幕間話

 体育の授業中、護身術を身につけたいとハラキリに言ったら、まずは基礎体力をつけましょうと言われて。
 じゃあ良いトレーニング方法を教えてと頼んだら、気軽に頼んだのが申し訳なくなるくらい緻密なトレーニングメニューが当日のうちに送られてきた。
「マメだなぁ」
 板晶画面ボードスクリーンに写したメニューを読み終えて、呆れも半ばに感心する。
 メニューはニトロにも無理なく行えるように考慮して作成されていた。全てのトレーニングが図解入りで説明され、その回数、負担重量なども細かく設定されている。疑問があればヘルプ機能で各トレーニングの目的や作用などを科学的に教えてくれる、至れり尽くせりな内容だった。
 さらに護身術のための格闘プログラムも『逃げ方』に力を入れて新しく組んでくれて、そのデータも添付されていた。
 ハラキリが紹介してくれたスポーツジムに持って行けば、仮想空間の格闘トレーニングシステムで使用できるという。もちろん現実でも練習し、トレーナーにちゃんと指導してもらうようにと注意書きがしてあった。
「『先の獣人ビースターの件を忘れずに、トレーニングはメニュー通りに。サボったら駄目ですよ』ッテ」
「いやー、サボれないなぁ。『抜き打ちチェック』ってのが微妙に怖いし」
「シッカリトレーニングシテナイト危ナイッテ注意書キモシテアルシネェ」
「それがまたねぇ」
 ハラキリがコーチをすると明記しているところはそこ以外になく、メニューには全体的に放任主義が貫かれている。しかしそれは単に放任するということではなく、あくまで自主的に行わせるという意図が、注意書きやコメントの端々に散りばめられていた。
「……意外に厳しいのかもな、これ」
 ハラキリが先生になってくれれば心強いが、もしかしたら心強さに頼って緊張感を緩めてしまうかもしれない。
 そして手を抜けば、結局泣きを見るのは己自身だ。
 トレーニング自体は無理なくこんを詰めずにできるようになっているが、それを行う心構えは気楽にしてはいけないということなのだろう。多分。
「それで、ジムの会費とかどうだった? 家計に打撃ない?」
「問題ナイヨ。ハラキリ殿ガ友達会員ノ枠ヲクレタカラ、割引モアル」
 芍薬はおかしそうに続けた。
「主様ノ『貯金』ハコレクライジャビクトモシナイヨ。ソンナニ心配シナクテモイイノニ」
「あー、まだ実感ないんだよ」
 勝手に王立銀行に口座を作られ、振り込まれていた『映画出演料』。ティディアが寄越した明細メールに記されていた数字には目が飛び出たものだった。
 実際、それのお陰で『ラジオ出演』後にマスコミが殺到した実家を離れて、今この部屋を借りて一人暮らしができているのだが……しかし未だに預金口座にログインすると、どこかの金持ちの口座が誤って表示されたのではと疑ってしまう。
「俺には過ぎた額だしさ」
「主様ハ欲ガナインダネェ」
「ていうより、なんかね、大金怖い」
 芍薬が笑う。ニトロも自分で言っておきながら笑ってしまった。
「まあ、問題ないなら入会手続きしちゃおう」
「御意」
 芍薬が記入項目を埋めながら、板晶画面ボードスクリーンに本人の直筆を必要とする箇所を示してくる。
 ニトロは板晶画面ボードスクリーンの脇にあるタッチペンを取り、次々と示される箇所に求められる情報を書き込みながら、ふと思った。
(――ああ、そうだ。身を守るのは何も暴漢からだけじゃなかったな)
 むしろあれの方が遭遇頻度は超絶高いし、色んな意味で被害も甚大だ。その対策にも護身術はそこそこ有効じゃないか。
 となればできるだけ早くトレーニングを始めたい。
 ニトロは芍薬に訊ねた。
「ここはいつから使えるようになるかな」
「明日カラデモ使エルヨ」
「そっか」
 それなら明日、学校の帰りにトレーニングウェアを買って早速寄っていこう。
「このメニュー、メモリーカードにコピーしておいてくれる?」
「明日カラ行クツモリカイ?」
「うん」
「ソレナラアッチニ会員用ノ『データスペース』ガアルヨ。メニュート、格闘プログラムノデータモ送信シテオコウカ?」
「あ、ならそれで頼むよ」
「承諾」
 最後の項目にサインを書き入れ、残りは芍薬に任せると、ニトロはハラキリへの御礼メールを打ち出した。
 早いとこティディアに押し倒されないための技術は身につけておきたいな――
 そんなことを、考えながら。

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