4-a へ

 敵を味方につける方法は、簡単だ。共通の敵を作り出せば良いのである。
<チュウショット文庫「戦略家・ズトロニックス」より>

 レストランの休憩室を出た先は業務用搬入口だった。誰が怪しむよりも早くそこを走り抜けて脱出を果たした二人は、そこから2ブロックほど先にある大通りに向かって裏路地を走っていた。
 向かう先には、高名なブランド店と新鋭デザイナーの登竜門である貸画廊ギャラリーが軒を連ね、度々テレビで取り上げられドラマや映画の舞台ともなるミッドサファー・ストリートが見える。いつも歩車道ともに混みあい人中ひとなかに紛れて逃げるには最高の場所である。
 背後ではようやっとこちらを不審者と認識したらしい警備ロボットが一体、警告音と共に半球型のボディに埋め込まれた黄色灯を点滅させ、四本の足先の車輪に不快なスリップ音を高らかにまとい、勢いよく搬入口から滑り出てきた。
 そこへ間、髪をいれず躊躇なく、ハラキリがレーザーを撃ち警備ロボットを破壊する。
 しかしニトロは、警備ロボットの追跡などどうでもよかった。機関部を破壊され動力を失いうずくまるロボットにくれる眼もない。まだ現れぬ恐怖にただただ心臓が早鐘を打ち続ける。
「どうするんだ? 逃げられるのか?」
「足がありますから」
「足?」
「こちらです」
 ニトロはハラキリに引っ張られるまま、何の装飾もないビルの非常口に飛び込んだ。どうやらこのビルは、立体駐車場であるようだ。中に入るなり、白色灯の光の中、整然と並んだ車達が彼らを出迎えた。
 今は他に人はいない。人の音もエンジン音もなく、コンクリートが吐き出す湿った冷気の中に、ただ耳障りな静寂がある。
 ニトロには、黙って整列している車が不気味に感じられた。よく車をデフォルメしたキャラクターを見るが、確かに、ヘッドライトが眼に見える。まるでこちらをジっと見つめているようだ。
 ニトロは震えた肩を抑えた。ハラキリに視線を移すと、彼は非常口のすぐ脇に止めてあった黒の普通車に乗り込んでいた。嫌な予感に、ニトロはまた肩を震わせた。
「え〜と」
 とりあえず義務的に助手席に乗り、ニトロはまず確かめた。
「もちろんオート・ドライブだよね」
 A.I.によるオート・ドライブ限定ならば、十歳から免許を取得できる。
「もちろんマニュアルです」
 自分で運転するマニュアル・ドライブ免許は、十八歳以上だ。
「君何歳?」
「今年、十七になりますなー」
折檻せっかんパーンチ」
「そんな!」
 ニトロの右拳が、ハラキリの頬を抉った。
「無免許運転ダぁメ!」
「いやでも、これじゃなきゃ逃げられませんぜ」
「……いやしかし、無免許運転の事故率は……」
「まぁまぁ、一緒にスリルを味わいましょうよ」
「……」
 ニトロは黙した。代わりにシートベルトを締める。
「諦めた。命預ける」
 ハラキリはハンドル脇にある指紋認証キーの穴に人差し指を挿し入れた。コンピューターの起動音が鳴り、次第に、車に命の火が灯っていく。
 ニトロは点灯していく機器類を見て驚いた。
 ダッシュボードには普通では不必要な数の計器があり、中でもセンターパネルはシステムを制御するインターフェイスのようで、簡素化されたキーボードのような入力装置も見られる。
 運転以外の全てはA.I.に制御させている現在、これほど『人間が操作する領域』を用意するのは、よほどのマニアかよほど特殊な使用目的がある者のどちらかだ。
「この車は?」
「父のです。ターゲットを追いかける時のために、ずっとここに置いてあるんですよ」
「ふーん」
 もはや、ジジ家の内情に深入りする気はさらさら無かった。
「指紋照合完了。パスワードヲオ願イシマス」
 スピーカーからのA.I.の人工音声に、ハラキリが応えた。
「ファミリー、フジヤマゲシャ」
「パスワード、音声照合完了。オールクリア。ヨウコソ、ハラキリ。機嫌ハドウダイ?」
「上々だよ『韋駄天いだてん』。これからちょっと面白くな」
「面白くない!」
 ニトロが断言する。
「ドナタ?」
「お客さん」
「オ客サン。ヘェ……ナルホド。了解シタ」
 動き出した車は、ハラキリの手によってスムースに出口のある二階に向かっている。澱みない運転の様子から、彼はかなり手慣れていることが見てとれた。事故の心配は多少は減ったようだ。
 とはいえ。
「行きますよ、ニトロ君」
「あ〜もう、どうにでもして」
 ニトロは姿勢を正し、シートベルトの張り具合を確かめた。
 一度二階に上がった車は、すぐに路上に続くチューブ状の管状通路パイプ・ラインに入った。強化プラスチックの窓壁の向こうには、人が賑わうミッドサファー・ストリートが見えた。
 車道はラッシュアワーに混みあって、ほとんど車は動いていない。たまに高級な飛行車スカイカーが空を行くのを、走行車ランナーのドライバーが羨望と憎憎しさの混ざった眼差しで見上げている。
 ふとニトロは気になって、燃料計を見た。
 燃料計は、タンクに精製フロギストンがフルにあると示していた。動力用バッテリーのメモリの針も上限を示す。逃亡中に燃料切れなんて、洒落にもならないことは避けられそうだ。
 管状通路を下りきって、停止線で車が止まった。この車のタイプは走行車だった。この混みようでは、合流を果たすにもかなりの時間が必要そうだ。また合流したところで、身動きは取れまい。
 この間にも、あの女は近づいてきているのだろう。だというのに、運転席のハラキリは、憎らしいほど余裕に鼻歌なぞを吹かしながら、中央にあるシステム制御盤を操作している。
「なぁ、何してんの?」
「すぐに分かりますよ」
「……」
 ニトロは落ち着かない気を静めようと、景色に目を移した。そして、こちらを驚きの目で見る人々に気づいた。
「ん?」
 歩道にいるほとんどの人が歩みを止め、奇異の目でこちらを、いやこの車を見つめていた。目を輝かせている者もいる。
「『オーバーモード』起動……セーフティ解除……解除完了」
 A.I.が言った。
 奇妙な展開に、ニトロが反応する。
「『オーバーモード』?」
 ニトロの疑問は、至極当然なものであった。ぐいと体が上に押し上げられる感覚にニトロは少し驚きの声を上げ、そしてこの車が陸空両用車だということに気がついた。
 しかし、『オーバーモード』というのが陸空両用車についているとは聞いたことがない。たまに漫画やアニメで『普段封印している能力を解放するモード』をそんな感じの名で搭載したロボットなどが登場してくるが――
「コンディション・オールグリーン。パスワード承認後、操作可能」
「それでは韋駄天、一緒に言おう」
「……漫画やアニメ、なのか?」
 隣のやり取りから湧き起こった想像に連れられて、うめき声が口をつく。それを合図にしたように、嬉しそうに楽しそうに、ハラキリとA.I.が叫んだ。
「死なばもろともどこまでも!」
「イぃヤぁーーーーーーーー!」
 ニトロは、いきなり襲いかかってきたGに悲鳴を上げた。やはりという思いと共に、まさかという思いが一緒になって彼の脳味噌を圧迫してくる。
「うっわーーーーーーーー!」
 高出力のエンジンの駆動が、防音防振動を施された車内に微かに響いてくる。景色は高速で移り変わり、視線の高さはビルの三階に並んでいる。ボンネットの先、目下では、車の屋根が織り上げたカラフルな帯が凄まじい勢いで足下に吸い込まれていく。
 ニトロはシートに押しつけられた頭を引き剥がすことができず、苦悶に歯を食いしばった。
(なぜだ?)
 眼球だけを動かし、時速200kmを超えてなお急加速していく中で平然としているハラキリを恨めしく睨む。
「なぜ、お前は、そう平気な、のか?」
「慣れです」
「慣れるか!」
 ニトロは叫んだ拍子に、サイドミラーに映る恐ろしい光景を見てしまった。信じられない速度でミッドサファー・ストリートをぶっちぎっていくこの車を、一台の装甲飛行車アーマード・スカイカーが同等の速度で追いかけてきている。
 そしてそこには、奴がいた。
「ぎゃあああ! 猫耳つけたメイドさんが、ごっつい銃を持って追って来てるー!」

 人間を最も堕落させるものは何か?
 それは、慣れである。
 では、生物の進化において最も重要なものは何か?
 それも、慣れである。
<ドキュメンタリー「宇宙生物学者:ニトロ・ドーン」より>

 ミッドサファー・ストリートを瞬く間に駆け抜けた二台は、混雑する朝の道の上、タイヤが巻き上げる微細な塵に薄濁った大気を引き裂き飛び続けていた。
「おいおい! なんで道伝いに行くんだよ! 追い詰められちまうぞ!?」
「空に飛んだら天地八方囲まれて仕舞いですよ。それなら袋小路に追い詰められた方がまだ手もありますし、なに、追い詰められるヘマもしません」
「いやでも……それならもっと速く! あっちは軍用だぞ!」
「こちらもそれなり。まぁ、良い勝負でしょう。安心して下さい」
「安心なんぞできるか!」
 装甲飛行車アーマード・スカイカーの上で銃を肩に担いで立つティディアの猛追は、少しずつだが着実に間を詰めてきている。前を向いたり後ろを見たり慌てふためいているニトロを見て、ハラキリは言った。
「おやニトロ君、慣れましたね」
「本当だ俺、慣れとるっ」
 自由に動く体を見つめ、そしてもう一度気づいてハラキリの頭をはたく。
「って、こいつの速度が安定したからじゃないか。まったく、あんな猛加速するんなら先に言ってくれよな」
 ハラキリはルームミラーを一瞥し、
「以後気をつけましょう」
 言いながらセンターパネルの、システム制御盤のスイッチを一つONにした。
「そこの暴走車。止まれー」
 やる気の無い声が背後から聞こえてきた。ニトロが振り返って見れば、ティディアが拡声器を口に当てていた。
「止まったらツマラナイけど、止まれー」
「うっわ。何を勝手なことのたまってやがる、あのバカ」
「へー。言ってくれるじゃなーい」
「え?」
 ティディアの反応に、ニトロは冷や汗を垂らした。首を回してハラキリに顔を向ける。そういえば、なぜ防音防振動の効いた車内に彼女の声が届いてくるのか。
「コミュニケーション促進機械マシーンはONです」
「よよよ余計なことをするな! あんなのとコミュニケーション促進する必要なんざ無いんだよ!」
「へー。言ってくれるじゃなーい」
「ああああああああ」
 ニトロは恐る恐るティディアを見た。両脇にある全てのものが恐ろしい速度で過ぎ去っていく中、やけにはっきりと、ティディアのコメカミに浮き出る青い血管が網膜に焼きついた。
 彼女は肩に担いでいたレーザーライフルを下し、こちらに銃口を向けてきた。スコープを覗き込んで銃を構えるその姿は、美しく芸術的にも思える。
 だが、
「おいおいおい撃ってくるぞあのバカ!」
「韋駄天、バリアを」
「了解」
 韋駄天の答えと、ティディアが引き金を引いたのは同時であった。銃口から一線の殺意が放たれる。照準はニトロの眉間。光速に近いそれを避けることは不可能に等しい。しかし、灼熱の光線は車に到達する寸前で霧散して消え去った。
「おー」
 感嘆の声を上げて、ティディアはスコープから目を離した。
「おおお?」
 一瞬、死を覚悟していたニトロは感激の声を発した。
「対光学兵器バリアです。これでレーザーは怖くありませんよ」
 それを聞いたニトロはドアの窓を開けて右腕と顔を出し、せめてもの仕返しとばかりに中指をおっ立ててみせた。ティディアが今一度、今度は実弾のライフルを構える。耳を叩く凄まじい風切り音の中、ニトロは叫んだ。
「無駄だぁぁ!」
 ハラキリがハンドルを、わずかに横に切った。ティディアの肩が衝撃を受け止める。ニトロの頬を、弾がかすめた。
「……」
 ニトロは椅子に座り直し、シートベルトを締め直して、窓を閉めた。
「実弾銃や音波兵器は素通りしてきますので」
「手早く忠告しろよ!」
「言いましたよ。でも外に出てたから風で聞こえなかったでしょ」
「ごめんなさい」
「手回しがいいなぁ」
「え?」
 ハラキリの言葉に前方を見ると、前方にバリケードが築かれていた。赤色回転灯が幾つもたかれ、警察車両は飛行車も走行車も出動して道の上下に壁を作り、大勢の警官が待ち構えている。
「曲がりますよ!」
「おう! ぎゃっ!」
 ニトロの悲鳴は、彼の頭がドア窓にぶつかった音と見事なハーモニーを奏でた。速度が上がれば上がるほど、遠心力は大きくなる。そのことをニトロはつい忘れていた。
「うおおお……」
「ねー。今の音、もしかして頭ぶつけたー?」
「やかましい!」
 聞こえてきたティディアの質問に怒声を返したニトロは、返す刀でハラキリに言った。
「切っとけよ、コミュニケーション促進機械マシーンとやら!」
「それじゃ、つまらないなぁ」
「切れ」
「ハンドル切りまーす」
 ニトロは慌てて頭を抱えた。強烈な横Gが、連続して襲いかかってくる。
「ちょっとキツイですけど……」
 ハラキリの声が、遥か遠くから聞こえてくるようだ。
「吐く時はエチケット袋にね!」
(そんな余裕あるか!)
 ニトロの抗議は、声にならなかった。
 ハラキリの運転技術は驚くべきものだった。A.I.のサポートを最大限活用し、計器類に表示されるニトロには何を意味するのか全く解らない数値を瞬時に把握しながら、大通りを、路地を、時には車体を90度傾けビルの隙間を、警察車両を看板を対向車をあらゆる障害をかわしながら超スピードで走り抜けていく。
 凄まじい反射神経、絶妙なハンドル操作とアクセルワークだった。およそ『クラスメートの無免許運転』からはかけ離れている。もしかしたら、時速1000kmを超えるライトニング・レースのCクラスレーサーにも並ぶかもしれない。
 無茶苦茶に車が振られ、霞みそうな意識の中でニトロはかろうじてそれだけを思えた。体は、血液は、三半規管は四方八方に振りまわされている。声など出すことはできない。そんな試みをしようものなら、本当に胃が口から飛び出てしまう。
「ふむ……」
 少し運転が素直になったところで、ハラキリが物思わし気にうなった。
「どうしらの?」
 呂律ろれつが回らないが、それでも訊ねるニトロ。
「いや、撃ってこないなあと。変じゃないですか?」
「そういやそうだね」
 その時、ニトロ側のサイドミラーが砕けた。
「あ」
 二人そろってうめく。撃ってきた。しかも、土砂降りの雨のように。
 金属がぶつかり合う音が、恐ろしいほどの勢いで耳を叩いた。さながら、車のすぐ後ろで雷が鳴っているかのようだ。
「防弾!?」
「そうですが……どれくらいもちそう?」
「ヤラレ続ケルト、5分」
やっこさん、相当に硬い弾頭用意してきましたねぇ」
「そんなのんきにしてる場合か!?」
「いいえ。こちらも撃ち返しましょう。時にニトロ君、シューティングゲームで遊んだことは?」
「え? や、あるけど?」
「それでは任せましたよ」
「え?」
 ハラキリが制御盤のボタンを押すと、天井が折り重なるようにスライドして大きく開いていった。それに続いて後部座席がひっくり返り、代わってドでかいマシンガンがせり上がってくる。
「……この車、何用だっけ?」
「追跡用です」
「こんなゴッツイ銃を装備しておいて、追跡用なわけあるか!」
「いや、ターゲットの足を止めるために」
「命まで止まるわ! い、いや、それよりこういうのってコンピューター制御で……」
「ワリ、オヤッサンノ美学デ手動オンリー」
「なんだそれ!」
「父の美学は拙者もちょと迷惑……」
 ハラキリは左右に車体を振り、銃撃のダメージを極力軽減させようとしていた。だが撃ちこまれてくる弾の量が多すぎる。すでにリアガラスからは、徹甲弾からもガラスを守る防弾コーティングが削り取られ始めている。『危機』はニトロの目にも明らかだった。
「四の五の言っていられません。お願いします」
「ええい、畜生!」
 ニトロは覚悟を決めた。シートベルトを外し、シートを倒し、後部座席に現れた銃座に身を寄せる。頭を車外に出すと同時、彼の耳を爆風が襲った。
「これを!」
 微かに聞こえたハラキリの声に導かれ、彼からインカムを受け取る。インカムを被ると耳当てに鼓膜が風から守られ、フォンからは彼の声が明瞭に聞こえてきた。
「銃座にベルトがあります。それで体を固定して」
「うわ!」
 ニトロの頭上を、弾丸が通り過ぎていった。身を低くしたまま、ベルトで体を固定する。
「マシンガンの後ろから頭を出さないで! 狙いはスコープで」
 言われた通りマシンガンに頭を隠すようにし、銃尻に潜望鏡のように作られたスコープを覗く。その中では目を動かす度、瞳が捉えた目標が縁取られ、距離までが算出された。なるほどとニトロは思った。確かにこれは、シューティングゲーム感覚で扱える。
 敵は二台いた。
 ティディアの乗る装甲飛行車と、その後ろにいつしか合流していた巨大なトレーラー。双方ともに飛行車だ。今は、装甲飛行車から数人の兵士が銃を乱射してきている。
(ティディアは引っ込んだか)
 どうせ、高みの見物と洒落込んでいるのだろう。
引き金トリガー上のレバーを下げれば安全装置は外れます」
「よおし……やっってやる」
 スコープを覗いたまま、アームガードに守られたグリップを両手で握り、安全装置を外し、右の人差し指を引き金にかける。
「エンジンルームを狙って下さい」
「あっちも防弾じゃないのか?」
「それ、対戦車用です」
「オッケー!」
 ニトロは引き金を引いた。凄まじい衝撃がグリップを握る両手から肩に突き抜け、放たれた弾丸はしかし狙いを外れて装甲飛行車のボディに傷をつけただけだった。
「くそ!」
「上出来ですよ。充分脅威を与えたでしょうから。その調子で牽制してください」
 ハラキリの言葉は、確かに当たっていた。高速移動しながら、加えて相手が向かってくる分、威力はこちらに分があった。
 ニトロが撃つ弾丸を警戒し、敵はおいそれと近づき攻撃を仕掛けてこない。付かず離れず距離を保ったまま、カーチェイスが続いていく。
 車は左右に、上下に振れ、要所に配置された警官や軍隊のバリケードがある度に特に激しく、ニトロの体に強烈なGをかかる。その度にニトロは銃の背後に隠れ続けようと全身に力をいれ、また装甲飛行車を牽制するために狙いをつける緊張感を途切らせまいと精神を集中させ続ける。彼の体力は着実に削られていった。
「あ」
 と、しばらくした時、ハラキリがつぶやいた。それはインカムを通し、ニトロの耳にしっかりと届いた。
「どうした?」
「この先は副王都セドカルラへの高速道路です」
「いいじゃないか。障害物もないし」
「誘導ですよ。罠でしょう」
 ハラキリは、このまま高速道路に突っ込むのはどうしても避けたかった。罠があると分かっていながら行くのは愚の骨頂だ。あちらはどうしても高速道路へと誘導しようとするだろうが、今なら多少の無理で包囲を抜ける算段もある。だが、入ってしまったら、虎穴の中から出るために親虎を相手にしなければならない。入ったところで、得もない。
「罠だと分かっているほうが対処もしやすいんじゃないか?」
「それも一理ですが……」
 ニトロが助手席に戻ってくる。インカムを外して息をつく。その額には大粒の汗が光っていた。顔色も土気色で、呼吸は落ち着かない。
「なんにしろ、少し休みたい」
 ハラキリは口を結んだ。高速には入りたくない。だが包囲を抜けるにはニトロにもう一踏ん張りしてもらう必要がある。
 だが、彼の様子からはそれを求める方に不利が多いだろう。
「……分かりました。仕方ありません」
 ハラキリは不承不承うなずいた。マシンガンをしまいこみ、天井を閉じる。
「例のカードを」
 ニトロは懐からティディアに渡されたクレジットカードを取り出し、ハラキリに渡した。
「これは預かっておきますね。SPS空間測位システムを無力化しますので」
「分かった」
 ハラキリはカードを車載のカードリーダーに差し込み、なにやらシステム制御盤をいじりつつ韋駄天に命じた。
「高速道路管理公社にアクセス。フクラギマ・インターチェンジから入る。使用後、カードは全信号遮断庫へ」
「了解」
 ハラキリはニトロを見つめて、言った。
「罠への対策は一応ありますが、バクチですし、相当の衝撃があると思います。覚悟はしておいて下さい」
「もう覚悟は通り越しているよ」
 韋駄天が言ってくる。
「アクセス完了。クレジットカードノ所有者ハ、網膜パターン読ミ取リ用ゴーグルヲツケ、パスワードヲ言ッテクレ」
「ゴーグルは?」
「これです」
 ハラキリが制御盤を操作し、どうぞと促してくる。ニトロは渡されたゴーグルをつけると、喉を鳴らして声を整えた。
「死にたくないよ〜ん」
「ぶっ!」「ブッ!」
「笑うな!」
 ニトロの抗議は空しかった。それもそうだ。こんな状況下でこんなできすぎたパスワードを誰かが言ったら、自分も笑う。
「網膜パターン承認、声紋承認、パスワード照会完了。手続キ、終了。電磁ゲート通過パス入手。オールオーケー」
「それじゃあ、行きましょう」
 ハラキリがアクセルを踏み込み、車は高速道路へと向かっていった。
 その様子をカップのバニラアイスを食べながら眺めていたティディアは、満足気にほくそ笑んだ。
「いい子ね。二人とも」
 その顔を見た部下の兵士は、氷海に放り込まれたかのような寒気を感じた。
「トレーラーに伝えなさい。時は来たりと」
「はっ!」
 一方、高速道路に入った二人は気勢をそがれ、しばらく唖然としていた。
「……平和だ」
 ニトロがつぶやく。ハラキリがうなずく。
 高速道路を走る車は走行車ばかり。それは特に珍しくもないし、実に何事もなく走っている。
 空を見れば抜けるような青空。車の上にある、素子生命ナノマシン素子生命群エレメンツが編み出す消音・侵入防止の素子壁バリアが、時々光の加減で青紫の縞模様を浮かべてフロントガラスに薄影を落とす。ちょうど、空に瑪瑙で出来た小さな群島が現れたように。
「サーチ完了。危険物ヲ積ンダ車両ハ、全方向5km範囲ニ二両」
「罠も無い……」
 ニトロがつぶやく。ハラキリがうなずく。
 光景はただの日常的な高速道路そのもので、まるで危険といったものが感じられない。
「おかしいなあ」
 ハラキリは納得がいかず、首を傾げた。こんな快適なドライブは、予想すらしていなかった。今、ルームミラーの中に戻ってきた装甲飛行車の主は何を考えているのだろうか。
「……あれ?」
 先に異変に気づいたのは、振り返って後ろを見ていたニトロだった。
 様子がおかしい。根拠はないが、直感的に感じる。そう、漫画で表現されたならば、きっと装甲飛行車には大きな汗が描かれているだろう。
「逃げている?」
「ん?」
 ニトロのつぶやきに、ハラキリがルームミラーを見たその時、装甲飛行車を追って奇妙な物体が鏡に映り込んできた。
「――な……え?」
 ニトロは、うめくしかなかった。水晶体を通り、網膜を介して脳に映写されたその現実を、理解できずに。
「ギゴオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
 天をも貫くような、不快で、魂魄までも震わせる声が、大気を揺るがした。

4-aへ   4-cへ

メニューへ