大混乱

 玉葱のツンとした甘さが、ジャガイモを下茹でする匂いに混じっていた。
 台所とひと続きになったリビングでは、夕方のワイドショーが人気女優のスキャンダルをいかにも楽しげに読み上げている。ニンジンの皮をむきながら、美香子はふとその声に混じる息子の笑い声に気づいた。
「何が楽しいの?」
 そこに笑顔を向けた美香子は驚いた。「痛っ」とたんに滑った包丁が指を裂いた。
 目を向けた先では、一歳になる息子が畳んだ洗濯物のそばで淡桃色のショーツをかじっていた。それはお気に入りの高価なものだった。血が染み出てきた指を押さえながら、美香子は慌てて息子から下着を取り上げた。
「まーくん、ダメでしょ!」
 母の注意が何のことか息子はよく分からないようで、きょとんと目を丸くした。だが、自分が怒られたということだけは理解したらしく、目に涙をため、大声で泣き出した。
「ああ、まーくん泣かないで」
 美香子はうろたえた。この子は泣き出すとなかなか止まらない。薄い壁のマンションでは近所迷惑になるし、夕食の用意も遅れる。その上、気づけばショーツを、指を切った手で握り締めていた。淡桃色のシルクを、紅い滲みが色づけている。
「あ!」
 早く洗わねばシミになる。美香子は失態に声を上げた。それに驚いて、さらに息子が泣き声を上げる。激しい蒸気の音がして振り返れば、ジャガイモを下茹でしていた鍋がふきこぼれてコンロの火がもうもうとした湯気の中に消えていた。
 立て続けの事に美香子が目を回していると、「ただいま」と夫の声が聞こえてきた。
 とっさに美香子は息子を抱きかかえた。ショーツを廊下を歩いてくる夫に投げつけて、自分はコンロに走って叫ぶ。
「あなた、パンツ洗って!」

040727-050115

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