自分が他の機械人形と違う点は、自我というべきものを持ち人として振舞える他にもいくつかある。
何よりもまずは動力源だ。
人のみならず生命持つ全てのものは、他のものから栄養を、あるいは栄養そのものを摂取して心臓なり細胞なりを活動させ動力を得ている。変わって人が作り上げた機械は、人形のみならず、多くのものが油か電気の生む力の作用を借りて駆動の根本を動かし活動している。
機械人形も昔はバネの反発力を、やがて石炭と水を使った蒸気、そして灯油や軽油といった石油由来の油を経て、今ではもっぱら電気を栄養にしている。自分といえば電気を電線から流し受けて動く形式だったらしい。活動範囲を縛られることなく動く同輩のようにバッテリーを積むための場所は腹の内にあるが、そこにはホコリばかりが積まれていた。
自分は現在、電線に動力を動かすためにコードをつなげていない。動力源を見せてと頼まれると困るので、バッテリーを形ばかり積んではいるが中身は空だ。では何で動いているのか。それが実は、自分でも分からない。
気がつけば動けていた。そして動植物のように栄養を得る必要も、機械のように動力源となりうるエネルギーに頼ることもなく、現在も自分の歯車たちは動き続けている。その理由は、今となってもとんと見当がついていない。そもそも元は畑だった荒地に放られていた
次に、この体だ。自分の外面はブリキでできている。過去にはブリキの仲間が多くいたが、最近ではめっきり見なくなり、合金やアルミニウムが多く使われている。そのため破損したときなどは、修理に使うブリキが手に入りにくくて少し困る。
最近では二足歩行というのも珍しい。機械人形の多くは工場で使われているため、固定されてそもそも下半身がない。工事に従事したり、登録されたルートで荷の集配をしたりする者たちはキャタピラか車輪を持つ。そのほうがより大きな重量に耐えるし、色々と効率も良いという。他に二足歩行の機械人形といえば、二足歩行が流行していた頃のものか、愛玩人形、あるいは持ち主の趣向によってそうされているものくらいだろう。
『飲食』が可能なのも大きな違いだ。口の中には味を構成する物質を分析する機能があり、食感を感じる触覚器官も人ほどには及ばぬがある。体は旧態然としたものばかりだが、こればかりは高度な技術で作られているようだ。消化の代わりに分解し、水と栄養の塊に精製しなおすこともできるが、それにもならないカスは腹を開けて捨てねばならない。それを見た家主殿が嬉々として菜園に撒いていたから、元は残飯などを肥料に変えるための装置だったのだろう。屋号は削られているものの、背中にはかろうじて『料理店』という刻印が残っている。
きちとした料理を生命活動のために摂取するわけでもない自分が食するのは心苦しい部分もあるが、食物連鎖の底辺には入れてもらえそうなことを言い訳にしつつ、交友の潤滑のためとしてこの機能を好んで使わせてもらっている。
しかし外側の差よりも問題は内側、駆動系の差だ。自分は自由に動く。そのせいか、他の機械人形たちより繊細なメンテナンスを頻繁に要する。メンテナンスと修繕の技術を教えてくれた親方の言葉からすれば「デリケート」な機械人形だということだ。
さすがに歯車や軸などの部品が簡単に壊れることは少ないが、困るのは油だ。自分は他の機械人形に比べて、油が切れる間が特に近い。そのくせ差しすぎても動きに支障が生じる。そのため適度な状態を保つためにも、手元に油がなければ心許無い。
食物も水も必要としない自分にとって、常の問題はこの油だった。
水のように溢れているものではないから、油を手に入れるには金銭がいる。油が湧き出し水を買う必要のある国を訪ねたことがあるが、その時でも必要な機械油を手にするには金銭が必要だった。
機械人形である自分が、金を稼ぐのは本当に難しい。
事情を理解し親切にしてくれる人がある時は良いが、そうでない時は『機械人形がどこまで自立できるかの実験体』と偽って仕事を探した。人のように疲れぬ身であるため仕事は見つけやすかったが、賃金はなかなか得がたい。人のように物を必要としない分、メンテナンス用のものをやっと買える位の金額にされてしまうのだ。
それでも何とか旅をするに十分な道具をそろえては旅を続けてきた。
時にはただ働きさせられても、そのような人間に素性を明かすと面倒なことになると学習しているため文句を言うことはできなかった。しかし面白いもので、そのような時は金銭ではなく油そのものを要求するとすんなりことが運んだ。どうやら機械人形に金は必要ないから払う気はないが、油は必要だから分けてくれるという理屈らしかった。
だがそこでも悪いことに不純物の多い油しか分けてくれない者もいて、それを掴まされた時は動きが悪くなって仕方なかったものだ。そういえば真っ当に購入した時も、質の悪い油しか出そうとしない店があった。そんな店でも人の客、特に目の利く客には上等のものを出すのだから、その時は『実験体の機械人形』ではなく、『品質にうるさい主人の求める油を買いに来た機械人形』とすれば良いことを覚えるまでは大変だった。
一番効率よく金銭を稼げたのは、わずかながら砂金が取れる川、もしくは少ないながら翡翠や水晶などが落ちている川などに辿り着いた時だった。そういう場所は人の話には出ても、集められる量が微々たるものだから稼ぐことが目的の者はそうは来ない。だが自分は生活費や対価を気にせずいつまでも探せるから、何も都合の悪いことはない。三年も砂金を探した時は、四年は油に困らぬ金を手にいれた。それは今も役立っている。
ああ、そうだ。この問題があった。しばらく金には困らぬと思っていたがため、失念していた。まだ当分は大丈夫だが、ここにはできる限りいるつもりだ。だが先に砂金の袋は空になる。どうしたものか。
頃合を見て、おみっちゃんに店で働かせてもらえないか頼んでみようか。
それにしても、他の機械人形とは違い自由に動ける身でありながら、それゆえに金銭がなければ活動に不都合が出てくるとは、我ながらおかしなことではある。
もしかしたら、これが他の機械人形と自分の間にある最も大きな差なのかもしれない。