幕間話2

 抜けるような青色の下、見渡す限り凹凸もなく均された平野に斜坑を抜けて空へと延びる離星滑走線マスドライバーが、カーボンコートに光を受けて黒々と輝いている。
 離星滑走線マスドライバーはおよそ十kmの距離を空け、左右対称に、手前から奥へと一列二十五基が正確な距離を開けて大地に立ち並んでいる。まるで天に腹を見せて屍を晒した巨獣が、半ばから折れたあばら骨を地の底から突き出しているようだった。
 ちょうど背骨の上をなぞる空白には着陸用滑走路が灰色の地上絵を描き、眼下には地下整備場とターミナルへの入口を兼ねた施設がある。先ほど着陸してきた星間航空機スペースシップが、客と荷を降ろしているのが見えた。
 ワンフロアの壁一面を窓にした展望デッキに、子どもの歓声が響いた。
 何かと目を転じれば、程近い離星滑走線マスドライバーを駆け上がったワインレッドの機体が、まっすぐ青の天幕の先へ、常夜の空へと突き抜けていった。
「うん、決めた。まずはハラキリのところに行ってみるよ。
 ……うん。それじゃあ芍薬、後はよろしく」
 興奮した様子でガラスにへばりつく子どもを横目に、ニトロは通話を切った。
 もう、しばらくは使うことのない携帯電話の電源を落として、ショルダーバッグの携帯ポケットにしまう。
 代わりに取り出したのは高級紙材で作られた小さな旅手帳――パスポートと、プリペイドカード。
 プリペイドカードには、入金金額を、入金した時点での全星系連星ユニオリスタ加盟各国の為替レートに合わせて両替したデータが、盗難等に関するセキュリティや保険も充実の『トラベラーズマネー』として記録されている。
 同じサイズの二つを重ねて手に持って、ニトロは展望デッキの一角にあるチケットセンターへトランクを転がしていった。
 前期長期休暇に入って三日目。
 星間旅行をすると決めながらも、ニトロは何一つ計画を立てずに空港ここにきた。
 旅行社を通してはティディアに行き先も旅行期間もきっと筒抜ける。チケットもホテルも全て独自に予約しても、変わりはないだろう。それならいっそ計画を何も立てず、行き当たりばったりで進んでみようと思ったのだ。
 ツアーや事前予約に比べて高くついてしまうが、ティディアの目を少しでもくらませる煙幕代と思えば安いもの。
 それに――
「セスカニアン星へ、学生一人」
 長期休暇前に帰星を予定していたハラキリが戻ってこず、おかしいなと思っていたら彼は事故に巻き込まれていた。
 事故の報だけが入り経過が分からなかった時は気をもんだが、幸い大事には至らず、今はセスカニアン星で元気に足止めを食らっているという。
 その連絡が来たのが今朝のこと。
 事前に行き先を決めていたら、友人を頼りに行き先を決めることはできなかった。
「条件ハゴザイマスデショウカ」
 チケットセンターの受付カウンターで、ニトロの注文を受けた中性型アンドロイドが、瞳の中に外部データへのアクセスを示す光点を見せる。
「とにかく早く行けるのがいいんだけど」
「四十分後ノ直通便、ビジネスクラス、ファーストクラス、ロイヤルクラスニ空キガアリマス」
「次は?」
「三時間後、直通便、ラミラス星経由ノソレゾレニ空キガアリマス」
「うーん」
 エコノミーが希望ではあったが、まあ仕方がない。早いところ宇宙そとに出ておきたい。
「じゃあ四十分後のビジネスで」
「カシコマリマシタ。手続キヲ致シマス」
 ニトロはパスポートを差し出した。アンドロイドはパスポートを受け取ると、それに埋め込まれているデータチップから基本的な個人情報を読み込んだ。
 その頭部からピッと明るい音がして、それからアンドロイドは残念そうに、あからさまに造られた表情を浮かべた。
「オ客様ノ、出国ハ認メラレテオリマセン」
「え!?」
 驚愕して、ニトロは思わず大声を出した。
「何で!?」
「オ客様ガ出国サレル場合ニハ、ティディア姫ノ許可、モシクハ同行ガ必要トナッテオリマス」
「…………あー」
 ニトロはため息をつき、悟りの眼で外を見た。
 宇宙から降りてきた星間航空機が、滑走路に向けて着陸態勢を取っているのが遠くに見えた。
「なるほどねー」
 脱力していく体を支えるため、ニトロはトランクに座りながらカウンターに肘かけ寄りかかった。
「そーいう手もあったか」
「マタ、条件ヲ満タサヌママ空港ニイラッシャッタ場合、伝言ガゴザイマス」
「何?」
「『全部ブッチ切ッテツイテイクワ』」
「『アキレス腱ぶっ千切れろ』って返してくれる?」
「業務エラー。無効デス。モウ一度オ願イ致シマス」
「……じゃあ『お前なんか嫌いだ!』でいいや」
「業務エラー。無効デス。モウ一度オ願イ致シマス」
 ニトロは手を差し出した。
 アンドロイドはそれに対してはエラーを起こさず、彼にパスポートを返した。
「なるほどねー」
 ニトロは感心した。
「ティディアへの悪口は業務上の過失になってんだ」
「ソノ質問ニハ守秘義務ガカケラレテオリマス」
 アンドロイドの機械音声は無感情にプログラムされた言葉を返してくる。
「オーケー」
 ニトロはパスポートと、チケット代のために出していたプリペイドカードをショルダーバッグにしまい、嘆息混じりに言った。
「『俺の自由を返せ』。これならどう?」
「無効デス。モウ一度オ願イ致シマス」
「……何なら通る?」
「『同意』、アルイハ『愛ノ告白』ガ認メラレテオリマス」
 また一機、星間航空機が滑走線から宇宙へと飛び立っていった。父親に連れられた男の子が歓声を上げている。
 ニトロは羨望の眼差しで純白の機体を見送ると、携帯電話を取り出して緩慢に電源を入れ、芍薬につないだ。
「あー、芍薬? 迎えに来てくれる? 詳しくは車の中で話すから。うん。よろしく。
 あ、あとバカに『お前とは死んでも旅行しない』ってメール送っておいて」
「無効デス。モウ一度オ願イ致シマス」
「…………………………」
 ニトロは芍薬の了解に、よろしくと返して通話を切った。
「……まあ、何ていうかさ」
 そして、嘆息混じりにアンドロイドへ微笑みかける。
「お互い色々大変だよね」
「労イノ御言葉、アリガトウゴザイマス」
 アンドロイドは無感情な顔のまま、言う。
 ニトロは浮かべていた微笑みを、笑い声を押し殺すような苦笑に変えた。
 手の中の携帯電話が震えた。見れば芍薬からのメールで、到着予定時間と空港の簡易地図が送られてきていた。地図には待ち合わせ場所を示す赤い点が記されていて、その近くには疲れを癒すリラクゼーション・エリアがある。
 声に疲れがあるのを分析してとって、気を利かせてくれたようだ。エリア内のサロンで利用できる電子クーポンまで添付されている。
 厚意には、ありがたく甘えよう。
 ニトロが立ち上がり踵を返すと、カウンターのアンドロイドが利用者への礼を述べた。
 その声に軽く手を振って、ニトロはトランクを引きずりエレベーターホールへと去っていった。

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