Sは餡蜜が好きだ。
何故かと訊ねても明確な理由を述べることはできない。本人がその理由を聞きたいくらいだと言うほど、Sはとにかく餡蜜が好きだ。
「よく食べるよ」
Nはため息をついた。Sの前には今日二杯目の餡蜜がある。一杯目は昼前に立ち寄った寺の前の茶屋で食べた。つい二時間前のことである。
「好きだから」
頬をほころばせるSの顔は幸せそのものだ。
強いて理由を挙げるとするならば、「祖母がよく作ってくれたからかもしれない」とSは何度も訊ねるNに言ったことがある。
だが、祖母が作ってくれたのは餡蜜だけというわけではないそうだ。他にも餡を使った菓子をよく作ってくれたという。それならばそれらも同様に好きとなりそうなものだが、Sは特に好物ではないと言う。全く餡蜜だけが別格である。
思えば餡蜜を食べる前から餡蜜が好きだったかもしれない、とSがこぼしたことがある。それはNにとって、至言だ。
そうだ、Sは餡蜜が好きの運命の下にでも生まれたのだ。そうでも思わないと納得ができない。改めてそう思う。
旅行の前、綿密に情報を集めて
「よく食べるよ」
苦笑するしかないNの目の前で、Sは腹の底から至福を噛み締めていた。
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