言い出したハラキリに、ニトロがおうむ返しに訊ねたその瞬間――
 バガン! と派手な音を立てて背後のフスマが開かれた!
「!?」
 突然のことに驚いてニトロが振り向く。弾みでティーカップが肘に当たり倒れて紅茶がこぼれた。
「トリーック オーーーア トリィィィィィィィィィィィィトーーーーー!!」
 慌ててカップを戻せばいいのかそれとも突如現れた異様な姿の乱入者を相手にすればいいのか混乱していたニトロは、その脳天気な叫び声に、脳に電気を走らされた。
「ハッッピィ ハローウィイーーーーン!!」
 鼓膜を貫く強力な波動に脳が色んなところでショートする。思考が停止しそうになる。しかし! ニトロの本能が、落ちそうになったブレーカーを押し上げた。
「――って、いきなり何だ! 今回はどんなネタかティディア!」
「さあ一緒に、はいっ、ハッッピィ ハローウィイーーーーン!!」
「ハローウィイーーーーン! じゃなくて! ハッピーなのはお前の頭だし!」
 なにやら知らぬ単語を叫んで促す彼女は、体を裾が床まである黒マントで覆い隠し――
 そしてどういう趣向だか、首から上をどでかいカボチャの中に埋めていた。
 カボチャには目と口が刻まれて、悪戯を思いついた悪ガキの笑顔のような顔が作られている。くり抜いてある内部は仕込まれたライトに照らされ、大きな口の中では蠱惑の美女がカボチャの笑顔に負けぬとても楽しげな笑みを満面に浮かべていた。
「ほらニ・ト・ロ。トリック オア トリーーーート?」
 彼女はこちらに一向取り合わず、ただ珍妙なことを繰り返す。こんな熟語は聞いたことがない。何か……呪文のようだ。
「ええいハラキリ!」
 部屋に入り、カボチャの頭部を差し出し迫ってくるティディアに問うても意味がないと悟ったニトロは、ハラキリに顔を振り向けた。
「一体何事!?」
「ハロウィイーンというらしいです」
「ハロウィイーンかー。
 だからなにそれ!」
地球ちたまで行われている、とにかく誰彼構わずカツアゲする行事らしいですよ」
「トリーック オーア トリーーーーートォ」
「この呪文は一体なん……ええいもっと離れろこのバカ!」
「もてなさないとイタズラしちゃうぞっていう脅し文句だそうです」
「本当かそれ。なんかいつも思うんだけど地球ちたまの情報肝心な部分で歪んでないか?」
「さあ、何分遠い星のことですからねぇ。
 ちなみに、もてなすにはトゲトゲ葉っぱを魚の頭に刺したものを提供するのがいいそうですよ。それを渡すと喜んで悪霊が去るから結果的に魔除けになるそうです」
「なんか釈然としないけ……コノ、だから離れろってのティディア!」
「やー、ニトロ、そんな嫌がらないでおもてなししてよう。あ、でもイタズラできちゃうならそっちがいいかも。イタズラさせろー」
 迫るどころか抱きつこうとし始めたお化けカボチャを両手で突っぱね、ニトロは必死の形相でハラキリに問うた。
「てことはつまり、こいつは悪霊なわけか!?」
「まあ……話からするとそうなるんでしょうねぇ」
「で、これは魔除けの祭りなわけだな!?」
「そうなんじゃないですかね?」
「ニトロ、お祭りなんだから楽しくやりましょうよー」
「ようし分かった付き合ってやる!」
 ニトロはカボチャを両手で挟み込み、立ち上がった。つられてティディアも引っ張られるように立ち上がる。
 そしてニトロの手がティディアの両肩を掴み、そのまるで今にもキスをされそうな体勢に、カボチャの中の瞳がときめいた。
 その時だった。
「悪霊……」
 ニトロの首が、大きく反り返った。
「あれ?」
 ティディアは、うめいた。
 この体勢、多分、間違いない。
「ちょ、ニトロ! トリックオアヘッド違うトリート! トリック オーア トリィィ――」
「っっ退・散!!」
 凄まじい勢いで振り戻ってきたニトロの額が、カボチャの被り物を打ち抜いた!
「むご!!」
 バゴリと鈍く大きく鳴り響いたのは、カボチャが砕ける音だったか、それともその中の頭まで打ち抜かれた音だったか。
「っあ〜〜〜〜〜」
 どちらにしても強烈な一撃をもらったティディアは膝から崩れ落ち、そのまま膝を折って背後に倒れた。
 重い頭部から落ちていき、鈍く硬い音を立ててカボチャ頭が床に激突する。
 二度の大ダメージに耐え切れず、巨大なカボチャは真っ二つに割れた。
「これでいいかな!? ハラキリ君!」
 割れたカボチャの中から現れたティディアの顔を見て、完全に目を回しているのを確認したニトロは力強くハラキリに振り向いた。
 ハラキリはとうとう暑さに我慢できなくなったか、白髪のカツラを外しながら笑った。
「頭突きで魔除けとは豪快ですねぇ」
 そして、開け放しのフスマの向こうにちらりと目をやる。
 何を見たのかとニトロが振り向くと、そこにはいつの間にか全身を包帯で丁寧にラッピングしたヴィタが、マリンブルーの瞳を蝋燭の光に照らして輝かせていた。
 彼女の姿も『ハロウィイーン』とかいう祭り仕様なのだろう。いつもは髪の中に伏せてある狼の耳もピンと立ててある。こちらを見つめる顔は良いものを見たと至極満足げで、感情を隠しきれないのか耳がピコピコと動いていた。
「まあ観客も楽しかったようですので、いいんじゃないでしょうか」
 言って、ハラキリが立ち上がった。
「さて、ヴィタさん。おひいさんの介抱お願いします。復活したら食事にしましょう」
「かしこまりました」
 両足を折り畳んだ大の字で寝そべるティディアをひょいと担ぎ上げ、ヴィタが部屋から出ていく。
「あー、そうだよ」
 ふと、ニトロはハラキリの言葉にここに来た目的を思い出した。
「食事って、俺はハラキリがご馳走してくれるって言うから来たんだぞ? 日本にちほんの料理のレシピを仕入れたって」
「ええ」
 ハラキリは撫子が操作する――モデルはイチマツ人形というらしい――小さなアンドロイドが持ってきた大きな盆を手に、カボチャの破片を拾い集めている。アンドロイドは二つに割れたカボチャの片方を力任せに持ち上げると、そのまま去っていった。
「材料ができましたので、これから作ってきます。今日はカボチャのフルコースですよ。おひいさんとヴィタさんが腕を振るいましたので、ご期待を」
 カボチャの破片を全て盆の上に積んだハラキリは、残った片割れを小脇に抱えて部屋を出ていった。
 間を置いて、階段を降りる足音が聞こえてくる。
 ニトロは騒ぎに蝋燭が何本も倒れ、その内数本が火のついたままになっていることに気づいた。この家には本物の木材と紙がふんだんに使われている。火事になったら大事だと、慌てて火を吹き消した。
 しかし、ハラキリはその点ちゃんと対策をしていた。よく観ると、蝋燭の立ち並ぶ床や壁に薄い膜が張っているのが判る。スプレーして剥がせる、炎から物を守るコーティング材だった。
 ほっと、ニトロは安堵の息をついた。
「まったく……」
 わけの分からない催しをしてくれたものだが、まあ、珍しい異星の料理を食べさせてくれるならいいだろう。
 それと――
 ヴィタの腕前は知らないが、ティディアの腕は料理番組に乱入して有名シェフの鼻を折ったことがあるほどだ。まあ、そのシェフが『有名である』ことに頼って腕を落としていたのもあるが、しかし以前に食わされた手料理は悔しいけれどとても美味しかった。
 期待できるだろう。
「…………いや、待てよ?」
 ふいに、ニトロの腹が不吉を感じた。
 胃袋がさんざめく。
 腸が怯えて震え出す。
「いやいや待てよ?」
 ニトロは立ち上がった。
 思う間もなく部屋を出て階段を駆け下りる。
 彼はキッチンにいるはずの友人に向けて、叫んだ。
「ハラキリ! そのレシピ、ちゃんと味見はしたんだろうな!?」

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