おみっちゃんの家、油屋の『豊円』は食用油の小売をしている店だ。この町に古くからある老舗の一つで、規模は大きくないものの仕入れてくる油の品質は確かな信頼を得て、料亭から食堂まで広く取引相手と商いを続けている。
自分は家主殿と茶番くんに紹介されて機械油を買いに豊円を訪れた時、店番をしていたおみっちゃんに「油を下さい」と言ってから店の中を見渡し、そこにあるのは胡麻油、菜種油、椿油と人のものばかりと気づいて、はてしまったと思ったことを覚えている。自分は二人に「油を買いたいのですが」としか前置きしなかった。自分にとって油と言えば機械油だったため、ただ「油」としか告げなかった。下さいと言った時も、同じようにただ「油」と言った。
食用油を扱う店が機械油を同じ棚に並べることはない。きょとんとこちらを見るおみっちゃんの顔に、さてどうしたものかと困っていると、彼女は意外にも「家の人の? それとも君の?」と聞いてきた。
後で聞けば、数年前、使いにやってくる機械人形の油もついでに扱ってくれないかというお客が多かったため、豊円が並ぶ通りの末の方にあった空き家に機械用の油の店を開いたのだと言う。最近ではこちらの稼ぎが本業に迫る勢いだと、おみっちゃんは苦笑いだ。
元は畑違いの商品とはいえ扱うからには下手なものは出せねぇと、おみっちゃんの父殿はここでも品質にこだわったそうで、精錬度が低い油や混ざりもののある油を平気で、あるいはそれと気づかずに出す店もある中で、常に質を保つ豊円の存在は確かにありがたい。大規模な流通で小売店は苦しい立場にあるとも聞くが、このような商売をする店は長く生きて欲しいものだと、おみっちゃんの取引相手の人たちは言う。自分もそう思う。
豊円は油を作ってもいる。今は小売を本業としているが、本来何代か前までは製油を生業としていたそうだ。
生産量が少ないために、もうほとんど趣味のようなものだとおみっちゃんは言うが、茶番くんが言うにはその油を目当てにして取引を続ける客も少なくないと言う。普段から取引があれば、『豊円の手作り油』を分けてもらうに融通が利くということらしい。
実際、『豊円の手作り油』は美味最良でその人気は凄い。普段取り扱う油に比べて割高なれど、売り出して数日もしないうちに売切れてしまう。いつもはおみっちゃんにぞんざいな口を利く茶番くんが、これを土産にされると平身低頭になってしまう。この時ばかりはおみっちゃんの完全優位で彼女は威張っているものの、実はその油で作る茶番くんの料理を楽しみにして来るのだから面白い。
この前『豊円の手作り胡麻油』を持ってきた時は、茶番くんはお茶請けに胡麻団子を作ってくれた。胡麻の香り芳しい団子を食べる時のおみっちゃんの顔は、本当に幸せそうであった。それを見る茶番くんの顔は嬉しそうであったが、おみっちゃんが目を向けると平然を装うのだから面白い。
油一つで交友は広がり、面白い光景をいくつも見せてくれる。人との関係には難しい面が多くあるが、ただ一つの共有だけで多くの結びつきが見られる。
これもまた、面白いものだ。