草紙 〜茶番くん〜

 この書斎に居候することになり、はじめに友となったのは、自分と同じ身分である茶番くんだった。
 彼はこの地に来て家主殿の次に言葉を交わした人で、自分の存在を驚かない稀有な人だった。これまで自分のことを知り驚かぬ者はいるにはいたが、茶番くんのように、光の下では影ができることくらい知っているとばかりに、何事もなく自分を受け入れてくれたのは初めてだった。
 それはこちらには驚くべきことであったので理由を尋ねたら、彼は丸刈りの頭を掻きながら「世の中広いからな」と答えた。はぐらかしにも思える言葉であったが、おそらく本音であったと思う。彼はどこか達観しているようでもある。しかし、油屋のおみっちゃんは「達観してるなんて大層なもんかい。ただの皮肉屋だね」と断じる。
 また、茶番くんは素性を語りたがらない。おみっちゃんもおるそん氏もここにくるまでの彼が『利き茶師』であったこと以外に詳しくは知らない。唯一それを知る家主殿は「まぁ、悪い奴じゃないよ」と笑うが、決して教えてはくれない。
 彼はおよそ柔和からは遠く、世捨て人然とした気質を持つ上に素性を隠す。大抵そのような者は怪しまれるか気味悪がられるか、少なくとも人から疎外されるものだが、そこは茶番くんの徳の故なのか、見知った人の信頼を得ているから面白い。
 ただ、彼の立ち居振る舞いを見るに、彼が只者ではないとは見受けられる。
 彼の歩き方や所作には隙がない。例え突然殴りかかられようとも、彼は冷静に対処するだろう。これまでの旅の最中、彼と同じような動作を身に染み込ませている人たちを見てきた。戦士、闘士、いわゆる戦いに身を置く者、あるいはその術を修得した者だ。彼らの平均的な動作に、茶番くんの符合するところは大きい。
 だが、その真偽を茶番くんに確かめたことはない。昔、あまり人の過去を詮索することは礼を失すると教わった。
 自分は書斎を整理し保つことが仕事だが、茶番くんに仕事はない。しかし茶や酒に関することは彼が仕切っている。『利き茶師』の経験か、茶番くんの淹れてくれる茶は確かに美味い。機械として味や熱を分析しても、『ガリ』として味わっても、確かに他の人が淹れるものとは違う。これは本当に不思議なものだ。試しに様々な情報を得て解析を試みたことがあるが、どうにも仕組みの違いを理解できない。
 また彼の選ぶ酒は良く、作る肴や料理も良い。どこで学んだのか、どこぞの宮廷料理だというものを作ったこともある。感嘆している自分に「コツがあるんだよ」と彼は照れ臭そうに言っていたが、さすがにコツでは済まぬだろう。『利き茶師』の範囲も越えていると感じる。もう少し誇ってもいいように思う。
 茶番くんは普段は飄々とした態度ばかりだが、ことこれら茶や酒や料理のこととなると別人のように真剣な様を呈する。特に一文にもならないのに、おるそん氏に頼まれて彼の客をもてなす際、一晩を仕込みに費やしていたこともある。
 それに自分に酒肴を振舞うのも無駄といえば無駄なことだ。自分は『食』することができるといっても、所詮それは動物の真似事でしかなく、機能の目的もまるで違う。材料のままでも、残飯であっても構わない。
 しかし茶番くんはおみっちゃん達に出すものと変わりないものを用意する。前に極上の酒を酌してくれたが、自分はアルコールの有る無しを量ることはあっても酔うことはけしてない。酔いを除けば味以外に酒も茶も紅茶もコーヒーも、言ってしまえば水も油も大差ない。だから「自分には勿体ない」と言ったところ、「酒は心でも味わうものだよ」と茶番くんは言う。これまで酒をただ酔うための道具と思っていた自分には意外な見識であった。続けて言うには「酒に酔えないのなら宴に酔えばいい。酒を飲めなけりゃ雰囲気を飲んで酔うしかないが、ガリは飲める。なら勿体ないなんてことはない。同じものを飲んだほうが気分も乗りやすいだろう」と笑った。それを聞いていたおみっちゃんに「きざだねぇ」と言われて重ねて苦笑していた。
 『心でも味わう』とは茶番くん、茶を淹れた時にも言っていたことがある。彼にとって何か特別な心持ちなのかもしれないが、例によって理由は知れない。だが、家主殿が『悪い奴じゃないよ』と言うのは分かった気がした。

 書斎の庭に梅の木がある。
 縁側から見える木は枝ぶりも良く白梅咲きほころんで、そろそろ見頃としては仕舞いに差し掛かっている。
 今日は天気も良く、天の底も抜けた青空が心地良い。
 この機会を待っていたかのように、昼下がりに茶番くんが酒席を用意してくれた。
 かぶらの水煮に鶏そぼろの餡をかけたものと、走り物の菜の花の芥子和え。それに急須に入れた清酒と簡単なものではあったが、猫もやってきて丸まる暖かい縁側で、美しい花を愛でながら呑むには良い調子だった。
 ふいに茶番くんが
「ガリはすっかりここが気に入ったようだな」
 と訪ねてきたので、うなずき「茶番くんはどうなのですか?」と返した。居候してここにいるくらいだから気に入っているのだろうと合いの手くらいの心持ちであったが、茶番くんから返ってきた言葉は意外なものだった。
「俺はここにきてやっと、美味いと思える茶を淹れられるようになったよ」
 それはこの場への愛着の言葉と思う。だが小春日和の陽気にこぼれたか、暗に彼の誰にも言わぬものが込められていたように思う。それは気になったが、だがそれよりも、茶番くんが自身のことを少し教えてくれたようで嬉しかった。

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