草紙 〜おみっちゃん〜

 手持ちの機械油が切れたので「よい店はありませんか」と家主殿と茶番くんに訊ねたところ、「『豊円ほうえん』」と揃って紹介された油屋がおみっちゃんの店だった。
 おみっちゃんは正確には『まどか三葉みつば』という。豊円の一人娘で歳は十七、評判の良い看板娘で、前もって話には聞いていたが元気な人だった。
 二人の勧めでおみっちゃんには自分のことを明かしたが、彼女は茶番くんのように驚かないことはなく、むしろこちらが驚くほど驚いた。「へー」とか「ほー」とか目を丸くしてあちこち触られたり色々聞かれたりするのには戸惑ったが、嫌な気分はしなかったのは彼女の性質のためだろう。おみっちゃんは快活で、言動に嫌味がない。素直に驚いて感心しているのが分かるから、こちらもなすがままにされていた。
 ひとしきり驚いた後のおみっちゃんは、何の隔たりもなく、一人の客として注文を聞いてくれた。おみっちゃんはこうさっぱりとしていると茶番くんが教えてくれていたが、なるほどと思った。あまり外を歩くことはしたくなかったため、無理を承知で「これから届けてくれませんか」と頼むと、二つ返事で了承してくれたのもありがたかった。
 それからというものの、おみっちゃんは油を届ける時以外にも自分をよく訪ねてくれた。会話を重ねる次第におみっちゃんは自分を客という以上に、友だちとして見ているようだと気がついた。
 友情を向けられるのはいつになっても嬉しいもので、たまにおみっちゃんに連れられて町を見物したり、趣味の甘味屋巡りに付き合ったりするようになった。それまで自分が外に出たがらなかったのは、別段外に出る気が薄かったというわけではなく、単に目立って一所に居づらくなったことがこれまでに幾度もあったためそれを避けたかっただけだった。だが、友だちに誘われていながらも外に出たくないわけではない。多少目立っても、愛玩人形くらいには見られるだろう、そう思っていたのだが、おみっちゃんがあんまり可愛がってくれることに浮ついていたか、迂闊なことに自分が『人並みに会話ができる』ということにまで気を回していなかった。
 おみっちゃんのさばけた性格は人を惹きつけるらしく、男性は言うまでもなく同性からも老若を問わず人気がある。知己も多く、故によく目立つ。それが旧式の機械人形を連れ回し、いかにも楽しげに茶屋でそれと会話なんぞをしている。奇異の目を引かぬわけはない。しかし、おみっちゃんはそれを全く気にしていないし、どころか「気にする奴には気にさせておけばいいのさ」ととりつくしまもない。
 そう言われて困ったのはこちらだ。自分は友の不都合を看過できるほど割り切られない。昔、それで痛い目をみたこともある。思えば機械である自分以上におみっちゃんが世間を気にしないというのは妙ではあったが、そうと笑ってもいられない。このままではおみっちゃんが機械人形相手に談笑する娘と白い目で見られかねない。
 とはいえ自分が火消しに回ることなどできるはずもなく、ほとほと困り果てていると、いつの間にか自分が『どこぞの国の技術者が開発した、人と会話をすること、物を食べられることなど人間の行動を模倣することを目的の研究で作られた機械人形で、実験段階ではあるが多少思考する機能も組み込まれている』という噂が町中に広まっていた。しかも『その実験は途中で立ち行かなくなり、廃棄されるところを町外れの楽遊が引き取ってきた』と。
 ようは、自分は最先端の技術で作られはしたが失敗作のポンコツで、家主殿のコレクションとしてもらわれてきた。ということらしい。
 それを聞いた時、おみっちゃんは腹をよじって笑った。自分としては少々誇りが揺すられ釈然としないものがあったが、彼女の言葉で納得がいった。
「こんなホラを考えるのは茶番くらいだ」
 確かめてみれば、自分の様子を見かねた茶番くん、おるそん氏と相談して噂を広めてくれていた。自分が話していた『機械人形がどこまで自立できるかの実験体』という偽りに手を加えてみたと言う。しばらくは物珍しさで自分を訊ねてくるものもあったが、七十五日を待つまでもなく、一月ひとつきかそこらで平穏は戻ってきた。
 それからは町を歩いても奇異の目を向けるものはない。おみっちゃんと話していても、怪訝な顔をする者はない。一人気楽に散策することもできるようになった。噂をそれほど広める必要まではなかったのではとも思っていたが、なるほど、茶番くんとおるそん氏はこれを見越していたのだと感服した。「少しくらい不思議なものがあっても、知れば好奇心は薄らぐもんだし、そういうものも受け入れる度量くらいは持ってるよ」と、この町を評したのはおみっちゃんだ。
 確かに、雑多な地域には自分よりも「これはなんだ?」と思う珍妙もここにはある。

 おみっちゃんの届けてくれる油は質が良く、内緒だよと少し多めにくれるのもまたありがたい。
 ただ、茶屋でこちらがおみっちゃんの分も支払いたい時に、頑として断るのはどうにかならないものか。おるそん氏には素直に奢られるし、茶番くんには奢れと主張するのに、自分だけは奢らせてもらえない。
 なんだか最近では、おみっちゃんは友というよりも、おそらく姉というものはこういう感じかと思うこともある。そういえば、おみっちゃんは「弟か妹が欲しかった」と言っていたことがあった。
 ……まさか。

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